緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/11/06

救荒作物サツマイモ No,572

サツマイモ 

ヒルガオ科サツマイモ属 多年草植物
食用部分である「塊根、かいこん」
「甘藷=かんしょ·中国での名前」「唐芋=からいも·中国から来た芋」とも呼ばれる。

原産地=中南部、メキシコを中心とする熱帯アメリカで生まれ、ヨーロッパ、中国、日本などへ広まり各地で栽培されている。


    「べにはるかの若葉」


焼酎の原料やデンプン原料用、菓子用等の加工食品用など幅広く利用され、飼料にも使われて、また食物繊維が多いことから、便秘改善にも役立てられている。

紀元前800~1000年頃には、中央アンデス地方でサツマイモが作られていた。

もともと先住民の人口が多かったメソアメリカや、中央アンデス地方では、スペイン人植民地が王室の許可により、割り当てられた先住農民の労働力を利用して大農園を形成した。

アンデス地方は、コロンビアからチリ北部にかけてアンデス山脈が縦走する地域で、赤道を横切って南北に長く走る。

アンデス山脈は高度が低くなるので雨量も多い。


紀元前200~600年に作られたサツマイモを型どった土器も見つかっています。


これはペルー北海岸の辺りで栄えた「モチェ文化」のものです。

モチェとはペルー北海岸にそそぐモチェ川から名称をとった。

「モチーカ」と呼ばれることも多いが、しかし研究者の間では、スペイン人到着時に北海岸の住民が話していた言葉の名称と言う事で、避ける傾向が強いとされる。

さつまいも祖先種イポメア·トリフィーダ

さつまいもの起源はメキシコやペルー近辺の中南米にあり、イポメア.トリフィーダと言う野生種が祖先種であることが判明している。

従来の分類学では野生の祖先種は、栽培種と同種でその野生型として扱われるようになっている。

北部アンデスの標高約1000㍍の温暖地に位置しているカリ市内を流れるカリ川岸や、そこからアンデス中腹の標高約1500㍍までの路肩や、人家の庭にはトリフィーダの群落や放任栽培と見られるさつまいもがあちこちに見られる。


   「イポメアトリフィーダ」



長い期間に突然変異を起こしたり、他の野生種と交雑したりして多くの変異を生じ、その中から人為的に選抜されて現在のサツマイモが誕生したとされる。

モチェ文化はモチカ文化とも言われ、紀元後100年頃から500年頃までペルーの北部海岸地方に生まれた、いわゆるアンデス文明の開花期の地域文化の一つで700年頃まで栄えたと言う。


ヨーロッパへはコロンブスが15世紀末にアメリカから持ち帰ったのが始まりとされる。

だが、涼しすぎる気候が合わなかったことで、余り作られることはなかった。

温暖なアメリカ、インド、東南アジアの植民地に持ち込まれたことで世界中に拡がる事となった。


東南アジアへはスペイン人やポルトガル人が持ち込んで、その後中国へと拡がったとされる。

しかしそれより前に、熱帯アメリカからポリネシアの島々に持ち込まれたと言う説もある。


この事が本当の事であるかを実証するため、ノルウェーの探検家「トール·ヘイエルダール」は1947年4月18日、古代のいかだと同じものを造り、南米ペルーから太平洋を渡り、102日かかってタヒチまでたどり着きます。

この事は「コン·ティキ号探検記=コンチキ」と言う本にまとめられています。


日本へのサツマイモの伝来ルートは諸説あると言われていますが、すでに紀元前100年頃に南米から海路ポリネシアに伝わったとも言われています。

記録として残っているものによれば、16世紀にインド、マレー、インドネシア、フィリピンへと伝わり、中国の福建省には1584年に伝えられています。


日本へは1597年に宮古島に入ったのが最初とされ、琉球諸島へは福建省から1605年に入って栽培され始めたとされ、1609年以降薩摩の領有権支配に伴って薩摩地方へと伝わったことでさつまいもと呼ばれ、その後主に九州地方で栽培されるようになったとされる。


その後、江戸時代初期から中期の頃の度重なる飢饉によって★救荒作物として注目され、西南暖地を中心としながら全国に普及していった。


第二次世界大戦後の日本では大増産期(昭和30年の700万トン)があったが、その後、食生活が安定化するとともにその生産は激減し、一部の貧困家庭だけが主食作物として使用した。

ピーク時の昭和30年から18年後、子どもの頃の我が家の主食はサツマイモであった。

給食もない小学校で、サツマイモだけの弁当を教室で食べることがなかなかできなかった、そんな思いをしたが同年代でもそのような経験をした人は少ないだろう。

いかに貧困家庭だったかがわかると思う。



★救荒(きゅうこう)作物とは、一般の作物が不良で凶作の時にも生育して収穫できる作物で、蕎麦、さつまいも、しじゃがいも、ひえなど天候異変に強く、荒れ地でも育成可能なもので、また「救荒植物」と言う場合は、通常は食用にしないが、飢饉の際食用にする野生の植物を指す。

農作物の育成技術が貧しかった昔々は、農作物か十分に実らず、食物が欠乏して人々が飢え苦しむ時代があった。


日本では、昔ほどの生産量はないが、関東や
南九州の畑作地域においては、地場産業の振興になくてはならない重要な作物となっている。


茨城県は全国第二位のサツマイモの産地で、紅あずま、紅まさりなどが知られる。


「紅こがね」はJAなめがた(行方)しおさいのオリジナルブランドで、JAなめがたしおさいが出荷した紅あずまだけにこの商品名を使用することができます。


9ヵ月間も熟成された「熟成紅こがね」は糖度が非常に高く、焼き芋にすると甘味が更に増し、しっとりとした口当たりで、冷めても柔らかで濃厚風味を味わうことができると言う。

たくさんの芋を頂いたので、芋けんぴを作ってみた。

安納芋は通販で買ったので、焼き芋にした残りで芋けんぴを作ってみました。

基本的に安納芋は芋けんぴには向いていない。

しっとり系はカリッとしませんね。


◉さつまいも関連ブログ
大飢饉を救ったのはさつまいも No,578









2021/11/01

桜の管理の必要性 No,571

 桜樹

一般家庭で桜の木を植えることは少ないことですが、地方自治体の殆どの場所には花見会場として、桜の木を植樹している。


自治体によって桜の木の管理のあり方も様々で、多かれ少なかれ適切な管理をしている自治体は少ないのではないかと思う。


主に、春先までの管理を重点に行っているかで、桜の開花や花数にも影響する。




キノコが発生し、枯れてしまっている幹の部分であるが、全く手入れがなされていない花見会場にある桜の木である。


ならたけ病に侵された幹の部分は、数年間全く手入れがなされていない事が伺える。


主に樹幹の地際部や根に発生し、若木では病気が急速に進行して全身が萎ちょう枯死に至るが、成木でははじめ一年から二年生枝梢の枯死が起こり、数年かかって次第に衰弱して行き、ついには全身が枯死にいたる。

写真の桜の木はまだ若いが、病気の進行も早く主幹がほとんど枯れてしまっている。


病原菌は担子菌類に属する糸状菌の一種であり、サクラ類のほか多数の広葉樹、針葉樹、果樹などを侵して被害を及ぼす多犯性の菌である。


日本をはじめ、韓国、中国などアジアのほか、北米、南米、欧州など熱帯から亜熱帯まで南北両半球の世界各地に広く分布する🍄キノコである。


防除法

各地の桜にならたけ病の被害が多いが、これには桜の根部外科手術によって治療を図る手段が望ましい。


それは、被害樹木の根の周囲の土を掘り上げ、病患部及び羅病根をすべて切除します。


切り口にはチオファネートメチル塗布剤を塗り、掘り上げた土壌にバーク堆肥を加えてよく混ぜ、埋め戻します。

対処樹木は、樹勢が回復し根が発達し終えるまで支柱を添えてあげます。


また、枯死してしまった樹木の跡地には、クロルピクリン剤、ダゾメット剤などのガスくん蒸剤による土壌消毒を行う。



桜切るバカ、梅切らぬ馬鹿


そんなことわざがあるが、切った後に切り口を保護しないで枯らしてしまう事が原因である。

木にも強い、弱いがあるので、その木の特性にあった保護をしてやらなければいけない。

手入れもしないで枯らしてしまうのだら、切る以前の問題である。




枝を切る場合、切る位置も大切です。

どこで切ってもよいと言うような樹木もありますが、ほとんどが切る位置があります。


我が家の吉野桜も一枝剪定しました。
管理が大変なので樹高を低くするためです。

健全な枝ですが、間引く必要もあった枝なので切り取りました。