緑のお医者の徒然植物記

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火曜日, 3月 23, 2021

椿油と五島うどんのルーツ No,413

 椿油と五島うどんのルーツ

「椿油」はツバキ科の「ヤブツバキ」の種子から採取される植物性油脂である。
ユチャ、チャノキの種子から取れた油など、ヤブツバキ以外のツバキ属の種子から採取された「椿油」は椿油とは区別する意味で産業界では「カメリア油」と呼ばれます。

不乾性油

酸化されにくい「オレイン酸」を多く含むため、他の食用の油脂に比べて、酸化されにくく固まりにくい性質を持つ。

椿油の利用としての歴史は古く、✣「続日本紀」には777年✫渤海国の使いが帰る時に海石榴(つばき)油を所望したので、贈ったとする記述がある。

✣続日本紀(しょくにほんぎ)とは、平安時代初期に✻編纂された
勅撰史書、略称は続紀(しょっき)

✻編纂(へんさん)とは、材料を集めて本にまとめる事。

✫渤海国=(ぼっかいこく)とは、現中国東北部から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけてかつて存在した国家のこと。

★ヤブツバキ(藪椿)

日本の代表的原料植物で、伊豆大島や利島、伊豆、な長崎県五島列島の福江市、佐渡島の物が有名。



                                                    「ヤブツバキ」



✫サザンカ(山茶花)

長崎県諫早地方では、ヤブツバキよりサザンカの種子から採油するのが一般的で、この地方ではツバキ類の種実を「カタシ実」、サザンカのことを「ヒメカタシ」と呼ぶので椿油を「カタシ油」と呼びます。


✪ユチャ=英名(油茶)

中国の代表的原料植物。
湖南省、江西省、広西省などで生産されている。

中国では炒め油に使うほか、医薬品の原料としても使われる。

✫チャノキ(茶之木)

飲用にするチャノキだが、中国では種から搾油(さくゆ)にも使用されている。

✿搾油製法

✫圧搾(あっさく)
加圧によって種子から液状の油分を分離する製法で、本来の味や成分がより保持される。
コールドプレスともいう。

✻溶剤抽出
粉砕した種子と有機溶剤を混ぜて、油分を溶剤に溶かし込んで後に、蒸留して溶剤を再分離させる。

圧搾よりも効果よく搾油することができる。

いずれも粗油を得た後、精製工程を経て精製品となる。


✿五島うどんのルーツ

自ら中国に渡って調査された、旧上五島町の教育長を務めた吉村政徳氏によれば、中国には400もの麺の種類があるそうです。

折江省温州市近郊の永嘉県に索麺(さくめん)と言う麺がある。

この麺の製法が「五島うどん」と何から何まで同じである。
その地域はうどんを作らない家庭がないほど、村全体がうどんの里という感じで気候も五島と非常に近い。

大陸から伝わった麺は、中通島の現新上五島町船崎という地区から広まり、現在の五島うどんになりました。



「海辺の静かな地域、五島うどん発祥地船崎」


うどん博士で知られる国学院大学の加藤有次名誉教授は、うどんは中国から遣唐使船が伝え、その製法は五島から全国に広まったこと、そしてそのルーツは中国の「索麺」にあると言っていたという。

加藤氏は自ら中国に渡り調べていたのです。

遣唐使の時代といえば、7世紀から9世紀の頃になりますが、今から千年以上前から、五島の人はうどんを作っていた事になります。

中国からやって来る遣唐使船には、一艘に何百人もの人が乗っており、大陸の文化が寄港地である五島にもたらされたと言うのは、ごく自然の流れである。

大陸の食文化が五島へ1番に伝わるという事は決して不思議ではありません。

五島には古くからうどんがありました。

うどん造りの工程で「椿油」を使うのが、五島うどんの特徴ですがそれは五島の人の間だけで食べられていました。

麺の特性から他の地には広まりにくかったのです。

これが「幻のうどん」と呼ばれる由縁である。

日本を代表するうどんとしては、讃岐うどん(香川)、稲庭うどん(秋田)、水沢うどん(群馬)が有名ですが、五島うどんを「日本三大うどん」のひとつにあげる声もあります。

しかし、どのうどんを「三大」に数えるのかはちゃんとした定義もありません。

うどんに関する研究はまだ途中段階で、発祥地を限定するには至っていません。

この事を小生は7年前に記していますが、明らかになったのか不明である。

古き時代に思いを馳せ、うどんを食べてみるのも良いかもしれません。




◉加藤有次国学院大学名誉教授
うどん博士、植物館学の第一人者。
2003年11月11日永眠  享年71歳

うどん博士と呼ばれたのは、うどんの歴史研究を学問的に追求されたり、全国各地のうどんの文化を紹介したりと功績が大きい。

また、うどん打ちを生涯のテーマとし、武蔵野手打ちうどん保存普及会(会長)を結成して、地元小平市を中心に手打ちうどん講習会を続けられた。

著書には「男のうどん学」「わが家はうどん主義」などがある。























船崎地区には現在の集落より北側にも集落(樽見)があった。
約45年前頃に道は途絶えた。子どもの頃、立ち入る事はできなかったが、近くで船崎の同級生(貞司)と遊んだ思い出が懐かしい。
船崎には現在も五島うどんの製麺所(犬塚製麺所)がある。
同級生に犬塚初美と橋口貞司がいた。








✿五島うどん発祥地

長崎県南松浦郡新上五島町船崎