緑のお医者の徒然植物記

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ラベル #大麻草、#ヘンプ、#大麻取締法、#ケナフ、#麻、#GHQ、#大和本草、#貝原益軒、 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2021/07/18

大麻草悲劇の歴史 No,530

 大麻草の歴史

別名=アサ(麻)、ヘンプ
カンナビス·サティバ·エル

大麻草は太平洋戦争後に制定した「大麻取締法」のもとで、厳しく規制されている植物である。

その取締法の成立のきっかけとなったのが、戦後も日本に駐留したGHQの指導によるものである。


過去から現代に至るまで、大麻そのものは日本国内で栽培されていて、特に戦前では様々な用途に盛んに利用されていた。

大麻取締法の制定(1948年)以降「大麻取扱者」の免許を取得した農家だけが栽培を許可され、栽培された大麻草は七味唐辛子に入っている「麻の実」や衣類の原料として繊維が使われている。


各地に自生する大麻草は、自治体によって定期的に除草され、その草姿を目にする機会もほとんどありません。


しかし、大麻取締法が成立する前の日本では、大麻はもっとありふれた植物で、日本人の生活や精神的にも密接な関わりを持っていました。


古くは縄文時代、弥生時代の頃から生活に欠かせない植物であったが、麻薬のような使用をしていた訳ではありません。


祖先の多くは大麻の実を食用にしたり、大麻の繊維を使い布を織って衣服を作ったりしていました。


特に繊維は様々な用途で利用された歴史があります。

木綿が登場する戦国時代中期頃まで、多く利用されていました。


風通しがよく、軽くて丈夫な麻布を使った衣服は庶民に親しまれていました。


赤ちゃんに着せる産着も麻布を使ったものが一般的であった。

その他には魚網や縄、縫い糸など道具の原料としても使われていた歴史がある。


今ではほとんど見かける事も少ない、使った経験もない人が多いと思われる蚊よけの蚊帳(かや)の原料にも繊維が使われていた。


この様に人々の生活や仕事など、ごく普通の存在で、また欠かせないものだったのです。

✫「神道」しんとう、しんどう=日本の宗教、「惟神の道」かんながらのみちともいう

神道の世界では、心霊が宿る“神聖な植物”として扱われ、本来は麻布を使うのが正式であるとする、お祓いに使うはらえぐし(祓串)がある。

御神木には、大麻の繊維で出来たしめ縄(注連縄)が巻かれます。

かつて日本は、黄金の国と呼ばれていたとする事が歴史書に記述が見られ、黄金の国日本は「麻の国」であったとする説がある。


「黄金」とは、大麻から作られる「精麻」であったと言う説もある。

精麻は大麻草の茎を精製した繊維のことで、黄金色で独特の光沢がある。

当時の農家では、米に次ぐ作物として栽培され、精麻が盛んに作られていた。


桜が日本の国花とするならば、大麻草は日本の国草と言っても過言ではない植物だったのである。



現在の日本を除く先進国では、医療大麻の活用が本格的に検討されたり、実施されたりしています。

医薬品として、難病の治療などに役立つものとして注目されています。

やはり、戦前からも医療目的で大麻は使われていた。


大麻の葉を乾燥させて作る「大麻タバコ」が明治時代ではぜん息の治療薬として使われていた事実がある。

この大麻は「カンナビス·インディカ」と言う種類で、中東から輸入され、「喘息煙草印度大麻煙草」と言う名称の医薬品として販売されていた。

江戸時代には、大麻がマラリアに効く治療薬として、本草学者の貝原益軒=かいばらえきけん(1630~1714年)の書物「大和本草」に記述されていた事実もある。

✫大和本草(やまとほんぞう)「1709年刊行」とは、明治時代に生物学や農学の教本が西洋から輸入されるまでは、日本史上最高峰の生物学書であり農学書であった。

現在、江戸時代までの生物学書や農学書の資料は「大和本草」以外は残っておらず、当時の日本独自の生物学や農学を知る上では第一級の資料である。


大麻取締法が成立する以前にも大麻を規制する「大麻取締規則」が1930年に制定されていた。

この時点で初めて日本でも“大麻は麻薬”
であるとされたのです。

しかし、日本で栽培利用されていた大麻は、規制対象外の大麻だったのである。

1930年の時点では、日本の大麻は麻薬としての扱いにならない植物だったのです。

しかし、アメリカとの戦争(1945年)に敗れた事で状況が一変したのである。

GHQによって、日本の大麻も麻薬に指定するように指導され、それを受けて「大麻取締法」が1948年(昭和23年)に制定されたのです。

これはアメリカ(占領国)の価値観を、日本に押し付けたものであると言えるだろう。

これに伴い、日本の農家にとって死活問題になった事は言うまでもない。

アメリカに従い続ける姿が大麻草の取り扱いからも見えて来るようだ。

現在、大麻草の扱い方が世界的にも変化を見せている。

この流れから日本でも、大麻取締法の内容を議論する動きが出て来ている。

この法改正が行われる事が迫っているようである。


                                             「大麻草」

                             「大麻草の雌花」

大麻草に間違われやすい植物

ケナフ アオイ科  アメリカ原産
別名=アンバリ麻、ボンベイ麻

ケナフ(洋麻)は大麻草と比べてると、ケナフの葉は1枚で基部まで深く葉が切れ込まない。

花が全く異なるので花の咲く夏期は見分けやすい。

                                「ケナフの葉」

                                 「ケナフの花」


これまで大麻の栽培の歴史はあまり分かっていませんでした。

しかし、過去最大規模の遺伝子研究によって、大麻のルーツが約一万二千年以上前の中国にあることが判明しました。

その研究内容は7月16日付けで「Scienee Advances」に掲載されています。


大麻の起源として、これまでに西アジア、中央アジア、中国北部が有力として挙げられていました。

研究の結果、大麻は現在の中国西部にあるカザフスタン及びキルギスとの国境付近で、はじめて栽培されたことが示されました。

同地に自生する大麻植物の遺伝子が、最初に栽培されたとされる「基底型(基本)」に非常に近かったのです。

「基底型」は、「精神作用」の発現と繊維生産の両方に適しています。

研究チームがもともと最有力地としていたのは中央アジアでした。


その理由は、中央アジアの道路沿いに野生化した大麻が多く存在していたからです。

しかしゲノム(遺伝子情報)解析の結果、中央アジアの大麻は「繊維型」であることが示されたのです。

「繊維型」は枝分かれしないタイプで、「精神作用」はなく、ロープや織物の繊維を作るのに適しています。


「基底型」を栽培するうちに様々な種が分岐し、約四千年前にはじめて「繊維型」が派生したようだとしている。

ヨーロッパ、中央アジア、中国北部の一部に現在は「繊維型」の大麻が自生している。

野生のアサ(麻)属の祖先は絶滅しているとされ、今日存在する大麻は全てが、中国北西部で栽培されたアサ属の子孫と見られる。

長い栽培歴史の中で大麻は、商業的なルートを経て、世界各地にさまざまな品種が広がって行ったと思われる。


★後書き

日本では大麻草について特に厳しい扱いである。

植物に詳しい人なら分かる事だが、植物には毒が含まれている物は多い。

何が大事かは、植物の成分をどう使うかであると言うことです。