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月曜日, 3月 08, 2021

バラ ハイブリッドティー(HT)の誕生 No,398

 ハイブリッドティーの誕生

1867年、フランス、リヨンのバラ育種家✭ジャン=バプティスト·ギョーはハイブリッドパーペチュアル系統の品種「マダム·ヴィクトール·ヴェルディエ」とティー系統の「マダム·ブラヴィー」を交配し、完全な四季咲きの品種を育生しました。

この品種に「ラ·フランス」の名前が付けられ、このバラが最初のハイブリッドティー系統品種となります。

✭ジャン=バプティスト·ギョー·フィス(1827~1893年)
フランス、バラ育種生産会社
ギョー社2代目

                                                              
     
           HT·「ラ·フランス」


このバラは素晴らしい香りを放つ品種で、耐寒性と強勢性を併せ持つ品種。

実際には「ラ·フランス」に続くいくつかの品種が育成され、1884年になって初めてこれらの品種が、従来の✫ハイブリッドパーペチュアルと異なる新たな品種群である事が、認識されることになります。

✫ハイブリッドパーペチュアル
この系統のバラはハイブリッドティーが出現する19世紀末頃までは、ヨーロッパのガーデンローズの中心的存在でした。


           ❆ハイブリッドパーペチュアル
             「バロネス·ロスチャイルド」

1900年代になると、ハイブリッドティーは、その品種群に「ペルネティアナローズ」が交配され、浸透し変化していきます。


ペルネティアナローズ
                   「ソレイユ·ドール」

✿鮮黄色ハイブリッドティーの誕生

このペルネティアローズですが、現代バラの発達の歴史に大きな影響を及ぼしてきました。

それは、このバラが現代バラに合流することにより、花色の1分野に黄色の一大革命をもたらしたからです。

それまでの品種では、黄色といえばノアゼット系統やティー系統に見られる淡い黄色、またはクリーム色しかありませんでした。

それは黄色の起源が「パークス·イエロー·ティー·センテッド·チャイナ」のみだったからです。


「パークス·イエロー·ティー·センテッド·チャイナ」


パルネティアナローズに現代バラに見られる、鮮黄色をもたらしたのが
原種バラの「ロサ·フェチダ」です。


                 原種バラ「ロサ·フェチダ」

❆ロサ·フェチダ
雌雄の種子が出来にくい、もとは別々の種が交雑してできた雑種がもとになった種とも言われています。

「フェチダ」とは「悪臭のある」という意味で、独特の香りですが香料化学的にネーブルオレンジの香りに属します。

一方、葉はリンゴのような香りがする。

この野生種はもともとイランからアフガニスタンに分布するバラで、東ヨーロッパでは栽培されていたものが、一部野生化していたようである。

このバラをオランダの薬学者、植物学者である✫クルシウスが、1500年代の終わり頃にオーストリアから導入しました。

✫カロルス·クルシウス
(1526~1609年)
フランス生まれのフランドルの医師
薬学者、植物学者
16世紀の園芸に対し、最も影響力のあった植物学者とされる。

その頃、このバラはオーストリアには広く分布していたので、「オーストリアン·ブライアー」と呼ばれました。

この種には、花弁の表面が朱赤で裏面が黄色の枝変わりの変種、「ロサ·フェチダ·ビカラー」は「オーストリアアン·カッパー」と呼ばれています。


                「ロサ·フェチダ·ビカラー」

そのため、もとの(原種)ロサ·フェチダをこの変種と区別するため「オーストリアン·イエロー」と呼ぶこともあります。

また、ロサ·フェチダにはもう1変種、他のものより大輪の八重咲きがある。
1800年代前半にイランで発見されたそのバラは、「ペルシアン·イエロー」と呼ばれている。


                             ロサ·フェチダ
                   「ペルシアン·イエロー」

この「ペルシアン·イエロー」をフランス、リヨンのバラ育種家のペルネ=ドゥシェがバラの品種改良に用いることになります。

しかし、「ペルシアン·イエロー」はなかなか実をつけず、ペルネ=ドゥシュは交配を開始し、成功するまでに6年もかかっています。

この間、根気よくHT·パーペチュアルの多くの品種にペルシアン·イエローの花粉をかけ続け、何千もの交配を行い、その結果1888年にやっとの事で、HT·パーペチュアルの1品種「アントワーヌ·ドゥシュ」との交配に成功し、2本の実生が育てられました。

そして、その内の1本がハイブリッドティー系統の1品種と交配が行われ、後代に最初の黄花品種ができる事になります。

この品種には「ソレイユ·ドール」
(黄金の太陽)というが名が付けられ、1900年に正式に発表されました。
1898年に展示会に出展されていた。


                          「ソレイユ·ドール」

その後、この品種の後代はペルネ=ドゥシュの名前に因んで「ペルネティアローズ」と呼ばれ、ハイブリッドティー系統に統合されることになります。

「ソレイユ·ドール」は一季咲きでしたが、パルネ=ドゥシュは他のハイブリッドティー系統品種と交配し、四季咲き品種を育成しました。

1920年には黄花品種の重要な親である「スブニール·ド·クロジュ·ペルネ」が発表される事になります。


     「スブニール·ド·クロジュ·ペルネ」


交配種として、よく利用された「ゴールデン·ラプチャー」(1933年)は巨大輪系品種のもとになり、現在も世界中で栽培されるハイブリッド「ピース」(1945年)などの歴史的な黄花品種も「スブニール·ド·クロジュ·パルネ」を介して、「ソレイユ·ドール」に遡る事ができます。


           HT·「ゴールデン·ラプチャー」


                                   HT.「ピース」

現代バラの黄花品種の殆どが「ソレイユ·ドール」をもとにしてできてきたことから、いかにペルネ=ドゥシュの功績が偉大であるかが分かります。

現代バラはこの黄色の導入によって花色の範囲を広げる事になったのです。