緑のお医者の徒然植物記

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ラベル #八村杉、#落人伝説、#十根の杉、#那須大八郎宗久 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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火曜日, 10月 19, 2021

巨樹の村の八村杉  No,567

 追討使(者)が植えた杉 八村杉

九州の巨樹の村で知られる椎葉村は、宮崎県東臼杵郡の秘境地。

大寒の頃、椎葉村大河内の森は氷の森となり、落差30mの滝全体から広い滝つぼ全てが凍りついた「御神の滝」はまるで別世界です。

この地はまた、平家にまつわる数多くの伝説が語り継がれる地でもある。

九州山地の中心に位置する椎葉村は、現代においても平家と言えば椎葉村ともいわれる程、平家の落人集落として全国にその名を知られている。

交通の便がよくなった現在でも岐阜の白川郷や徳島の祖谷とともに、日本三大秘境と呼ばれていることからも、当時はいかに奥深い山谷の地であったかが想像できるだろう。


1185年(文治元)3月、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の人々は、五ケ浦町鞍岡を経て霧立越(きつたちごし)を抜けて椎葉村へ逃げてきました。


椎葉村の北部、十根川地区にも平家の残党が身を隠す所であると知った源氏は、那須大八郎宗久に追討の命令を出し、そしてこの地にやって来た大八郎だったが、平家の人々が焼き畑をしながら木の実や草の根をかじり、細々と暮らしているありさまも目のあたりにして、「どうしてこの人たちを殺すことができようか」と深く哀れみ、「平家の残党は残らず追討を終えた」と嘘の報告を鎌倉に伝え、自ら平家の落人と共に十根川の集落に陣屋を造って暮らす事となった。


この際、陣屋から100㍍ほど離れた場所に大八郎自ら植えた杉が、現在の八村杉(やむらすぎ)であると言われている。





八村杉は別称「十根の杉」といい、1871(明治4)年まで十根川神社が八村大明神と呼ばれていたことから、八村杉と呼ぶようになったとされる。


かつては人が出入りできる程の空洞があったが、生長により現在ではほとんど痕跡を見ることが出来なくなっている。

八村杉は生長に伴い、根元を埋め立てて行ったようで、本来であれば樹高も幹周りももっと大きく、日本最大級の杉であっただろうと想像できます。


秘境の自然環境の中で生き続けてきた八村杉は、物言わぬ歴史を知る唯一の生き証人なのかも知れません。


八村杉

樹齢800年
国指定天然記念物

所在地=宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良
十根川神社