緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2026/08/13

後期高齢者医療制度は憲法違反 No.859

 憲法を厳守しない政権

後期高齢者医療制度は憲法違反という指摘は、主に75歳以上という「年齢」で被保険者を区別することや、「年金から保険料を天引き」することなどが憲法第14条の法の下の平等や第25条の生存権に反しているという主張に基づいています。

この医療制度は、「憲法を厳守しない自民党政権の下で制度化」されたことは間違いありません。

憲法第14条の法の下の平等違反

75歳以上という年齢のみで現役世代や他の高齢者層と医療保険制度を分断·差別することは平等の原則に反するという批判がある。


憲法第25条違反(生存権)

少額の年金受給者からも保険料を強制的に天引きする仕組みや、医療費負担の増加が受診控えを招き、生存権を脅かすというか指摘がなされてきました。

また、個人の尊厳、憲法第13条違反として「後期高齢者」という呼称や一律の年齢区切り自体が高齢者の尊厳を傷つけるという意見も出ています。

政府側は合憲、正当な立法政策であるとの立場をとっていますが、憲法を厳守しない憲法違反という主張を無視し、制度の悪化を続けている。

行政の不服審査会などでは法律そのものの憲法判断を行うことは出来ないとされていることも問題と言えるだろう。

政府のいいなりの行政では住民の思いを反映されることは出来ない。


後期高齢者の負担が増え続けている異常な医療制度

原則75歳以上の被保険者を対象とする後期高齢者医療制度は、段階的な負担増が進んでいる。

2022年10月1日から、単身で年金収入200万円以上などの一定所得層を対象に、窓口負担割合が1割から2割に引き上げられました。

住民税課税所得が年28万円以上で、かつ年金収入やその他の所得(収入から必要経費などを控除した額)の合計が単身世帯で200万円以上、複数世帯で320万円以上の人が対象となっています。





後期高齢者医療制度の被保険者の約2割、370万人が影響を受ける大改悪と言えます。


3割負担(現役並み所得者)の対象者

世帯内の被保険者における住民税の課税所得が145万円以上

単身世帯で年収が383万円以上

2人以上世帯の合計収入が520万円以上

個人単位ではなく同じ世帯にいる後期高齢者医療制度の被保険者全員の所得をもとに判定されます。










2026/08/12

年金制度の矛盾 No.858

 所得税法の矛盾

年金は自ら納めたものであるが、仕事で得た給与などの収入が無くても、公的年金自体が税法上の「所得」とみなされるという矛盾がある。

仕事をしていなくても受け取っている公的年金は所得税税法上の「雑所得」という収入になる。

税として納めた税金が年金として給付されることで所得とみなされるという税法である。

生活に必要だとされる社会保険料が義務としてかかるため、年金からお金が差し引かれる。

つまり、死ぬまで働けということであり、老後のための生活に必要な年金制度とは言えない。

年金は強制加入の「保険」として扱われている。

所得税法を改正する必要がある。

公的年金は高齢者から意図的に税金を取り立てるための制度ではない、現役世代と同様に所得に対して課税される仕組みに基づいているとされるが、収入が無くても年金を受け取ることで「雑所得」とみなされ収入となっている。


年金制度は、高齢者になっても税金を安定的·強制的に天引き搾取する制度ではないだろうか!


年金から天引き(特別徴収)される税金

所得税(および復興特別所得税)は、65歳未満は年108万円超

65歳以上は年158万円超など、年金が一定額を超える場合に源泉徴収されます。

住民税は、前年の所得をもとに算定され、65歳以上の一定以上の収入がある人から天引きされます。

介護保険料(社会保険料)は、65歳以上(第一号被保険者)の全員が負担し、原則として年額18万円以上の年金から天引きされる、特別徴収が法律で義務付けられている。


国民健康保険料75歳未満は国民健康保険制度の保険料が引かれます。

後期高齢者医療制度保険料75歳以上は後期高齢者医療制度の保険料が引かれます。

老齢年金、障害者年金、遺族年金を年額18万円以上受給している人は、天引きの対象となってます。

消えた年金会社負担分の厚生年金は、老齢、障害、遺族年金のために使われているとされたとしているが、遺族年金は5年で打ち切るという事が言われている。

それでも会社負担分は無くならないのではないだろうか。

年額18万円未満の場合や、介護保険料と健康保険料の合計が年金受給額の2分の1を超える場合などは年金額から天引きされないが、納付書での個別支払いとなる。



最低保障年金制度の必要性


最低保障年金制度は高齢者の低年金を底上げし、無年金者を無くし、女性の低年金を改善するものです。

そして、現役世代にも安心して暮らせる年金制度を引き継ぐものです。

これは国民、高齢者の切実な要求ですが自民党政権は改悪するばかりです。


「出典:日本年金者組合より」



高齢者の25〜29%が「家計にゆとりがなく心配」との生活状況にあります。

高齢者世帯の57.2%は年金だけで生活しています。

生活保護世帯の52.2%が高齢者世帯なのです。


厚生労働省や社会保険庁の調査による推定では、65歳以上で公的年金の収入がない無年金者の数は約50万人とされ、無年金見込み者を含めた無年金者は最大約118万人で、そのうち65歳以上で今後保険料を納めても受給てきない人は最大約42万人とされていました。


その後、2017年に受給資格期間が25年から10年に短縮されたことで無年金が解消·救済されたとしているが、現状の年金制度では生活できる保障は全くありません。


80.90歳になっても年金から天引きされる制度は問題であり、年金制度は老後の生活できる保障制度ではありません。


年金制度は所得に関係なく搾取される制度そのものです。










2026/08/11

庶民の生活を苦しめる日本の税制度 No.857 

 日本の税制度の基礎

日本の税制の基礎は、明治時代(1868〜1926年)に作られた。

戦争のために税制が導入され、その影響で戦後税制の悪化とともに税制度が増え続け、強制搾取が当然化した。

明治6年(1873年)に始まった土地に対してかけられた税金(地租)は、江戸時代の年貢に代わる近代的な税として作られ、明治政府の主な収入源となりました。

江戸時代はお米で税を払っていたが、お金で払うようになった。

土地の値段(地価)はお米の収穫量ではなく、土地の価値である「地価」を決め、土地の所有者と地価を証明する「地券」が配られ、私有地としての所有権が認められました。

固定資産税

明治時代に家屋税として作られたが1947年(昭和22年)に地方税となり、1950年(昭和25年)に廃止され、税制改革で地租(ちそ)や家屋が一つにまとめられ、現在の固定資産税に引き継がれた。

固定資産税は昭和25年、総務省の案内する「シャウプ勧告」を契機として創設された搾取税制である。


シャウプ勧告(1949年)

シャウプ勧告とは、経済の安定、長期的、安定的な税制、均衡のとれた公平な税制、地方自治確立のための地方財政の強化、強力な執行体制の整備等、国税、地方税を通した税制や税務行政全般にわたる勧告書です。







住民税の始まり

個人に課せられる住民税の始まりは、明治11年(1878年)に導入された「府県税戸数割(こすうわり)」と言う制度が住民税の起源とされています。

明治8年(1875年)、国費に充てる「国税」と府県の費用に充てる「府県税」が分けられ、国税と地方税の区別が始まりました。

明治11年に地方税規制が制定され、各戸(世帯を基準にした税金を割り当てる)「府県税戸数割」が設けられた。

これが個人住民税のルーツです。

明治21年に市町村が、国の所得税に対して上乗せして徴収する(附加税)、現在の住民税に近い仕組みが作られた。



市民税

昭和15年(1940年)、税制改革に伴い戸数割が廃止され、正式に「市町村民税」が創設された。

昭和25年のシャウプ勧告に基づく税制改革により、それまでの制度が廃止され、現在に繋がる新しい「市町村民税」が設けられた。


県民税(道府県民税)

県民税は明治11年に導入された戸数割という地方税です。

現在の住民税の原型

シャウプ勧告に基づく税制改革により、現在の「道府県民税」の形へと引き継がれている。



相続税の始まり

相続税は明治38年(1905年)、日露戦争の戦費を集めるために臨時財源として創設された戦争するための税制度。

戦争が終わった後も「財源難を理由にそのまま永久的な税金制度」として残ったとんでもない搾取税制です。

当時は、家を継ぐ「家督相続」と財源を分ける「遺産相続」の2つがあり、家督相続の方が税金を安くしていました。

昭和22年の民法改正に合わせて法律が変更され今の形となった。


所得税の始まり

所得税は明治20年(1887年)に導入された。

新たな国家財源を確保するため、イギリスの税制を参考にして作られました。


当時の富裕層、1年の所得が300円以上の方が対象とされ、個人のみに課税されていました。

その後、明治32年(1899年)の改正で「法人所得」にも課税されるようになり、大正時代には国税の中心となる第1位の税収制度へとなった最大の搾取税制である。

ちなみに明治時代の中期から後期の300円は、現在の価値に換算すると約600万円から900万円に相当します。

家が買えるほどの莫大な大金でした。

1円=約2万円から3万円相当


国保税(国民健康保険税)

国保税は1951年(昭和26年)に地方税法の改正によって市町村の目的税として創設されました。

1938年(昭和13年)に国民健康保険法が制定された当初は、財源として「保険料」が採用されていました。

1940年後半、戦後の混乱や不況の中で受診率が上がる一方で、保険料の収納率が低迷したことで赤字の市町村国保が急増しました。

1951年、住民の納税意識を高め、強制徴収や財源基盤を強化する打開策として、地方税法が改正され「国保税」が誕生しました。

生活苦よりも強制徴収が優先

制度上、市町村は「保険料」または「保険税」のどちらかを採用するかを条例で選択できるが、「徴収の時効」が保険料の2年に対し、国保税は5年であることなどの理由から、徴収期間が長い国保税を多くの自治体が採用している。


強制的徴収税制と言える日本の税制度にはその他にも多くの税制があるが、税収の半分近くが使途不明金という状況である。

国民のための税収制度になっていないのが現実である。

税制度による徴収は全て強制的搾取である。


多くの国民は搾取される一方で恩恵を受けているとは言えない。

助け合い税制度にも完全には当てはまらない。

一方で権力の下で利用され続けている。















2026/08/09

原爆投下された広島·長崎 No.856

 核兵器廃絶

今日は長崎に原子爆弾が投下されて81年目です。


多くの犠牲者に黙祷


二度と惨禍が訪れないように祈ります。

🙏合掌





広島·長崎への原爆投下で犠牲になったのは日本人だけではない、自国の国民も犠牲にした米国だったのではないだろうか!

命ある全ての生き物が一瞬でこの世から消えた。





一発の原子爆弾によって命ある全ての生き物が消えた。










核兵器は、アルバート·アインシュタインの1905年に発表された基礎理論(相対性理論)の「E=mc²」(質量とエネルギーの等価性)が原子力の土台となった。

1939年、ナチス・ドイツがウランを利用した新型爆弾を開発するのではないかと恐れた物理学者レオ·シラード等の要請を受け、フランクリン·ルーズベルト大統領に原爆研究·開発を促す手紙にアインシュタインが署名したことが核兵器開発の大きなきっかけとなった。








「原爆投下後の長崎」



これが、アメリカの原爆開発計画である「マンハッタン計画」である。

アインシュタイン自身は直接の原爆開発には参加していないが、ドイツが原爆の開発間近だったと言うことはなかった事を知ったアインシュタインは、ルーズベルトに手紙を出した事を深く後悔しました。

この手紙はのちにアインシュタインが「大きな誤り」と呼ぶことになった書簡である。



「原爆投下した爆撃機エノラ・ゲイ」












「原爆投下された広島」



広島·長崎への原爆投下に強い衝撃を受けたアインシュタインは、その後(晩年)科学の軍事利用に反対し、世界各国に核兵器の廃絶を訴え続ける活動を生涯の生き方としました。


日本では、大学への軍事研究を促す政府の姿勢があります。

研究費が欲しい大学側はそれを受け入れようとしています。


その研究が軍事利用される事は間違いありません。

研究者たちが戦争のために利用される。

アインシュタインの後悔の歴史に学ばない大学であってはなりません。


少数の国が起こす戦争は、世界全体にその影響を与える。

世界全体の死活問題となるのです。


他国のやることだからでは済まされないのです。

軍事的研究や軍事経済なんて血の通った人間が行うことではありません。










2026/08/06

映画·猫は生きている No855

 広島·原爆の日

今日は広島に原爆が投下されて81年目の夏です。

年々その記憶を持つ人たちがいなくなっていく。

語り継がれなければならない惨禍である。

小生の平和への思いの原点は、今から51年前、当時中学1年生の時に観た映画、「猫は生きている」です。

1975年6月21日に公開された「猫は生きている」は、東京大空襲の中を懸命に生き抜く野良猫の親子を描いた人形劇アニメーション映画です。

この年は小生の干支、うさぎ年だった。

今でもその時の記憶は残っている。

現代の子ども等がこの映画を観たらどんな思いを抱くだろう、、、






戦争は全てを壊し奪うもの、人類社会で一番愚かな戦である。

戦争は忘れた頃に再び起きると言う、、、

支配者たちの欲が戦争を引き起こす。


しかし、支配者たちは戦場には行かない。



原爆投下された県出身者として「核兵器」はいらないものであることを生きている限り伝え続ける。











2026/07/31

神栖市長選に伴う百日裁判 No.854

 神栖市長選百日裁判


同数票で再度の開票点検の末、最高裁で争うことになった神栖市長選挙

木内氏の有効票にあった「まんじゅうや」「だんごさん」の2票などを無効票と判断し、木内氏の当選を無効とする裁決を県選挙管理委員会は4月28日に下しました。

県選挙管理委員会の判断を不服とした木内氏が、当選無効採決の取り消しを求めて5月27日、東京高裁に提訴していました。

木内敏之市長が起こした訴訟の第一回口頭弁論が8月4日午後3時から東京高裁で開かれます。

この裁判は、選挙の争訟として100日以内の判決を目指す「百日裁判」として審理が進められています。

主な争点となるのが、屋号·通称の有効性である。

木内氏の実家が老舗和菓子店であることから、投票用紙に書かれた「まんじゅうや」「だんごさん」という記載が木内氏を指し示す有効な投票(通称等)として認められるかどうかである。

また、木内氏側は対立候補である石田進氏の有効票の中にも無効とするべき票が含まれていると主張しています。

判決が確定するまでの間、木内氏は市長としての職務を継続しています。



追記欄

8月4日、東京高裁で第一回口頭弁論が即日結審しました。

判決予定日は、9月3日に判決が言い渡される予定です。

2026/07/28

神話の里·戸隠 No.853

 長野·自然と神話の里

小生は戸隠(とがくし)そばが好きであるが、一度も本場のそばを食べたことがない。




戸隠そばには「ぼっち盛り」と言う独特の盛り方をする。


一口大のそばの束を5〜6個ほどザルに丸く並べる。

日本でも特に有名な手打ちそばの地域です。


神話の里

天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れた「天岩戸開き」の神話と、力持ちの神様である天之手力雄命(あまのてぢからおのみこと)が投げ飛ばした岩戸が戸隠山になったという伝承です。


天岩戸伝説

岩戸とは日本神話において、太陽神である天照大御神が隠れたとされる岩でできた洞窟やその扉のことで、素戔嗚尊(弟·すさのおのみこと)の乱暴に怒った天照大御神が岩戸に隠れたことで、世界が真っ暗になった舞台の天岩戸(あめのいわと)として知られています。

太陽の神様が洞窟に隠れてしまったので世の中が暗くなってしまったと言う神話です。


戸隠山の由来は、外の様子が気になって岩戸を少し開けた天照大御神を天之手力雄命が力いっぱい岩戸をこじ開け、光をとりもどした。

その時放り投げた岩戸が信州の戸隠山になったと伝えられています。


計り知れない力ですね。

日本には八百万の神(やおよろずのかみ)がいるとされます。

八百万の神とは数え切れないほどのたくさんの神様と言う意味で、自然界のあらゆるものに神様が宿っているとされています。


この神話の神々を祀る戸隠神社の五社が戸隠の地に鎮座しています。



「樹齢約400年とされる戸隠神社奥社に続く参道の杉並木」



戸隠が霊場と伝えられるようになったのは平安末期のことだとされています。

その後、鎌倉時代には高野山、比叡山に並ぶ一大霊場として広く知られるようになりました。

「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれるほど宿坊の数を誇ったとされています。

山中には修験者が利用した「三十三窟」と称される岩屋や洞窟が今も残されていると言う。









戸隠神社


戸隠神社は、中社、奥社、宝光社、火之御子社、九頭龍社の五社からなり、奥社へ続く杉並木が有名です。

中社=長野市戸隠中社3506

奥社=長野市戸隠3506

宝光社=長野市戸隠2110

火之御子社(ひのみこしゃ)=長野市戸隠2412または3506付近

九頭龍社(くずりゅうしゃ)=長野市戸隠3690または戸隠奥社
五社の中で最も古い歴史を持つ

鏡池は戸隠連峰が水面に美しく映る写真スポットとして人気の池です。









2026/07/12

ソテツの移植 No.852

 ソテツ

最初の植え付けから10年以上経過したソテツの移植




「2010年頃のソテツ」


2026年7月8日に移植作業(土質は砂質)


長く伸びだした根はすべて株元で切り取り整理。

新たに植え込む場所に株の大きさに合わせた穴を掘り植え込みます。

特別に肥料を与えることもなく植え付けます。

ソテツの移植は、生育が活発になる5〜9月に行うのが基本とされ、特に5〜7月が最適です。

植え込みの深さは元の根元の高さになるようにし、幹を深く埋めすぎないことです。

上部に発生していた新葉以外の葉は移植時に根が少ないので樹勢の負担を軽減するため全部切り取りとります。


この移植は根鉢(土)が付いていない状態の株で移植しました。

本来の移植工程とは異なる方法です。

根もほとんどない状態で行っています。



「7月、植え付けから1週間」



頭頂に残しておいた20㌢程の新葉は1週間くらいで約60cm)伸びました。

移植時の水やりは地面が湿っていた状態だったので少しだけ、量として5㍑ほど与えた程度です。

植え付けから1週間の間は雨も降っていません。

基本的には植え付け後水やりをして根と土を密着させます。

その後数週間は土の表面が乾いたら水を与え、湿り気を保つように管理することが基本とされています。

植え付け、移植時期を守ることが重要です。


掘り起こす際、株元周りに発生していた子株をすべて取り除きました。

当然、株から切り離すので根がありません。

子株(不定芽)を新たに植え付ける場合は、切り口を3日〜1週間ほど日陰で乾燥させた後、水はけの良い土に植え付けます。

切り口を乾燥させるのは雑菌が入ることの予防のためとされます。


「7月8日切り離した子株」






ソテツの子株は水に浸けていても発根してこない。



「A」




「A」赤丸印は根が発生するゼラチン質の部分



「B」



「B」赤丸印は、土中にあった子株から地上部に葉が伸び出していた茎の部分





「子株の仮植え·根出し」


しばらく根が発生するまで土壌は湿った状態を保つ。




「仮植え後10日で新葉が出る」






「1ヶ月後にはこの状態まで育つ」










2026/07/02

悪意のある嘘つき No.851

 悪意ある嘘つき

国家権力によるSNS、選挙での他党候補虚偽動画配信問題、ニュースや支持率を隠蔽工作し、組織的に反体制派を抹殺する指示、指導を行った疑いが噴出している。





「高市早苗の支持者はスマホ型コンピューターか?」



1日100〜200の動画生産で核酸、一億の再生回数も可能と言う手口です。

投稿者名だけ変更し、内容は全てが同じ。

この手口で選挙中、他党候補を落とし入れる虚偽動画配信を行った疑いが問題になっているが、知らぬ存ぜぬと言う姿勢である。




「支持率アップ工作の手口か!?」


高市首相には数々の嘘が問題視されているが、その隠蔽も行っています。

旧統一教会の代表者名も知らないと言うがしかし…



「旧統一教会総裁の韓鶴子と同じポーズの高市首相」


このポーズは旧統一教会の「熱心な祈り、賛美、霊的表現」の典型的な姿で、両手を挙げて顔を歪めて泣く、叫ぶようなポーズ·神(父母様)への深い懺悔(ざんげ)、祈り、聖霊降臨、心情伝達を表す。

特に韓国の「祈祷会」では、感情を爆発させ泣きながら祈る「涙の祈り」が重視されていると言う。

この状況から見ても無関係、知らないは通用しないだろう。

旧統一教会の総裁、韓鶴子(ハン·ハクチャ)の名前も知らない、聞いたこともないと主張発言している高市首相を信じられるだろう。








公に嘘をつく

国会では、求めがあれば主席して誠実に答弁してきたといい、今後もその方針は変わらないと発言している。

しかし自民党幹部によれば、これまで国会への出席を打診しても後ろ向きだとし、誠実に答弁してきたとは言い難い。




「高市総理の審議の短さの証拠」


与党が予算委員会·党首討論に応じていない。

野党が審議拒否しているのではなく高市総理が答弁拒否しているのです。

嘘、嘘、嘘の塊か!!


皇室典範改正の閣議決定

高市政権による皇室典範改正の閣議決定は、副総裁麻生太郎によるクーデターとも言えるものだろう。

天皇と言う役割は、政治権力じゃなく、国民の幸せを祈る祭祀(さいし)シャーマンなのだと故美輪明宏さんは生前述べています。


祭祀シャーマンとは宗教的な指導者や巫者(ふしゃ)のことで、祈る力に男も女も関係ありません。

むしろ古代から神の声を聞くのは女性の役割でした。

現代の神社で神職の補佐や神楽などを務める女性は「巫女」と呼ばれますが、古代においては神懸かりして神の言葉を人々に伝えるシャーマンとしての役割が中心でした。

高市総理は女性天皇を嫌い認めない、国民総意とする憲法を無視し、立法府の総意として皇室典範改正の閣議決定を行った不敬な総理と言える。

宮内庁もこれに疑問を呈している。

だが、現在の宮内庁長官は高市早苗が総務大臣だった時の直属の部下だった黒田武一郎元総務事務次官が努めている。

つまり、すでに工作員的人材を送り込んでいるのだ。

黒田は秋篠宮家の意向を重要視していると考えられる。

高市早苗は女性天皇を認める発言を以前行っていた、、だが麻生太郎が望む皇室典範を知り、女性天皇を認めないと変えた、、、更なる嘘つきの始まりだ。

高市から麻生への賄賂的変更だろう。

皇室典範改正で一番ズルいのは、皇位継承資格は議論しないと誤魔化しながら、皇位継承資格を男系男子に固めたことで、男系女子の議論を抹殺したことだ。

不都合なことは隠して、国家指導者たちのメンツを保つためだけに国民に大犠牲を強いる、こんな卑劣な政治を許せば太平洋戦争時と同じ事が起こるだろう。


民主主義国家での国会議員の重要性

民主主義国家において国会議員は、自由な政治活動を行うことが大前提ですが、一方でこの特権的な立場が説明責任の軽視や国民感覚との乖離(かいり)を招き、その結果、特権や利権の温床になることを否定できない。

国会議員が好き放題する事を防ぐには、定期的な選挙を通じて権限を持つ有権者が直接その政治家を落選させる必要がある。


公職選挙法違反があれば司法により捜査や処罰の対象となりますが、司法が機能しなければ何にもなりません。

司法に権力の圧力がかかり機能しない可能性もあります。

日本でも政治腐敗や国の財政の闇を追及した政治家が暗殺されるという悲劇的な事件も起きました。

国会議員は命の危険と隣り合わせで正義を追求する側面があることも事実です。

故石井紘基氏は元衆議院議員で、生前に統一教会やオウム真理教といったカルト宗教の問題にも積極的に取り組んでいた国会議員です。


2002年10月、国会で「国家が転覆するぐらい重大なことを暴く」と周囲に語り、国会質問を提出する予定だった当日に自宅前で右翼団体代表の男に刺殺されこの世を去った。

事件当時に所持していた手帳や資料が持ち去られ、いまだに行方不明となっている。

三島由紀夫は小説家·劇作家であるが政治的発言も多く、言論の自由が保障されている民主主義社会では、政治家がいくらでも 嘘をついたり偽善に走ったりすることが可能になると指摘していた。

もし、政治家が命の危険を全く感じなくなれば、政治は不真面目なものに堕落してしまうと考え、「命を懸けるほどの緊張感」が政治の現場には本来必要であるという逆説的な論理を展開していました。

三島事件·三島由紀夫割腹自殺

民主主義社会においては、いかなる理由があっても政治的暴力や暗殺は決して容認されない。

自民党政権は数が多いだけで始末が悪い!!

高市総理は右派ではあるが保守ではない。

自国や自民族の伝統、文化、歴史を重んじる右翼主義者とも言えない。

急進的な変革を求める左翼的側面もある。

自らのことを抹殺する抹殺者?

高市総理は究極の嘘つきの可能性

マリシャス·ライアーなのかも知れない!!


後記
どんな事が起きても支持したい国民がいるが、だめなことは駄目と言える国民でなければならない。

右とか左で判断することではもはやありません。

そうじゃないといつか痛い目に遭うのは国民です。









2026/06/26

あの頃の僕は No.850

200海里規定で船団崩壊末路へ

200海里(約370km)とは

世界各国が沿岸から200海里を「排他的経済水域(EEZ)」や「漁業水域」として設定し始めたのは1977年(昭和52年)今から49年前のことです。


排他的とは、自分たち以外の部外者や他者を受け入れず、締め出そうとする態度や性質のことです。


1973年から始まった国連海洋会議を前に、1976年頃から「主要国が一方的に水域の設定を宣言」しました。

1977年3月1日にアメリカとソ連(当時、現ロシア)が実施したことを皮切りに日本も同年7月1日から実施しました。

これにより、沿岸国は200海里以内の水産資源や鉱物資源に対して、排他的な権利を持つことになり、日本の遠洋漁業も大きな転換期を迎えることとなった。

アメリカとソ連の200海里水域における時刻の権利宣言に伴い、遠洋、沖合漁業の捕獲量が激減、日本が操業できる漁場はどんどん狭くなっていった。

この200海里水域規定は、1996年に国連海洋法条約が発行されたことで国際的な制度として正式に確定しました。


200海里水域が実施されてから2年後の1979年に小生は巻き網船に乗った。

すでに学歴社会、どんな仕事に就こうとも高卒と言う学歴がつきまとった。

それはのちに船乗りを辞めて田舎を離れた地方で強く身につまされた現実でした。

離島には漁師か自衛隊かの選択肢でしかない時代が長かった。



「左の運搬船に捕獲魚を積み込んでいる状態」

 

鳥取県境港の水産会社の巻き網船に乗って、北海道釧路へ

配属されたのは運搬船(第38千鳥丸)で、捕獲した魚を積み込んだあと港へ入港し、市場付近の埠頭で荷揚げしていた。

当時は16歳、賄い飯をひとりで作りながら本来は荷揚げ作業はしなくてもよかったのだが、人手不足もあって賄い飯を作らなければならない時間帯のぎりぎりまで荷揚げ作業をしていました。

「船員手帳」






1週間に1回の食料品の買い出しもひとりで行うが、知らない土地での買い出しは大変だった。

買い出しを行ったお店のおばさんに船まで送って貰うのがお決まりでした。

一度に1週間分の食料品を買うので段ボール箱が数個になった。

月に一度の1週間の休みのときは、主に釧路の幣舞橋の袂に船が接岸された。


幣舞橋(ぬさまいばし)は、釧路川の河口近くに架かる市のシンボルで、「北海道三大名橋」の1つで、世界三大夕日に数えられる美しい夕景や、橋上の春・夏・秋・冬(四季)のブロンズ像(日本初の橋上彫刻)裸婦像が有名です。



「夕日に映る幣舞橋·ブロンズ像」


1889年に木橋として架けられて以来、現在の橋は5代目となります。

北海道三大橋=札幌の豊平橋、旭川の旭橋

幣舞橋=釧路市北大通1丁目




1週間の休みの間、船の寝台で寝る船員はほとんどいなかった。

皆そこそこに行く所があったのだろう。

遊びも知らない小生には無縁だった。

釧路市には喫茶店が多くあった、思い出の喫茶店は「太陽の顔」と言う錦町にあった喫茶店、今は存在しない思い出の喫茶店。

200海里水域の付近では中国船籍の船が魚を獲ってその船上で缶詰にしていた。

日本の水域まで入り込んでいた。

海上保安庁が警告を発して追っ払っていたがなかなか退避しない船も多かった。


中国船籍の行為は日本の漁獲量にも影響を与えていたようだ。

巻き網業は乱獲的な方法だと思う。

資本主義的な捕獲行為では、いずれ衰退することは目に見えていたと思う。

巻き網は魚が網の中で暴れるため、魚が傷つきやすく鮮度が落ち、生食に適さないことが多く、そのため加熱用や加工用で用いられることで消費されていた。

それでも港みなとでは、住民のために大きなかごに魚を入れて置くと袋を持った人が自由に魚を持っていったものです。

一度だけ釧路市場で荷揚げ船がいっぱいで、荷揚げできなくなったことがあった。

荷揚げ出来る港を探した時、青森県久慈市で荷揚げ出来る事になり、釧路沖から久慈まで向かった。



時間が経ちすぎて、鮮度を保つための氷も溶けて臭いまでする状態だった。

食べ物としては利用出来ない、、ところが魚価は高くついた。

肥料用として高値がついたのです。

しかし、荷揚げ作業する船乗りには臭くてたまらなかった事を覚えている。

歩合制であったため、その時の給料は40万円と言うものだった、ちなみに基本給は11万円。

船長や機関長、局長、漁労長は甲板員の2倍の給料なので80万円です。

冷凍会社も多くなっていたことも乱獲に拍車をかけたと思います。

日本の全体的な漁獲量は養殖も含め、1984年をピークに減少の一途を辿っていった。


「出典:北海道まき網漁業協会」


1979年頃にはすでに、労働環境の厳しさや待遇面で若手の新規就業者が不足し始めていました。

日本の遠洋漁業や巻き網船などの沖合漁業は年々、燃料価格や潤滑油の高騰、漁具や発泡スチロールなどの資材費の値上がりや深刻な船員の高齢化、人手不足により、投網回数の減少とともに漁獲量も落ち、市場の競りや出荷時間にも間に合わず、魚価が下落する悪循環にか陥っていった。


漁業の衰退の最大の原因は「乱獲」であり、また、200海里水域規定と言う制度でり、持続可能な漁業を進める政策を打ち出さなかった政府の責任でもある。

漁業で成り立っている離島では死活問題になり、ほとんどの巻き網業の水産会社は倒産してしまった。

2010年から2030年の海域別の水揚げ量が、世界全体では23.6%と予測されていますが、日本の海域だけがマイナス9%となっている。

つまり、この予測から世界中で日本の漁業のみが衰退して将来性がないとみられています。


農業制度と同じく国内自給率を下げ続けている日本、輸入に頼る事を選び続ける悪政が続くなら、緊急事態での食糧難は避けられないことは明白だろう。


遠い昔から引き継がれてきた我が故郷の漁業産業、船団、漁業船員たちの雇用は完全に崩壊、消えて無くなってしまった。



日本のまき網水産業、船団を崩壊させたのは、資本主義政策の乱獲競争と200海里水域規定を宣言し、その流れの基を作ったアメリカとロシア(当時はソ連)である。









2026/06/25

アガパンサス·ブラックジャック No.849

 アガパンサス·ブラックジャック

ヒガンバナ科(旧分類はユリ科で2002年4月時点表記されていました)

アガパンサスは南アフリカ原産の多年草(旧表記は宿根草)

18世紀にヨーロッパへ渡って品種改良が進み、日本には明治時代に伝わったとされます。

花は5月下旬から8月頃、初夏から梅雨の時期にかけてが見頃です。

アガパンサス·ブラックジャックは、世界最高峰の国際フラワーショー「英国チェルシーフラワーショー2023」の品種部門で最優秀賞(Plsnt of the Year)を受賞した世界注目の最新品種です。



「アガパンサス·ブラックジャック」


黒に近い美しい濃い紫色の花を咲かせ、暑さや乾燥に非常に強く、初心者でも育てやすいのが特徴とされています。

耐寒性もマイナス7℃まで耐えるため、多くの地域で地植えが可能です。

花期かを長く長期間連続して開花します。

若いうちからか花が付きやすい性質を持ち、草丈は50〜80cm程度です。

日当たりが良く、水はけのよい場所を好みます。

乾燥には非常に強い反面、生育期は水切れを起こさないように注意が必要です。

肥料は骨粉などを混ぜた肥沃な土壌を好み、定期的に有機肥料を与えるとよく育ちます。

アガパンサス·ブラックジャックがこの春、福岡市内の園芸店などで日本初となる一般販売を開始しました。











2026/06/22

ゴーヤーで夏バテ解消 No.848

 ゴーヤー ウリ科、淡色野菜

原産地=インド、熱帯アジア

正式名称=ツルレイシ(蔓茘枝)、ニガウリ(苦瓜)





ゴーヤーとゴーヤ

ゴーヤーと言う発音は沖縄での本来の発音で方言に近い呼び方

ゴーヤと言う発音は沖縄県外に広まる過程で言いやすく省略化された呼び方

ゴーヤーにレイシ(茘枝)の漢字が使われている理由は、果実の表面にあるデコボコした突起や形が熱帯果物レイシ(ライチ)に似ているからです。

ライチはムクロジ科の常緑高木で、世界三大美女のひとり楊貴妃がこよなく愛したフルーツとしても有名です。



「ライチ=レイシ」


ゴーヤーの伝来

日本へは江戸時代(慶長年間)1596〜2615年頃に、中国を経て沖縄(琉球王国)に伝来したとされています。

当時は強い苦味から「ニガウリ」と呼ばれ、主に観賞用や薬用として扱われていました。

沖縄の伝統的な健康野菜として長い間栽培され、1990年代以降の沖縄料理(ゴーヤチャンプルーなど)のブームによって全国的に人気となり、家庭の食卓にも並ぶようになりました。

本土では最初、鹿児島県の薩摩地方や宮崎県などの南九州の一部の地域でのみ消費されていました。

夏の定番野菜のほか、夏の強い日差しを遮る「緑のカーテン」としても日本中で親しまれています。

現在では、鹿児島県、宮崎県が沖縄に次ぐゴーヤ生産地となっています。


ゴーヤなぜ苦い!?

ゴーヤには「モモルデシン」という成分が含まれています。

このモモルデシンが独特な苦味成分です。

モモルデシンは胃液の分泌を促し、食欲を増進させる働きがあると言われているため、夏バテで食欲が落ちがちな時期にはピッタリの食材なのです。

他にもビタミンCが豊富に含まれ、特に捨ててしまいがちな「ワタ」の部分には果肉の1.7倍ものビタミンCが含まれているのです。

キャベツの約2倍のビタミンC、レモンの約1.5倍以上のビタミンCがあるとされています。

一般的にビタミンCは熱に弱い成分ですが、ゴーヤに含まれているビタミンCは熱に強いという特徴があります。

そんなビタミンCが豊富なワタを食べるには、ワタがついたままのゴーヤを輪切りにしたものを天ぷらにしたり、ワタを味噌汁の具にするのもオススメです。

栄養を逃さないためにはゴーヤを切ったら水洗いしない。

ビタミンCなどの水溶性栄養素が水に溶け出してしまうのを防ぐため、水洗いは避けます。

苦みが苦手な場合は、薄くスライスして塩もみするまたは、サッと湯通し(10〜20秒)すると食べやすくなります。

美味しいゴーヤの見分け方

美味しいゴーヤは鮮やかな濃い緑色で重みがある。

表面のイボが硬く、ハリがあり、つぶれたり傷ついたりしていないもの。

イボの大きさがそろって密についているものが新鮮とされます。

ゴーヤの効能

血圧を下げるカリウム、体内の余分な塩分(ナトリウム)を尿と一緒に排出するため、むくみ対策や高血圧予防に効果的とされています。

抗酸化作用があり、紫外線によるシミ予防やコラーゲンの生成を助けます。

肝機能を助け、血糖値を下げる効果も期待できます。

腸内環境を整え、便秘解消や免疫力アップするにつながります。


明らか食品

薬が売れなくなるから健康野菜を公式に認めないと言う声は、製薬業界や自然療法における長年のジレンマです。

しかし、今日では厚生労働省も認めるように野菜は「明らか食品」としてビタミンやミネラル、食物繊維などを豊富に含み、病気の予防や健康維持に不可欠な役割を果たしています。

「明らか食品」とは、誰が見ても明らかな食品のことで、野菜や果物、生鮮食品、一般的な加工食品(豆腐、納豆、味噌、パンなど)、調味料等が明らか食品に該当します。

健康食品は医薬品と誤解されるような売り方をすると薬機法違反となります。

しかし、誰が見てもあきらかな食品であればそれを医薬品と誤解する人はいません。

明らか食品は薬機法の適用のないゾーンであり、効能を述べても薬機法違反とはなりません。

薬機法とは医薬品医療機器等法の訳です。

「野菜を食べれば病気が治る」といった表現は、薬機法によって厳しく規制されています。

正しい医療を受けるため、病気が悪化するのを防ぐための制度ですが、近年では科学的な研究に基づき、特定の成分が健康維持に役立つことを「機能性表示食品」と表示できる制度も導入され、野菜の機能性は着実に公式に認められるようになっています。

薬は治療や治癒の役割

野菜は身体の調子を整え、病気にかかりにくい身体を作るという予防の役割


育て方

ゴーヤーの種子は硬く水を吸収しにくいので、爪切り等で種子の突起した部分を切り、一昼夜ぬるま湯につけてから播種します。




「青ラインの上の部分が突起している」



高温性作物なので適温は25〜28℃、夜温は15℃で管理発芽させ、35〜45日位で苗を育てます。







苗を植え付けた後真っすぐに直立して一番早く伸びるのが親ヅルです。

親ヅルは本葉が5〜6枚、または1.5mほどの高さまで伸びたら先端(生長点)を切り取る「摘芯」を行います。



「赤丸印、最初に伸びるのが親ヅル」




「A図」



先端を切り取ることで栄養が行き場を失い、「A図」脇から勢いのある「子ヅル」が2〜3本発生します。

この子ヅルと更にその先に発生する「孫ヅル」をたくさん広げることで身が付きやすくなり収穫量も増えてきます。


定植後は、ネットやテープを利用し、3〜4本仕立てで横または斜めに誘引して、果実に日光が当たるように摘葉します。





「ネットを手づくり」



「株高30cmで植え付けてみる」





「一株で緑のカーテン」









「摘芯した上部」




「伸び出した子ヅル·赤丸印」




「花芽·蕾·雄花」





「ゴーヤの雄花」



収穫は15〜30cm(品種により異なる)の長さ程度を目安として早朝に収穫します。


収穫期は関東などの中間地なら7月上旬から9月頃までですが、10月頃まで収穫できる場合もあります。

苗の植え付け時期や地域の気候によって異なりますが、開花から約15〜20日後が収穫のタイミングとなります。




「A」


「A」の赤ラインが子ヅル

子ヅルに6〜7葉が付くまで伸びたので子ヅルの先端を摘芯(青ライン)する事で、子ヅルから孫ヅルが伸び出してくる。


子ヅルや孫ヅルに雌花が咲き始めることでゴーヤの果実が発生します。

多くの孫ヅルを出すことで果実の量(花)も多く付くとされいます。

雄花に対して雌花が咲く割合は10分の1程度とされています。





「赤ライン孫ヅル/青ライン子ヅル」


 


「雌花·赤丸印ゴーヤの実(子房)7月21日」





「7月24日/ゴーヤ6cm」



「8月7日収穫」