緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2026/01/20

ザクロソウ No.819

 ザクロの名がつく野草

ザクロソウはとても小さな桃の果実を思わせる愛らしいつぼみ、クリーム色した5枚のガク片を妖艶なカップ咲きにさせる様子は、植物好きな人を魅了します。



花弁に見えるのはガク片で、白緑色を帯びるが遠目で見ると淡い桃色に感じます。

関東地方では11月過ぎまで咲いている。

よく知られる名前の由来は「葉の姿がザクロに似ているから」ですが、むしろ結実の姿の方がよっぽどザクロらしいと思えます。




裂開する果実の様子がザクロによく似ている。

はじめは毛が生えたように畑地に住み着きますが、数年もすると地面を覆い尽くす勢いで茂り、辺りをクリーム色に染める。

土を耕すほどに殖えていく、こまめに除草をしても毎年生えてきます。

手入れがこまめにされる耕作地ほどよく茂り、見た目と違って環境の撹乱にはすこぶる強い種属です。

ザクロソウは成長も遅く、育っても小兵で風通しもよいので栽培植物に与える影響は少ない。

むしろ大いに茂ることで、ほかの雑草が生えるのを抑制しているようにも見えます。

直根を伸ばすが根張り弱く、耕作地ならするりと抜ける。


ツルナ(ザクロソウ)の効能

奄美群島では、全草を乾燥させ、腹痛、下痢の緩和に利用されてきました。

インドや東南アジア学術論文では、ザクロソウの果実に高い殺菌作用、抗菌作用があったとの報告があります。

ザクロソウは植物のツルナの別名で、民間療法では胃腸の不調、特に胃炎、腸炎や、解熱、解毒、消腫、健胃作用があるとされ、全草が利用されるが、生の汁を切り口や虫刺されに使うと、皮膚炎を起こす事があるため注意が必要です。

その他、止血、鎮痛、利尿作用も期待され、風邪の咳などに用いられたり、打撲や腫れ物には外用として利用されます。

全草を乾燥させて煎じたり、酒に浸して用いられる。

ザクロとの違い

一般的に果実を食べるザクロとは別の植物です。

ザクロのポリフェノールによる抗酸化作用や、女性ホルモン作用などとは異なるので注意が必要です。


ザクロと言えばローマ神話の女神ユノ

女神ユノ(juno/ユーノー)は、ローマ神話の最高神ユピテルの妻であり、結婚、女性、家庭を守護する最高位の女神です。

英語の6月「june」の語源でもある。

ジューンブライドの由来となったことから、結婚の女神として特に有名で女神ルナ(月)とも関連があります。

女神の大好物は果実のザクロです。

美容のために食べていたのかも知れませんね。

ザクロは豊かな耕作地に育ち、初夏から初冬まで次々と花を咲かせ、無数の種子をばら撒きます。

古代ローマの地は豊かな土壌が広がっていたことでしょう。

ザクロソウもボロボロと果実が落ちるのでその点も似ていると言えます。



女神ユノと女神ルナ

女神ユノと女神ルナはローマ神話に登場する力強い女性神で、それぞれ異なる役割と象徴を持っています。

女神ルナ(Luna/ルーナ)は、ローマ神話における「月」の女神であり、その名はラテン語でそのまま「月」を意味します。

ルナは月そのものの女神で、太陽と対になる夜の神です。

ユノは結婚、出産を司る事から女性の生理周期や出産に関わる「月」のエネルギーと結びつけられ、ルナ(月)の要素を持つと見なされることがあります。









2026/01/18

キダチアロエ No.818

 キダチアロエ

アフリカ原産 ユリ科常緑多年草

アロエ属の中でも比較的寒さに強く、日本では江戸時代に渡来して以来各地で栽培されています。

アロエの語源はアラビア語の「allohe=苦い」に由来し、中国名のロカイ「盧薈」がアロエと変化し、定着したとされ、その苦味と多様な効能から古代より世界中で「万能薬」として利用された植物です。



アロエの歴史は古代エジプトに遡り、「不老不死の植物」として珍重されました。

古代エジプトのピラミッドの中から、アロエに関して書かれた最古の歴史書が発見されています。

書物はミイラの棺の中にあったもので、紀元前1550年頃に書かれたものとされています。

アロエはファラオ(古代エジプト王の呼称)の埋葬品にもなるほどであった。

アレキサンダー大王は兵士の治療に用いたとされ、クレオパトラは美容のために愛用したとされています。

日本へは鎌倉時代にシルクロード経由で中国から伝来したとされ、当初は「ロカイ」と呼ばれた。

江戸時代の「大和本草」などの文献に薬草として記載され、宣教師が持ち込んだ「キダチアロエ」が主流となった。

キダチアロエが「医者いらず」と広く親しまれ、やけどや傷、胃の痛みなどに用いられました。

植物学者のカーネル·フォン·リンネが「真実のアロエ」として命名したと言われています。

参照ブログ
博物、植物学者カーネル·フォン·リンネNo.78


アロエ属は種類が多く、300種以上あるとされ、日本で見られるアロエ·ベラは葉がキダチアロエより大きくロゼット状(バラの花の様に地面に近い位置で葉を広げる)に広がった形をしています。

現代ではアロエ·ベラなどがヨーグルト、ジュースや化粧品、医薬品として広く利用され、科学的にも成分研究が進められている。




キダチ(木立ち)と名がある通り、茎は伸びて立ち上がります。

葉は互生し、多肉質で細長く先は尖り、葉縁には鋭いトゲがあります。

花期は12月から3月で、茎の頂上付近から朱から赤色をした房状の花を咲かせます。

アロエ利用の注意点

キダチアロエは、葉の皮や樹液(ラテックス)に含まれるアロインなどの成分により、過剰摂取や誤飲で下痢、腹痛、肝機能障害などを引き起こす可能性があり、特に子どもや犬猫には有害で死に至ることもあります。

アレルギー皮膚炎やじんましん、痙攣(けいれん)を起こす人もいるので注意が必要です。

大量に服用すると腹部疝痛(せんつう)や骨盤内臓器の充血を起こすので、妊娠中や生理中、痔疾(じしつ、いぼ痔、切れ痔、あな痔(痔ろう)=三大疾患)や虫垂炎の疑いがある場合等には、服用しないなど注意が必要です。

葉の外皮由来の成分であるアントラノイドには発がん性が疑われており、サプリメント等では外皮を除去することが推奨されています。









2026/01/11

世界最大の島 No.817

 グリーンランド

グリーンランドは北極海と北大西洋の間にある世界最大の島

デンマーク王国の自治領


グリーンランドは日本のおよそ6倍に及ぶ世界最大の島で、大部分は北極圏にあり、約85%は氷床に覆われています。

大部分の人は主に南西部にある氷のないフィヨルドが続く海岸沿いに住んでいます。

グリーンランドの名の由来

命名したのは、ノルウェー生まれでアイスランドのヴァイキング「赤毛のエイリーク」で、殺人罪で故国を追放されていた982年、探検の途上に発見し、この地に入植希望者が多数現れることを願い、「緑の島」と名付けたとされています。






フィヨルドとは、氷河が山を深く削ってできたU字谷に海水が入り込んで形成された細長く深い入り江のことです。

両岸には切り立った断崖絶壁がそびえ、世界的にはノルウェーやニュージーランド、チリなどで見られる有名な景観です。


大部分が北極圏内であるため、夏の白夜や冬のオーロラのような自然現象が見られます。

首都ヌークの人口は約1万7000人で、世界で最も人口の少ない首都になります。

グリーンランドは大部分が氷な覆われていますが、夏の間は沿岸部を中心に草や花が咲き、低木地帯が広がり、緑豊かになる場所もありますが、近年は地球温暖化による氷の融解で緑化が進んでいる。

一方で氷の喪失と言う深刻な問題も抱えています。

氷の減少は海面上昇を引き起こすほか、永久凍土の融解による土地不安定化や地球温暖化を加速させる原因にもなっています。


グリーンランドの国花はヒメヤナギランですが、その他にはコスギランやアイスランドポピーなど、寒冷地に適応した花々が咲きます。


      
      「ヒメヤナギラン」


特に国花であるヒメヤナギランは、イヌイットに食用としても利用される象徴的存在となっています。


ヒメヤナギランはアラスカやロッキー山脈北部で見られ、草丈が低く大きな花を咲かせ、暑さに弱いのが特徴です。

ヒメヤナギランの近縁種にヤナギランがあり、日本でも北海道や本州以北の高原に分布し、美しい紅紫色の花を咲かせます。




      「ヤナギラン」


イヌイットとは北極圏に住む先住民族で日本人と同じモンゴロイド系に属します。


エスキモーと言う呼び名はカナダでは「人間」を意味するイヌイットが公式の名称として使われています。



グリーンランドの主要産業は漁業と水産加工業で、輸出の9割以上を占め、特にエビやカニが中心となっているが、近年では地球温暖化による氷床の融解でレアアースや鉱物資源(鉄鉱石、ウランなど)の開発が注目され、観光業も成長しています。

しかし、財政は依然としてデンマークからの補助金に大きく依存しています。

トランプ米大統領はグリーンランドのレアアースや鉱物資源を狙っている可能性がある。

更に中国やロシアを口実に米軍基地として領土を奪うだろう。

武力行使も厭わない国際法無視の無法者



























2026/01/09

戦争の悲劇でうまれる孤児 No.816

 子どもらの未来も命も奪う戦争

駅の子や浮浪児と呼ばれた子どもたち

駅の子は太平洋戦争後に親を亡くしたり、離れ離れになったりして全国各地の駅などで寝泊まりしていた戦争孤児をそう呼んでいた。

戦争で親を失った子どもは12万人に及んだと推計され、親元に帰れず駅を拠点に路上生活を強いられた。

浮浪児などとも呼ばれ、地域によっては駅前小僧と呼ばれるなど呼び名は様々であった。

汚いと罵られ、助けを求める声も届かず、国や大人たちからも放置され、差別や排除の対象になった。

自国に虫けらのように扱われた子どもたち

行政や一部の人々によって集められた身寄りのない子どもらは、地方の山中などに連れて行かれ放置されたり、収容されたりした。


子どもらは過酷な環境下で生き延びるため、農作物や物乞いなどで食料を得て戦後を生き抜きました。

しかし全ての子どもが生き抜けたわけではありません。

餓死する子どもらも多くいたのです。

施設収容などを名目にトラックなどで集められ、見知らぬ山奥などに置き去りにされた子どもらも多い。

お弁当を買ってあげるなどと声をかけられ、連れて行かれた後、放置されるという裏切りもあった。

孤児を集める事を「狩り込み」といい、その行為は27年まで続けられたとされる。

国にも大人にも見捨てられた子どもらが確かにいたのです。

当時は東京養育院と言う施設に収容される事が多かったとされている。

東京養育院は明治5年(1872年)に作られ、日本最古級の困窮者保護施設で、渋沢栄一が深く関わり発展させたが、1999年に廃止となった。

東京養育院と言う名称はなくなりましたが、明治時代から続く公的な福祉、医療事業の歴史と役割は、現在の東京都健康長寿医療センターをはじめとする様々な形で今も東京都の福祉を支えています。


1990年以降、戦争孤児と言う名称は戦争責任が曖昧との主張があり、また引き揚げ孤児、残留孤児、混血孤児、浮浪児等、広く戦争による孤児を含めた総称として戦争孤児の名称を使用する動きもあった。


日本では第二次世界大戦でアメリカ軍による日本本土への空襲や、広島、長崎への原子爆弾投下により、多くの子どもらが家族を失い孤児になりました。



戦後、特にそれらの戦災による孤児を指す言葉として戦災孤児の言葉が使用されるようになった。


防空法が原因で孤児

もう一つの孤児になった原因として考えられるのが防空法と言う戦時中の法律です。

防空法とは、1937年、第二次世界大戦中に日本で制定された法律で、空襲による被害を防ぐため、国民に夜間の明かりを制限する灯火管制や防空訓練への参加を義務付けした法律です。

敵の戦闘機に見つからないように家から明かりが漏れないようにする事を義務付けしたのです。

その後1941年に法律が改正されると、「逃げるな、火を消せ」を原則とし、避難や消火活動への協力を強制しました。


当初は統制を目的とすることであったが、次第に国民の生命よりも戦争遂行を優先する内容に変貌し、多くの犠牲者を出した法律である。

1943年の改正では、防空を妨害する行為に対する死刑を含む厳しい罰則が規定されました。

国民を守ると言うより戦時下の統制強化と戦争遂行のための国民動員が主な目的だったのです。

政府やメディアにより「逃げるな」が徹底され、空襲で多くの市民が避難できず、家族もバラバラになり、生死も分からない状態になり被害が拡大しました。

この惨状の中で多くの子どもらが孤児になったのも事実である。

この法律は終戦後の1946年1月31日廃止されました。

少子化が叫ばれる現代、軍事拡大を強固に進めようとしている日本政府は、再び同じ過ちを犯すのではないか、その疑念は消せない状況になりつつある、そんな気がしてならない。









2025/12/27

本当は危険な無関心 No.815

 社会を崩壊させる原因は無関心

ドイツの牧師(神学者)マルティン·ニーメラー(1892〜1984)は、ナチス政権下で傍観者であったことを深く後悔した人物、反ナチ運動家として知られています。



      「マルティン·ニーメラー」



共産主義者が攻撃されたとき、私は共産主義者ではないから声を上げなかった。

社会民主主義者が牢獄されても、社会民主主義者ではないから私は声を上げなかった。

労働組合員が攻撃されたとき、私は労働組合員ではなかったから声を上げなかった。

ユダヤ人が連行されたとき、私はユダヤ人ではなかったから声を上げなかった。


最後に自分自身が攻撃されたが、私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった。


最終的にニーメラーは収容所に収容されたが、辛うじて生還しました。


戦後ニーメラーはこの言葉を通して、無関心や傍観者であることの危険性をドイツ国民や世界に訴え続けました。

この出来事は歴史的な過ちに対して、個人が声を上げることの重要性を示す象徴的な事例となっている。


〇〇じゃないから…と無関心でいることは大きな後悔を招くことになると言うことでしょう。

人間でいる以上無関係なことはないと思う。

戦争中のナチス・ドイツは可能な限り多くのソ連の戦争捕虜を殺害した。

ドイツの収容所で死亡したソ連の捕虜は半数以上であったが、他の連合国(イギリス、フランスなど)の捕虜の死亡率は20人に1人以下でした。

ドイツは捕獲時に約200万人のソ連の戦争捕虜を殺害しました。

ドイツはどこよりも捕虜を多く殺害した国だったのです。

ドイツは前に進むために正式に謝罪をしましたが、日本は侵略戦争に対して正式に謝罪していない。


戦争被告国と言う表現はありませんが、戦争は国が起こす事です。

個人が戦争犯罪人として裁かれるが国が裁かれることはありません。

個人(権力者)の危険な主張ほど怖いものはないと言うことです。

それが独裁政権を生み出すことになるのです。

声を上げなかったら独裁政権が誕生してしまう可能性が大きいのです。











2025/12/25

高市政権の危うさ No.814

 明らかな戦争への道

1915年9月19日、安倍政権によって安保法制が強行され、1922年12月16日、岸田政権により安保3文書が閣議決定された。

安保3文書とは、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の3つの文書(3文書)である。

これは、専守防衛を投げ捨てる敵基地攻撃能力の保有に踏み込む、憲法九条を踏みにじる歯止めなき大軍拡である。


1923年には軍拡財源法、軍需産業支援法など安保3文書を具体化するための「付随法=ふずい」が成立した。

その後も経済秘密保護法、能動的サイバー防御法、改定地方自治法、改悪国立大学法人法、日本学術会議解体法など国家の統制を強め、学問の自由や地方自治、市民の知る権利を制限する悪法が次々と強行されました。


これらの法律は一見すると分野も目的も異なるように見えますが、しかし、補助線を引いて全体を見下ろせば社会全体を国の管理下に組み込み、戦争を遂行できる体制を隅々まで整えていくと言う一点で、全てが「戦争準備」に向かって一本の線で繋がっています。


高市政権では、与党入りした日本維新の会と歩調を合わせ、「スパイ防止法」の制定や戦力不保持を定めた憲法九条2項の削除にまで踏み込む発言が公然と行われています。


特定の地域や具体的事態を想定して、発言すること自体が軍事的緊張を高め、日本を戦争に引きずり込む危険をはらんでいることを理解していた歴代政権は、台湾有事と存立危機事態の関係について意図的に踏み込むことを避けてきました。

ところが高市首相は、「台湾有事は存立危機事態になり得る」と公言したのです。

一線を踏み越えたこの発言は、実際に国民の安全や生活を危険にさらしたと言う意味で、高市氏が一国を預かる政治家としては全く資質を欠いているという事実を国内外に明らかにしたと言えるだろう。


しかし、高市氏は中国との情報戦などと問題をすり替え、発言の撤回を拒み続けています。

高市氏はこの発言を軍事的緊張としてあおり、軍事力強化への世論を動員しようとする動きを強めています。


危機的な状況として演出し、軍事費の更なる増額や軍備増強を正当化しようとする意図が首相だけでなく、小泉防衛相の言動からも透けて見えます。


政治家の一言が、国民の命と生活を戦争の渦に巻き込む可能性が大きくなっています。


その責任の重さを高市首相は自覚しているとは思えません。

米軍に扇動され、一体化し、戦争に突き進む危険が懸念されています。