原子爆弾
世の中には開発出来る技術があったとしても、決して製造してはならないものがある。
ましてや人命、全ての命を一瞬で消し去ってしまう開発製造など有ってはならないことです。
しかし、そのおぞましい製造を繰り返す独裁者がいるのも事実だろう。
核廃絶は一国だけの問題でありません。
アルベルト·アインシュタイン(1879〜1955)はドイツ、ウルム生まれの理論物理学者で、相対性理論を発見したことで世界的に知られています。
1933年(53歳)、ナチス政権の勢力によりユダヤ系であったアインシュタインは、アメリカへ亡命しました。
アインシュタインの理論は、ロケットや人工衛星、GPSなど、現代技術の基礎となっている。
原子番号99の元素「アインスタイニウム」はアインシュタインの名にちなんで名付けられました。
この元素は自然界には存在しない「人工放射性元素」で、1952年にアメリカの水素爆弾実験の際に、フェルミウムとともに発見された7番目の超ウラン元素であり、主に研究用途にのみ使用されています。
1939年(60歳)、アインシュタインはルーズベルト大統領に宛てた手紙で、ナチスドイツに核開発の可能性があるとし、アメリカも核開発を進めるべきだと進言しました。
これが後のマンハッタン計画(1942年開始)のきっかけの1つとなった。
しかし、アインシュタイン自身は核兵器の開発に直接関わることはなかった、、、
だが、自身の理論が核兵器の基礎となったことに深く苦悩することになる。
マンハッタン計画は、ナチスドイツに核兵器の開発を先に越されることを恐れたアメリカが、極秘に進めた原子爆弾開発計画のことで、イギリス、カナダの科学者、技術者、軍人、民間企業など全米から10万人が関わって原子爆弾を製造しました。
その計画では、ロバート·オッペンハイマーが中心的役割を果たし、ロスアラモス(国立研究所)に設置された研究所で研究が進められた。
この計画で、広島型原子爆弾(ウラン)と長崎型原子爆弾(プルトニウム)の原子爆弾を1945年7月に実験成功、完成した原子爆弾を翌月(8月)に広島と長崎に投下した。
広島、長崎への原爆投下後、科学の負の側面を目の当たりにしたアインシュタインは、原子爆弾の脅威を深く認識し、生涯をかけ一貫して核兵器廃絶を訴える運動に力を注ぎました。
原爆の被害についてアインシュタインは、日本の友人へ「あの運命の決断を阻止するために何もできなかった」と後悔を表明し、湯川秀樹(理論物理学者、1907〜1981)との会見では「こんな私を許してください」と涙ながらに謝罪したとも言われています。
1955年、バートランド·ラッセル(哲学者)とラッセル=アインシュタイン宣言を発表し、核兵器廃絶と平和的解決を訴えました。
その後、この宣言は核兵器廃絶運動の出発点となったのです。


0 件のコメント:
コメントを投稿