夢と想い出と未来
夢をみた、18年前に亡くなった元同僚の夢。
相変わらずパチンコをしていた。
知り合いの職人も数年前に数名亡くなったが、そちらで会えたかとたずねたら「会っていない」と言う。
きっと地獄行きもいるからね、、なんて
そんな束の間の夢
彼との出会いは20歳の頃
まだ職人になったばかりの頃で、彼はすでに3年ほどの経験者だった。
所属するグループが違っていたが、親会社では一緒に仕事をしていた。
昼休みに彼の彼女が勤める商店街の喫茶店に行った事があった。
彼の彼女は高部知子(元わらべ)に似ていた事を覚えている。
その後、彼女と結婚し、子どもが生まれた。
その時、アパートに訪ねていった事があったが、どんな会話をしたのか今となっては覚えていない。
それから6年後、同じ会社で働く事になる。
その頃はお互い現場を任される立場だったので、同じ現場で働く事はほとんどなかった。
彼は僕の息子(妻の連れ子)を子方として連れて回り現場、現場で仕事をしていた。
息子からたまに彼の仕事ぶりを聞くことはあった、少し厳しい所があったようだが我慢して仕事を覚えたほうがいいと諭した。
それから3年後(平成4年)、僕が独立する事になってからほとんど出会う機会もなくなっていた。
その後、所属する会社が計画倒産したため、所属会社を失ってしまった。
その事を知った知り合いの社長からお誘いがあり、所属する会社が見つかった。
1996年(平成8年)会社が計画倒産した、年末年始から僕は地所を構えるため自力で工場を作り始めた、完成後法人会社を設立(平成9年4月)した。
従業員は5人からのスタートだったが、ほとんどが未経験者職人見習い。
所属会社はニチアスと言う大手会社で、三菱油化構内での常駐だった。
元同僚の彼も三菱油化の関西保温に所属していた。
彼も一人親方になっていた。
難しい仕事以外は三菱油化で仕事をする事はなかったので、あまり顔を合わせることはなかったが、担当していた息子はよく会話をしていたようです。
その後、息子に会社を譲ると同時に法人会社も閉じることになった。
僕は一人親方に戻り、同地区コンビナートにある旭硝子構内で仕事をすることになりました。
そして2007年12月21日、三菱油化構内プラントの分解炉から火災が午前11時半頃発生した。
その一方を聞くと同時に、行方不明者の中に、どうやら彼が含まれていると言う知らせを受けたのです。
この火災で4人の社員が行方不明になっていた。
悪い予感がした。
彼がやはり現場で仕事をしていたのです。
木村春男(キーヤン)
愕然とした。
キーヤンと僕はいいライバルとして歩いてきたんだと思う。
だから互いに成長できたんだと思う。
誕生日が一ヶ月早い同学年
誕生日が妻と同じだった。
身元が判明するまで数日かかった。
分かったのは12月27日のことだった。
お互い職人として地元では名が知られた存在で
他社も含め、職人仲間は多かった。
葬儀は三菱油化の社葬となった。
職人としては僕一人だけの参加で寂しかった事を覚えている。
あれから18年、夢をみた
きっとあの世とやらに僕が逝った時にはキーヤンと会えるのかも知れない。
45歳、まだまだこれからと言う時に逝ってしまったキーヤン。
運命とは時に残酷です。
きっとキーヤンは「けん坊」遅かったなぁ〜とあの世で再会したらそう言うだろうなぁ〜
若かりし頃思い通りに遊べなかった事が出来るかもね。
あの世に逝くのもそう悪くないかも知れない。
いつかはきっと誰もが通る道。
それまでふれあいは大切に生きていたい。
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