緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2026/08/15

戦争国家へと進む暗黒政治の再来 No.860

 戦前·戦中に起きた弾圧の歴史

8月15日は太平洋戦争が終結した終戦の日である。

治安維持法(1925年)が公布されて今年で101年。

この悪法で戦前、戦中、戦争に反対した多くの人々が弾圧されました。

再び現代版治安維持法とも言える「スパイ防止法」が制定されようとしている。

全国防諜週間

防諜(ぼうちょう)とは、外国政府や敵対する組織、スパイによる諜報(秘密裏に活動し情報を集める)活動や破壊工作を防ぎ、国家や企業の機密情報を守るための活動のこととされる。

戦前の防諜週間は、国民にスパイへの警戒や機密保持を徹底させ、監視意識を高める運動でした。

その結果、言論統制や相互監視が強まり、国民を戦時体制へ動員し、戦争への道を支える一因となった。


「全国防諜週間の様子·東京銀座4丁目付近」

出典:ジャパンアーカイブズ


1941年(昭和16年)、初めての防諜週間が1週間全国で実施された。

この年にゾルゲ率いるソ連のスパイ組織の国内のスパイ活動が発覚した。

ゾルゲ事件

この事件は第二次世界大戦前夜の日本で起きたスパイ組織によるものです。

ドイツ人ジャーナリストを装ったソ連のスパイ、リヒャルト·ゾルゲ等が日本の機密情報をソ連へ流していた国際諜報事件です。

1941年9月から1942年4月にかけて摘発され、中心人物のゾルゲと協力者の尾崎秀実(ほつみ)らが死刑となった。

尾崎秀実は元朝日新聞の記者で、近衛文麿(第34代内閣総理大臣)の相談役を務めた人物であり、日本の政治·外交の中枢情報をゾルゲに提供していた。

近衛文麿内閣(1937年6月4日〜1939年1月5日)


ゾルゲ事件と日本共産党の関係において、歴史上最大の争点となったのは、戦後日本共産党の要職者であった伊藤律(いとう·りつ)が事件発覚の密告者であったと長年疑われた「伊藤スパイ説」であるが、1980年に伊藤律が帰国、釈放された後の調査や、21世紀に入ってからアメリカ公文書および日本側の検察、警察関係史料の再検証が進んだ。

その結果、伊藤をスパイと断定した証拠の多くが「GHQ」や「CIA」の協力者による歪められたものであったことが判明した。

伊藤律のゾルゲ事件関与説、密告説は歴史的に完全に覆され、冤罪であったと結論づけられている。

戦争反対で弾圧された人々

戦前、戦中の日本において、「戦争反対」や「平和」を訴えて治安維持法や特別高等警察(特高)などの国家権力により弾圧、犠牲となった人々には、作家、詩人、政治家、一般市民など多様な層が存在しました。

夫や息子を戦争で失い、無謀な戦争への疑問から投書や発言を行った一般の主婦や労働者も「社会、人心を撹乱する行為」として特高警察に検挙、弾圧されました。


思想・信条の自由を弾圧した治安維持法

治安維持法は、1925年(大正14年)天皇制政府が制定した国民の思想・信条、言論、学問の自由を徹底的に弾圧した政治統制法です。

国民にとってはまさしく無権利状態の法である。

敗戦が予測される1945年に入っても戦争継続に固執した帝国主義日本国家。

更に侵略戦争遂行のために国内では、天皇制と戦争への批判を犯罪視し、治安維持法の仮借(かしゃ/かしゃく)ない適用で国民を無権利状態に置き、厳しい抑圧政治を行いました。

天皇制帝国主義軍隊は、中国をはじめとするあらゆる占領地で、現地住民に対して非人道的な略奪、凌辱(りょうじょく·尊厳を傷つけること)、虐殺等の残虐行為を繰り返し絶大な被害を与えた。

アジア諸国民2千万人以上、日本国民310万人以上の命を奪うという日本とアジアに史上最大の惨禍をもたらした。

この時期には一切が戦時体制化され、共産主義者だけでなく戦争に批判的な自由主義者や人道主義者、宗教家を含めて新しい弾圧が相次いで行われた。

弾圧は、天皇制の暗黒政治を支持し、侵略戦争を推進する立場に立っていた創価教育学会(現·創価学会)幹部にも及んだ。

創価教育学会の初代会長牧口常三郎は、学会が唱える「最大の価値の生活法」が戦場で実践され、それによってのみ勝利が得られ、これがなくしては必ず惨敗すると主張した。

牧口は戦争協力の立場から国家を諭す主張をしていました。

この主張は、邪教が蔓延っていては戦争に負けるからとし、戦争に勝つために日蓮正宗の国教化を求めるものだった。

天皇制政府の「国家神道」押し付けと対立すること、これらの言動によって1943年7月、牧口は治安維持法違反で検挙され、44年11月獄中死に追い込まれた。

牧口は軍部政府の思想統制や神社参拝問題に反対していた。


創価教育学会は、1930年(昭和5年)11月18日に教育者の牧口常三郎と戸田城聖が創立した。

当初は、教育改革を目指す研究団体だったが、のちに日蓮仏法を基盤とした宗教運動へと発展していった。

治安維持法違反で牧口と投獄されていた戸田は出獄し、1946年に組織を「創価学会」と改称して再建した。


止まらない高市政権の暴走(暗黒政治の再来)

民主主義の破壊、止まらない物価高騰、軍事費9兆353億円は国民一人当たり7万円。

治安維持法に繋がる国家情報会議の設置法

すすむスパイ防止法と国旗損壊処罰法

更に安保3文書の改定により、核持ち込みを容認する姿勢

核保有国という被爆国は成り立たない。

7月7日、トンガ王国が核兵器禁止条約に加入したことで、締結·署名国が100ヵ国となりました。

日本は核兵器禁止条約に参加し、憲法9条を生かして全世界に対し、平和のイニシアチブを発揮すべきです。











2026/08/13

後期高齢者医療制度は憲法違反 No.859

 憲法を厳守しない政権

後期高齢者医療制度は憲法違反という指摘は、主に75歳以上という「年齢」で被保険者を区別することや、「年金から保険料を天引き」することなどが憲法第14条の法の下の平等や第25条の生存権に反しているという主張に基づいています。

この医療制度は、「憲法を厳守しない自民党政権の下で制度化」されたことは間違いありません。

憲法第14条の法の下の平等違反

75歳以上という年齢のみで現役世代や他の高齢者層と医療保険制度を分断·差別することは平等の原則に反するという批判がある。


憲法第25条違反(生存権)

少額の年金受給者からも保険料を強制的に天引きする仕組みや、医療費負担の増加が受診控えを招き、生存権を脅かすというか指摘がなされてきました。

また、個人の尊厳、憲法第13条違反として「後期高齢者」という呼称や一律の年齢区切り自体が高齢者の尊厳を傷つけるという意見も出ています。

政府側は合憲、正当な立法政策であるとの立場をとっていますが、憲法を厳守しない憲法違反という主張を無視し、制度の悪化を続けている。

行政の不服審査会などでは法律そのものの憲法判断を行うことは出来ないとされていることも問題と言えるだろう。

政府のいいなりの行政では住民の思いを反映されることは出来ない。


後期高齢者の負担が増え続けている異常な医療制度

原則75歳以上の被保険者を対象とする後期高齢者医療制度は、段階的な負担増が進んでいる。

2022年10月1日から、単身で年金収入200万円以上などの一定所得層を対象に、窓口負担割合が1割から2割に引き上げられました。

住民税課税所得が年28万円以上で、かつ年金収入やその他の所得(収入から必要経費などを控除した額)の合計が単身世帯で200万円以上、複数世帯で320万円以上の人が対象となっています。





後期高齢者医療制度の被保険者の約2割、370万人が影響を受ける大改悪と言えます。


3割負担(現役並み所得者)の対象者

世帯内の被保険者における住民税の課税所得が145万円以上

単身世帯で年収が383万円以上

2人以上世帯の合計収入が520万円以上

個人単位ではなく同じ世帯にいる後期高齢者医療制度の被保険者全員の所得をもとに判定されます。










2026/08/12

年金制度の矛盾 No.858

 所得税法の矛盾

年金は自ら納めたものであるが、仕事で得た給与などの収入が無くても、公的年金自体が税法上の「所得」とみなされるという矛盾がある。

仕事をしていなくても受け取っている公的年金は所得税税法上の「雑所得」という収入になる。

税として納めた税金が年金として給付されることで所得とみなされるという税法である。

生活に必要だとされる社会保険料が義務としてかかるため、年金からお金が差し引かれる。

つまり、死ぬまで働けということであり、老後のための生活に必要な年金制度とは言えない。

年金は強制加入の「保険」として扱われている。

所得税法を改正する必要がある。

公的年金は高齢者から意図的に税金を取り立てるための制度ではない、現役世代と同様に所得に対して課税される仕組みに基づいているとされるが、収入が無くても年金を受け取ることで「雑所得」とみなされ収入となっている。


年金制度は、高齢者になっても税金を安定的·強制的に天引き搾取する制度ではないだろうか!


年金から天引き(特別徴収)される税金

所得税(および復興特別所得税)は、65歳未満は年108万円超

65歳以上は年158万円超など、年金が一定額を超える場合に源泉徴収されます。

住民税は、前年の所得をもとに算定され、65歳以上の一定以上の収入がある人から天引きされます。

介護保険料(社会保険料)は、65歳以上(第一号被保険者)の全員が負担し、原則として年額18万円以上の年金から天引きされる、特別徴収が法律で義務付けられている。


国民健康保険料75歳未満は国民健康保険制度の保険料が引かれます。

後期高齢者医療制度保険料75歳以上は後期高齢者医療制度の保険料が引かれます。

老齢年金、障害者年金、遺族年金を年額18万円以上受給している人は、天引きの対象となってます。

消えた年金会社負担分の厚生年金は、老齢、障害、遺族年金のために使われているとされたとしているが、遺族年金は5年で打ち切るという事が言われている。

それでも会社負担分は無くならないのではないだろうか。

年額18万円未満の場合や、介護保険料と健康保険料の合計が年金受給額の2分の1を超える場合などは年金額から天引きされないが、納付書での個別支払いとなる。



最低保障年金制度の必要性


最低保障年金制度は高齢者の低年金を底上げし、無年金者を無くし、女性の低年金を改善するものです。

そして、現役世代にも安心して暮らせる年金制度を引き継ぐものです。

これは国民、高齢者の切実な要求ですが自民党政権は改悪するばかりです。


「出典:日本年金者組合より」



高齢者の25〜29%が「家計にゆとりがなく心配」との生活状況にあります。

高齢者世帯の57.2%は年金だけで生活しています。

生活保護世帯の52.2%が高齢者世帯なのです。


厚生労働省や社会保険庁の調査による推定では、65歳以上で公的年金の収入がない無年金者の数は約50万人とされ、無年金見込み者を含めた無年金者は最大約118万人で、そのうち65歳以上で今後保険料を納めても受給てきない人は最大約42万人とされていました。


その後、2017年に受給資格期間が25年から10年に短縮されたことで無年金が解消·救済されたとしているが、現状の年金制度では生活できる保障は全くありません。


80.90歳になっても年金から天引きされる制度は問題であり、年金制度は老後の生活できる保障制度ではありません。


年金制度は所得に関係なく搾取される制度そのものです。










2026/08/11

庶民の生活を苦しめる日本の税制度 No.857 

 日本の税制度の基礎

日本の税制の基礎は、明治時代(1868〜1926年)に作られた。

戦争のために税制が導入され、その影響で戦後税制の悪化とともに税制度が増え続け、強制搾取が当然化した。

明治6年(1873年)に始まった土地に対してかけられた税金(地租)は、江戸時代の年貢に代わる近代的な税として作られ、明治政府の主な収入源となりました。

江戸時代はお米で税を払っていたが、お金で払うようになった。

土地の値段(地価)はお米の収穫量ではなく、土地の価値である「地価」を決め、土地の所有者と地価を証明する「地券」が配られ、私有地としての所有権が認められました。

固定資産税

明治時代に家屋税として作られたが1947年(昭和22年)に地方税となり、1950年(昭和25年)に廃止され、税制改革で地租(ちそ)や家屋が一つにまとめられ、現在の固定資産税に引き継がれた。

固定資産税は昭和25年、総務省の案内する「シャウプ勧告」を契機として創設された搾取税制である。


シャウプ勧告(1949年)

シャウプ勧告とは、経済の安定、長期的、安定的な税制、均衡のとれた公平な税制、地方自治確立のための地方財政の強化、強力な執行体制の整備等、国税、地方税を通した税制や税務行政全般にわたる勧告書です。







住民税の始まり

個人に課せられる住民税の始まりは、明治11年(1878年)に導入された「府県税戸数割(こすうわり)」と言う制度が住民税の起源とされています。

明治8年(1875年)、国費に充てる「国税」と府県の費用に充てる「府県税」が分けられ、国税と地方税の区別が始まりました。

明治11年に地方税規制が制定され、各戸(世帯を基準にした税金を割り当てる)「府県税戸数割」が設けられた。

これが個人住民税のルーツです。

明治21年に市町村が、国の所得税に対して上乗せして徴収する(附加税)、現在の住民税に近い仕組みが作られた。



市民税

昭和15年(1940年)、税制改革に伴い戸数割が廃止され、正式に「市町村民税」が創設された。

昭和25年のシャウプ勧告に基づく税制改革により、それまでの制度が廃止され、現在に繋がる新しい「市町村民税」が設けられた。


県民税(道府県民税)

県民税は明治11年に導入された戸数割という地方税です。

現在の住民税の原型

シャウプ勧告に基づく税制改革により、現在の「道府県民税」の形へと引き継がれている。



相続税の始まり

相続税は明治38年(1905年)、日露戦争の戦費を集めるために臨時財源として創設された戦争するための税制度。

戦争が終わった後も「財源難を理由にそのまま永久的な税金制度」として残ったとんでもない搾取税制です。

当時は、家を継ぐ「家督相続」と財源を分ける「遺産相続」の2つがあり、家督相続の方が税金を安くしていました。

昭和22年の民法改正に合わせて法律が変更され今の形となった。


所得税の始まり

所得税は明治20年(1887年)に導入された。

新たな国家財源を確保するため、イギリスの税制を参考にして作られました。


当時の富裕層、1年の所得が300円以上の方が対象とされ、個人のみに課税されていました。

その後、明治32年(1899年)の改正で「法人所得」にも課税されるようになり、大正時代には国税の中心となる第1位の税収制度へとなった最大の搾取税制である。

ちなみに明治時代の中期から後期の300円は、現在の価値に換算すると約600万円から900万円に相当します。

家が買えるほどの莫大な大金でした。

1円=約2万円から3万円相当


国保税(国民健康保険税)

国保税は1951年(昭和26年)に地方税法の改正によって市町村の目的税として創設されました。

1938年(昭和13年)に国民健康保険法が制定された当初は、財源として「保険料」が採用されていました。

1940年後半、戦後の混乱や不況の中で受診率が上がる一方で、保険料の収納率が低迷したことで赤字の市町村国保が急増しました。

1951年、住民の納税意識を高め、強制徴収や財源基盤を強化する打開策として、地方税法が改正され「国保税」が誕生しました。

生活苦よりも強制徴収が優先

制度上、市町村は「保険料」または「保険税」のどちらかを採用するかを条例で選択できるが、「徴収の時効」が保険料の2年に対し、国保税は5年であることなどの理由から、徴収期間が長い国保税を多くの自治体が採用している。


強制的徴収税制と言える日本の税制度にはその他にも多くの税制があるが、税収の半分近くが使途不明金という状況である。

国民のための税収制度になっていないのが現実である。

税制度による徴収は全て強制的搾取である。


多くの国民は搾取される一方で恩恵を受けているとは言えない。

助け合い税制度にも完全には当てはまらない。

一方で権力の下で利用され続けている。















2026/08/09

原爆投下された広島·長崎 No.856

 核兵器廃絶

今日は長崎に原子爆弾が投下されて81年目です。


多くの犠牲者に黙祷


二度と惨禍が訪れないように祈ります。

🙏合掌





広島·長崎への原爆投下で犠牲になったのは日本人だけではない、自国の国民も犠牲にした米国だったのではないだろうか!

命ある全ての生き物が一瞬でこの世から消えた。





一発の原子爆弾によって命ある全ての生き物が消えた。










核兵器は、アルバート·アインシュタインの1905年に発表された基礎理論(相対性理論)の「E=mc²」(質量とエネルギーの等価性)が原子力の土台となった。

1939年、ナチス・ドイツがウランを利用した新型爆弾を開発するのではないかと恐れた物理学者レオ·シラード等の要請を受け、フランクリン·ルーズベルト大統領に原爆研究·開発を促す手紙にアインシュタインが署名したことが核兵器開発の大きなきっかけとなった。








「原爆投下後の長崎」



これが、アメリカの原爆開発計画である「マンハッタン計画」である。

アインシュタイン自身は直接の原爆開発には参加していないが、ドイツが原爆の開発間近だったと言うことはなかった事を知ったアインシュタインは、ルーズベルトに手紙を出した事を深く後悔しました。

この手紙はのちにアインシュタインが「大きな誤り」と呼ぶことになった書簡である。



「原爆投下した爆撃機エノラ・ゲイ」












「原爆投下された広島」



広島·長崎への原爆投下に強い衝撃を受けたアインシュタインは、その後(晩年)科学の軍事利用に反対し、世界各国に核兵器の廃絶を訴え続ける活動を生涯の生き方としました。


日本では、大学への軍事研究を促す政府の姿勢があります。

研究費が欲しい大学側はそれを受け入れようとしています。


その研究が軍事利用される事は間違いありません。

研究者たちが戦争のために利用される。

アインシュタインの後悔の歴史に学ばない大学であってはなりません。


少数の国が起こす戦争は、世界全体にその影響を与える。

世界全体の死活問題となるのです。


他国のやることだからでは済まされないのです。

軍事的研究や軍事経済なんて血の通った人間が行うことではありません。










2026/08/06

映画·猫は生きている No855

 広島·原爆の日

今日は広島に原爆が投下されて81年目の夏です。

年々その記憶を持つ人たちがいなくなっていく。

語り継がれなければならない惨禍である。

小生の平和への思いの原点は、今から51年前、当時中学1年生の時に観た映画、「猫は生きている」です。

1975年6月21日に公開された「猫は生きている」は、東京大空襲の中を懸命に生き抜く野良猫の親子を描いた人形劇アニメーション映画です。

この年は小生の干支、うさぎ年だった。

今でもその時の記憶は残っている。

現代の子ども等がこの映画を観たらどんな思いを抱くだろう、、、






戦争は全てを壊し奪うもの、人類社会で一番愚かな戦である。

戦争は忘れた頃に再び起きると言う、、、

支配者たちの欲が戦争を引き起こす。


しかし、支配者たちは戦場には行かない。



原爆投下された県出身者として「核兵器」はいらないものであることを生きている限り伝え続ける。