ベトナム、フエのガーデンハウス
ベトナム最後の王朝グエン朝時代から受け継がれた庭
世界遺産の古都、フエの街並みに緑を添えるのが王朝時代から受け継がれた、広い庭付きのガーデンハウスである。
ガーデンハウスはベトナム中部、フエ市内を流れるフォーン川の畔に広がる。
フエの街には、ベトナム最後の王朝グエン朝(1802~1945年)の都として発展し、首都が置かれていました。
この街は堀と分厚い石の壁に囲まれた19世紀の城塞
で有名です。
ベトナムの京都とも言われる世界遺産古都
フォーン(フォン)川とはベトナム語で「薫る川」を意味する。
旧市街地には壮大な王宮が占め、郊外には天女伝説の伝わる有名なティエンムー寺の八角塔や、歴代皇帝の墓所である広大な社(やしろ)が点在します。
ユネスコは1993年に、こうした歴史的建造物を世界遺産に指定しています。
日本では考えられないと思うが、2月でも堀に蓮の花が咲く。
フエの街には昔、王族や宮臣たちが住んだガーデンハウスと呼ばれる広い、庭付きの家が多く残っています。
建設当時の面影はないものの、そこには自然を身近に取り込んで楽しむ生活が受け継がれています。
ベトナム帝国の滅亡
1945年8月17日「ベトナム8月革命」が起こり、ベトナム帝国は滅亡しました。
崩壊した後、ベトナム民主共和国が誕生。
ベトナム民主共和国になり、新しい時代が始まったベトナムですが、1955年からベトナム戦争が始まり、南部ベトナムに対するテト攻勢が1968年に勃発し、フエで戦闘が繰り広げられました。
やがて北ベトナム軍に支配されたフエは分断し、約300人の人々が生き埋めにされたり、銃で撃たれたりした。
アメリカ軍はフエの攻撃を始め、フエは焼け野原になった。
グエン王朝時代に建てられた建物も多く犠牲となった。
その爪痕は現在も残っている。
戦争終息直前の1975年3月、アメリカ軍は主要な街としてフエを解放しました。
その後、フエは再建され、ベトナムで初の世界遺産に登録されました。
伝統的なフエの庭に共通しているのが石造りの「風よけ」とその前に作られたロックガーデンと池です。
庭全体が風水思想に基づいて設計され、日本でも馴染みのある松や梅、竹、椿などが植えられ、池にはスイレンが咲いています。
「熱帯性スイレン」
水面に浮かんだように咲く温帯性スイレンに対し、水面から茎を伸ばして咲くのが熱帯性スイレンで、温帯性に比べて花上がりがよく、4回から10回も花を咲かせる。
ベトナムでは蓮の花をHoasen(ホアセン)と言い、日本の桜のようにベトナム国民から愛されている国花である。
家の周囲には大小の盆栽や吊り鉢のランで飾られています。
家族や先祖を大切にするベトナムの人々にとっても、庭は代々の祖先の魂が宿る場所なのです。
屋敷内には大きな祭壇、庭に先祖を祭る祠を持つ家もあり、祭礼の度に家族や親戚が集う。
ベトナム戦争で破壊を受け、フォーン川の氾濫による洪水の被害も深刻です。
そのため修復、維持経費を賄うために観光客への一般公開が始められました。
平和であることの大切さ、戦争がいかに愚かな事なのかを伝えて行くためにも、伝統とともに長く保有される必要があります。
「1930年代当時の姿を残す家屋」
「日本式の池」
庭は家族のプライベートな空間だが、訪れる者に門戸を閉ざすことはないと言う。
「オクナ·インテゲーリマの花」
フエではこの黄色い花が旧正月を飾る。
一般に黄色い花でマイフラワーと呼ばれる。
野生では小さい木、低木種の熱帯植物でオクナ科は、全世界の熱帯に分布する常緑木本で一部は草本である。