奈良時代の庭園
平城遷都<710年>〜平安遷都<794年>
この時代には「律令制度」が完成し、朝廷を中心とした安定した国家が築かれました。
❉律令制度(りつりょうせいど)とは、中国の隋(ずい)、唐の法体系を手本に7世紀後半から8世紀頃に制定された、古代日本において皇室を中心とする貴族階級が、全国の人民と土地を支配するために構築した、中央集権的政治制度で官僚支配体制であった。
この時代には遣唐使によって、唐から新しい文化が導入されたとされる。
その遣唐使がもたらした主なものは、仏教の経典、技術や薬の知識、作物の育て方、芸術分野、高い技術の美術品や工芸品。
遣唐使がもたらした文化は、奈良時代から平安時代初期にかけて、日本国の発展に少なからず影響を与えたと考えられています。
奈良時代の庭園は、様式的に見ると飛鳥時代以前のものと大きな変化はないと考えられています。
これは、奈良市左京三条の平城京跡地で、自然風の護岸をもつ曲池のある庭園の遺構が発掘され、当時の庭園の大部分が自然風のものであったであろうことが、かなりはっきりと認識されていることでも明らかです。