醍醐寺の枝垂れ桜
秀吉と醍醐寺(だいごじ)といえば「醍醐の花見」が知られています。
この花見は《北野大茶会》とは違って、内々のみで行われ、伏見城から醍醐寺まで柵が設けられ、一般の人々は見ることができない花見でした。
《北野大茶会=きたのおおちゃのゆ》は、天正15年10月1日に京都北野天満宮境内において、豊臣秀吉が催した大規模な茶会のこと。
醍醐寺の花見は、経済的にも京都を潤す目的があったともされ、秀吉なりの考えが色々とあったのではないかと言われています。
一方でその頃(1592年〜1598年)の秀吉は朝鮮出兵を行っていて、多くの武将たちは故郷を離れ戦っていたという事実もある。
さまざまな人々が大変苦しんでいた最中で、花見という遊興にふけっていた事に対し、賛否があったことも事実だろう。
京都伏見の醍醐寺は世界遺産としても知られる。
その広大な境内の中に秀吉ゆかりの枝垂れ桜はあります。
430年ほど前の昔、豊臣秀吉が近隣諸国からおよそ700本もの桜を集めて醍醐寺の花見を催した。
その時の子孫と言われる枝垂れ桜も樹勢の衰えを見せるようになっていました。
醍醐寺は枝垂れ桜をなんとかして後世に伝えたい、住友林業緑化にその相談があったのは1997年のことでした。
桜の治療や樹勢を回復されると同時に、若い後継樹を育てなければならない。
そこでバイオテクノロジーを用いて、枝垂れ桜のクローン作りに取り組むことになった。
住友林業筑波研究所で、組織培養という手法で、桜の芽の先端にあるほんの数ミリの組織だけを取り出し、特殊な培養液が入った試験管の中で殖やす試みが始まりました。
言葉で殖やすというのは簡単ですが、枝垂れ桜は少しでも培養液の成分が気に入らないとすぐ枯れてしまいます。
少しずつ培養液の成分を変え、試行錯誤を繰り返しながら2000年の暮れに、組織培養による枝垂れ桜クローン化の世界初となる、成功事例となりました。
クローン苗は高さ20㌢、花をつけ始めたのは、2004年3月でした。
花を付けたのは約600本のクローン桜のうち4本で、いずれも樹高5m程度で、薄いピンク色の花を咲かせました。
総本山醍醐寺は、東日本大震災後の平成24年(2012年)から、住友林業と京都放送(KBC京都)と共同で、『京の杜プロジェクト~桜がつなぐ架け橋~』に取り組んでいます。
クローン桜の苗が全国各地に寄贈された。
❉秀吉ゆかりの枝垂れ桜
所在地=世界文化遺産 京都醍醐寺
京都市伏見区醍醐東大路町22
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