緑のお医者の徒然植物記

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2025/06/22

政府軍部の暴走戦争 No.763

 戦争は軍部の暴走から始まる


多くの国民や他国民を犠牲にした太平洋戦争は、政府特に軍部が自らの判断で戦争を拡大させ、国家や国民の意思を無視し、異なる方向へ進んだ悲劇である。

昭和天皇は即位直後から軍部の暴走に苦悩していたとされ、軍部の独走を止められなかった事が後の戦争へと繋がったと、昭和天皇実録に記されています。

1937年から1945年の日中戦争は、次第に泥沼化し、最終的には太平洋戦争へと発展して行った。

軍部の独走によって、多くの犠牲者が出る戦争へと拡大したのです。

戦前の日本は形式上立憲君主制でしたが、実際には天皇が強い権限を持っていたとする見方と、天皇はあくまで象徴であり、実際の決定は政府や軍部が行っていたする見方があります。

昭和天皇の戦争責任を巡る議論は、多角的な視点からの検討が必要であり、未だに結論が出ていない問題とされています。

戦後80年が過ぎたことを思えば、その結論が出ることはないのかも知れません。

日本の戦争首謀者は東條英機(政治家)とされ、昭和天皇が裁かれなかったのは主に、アメリカの占領政策上の判断によるもので、天皇の存在を温存し、利用する目的があったからとされています。

アメリカは天皇を象徴として利用することで、日本国民の支持を得やすく、スムーズに占領政策の遂行が可能になると判断したとされています。

天皇を戦争責任者として裁けば国民の反発を招き、占領政策が困難になる恐れがあったと言われています。

第二次世界大戦後の日本を占領した、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥は、天皇を戦争責任者として裁くことに反対し、不起訴とするよう強く主張しました。

マッカーサー元帥は、政治的な道具として天皇を利用することを考えいた。

その自身の考えに反すると考え、マッカーサー元帥は天皇を裁くことに反対したのです。

これらの理由から昭和天皇は、東京裁判で裁かれることなく、戦争責任を問われることもなかったのです。


天皇に威厳があったかどうかは分からないが、軍部の暴走が戦争拡大を招いたのは間違いない事だろう。

軍部の暴走を思う時、これから先自衛隊が米軍と共に暴走しない事を願わずにはいられない。










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