緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/03/27

メタセコイア命名80年企画展 No,417-1

 生きている化石  メタセコイア

「生きている化石」と呼ばれるヒノキ科の針葉樹「メタセコイア」

植物学者三木茂博士によって命名されて80年を迎えた企画展が、東京、上野の国立科学博物館で4月4日まで開かれている。


1941年の命名当初、化石しか発見されていなかったため、絶滅危惧種とされていました。

しかしその後、1945年に中国で自生種が発見され、戦後、日本に導入され現在では身近な落葉樹で黄葉の季節には人々の目を癒やし、賑わう名所も全国各地にある。




企画展では、発見の物語や、かつて北半球の広い範囲に分布したメタセコイアが日本から姿を消し、アジアの一部地域だけに残った謎を紹介しています。


✣メタセコイア関連ブログ
メタセコイア化石の木 No,359






2021/03/26

地球上での植物の役割り No,416

 地球上での植物の役割り

樹木や草花などの植物は、非常に高い山の峰や北極、南極などの極地を除いて自然界のほとんど、あらゆる所に育ちそれぞれの寿命に従って、生性生殖、栄養生殖など様々な方法で子孫を残して死んで行きます。

その死骸は自然の生態系の中で、地中の小動物や菌類などによって分解され、生きている植物を育てる栄養源となります。

植物は以上のようなサイクルで一生を終えますが、その生育の過程で人間を始め、地球上のすべての動物の生活に様々な恵みを与えてくれている。




✿光合成による恵み 
植物は光合成という働きを通じて、地球上のあらゆる生命体が生きていく上で、絶対に必要なエネルギー(源デンプンなどの糖)を作り出してくれています。

糖は植物自体を成長させる栄養源ですが、同時に植物体に含まれる当分は形を変えて菌類、虫、小動物や草食動物及び人間の栄養源ともなります。

同じ光合成によって二酸化炭素を吸収し、酸素を作り出します。

動物は大気を浄化して美しい空気を供給してくれるのです。

成長した樹木は材木として、人間の生活に無くてはならない道具や住居の材料を提供してくれます。

また、情報社会を支える紙の原料にもなります。

植物は乾燥して燃料の焚き木として利用されます。

また、現代文明の発達に必要不可欠である石油、石炭などの化石燃料は、植物や動物の死骸から長い年月をかけて作られてきたものです。

✿森、森林の恵み、役割り

天然ダムと言われる森林は、豊富な水を蓄えて洪水を防ぐいだり、雨水が地中に浸透するのを助けたりしています。

また、山崩れや土砂の流出を防ぐ働きをしてくれます。

樹木や草花は人間にやすらぎを与えてくれます。

色とりどりの花や春の新緑、秋の紅葉は目を楽しませてくれます。

森林浴は、人間の心を爽やかにしてくれるものです。

もしかしたら動物たちにも、、、そう思います。

原生林は自然が長い時間をかけて蓄積してきた財産です。

現在、開発のためや樹木の利用のために急激に伐採が進んでいますが、一度伐採してしまうと同様の森林資源を得るためには未来へ向けて同じだけの時間が必要です。

全地球規模で環境問題の一つとなっている二酸化炭素による温暖化現象は、化石燃料の燃焼だけでなく、地球上の森林の減少も大きな原因となっていると言われています。

豊かな緑の環境は、私達が健康で快適な生活を送るためになくてはならないものです。

このように大切な緑を守り育てる事が、今ほど重要になっている時代はなかったでしょう。

子どもたちに美しい自然を残してやるために、樹木や草花に愛情を持って接してほしいものです。








2021/03/25

アセロラ No,415

 アセロラ   キントラノオ科     常緑小低木

別名=バルバドチェリー、西インドチェリー

原産地=アメリカ南部からカリブ海の諸島、南アメリカ北部

カリブ海に浮かぶ西インド諸島では、遥か昔から食べられていたとされる。

15世紀の頃に、スペイン人やイギリス人によって世界に広がって行った。

15世紀とは、いわゆる大航海時代のことである。
ヨーロッパ人によるアフリカ、アジア、アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代である。

15世紀中から17世紀中まで続いたとされ、主にポルトガルとスペインにより行われた。

いわゆるアメリカ大陸を発見した時代を言う。


日本へは、沖縄がアメリカの統治下にあった1958年に、ヘンリー仲宗根さんが8本のアセロラの挿し木を持ち込んだ事が、アセロラ栽培の始まりでした。

戦後の沖縄復興のため、彼はアセロラの他にもパパイヤやパインなど、6つの果実種を持ち込みました。

しかし、アセロラは栽培方法が難しく、果実が熟しても日持ちがしないなどいつしか忘れ去られていた植物でした。

その後、研究の果てにアセロラの効能が注目され、本格的に栽培されることになり、その効能が知れ渡って行ったのです。

✻ヘンリー仲宗根
のちに沖縄熱帯果樹の父と呼ばれたヘンリー仲宗根は1947〜1948年に当時の琉球政府からの要請で来日し、以来、政府の委託を受けて沖縄に熱帯果樹、花木、野菜の普及促進に尽力した。

持ち込んだ8本の挿し木を、名護農業試験場に植えたのが始まりとされる。

✿アセロラの効能

ビタミンCを摂取することで、コラーゲンの減少を防ぎ、肌を美しく保ってくれます。

アセロラに含まれるポリフェノールの一種のアントシアニンは活性酸素を除去するが、強い抗酸化作用があります。

そのため、活性酸素が多量に発生すると生じやすい日焼け、しみ、そばかすを防いでくれます。

ナトリウムの排出を促進するカリウムも比較的多く含まれ、高血圧や動脈硬化、脳梗塞や心筋梗塞の予防効果にも期待できる。





✿果実

果実はビタミンCに富み、アセロラ飲料としても知られています。

甘酸っぱく、生食でき、飲料の他にジャムやシャーベットなどに利用されます。

果実は初め緑色で熟すと赤くなりますが、熟した果実は日持ちが悪く、フルーツショップなどでも見かける事があまりありません。


✣樹形

常緑樹で大きくなっても5㍍くらいで、枝は細長く垂れ下がる傾向があります。

葉は対生、長さ2〜7cm程で先が少し尖る楕円形、あるいは披針形で全縁。
表面は濃い緑色で光沢がある。


✿花

雌雄同株の花は淡紅色で、花腋から散形状に3〜5個ずつ着きます。
原産地では年に5回程度の開花が見られる。

✻生育環境、植栽

果実の収穫を獲るには、日当たりの良い事が大切です。
土壌は水はけが良ければあまり選びません。

乾燥には強い方である。

刈り込んだ整形的な利用もできますが、果実や花は少なくなります。

風当たりの強い所では、葉や樹形が乱れ、傷みやすいので風よけが必要です。

目安として0℃以上であれば越冬できますが、0℃以下になる所では温室や日当たりがある室内に取り込み管理します。

結実を確実的にさせるには、開花した花にその日の内にジベレリン(植物ホルモン)を散布します。

(50〜1000ppm)=50㎎〜1000㎎を散布。

✻水1㍑辺り
ppm                         %                           mg

1ppm                       0.0001 %                  1mg
10ppm                     0.001%                      10mg
100ppm                   0.01%                       100mg
1000ppm                 0.1%                         1000mg


✻せん定

果実を結実させるには、枝が込み過ぎないように細長い枝を切り戻します。

花は当年枝の葉腋に着くので果実を実らせるためには、新しい枝を切り詰め過ぎない事が大切です。

✫殖やし方

挿し木が主体ですが実生は初芽率がよくありません。


✻病害虫

主な病気では古い葉に黒い斑点ができるウイルスによる、炭疽病(たんそびょう)がありますが、ジネブ剤やトッブジンM水和剤などを散布し防除します。

✻害虫
カイガラムシ類、ネコブセンチュウなどが発生することがあります。
カイガラムシ類は冬期にマシン油乳剤を散布し防除します。
被害数が少なければ剥ぎ取って捕殺する。

❆ネコブセンチュウについては別枠で記しています。

ネコブセンチュウ(土壌線虫)No,411-1






2021/03/24

府馬の大クス No,414

 府馬の大クス

黒部川沿いの標高47㍍の✣丘陵地にある宇賀神社の、鳥居を潜った右側に大クスの巨樹はある。

✣丘陵地(きゅうりょうち)とは、多数の丘が連続して存在している所で、地形学では高度や起伏が山より小さく、台地より大きいものを指す。

国指定の天然記念物として指定されたのは大正15年10月20日の事で、当時はクスノキとして登録されたが昭和44年の文化財新規専門委員による調査で、クスノキではなくタブノキであることが明らかになりました。

樹齢は明らかではないが1300年とも1500年とも言われ、幹の太さや高さはタブノキとしては国内最大級の大きさである。




樹の根際には正德元年(1711年)の銘が刻まれた石柱が樹木によって覆い尽くされる形で見える。

正德時代は1711年から1716年までの期間を指し、江戸幕府将軍は徳川家宣、徳川家継の時代である。

その当時は府馬城が有ったとされる。


 

奥に見えるのが主幹で手前の幹は枝だったもの

主幹から北側に約7㍍離れた位置にある幹は、枝が地上に垂れ下がりやがて根を張り成長したもので、大クスと繋がっていた枝(幹)は小グスと呼ばれる。

以前主幹と繋がっていたであろう枝は、長い時の流れとともに腐ってなくなってしまった。

説明されなければ枝だった事にも全く気づかないことだが、それだけこの大クスがいか巨木だったか伺い知れる。


                           「宇賀神社」

関東地方にはタブノキの巨木が多く茨城県の波崎の大タブ、東京都の古 里附のイヌグス、埼玉県の滝の人のタブノキなどがある。




 
✿府馬の大クス
所在地=千葉県香取市府馬2395
宇賀神社







2021/03/23

椿油と五島うどんのルーツ No,413

 椿油と五島うどんのルーツ

「椿油」はツバキ科の「ヤブツバキ」の種子から採取される植物性油脂である。

ユチャ、チャノキの種子から取れた油など、ヤブツバキ以外のツバキ属の種子から採取された「椿油」は椿油とは区別する意味で産業界では「カメリア油」と呼ばれます。

不乾性油

酸化されにくい「オレイン酸」を多く含むため、他の食用の油脂に比べて、酸化されにくく固まりにくい性質を持つ。

椿油の利用としての歴史は古く、✣「続日本紀」には777年✫渤海国の使いが帰る時に海石榴(つばき)油を所望したので、贈ったとする記述がある。

✣続日本紀(しょくにほんぎ)とは、平安時代初期に✻編纂された
勅撰史書、略称は続紀(しょっき)

✻編纂(へんさん)とは、材料を集めて本にまとめる事。

✫渤海国=(ぼっかいこく)とは、現中国東北部から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけてかつて存在した国家のこと。

★ヤブツバキ(藪椿)

日本の代表的原料植物で、伊豆大島や利島、伊豆、な長崎県五島列島の福江市、佐渡島の物が有名。



                    「ヤブツバキ」



✫サザンカ(山茶花)

長崎県諫早地方では、ヤブツバキよりサザンカの種子から採油するのが一般的で、この地方ではツバキ類の種実を「カタシ実」、サザンカのことを「ヒメカタシ」と呼ぶので椿油を「カタシ油」と呼びます。


✪ユチャ=英名(油茶)

中国の代表的原料植物。
湖南省、江西省、広西省などで生産されている。

中国では炒め油に使うほか、医薬品の原料としても使われる。

✫チャノキ(茶之木)

飲用にするチャノキだが、中国では種から搾油(さくゆ)にも使用されている。

✿搾油製法

✫圧搾(あっさく)
加圧によって種子から液状の油分を分離する製法で、本来の味や成分がより保持される。
コールドプレスともいう。

✻溶剤抽出
粉砕した種子と有機溶剤を混ぜて、油分を溶剤に溶かし込んで後に、蒸留して溶剤を再分離させる。

圧搾よりも効果よく搾油することができる。

いずれも粗油を得た後、精製工程を経て精製品となる。


✿五島うどんのルーツ

自ら中国に渡って調査された、旧上五島町の教育長を務めた吉村政徳氏によれば、中国には400もの麺の種類があるそうです。

折江省温州市近郊の永嘉県に索麺(さくめん)と言う麺がある。

この麺の製法が「五島うどん」と何から何まで同じである。
その地域はうどんを作らない家庭がないほど、村全体がうどんの里という感じで気候も五島と非常に近い。

大陸から伝わった麺は、中通島の現新上五島町船崎という地区から広まり、現在の五島うどんになりました。


うどん博士で知られる国学院大学の加藤有次名誉教授は、うどんは中国から遣唐使船が伝え、その製法は五島から全国に広まったこと、そしてそのルーツは中国の「索麺」にあると言っていたという。

加藤氏は自ら中国に渡り調べていたのです。

遣唐使の時代といえば、7世紀から9世紀の頃になりますが、今から千年以上前から、五島の人はうどんを作っていた事になります。

中国からやって来る遣唐使船には、一艘に何百人もの人が乗っており、大陸の文化が寄港地である五島にもたらされたと言うのは、ごく自然の流れである。

大陸の食文化が五島へ1番に伝わるという事は決して不思議ではありません。

五島には古くからうどんがありました。

うどん造りの工程で「椿油」を使うのが、五島うどんの特徴ですがそれは五島の人の間だけで食べられていました。

麺の特性から他の地には広まりにくかったのです。

これが「幻のうどん」と呼ばれる由縁である。

日本を代表するうどんとしては、讃岐うどん(香川)、稲庭うどん(秋田)、水沢うどん(群馬)が有名ですが、五島うどんを「日本三大うどん」のひとつにあげる声もあります。

しかし、どのうどんを「三大」に数えるのかはちゃんとした定義もありません。

うどんに関する研究はまだ途中段階で、発祥地を限定するには至っていません。

この事を小生は7年前に記していますが、明らかになったのか不明である。

古き時代に思いを馳せ、うどんを食べてみるのも良いかもしれません。




◉加藤有次国学院大学名誉教授
うどん博士、植物館学の第一人者。
2003年11月11日永眠  享年71歳

うどん博士と呼ばれたのは、うどんの歴史研究を学問的に追求されたり、全国各地のうどんの文化を紹介したりと功績が大きい。

また、うどん打ちを生涯のテーマとし、武蔵野手打ちうどん保存普及会(会長)を結成して、地元小平市を中心に手打ちうどん講習会を続けられた。

著書には「男のうどん学」「わが家はうどん主義」などがある。













船崎地区には現在の集落より北側にも集落(樽見)があった。

約45年前頃に道は途絶えた。

子どもの頃、立ち入る事はできなかったが、近くで船崎の同級生(貞司)と遊んだ思い出が懐かしい。

船崎には現在も五島うどんの製麺所(犬塚製麺所)がある。

同級生に犬塚初美と橋口貞司がいた。






✿五島うどん発祥地

長崎県南松浦郡新上五島町船崎













2021/03/22

フサザクラ No,412

 フサザクラ     フサザクラ科    落葉高木

別名=タニグワ、コウヤマンサク、サワグワ
総桜、房桜

ヒマラヤ、中国、日本に3種が分布する。
分布=本州、四国、九州、日本固有 1科1属

パイオニア植物のひとつで、谷筋や崩壊地、やせ地、山地の沢沿いなどの湿り気の多い場所に多く生える。

生長が早く、萌芽によって個体を維持し続ける。

葉が桑の葉に似ている事から、タニグワなどのクワのつく地方名が多い。

ヤマグルマやカツラ科などと類縁関係があり、花の様子が似ている。




花、果実

3月に山歩きをすると沢沿いに暗紅色の裸花が目を引く。
花の後の編円形の大きな葉も清々しい。

両性花で雌しべも多いが雄しべが特に目立つ花である。

葉が出る前に開花し、花には花弁がなく赤い雄しべが房のように垂れ下がる。

短枝の先に5〜12個の花が集まって咲く。
花が散ってから忘れた頃に葉が伸び出してくる。

果実は翼果で10月頃、黄褐色に熟すと風によって飛ばされる。
翼果の中には種子が1個入っている。 


肥料

寒肥として油かす、鶏ふん、化成肥料などを与える。

せん定

萌芽力もあるが、野趣を重んじて、湿り気の多い所で自然仕立ての方が向いている。
日当たりが良くても半日陰でも十分育つ。

✫種類
葉の裏が粉を吹いたような白い色をしている、ウラジロフサザクラの品種が本州に産している。



花には花弁がなく赤い雄しべが目立つ。