緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/03/31

ケヤキ 巨樹 No,421

 ケヤキ ニレ科 落葉高木

別名=ツキ

本州、四国、九州、朝鮮半島、中国、台湾に分布する。

各地に天然記念物に指定された巨樹や名木がある。

日本一とされるのは山形県東根市の大ケヤキで、高さ25㍍、幹周り12.6㍍あり、樹齢1500年以上と言われている。

丘陵地や山地、川岸、海岸のなどの水辺に多く自生する。

公園や街路樹として多く植えられていますが、枝が横に張り出さないほっそりしたホウキ状の樹形になる「むさしの1号」という品種は、スペースを取らないので街路樹などに利用されている。

屋敷の周りに防風、防火樹として植えられ建築材としても利用された他、お盆、漆器の木地、家具や楽器、彫刻材として利用されている。

また、桃山時代から江戸時代には社寺の建築材としても使われていました。




✣生育環境

肥沃な深層土が適し、水はけの良いことが感じんです。
感想を嫌うので注意が必要です。

風には強いが、大気汚染や潮風に弱い傾向がある。

✻肥料

油かす、鶏ふん、化成肥料などを寒肥として施す。

✫雌雄同株で、4月から5月頃に葉の展開と同時に開花する。

若木な葉は成木に比べて大きい。

✿殖やし方

実生と接ぎ木で殖やせる。
種子を秋に採取し、適度に乾燥させて保存した後、翌春に播きます。
播く前にベンレート消毒をするとよい。

✣種類

葉の表面や裏面、葉柄に毛が密生するものをメゲヤキといい、日本海側に多く分布する。

枝が枝垂れるものをシダレケヤキといい、まれに見られる。

その他に、葉に斑が入る斑入りケヤキもある。





✻東根の大ケヤキ (樹齢1500年以上)
1957年(昭和32年9月11日)に国指定特別天然記念物に指定された。
南北朝時代1347年頃、小田島長義が築いた東根城内に植栽されていたものとされる。

山形県東根市本丸北1丁目1-1
所在施設=東根市立東根小学校



                「群馬県、原町の大ケヤキ」


厳しい環境の中で樹勢が衰え続けた結果、現在の姿は昔の面影もない状態となってしまった。


                  「元気だった頃の原町の大ケヤキ」




              「山梨県、三恵の大ケヤキ」

✿東根の大ケヤキ、原町の大ケヤキ、三恵の大ケヤキは日本三大ケヤキと称されている。







2021/03/30

マグワ 桑の木 No,420

 マグワ クワ科 落葉高木

原産地=中国  別名=ヤマグワ、ササクワ

養蚕(ようさん)用にカイコに葉を食べさせるため、栽培されていたものが放置されやがて野生化した。

養蚕の歴史は古く、中国の黄河や揚子江流域で野生のクワコを家畜化したのが始まりと言われている。

今から5千年から6千年も前の事である。




初めは中国の宮廷内だけで秘密に行われていた養蚕も、紀元前千年前くらいになると、一般の農家にも養蚕を行わせるようになりました。


絹織物は異民族を支配するための褒美として使われ、絹の魅力は中近東へ拡がり、そしてローマで広まって行きやがて、この交易ルートが「シルクロード」絹の道と言われ、文化の交流に多くの役割を果たしました。


日本への養蚕技術が伝わったのは紀元前200年くらいで、稲作と一緒に中国から移住者(日本人の祖先の一つ)が伝えたと言われています。


その後養蚕は長い時代を経て発展し、1900年頃に日本は中国を抜いて、世界一の製糸輸出国となった。

日本の最大の輸出先はアメリカでした。
輸出で稼いだお金で、近代化の為の機械などを買っていた。

1929年、アメリカから広がった世界恐慌により、製糸が売れなくなった。

1940年には、最大の輸出先であるアメリカでナイロンが使われるようになり、その後その影響により低価格で、大量生産ができる化学繊維が開発されて行く。

48年前の頃には、農協の事業として養蚕、繭、製糸が行われていた所もあったが、その事業も無くなり、いつしか桑畑も消えてしまった。

そんな子ども頃の記憶が小生には残っている。

桑の実は子ども頃のおやつだった。


✿生育環境

土質はあまり選ばないが、日当たりの良い土地でも陰地でも育つ。

移植は3月頃と11月頃に行い、大きな木には根回しが必要で細根を出してから移植する。

鉢植えは、冬に防寒をした方が良い。

栽培すると実も葉も大きくなる傾向がある。
せん定は2月から3月頃に、強く刈り込んでも耐える。

✻肥料

冬期に油かす、鶏ふん、化成肥料を施す。

✣開花、果実

4月〜5月にかけて淡黄緑色の小花が穂状に咲く。

6月〜8月頃に赤色から次第に黒紫色になって熟す。
生食、ジャムなどに利用する。

✻害虫はアメリカシロヒトリ、ハマキムシの被害を受ける。
ディプレックスなどの薬剤散布で駆除する。

✿種類

観賞用にホソバグワ、フイリグワ、永稿フクログワ
盆栽用にヒメグワ
街路樹にトウグワなどがある。








2021/03/29

ネコヤナギ No,419

 ネコヤナギ      ヤナギ科 ヤナギ属

別名=タニガワヤナギ  猫柳  落葉低木

北海道、本州、四国、九州、ウスリー、朝鮮半島、中国東北部
に分布する。

ふっくらとした花穂を、猫の尻尾に例えて名付けられたと言われている。

各地方にコロコロ、チンコロ、ネコニャンニャンなど猫や犬に例えた可愛らしい方言名がある。

山野の水辺に最も普通に見ることができる柳で、小川から渓流まで様々な環境の水辺に生えることが多い。

ヤナギ科の植物はすべて雌雄異株で、雄株と雌株があり、それぞれに雄花と雌花を咲かせます。

ネコヤナギには、枝が立つ株立性(直立)と這う匍匐性(ほふくせい)のものがあります。

直立するものは高さ3㍍程になる。

特に土質は選ばず、どんな所でも比較的容易に育つが、湿地を好むことから乾燥を嫌う。





✫開花

2月から3月頃に白い絹毛を密生した花穂をつける。
雄花は黄色、雌花は白色

ヤマナラシ属、ケショウヤナギ属以外はすべて虫媒花で、花に腺体がある。

花が咲き、散ったあとから葉がでてくる。
種類によって葉の展開時期が異なる。

✻種類

クロメヤナギ(花穂毛が黒)、マガタマヤナギ(葉が巻く)
フイリネコヤナギなど数多くの種類がある。

ヤナギ科は世界に4属550種ほどあり、✫種間雑種が非常に多い。

✫種間雑種
種とは形態や生態が似通った一群を種という。
種と他の種は原則として交雑できないとされるが、しかし同属の種の組合せ(交雑)によって雑種ができる場合がある。


✪せん定

3月頃、開花後に強剪定しても良いので、高さを保つように徒長枝は6月に半分から3分の2、切り落とします。

✻肥料

よく育つが2月から3月頃に少量の有機肥料を施す。
与え過ぎると枝が伸び過ぎるので控えめにします。

✣病気

ウドン粉病が発生する事がある。
発生初期にベンレート水和剤を散布する。


ネコヤナギは庭に植えてはいけない?
ネコヤナギはあの世とこの世を繋ぐと言う事で「縁起でもない」とされている。

庭に植えることで、霊界への入り口を作ってしまうからとする迷信的な事が言われています。

昔、柳の枝でお盆に使うお箸を作っていたとされる事にも関係するのだろう。

柳の木の向こうにはあの世があったとされる。

庭に植えてはいけないとされる樹木には、竹のように地下茎根で殖える植物、ゆずのように強いトゲがある木、高木と呼ばれ大木になる樹木、桜のように虫を呼び寄せる花木、アイビー(ヘデラ)のようなツル性植物などありますが、つまり、管理が大変である事や育てる上で殖え過ぎたりして、手がつけられない状態になってしまうからではないだろうか。

管理が出来ない人にしてみれば、庭に何かを植えたとしても、管理できないので植えたいと思わない。

植えてはいけない、縁起のない悪い木になってしまいます。

風水や家相方位学を除けば、そういう事になるのではないでしょうか。





2021/03/28

海を渡ったウバメガシ No,418

 ウバメガシ ブナ科  常緑高木

別名=イマメガシ、ウマメガシ

本州(神奈川県以西の太平洋側)四国、九州、沖縄、中国、台湾
「姥目樫」

海岸の岩場や沿海の山地に生える。

材は堅く硝子に傷をつけるほどで、その材質しから高級品と言われる備長炭の原料として利用され、炭は固くて火持ちが良い。

現在は、輸入品が多い。

多くの植物は染料植物として利用されることが多い中で、ウマメガシは魚網の染料の原料として使われていた。

理由として、染料が塩分に強いことからであるが、船艇の船底に赤く塗ってある塗料成分にも使われていたと思われる。

なぜ、船の船低の部分が赤いのかと言う事には、意味があって、トコブシなどがくっついてしまうと船の航行に支障が出るため、そうならないための成分が塗料の中に含まれているからなのです。


いずれは塗料が剥がれ落ちてくるので船の船低は、定期的にドック入りしてその赤い部分を塗り替えているのです。

これは余談ですが小生は、十代の頃巻き網漁船の甲板員でした。

このブログでは、ウマメガシの樹の物語?を紐解いて見たいと思います。

長崎県の五島列島、現新上五島町に「五島青方のウバメガシ」と言う天然記念物があります。


                     「五島青方のウバメガシ」

昭和53年8月22日、長崎県指定天然記念物に指定。

このウバメガシの説明によれば、3百数十年前に紀州の漁民が青方(あおかた)に移住する際、紀州から移植したものと伝えられていると記されている。

紀州から(1597年)持参してこの地に植えた人物は法村氏、道津氏とされている、同級生にどちらの苗字もいます。

ウバメガシは漁具材に利用する目的で植えられたとされている、しかしそれだけだったのかと疑問を呈したい。

何故なら、このウバメガシは他の場所に見当たらない。

他の場所にたくさんあっても不思議でないと思うのです。

絶えてしまう様な環境地ではないはずです。

このウバメガシがその時代を物語るシンボルとして、大事にされてきた事は間違いない事だと思います。

もしも取り残されたウバメガシが他にも、植えられ存在するならば、老樹となっていることだろう。

ウバメガシは地元紀州では、「紀州ガシ」の名で知られ、現在では和歌山県の県木となっている。

五島には自生しないウバメガシの樹が、五島青方に植えられたのは
何かしらの証を後世に、残したかったのではないかとも思います。

当時の時代まで遡ると五島列島の捕鯨に辿り着きます。

五島列島はその昔、捕鯨で賑わった島でした。

子どもの頃、(1970年)三王山の麓にクジラのアゴの骨の鳥居がありました。(ナガスクジラ)

その骨にはヤリでついた跡がいくつもついていましたが、当時の捕獲は突き取りだった事が、古い文献からも分かります。

その鳥居は今はそこにありません。
いつ、無くなってしまったのか、人の目にもあまりふれない山の麓にあった鳥居は、1990年にはすでにありませんでした。




五島列島の捕鯨の歴史は古く、1626年に有川村の名主、江口甚左衛門正明と紀州古座三郎太郎が鯨組を組織し、鯨漁を行ったのが始まりだとされています。

江口甚左衛門正明かを有川湾で捕鯨を始めたのは1598年の事です。

紀州古座三郎太郎は和歌山県古座村出身と考えられ、青方のウバメガシが青方の地に植えられた時代と当てはまってきます。

紀州からウバメガシを移植したとされる漁民は、捕鯨を行う漁民だったに違いありません。


どんな思いでウバメガシを植えたのだろう。

もし、自らがその時代に居たならば想像ができる事なのかもれ知れません。

思いを馳せ、五島の地に植えた人の思いは叶えられたのかも知れません。

青方ウバメガシがある大曽地区の坂道を登りつめると、船崎の海水浴場が左手に見えてくる。

下り坂の向こうには、五島うどんの発祥地である船崎地区が見えてくる。

五島の捕鯨の長い歴史は現在も受け継がれ、五島列島の文化として残っている。

捕鯨文化の歴史は水産庁により、歴史的文化財の中でも「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選ばれるほど、歴史的価値も高く珍しいものとなっています。





おりしも数日前、小生は和歌山県古座川で100年ぶりに新種のサクラが見つかり認定された事を書いていました。


 五島列島と紀州が捕鯨で繋がっていた事も知らずに、、これは不思議な事で、何らかの導きだったに違いありません。


✿五島青方のウバメガシ
所在地=長崎県南松浦郡新上五島町青方郷2329
大曽=恵比寿神社のそば















2021/03/27

クスノキ No,417

クスノキ クスノキ科       常緑高木

別名=クス  楠、樟

本州(関東地方以西)四国、九州の暖地に分布するが、古くから植えられたために真の自生範囲が明確ではない。

アジアの熱帯から温帯に広く分布し、32属250種ほどが知られている。




環境庁のデータによるとスギの巨木は1万3千本、クスノキは5千本で数では杉の木に負けるが、一対一ならクスノキに軍配が上がる。

葉や樹皮を防虫剤の樟脳の原料として利用するために、かつては植林もされた。

材は、家具材、彫刻材などに利用される有用な樹種が多い。

大木になる代表的な木で、古くから神社などに植えられ、天然記念物に指定された銘木や巨木、老樹も各地に多くある。

樹高は、40〜50㍍以上で径2〜7㍍以上にも達する常緑樹で、葉は互生し薄い革質で表面に光沢があり、葉をちぎると特に強い芳香がある。

これは、昆虫等から食害されないための防衛と考えられる。

5月から6月にかけて錐花序を出し、はじめは白色の淡黄色となる小花をつける。

花は広い鐘形で6裂し、雌しべ1、雄しべ2を持つ、果実は径8㍉程の球形で11〜12月に黒く熟す。

耐寒性に劣るが、暖かい日当たりの良い土地を好む。

変種に葉の丸い「マルバクス」がある。

✻肥料
寒肥として化成肥料、油かすを施す。


✿代表的な銘木

日本最大の「蒲生の大クス」
鹿児島県蒲生町上久徳2259-1





福岡県新宮町立花口
国の特別天然記念物
「立花山クスノキ原始林」



旅の思い出のひとつに、巨木を訪ねる旅はいかがですか。

もしかしたらパワーを貰えるかも、、、知れません🙆






メタセコイア命名80年企画展 No,417-1

 生きている化石  メタセコイア

「生きている化石」と呼ばれるヒノキ科の針葉樹「メタセコイア」

植物学者三木茂博士によって命名されて80年を迎えた企画展が、東京、上野の国立科学博物館で4月4日まで開かれている。


1941年の命名当初、化石しか発見されていなかったため、絶滅危惧種とされていました。

しかしその後、1945年に中国で自生種が発見され、戦後、日本に導入され現在では身近な落葉樹で黄葉の季節には人々の目を癒やし、賑わう名所も全国各地にある。




企画展では、発見の物語や、かつて北半球の広い範囲に分布したメタセコイアが日本から姿を消し、アジアの一部地域だけに残った謎を紹介しています。


✣メタセコイア関連ブログ
メタセコイア化石の木 No,359