緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

検索結果

2021/06/29

コナラ No,511

 コナラ ブナ科 「小楢」

別名=ハハソ、ホウソ、ナラ

北海道から九州、朝鮮半島などの山地や丘陵地に分布する常緑及び落葉高木で稀に低木。


雑木林の代表的な樹の1つで、かつての日本の山里ではごく普通の木だったが、最近では雑木林そのものが少なくなってしまった。

春の新緑は一日ごとに微妙に色を変え芽吹く。

日当たりの良い山野に生え、樹高は15㍍程になるが、大きいものは25㍍以上に達する。

コナラの(コ)は小さいという意味ですが、類似種のミズナラをオオナラと呼ぶのに対したもので、山地では径が1㍍近いものも見られる。

類似種のミズナラは葉が大きく、葉柄が短く無いように見えるので区別できる。

秋の最後を締めくくるかのように、渋く紅葉しハラハラと散る。

若木のうちは紅葉しますが、成木では紅葉せずに褐色になった葉が、春まで残ることがある。

かつては薪炭材として利用し、里山には豊かな自然が維持されていた。

椎茸栽培のほだ木として使われている。
材質は堅いがミズナラより評価は低い。

かつては葉を集めて堆肥にし、水田の肥料にした。

葉、果実、樹皮を煮出して染色に使う。

東アジアの常緑広葉樹林や北半球の落葉広葉樹林では、コナラ属の樹林が優占種となる。




開花期

雌雄同株で開花は4月から5月、枝先に尾状の雄花が数本、基部に目立たない雌花が数個つきます。


果実

ドングリと呼ばれる長楕円形の堅果で、緑色から秋に褐色に熟して落下する。

堅果がその年の秋に熟すものと、翌年の秋に熟すものがある。

帽子の様に見える部分は殻斗(かくと)と呼び、水平のしま模様を見せることが特徴です。

葉が紅葉する少し前頃に、殻斗から離れてドングリだけが落下する。


生育環境

適度に保水性があり、また水はけが良ければ土質は選びません。

日当たりは半日陰ぐらいまでであれば良好に育ちます。

自然樹形が基本で、雑木林風の植え込みや、和風の石組み、灯籠などと組み合わせた単木での利用に適します。

コナラの効能

樹皮、葉ともに下痢止めや解毒作用、止血、打ち身などに効果があり、漢方処方では樹皮が配合利用されている。


主なコナラの天然記念物


長野県松本市波田4751
県指定天然記念物
波多神社のコナラ


山梨市三富川浦1818-252
市指定天然記念物
広瀬のコナラ


大分県竹田市久住町久住
市指定天然記念物
平木のコナラ

広島県東城町小奴可
県指定天然記念物
板井谷のコナラ

山梨県笛吹市境川町小山1027
市指定天然記念物
小山若宮神社のコナラ





2021/06/28

巨人、人魚、ゴリラ岩、五島の不思議発見 No,510

 No,510に因んで五島の話


考古学で研究が禁じられている分野がある。


それはかつて、北アメリカ大陸で繁栄した巨人の研究である。

コロンブスによるアメリカ大陸発見以降、ヨーロッパ人によってアメリカ大陸が探索、開拓されてきたが、その過程でいくつかのピラミッド型の墓が発見されている。


その墓の中には巨人の骸骨が安置されていた。

巨人の骸骨の大きさは2.5〜4㍍のものまであったと言う。

発見者の中には、細部まで分析を行いレポートを発表する者もいたが、どう言う訳か黙殺されたという。

旧約聖書に登場する巨人族「ネフィリム」をはじめ、世界各地で「巨人伝説」が言い伝えられているが、この巨人の研究に取り組む者は少ない。


巨人研究の重要人物であるマイケル·デリンガー氏は、旧約聖書の「ネフィリム」の記述から、巨人に比べて我々人間は「バッタ」のような存在であることを指摘し、少なくとも4万年前までアフリカに巨人族が栄える超古代文明が、存在していたことを主張している。

なぜ巨人族が消えたのか、明らかにしようとしないのはおそらく、現人類の仕業に違いないかも知れない。





シマキットンの足跡

五島列島、今里の海岸には巨大な足跡が岩場に刻まれている。

島吉ドンと言う人もいるが、「シマキットン」と僕等は呼んでいた。





足跡は今里から小浜(おばま)へと向かう途中の海岸の岩場(赤丸印)にあり、潮が満ちると海水で見えにくくなる。

子どもの頃は、今里から小浜へ向かう為の道は無かった。

幼稚園の頃、夜中に今里から小浜まで山越えをした記憶が残っている。

その頃、左親指の爪を剥いでいた僕は包帯をしていた。

それ以来親指の爪が割れ爪になってしまった。

冬の寒い夜だった事をかすかに覚えている。

小浜の親戚の家に行く為に山越えしたが、理由など分かるはずもなかった。


足跡のある場所には子どもの頃、魚釣りでよく訪れていた。

波打ち際にその足跡はあり、長い年月を経て、少しずつ小さくなっている。

1970年頃には、まだ大きかったと思うが、その昔は畳2枚分の大きさがあったと言う。

足指の数が9本もあった事を覚えている。


シマキットンは今里から近い三王山(さんのうざん)で生まれたとされ、今里の海岸以外にも足跡が遺されていて、祝言島でも見たと兄たちは言っていた。

小漁師もやっていた親父と島に行った時に見たと言う。



     「シマキットンの足跡、対岸は跡次」


三王山の頂上から数百メートル下の所に大きな岩穴がある。

不気味で近づけない、そんな場所を横目に通り過ぎたものだった。

子どもの頃、三王山の周辺をはげ山にしたのは親父である。

山の木々を切り倒し、薪を売ったり、炭焼きをしていた。

小学2年の頃には、山仕事に駆り出されて、しょいこで物を運んだりしていた。

それが原因で背が伸びなかったと思う。貧しさのあまり栄養不足だった事もあるだろう。

もう一つは、小学校に入学したばかりの頃、一つ上の兄に尾てい骨を折られたからだろう。

それ以来、尾てい骨は折れたまま癒着して突起している。

その事で、器官に不具合が生じたまま生きてきた事は言うまでもない!




三王山周辺や佐野原の山々をハゲ山にした親父は、山々の至る所に炭焼き窯も造っている。

もしもその跡が発見されたなら、それは親父が作った炭焼き窯の跡です。

木々を切り倒し続けた親父の償いを僕は今、樹木に携わる形で行っているのかもしれない。

10歳頃までは、ランプ生活でガスなし、水道なし、テレビもないほぼ自給自足の生活だった。

おやつは自然の恵みによるもので、口の周りが真っ黒になるくらい山葡萄を食べたものです。

キウイフルーツに似た、無毛のコッポもよく食べた。

食べ過ぎると便秘になるが、美味だった。

コッポの正式名は「サルナシ」と言う。


                                   「サルナシ」


山仕事を手伝う事が多い中で、ゴリラの顔をした大きな岩があった。

「ゴリラ岩」と呼んでいたが、このゴリラ岩にロープでぶら下がった青年がいた。

その人は、家族ぐるみのお付き合いをしていた、山田さんちのお兄さん。

ゴリラの顔をした岩には、目も鼻も口もちゃんとあったと言う。

顔の長さは20㍍はあると言っていた事を覚えている。

ゴリラ岩の谷底の手前まで、木を切って行った時、ゴリラ岩を真正面から見てびっくりしたものです。

しかし、このゴリラ岩を知るものは少ない。

1990年、帰省の折に8ミリで撮ったテープには、ゴリラ岩が記録されている。





記憶によれば、赤丸印の辺りにゴリラ岩が見えていたと思う。

佐野原川上流へ向かった所、拓けた所に山田さんちがあった。

ゴリラ岩の山の方向には、大瀬良部落がある。

子どもの頃、夜中に道なき道を山越えして大瀬良に行った事があったが、怖かったという記憶は全く無い。





佐野原川に架かる橋、この橋は子どもの頃からの橋で、壊されないで残っているようだ。

橋を渡った左側には、大きな養鶏場があった。





4歳の頃、佐野原川に流されて助けてくれた白岩久四郎さんちがあった場所。

10歳の頃、白岩さんちは大型台風により破壊され、柱4本だけが残っている様子を、子どもたちだけで遠くから眺めていた。


その後、白岩さんちは車道側にお家を建てた。



                    「現在の白岩さんち」

滝壺の直前で救いあげられ、気を失っていた僕が、目を覚ましたのは数時間後だったと言う。

布団に寝かされていた僕を心配して家族がみていた。

過疎地で運命的に救われたのだった。

その時の記憶は今でも少し残っている。


              

  昔は橋はなかった。
この橋の真下に石渡りがあって、川の真ん中で、白岩さんちのお姉さんが足を滑らせ、おんぶしていた僕を落としてしまった。

その後数百メートル流された。

前日の雨で増水していたのです。




錆びついた廃屋は子どもの頃、農協のカイコの糸を紡ぐ工場だった。

周辺道路沿いにはカイコ畑が一面にあった。

当時、母ちゃんと白岩のお母さんが働いていて、よく子どもらで遊び回っていた懐かしい場所である。





この標識の真裏あたりに実は、半畳程の石積みで出来たお墓がある。

埋もれて見えないが、現在もあるはずです。

この墓は、明治時代の頃、行き倒れの娘さんがこの場所で息絶えてしまった、その若い娘さんのお墓である。

当時桂山に住んでいた、牛引きのベーベー爺さんが(当時は青年だった)見知らぬ娘さんを埋葬したと言う。

その経緯を知る者はもういないだろう。

小学生の頃には、お爺さんをよく見かけたが、口を聞けないような状態になっていた。

その頃もまだ、牛を引いていた事を覚えている。

祝言島(しゅうげんじま)

検索によればしゅうげんじまとなっているが、「しゅうげじま」と呼んでいた。

祝言島には人魚伝説がある。
この事を知る者も余りいない。




◆世界には人魚と思われる骸骨が保管されている場所が存在する。


人魚の背中にはトコブシがくっついていたと、写真を撮った人が言っていた。

中学生の頃に、人魚が泳ぐ姿の写真を見せてもらった事があった。

ほとんど信じられないと思う気持ちの方が大きかった事を覚えている。

戦時中、この島は射撃場にされていという。

岩肌には銃弾の跡が無数にあると聞かされた。

島の湾内には飛行物体が墜落して、沈んでいると聞いたこともあった。

五島列島福江島
沖には、沈められた軍艦が海底に眠っている。

第二次大戦後、1946年4月、米軍により海没処分された旧日本海軍の潜水艦が何キロにも渡り、沈められている。

長い年月の中で魚礁となっている。










2021/06/27

キハダの木 No,509

 キハダ ミカン科「黄檗」

別名=オウバク 「黄檗、黄柏」

北海道から九州、朝鮮半島などの山地に自生する落葉高木で、樹高は20㍍を超えるものもある。

幹の内皮が鮮やかな黄色なのでこの名がある。

古くからこの色を利用して、青味のある黄色用の染料に利用したと言う記録がある。

また、別名のオウバクはこの内皮の部分をいい、苦味健胃剤として実用的な利用があるが、顔をしかめるほど苦い。




花と果実

雌雄異株で、5〜6月頃新しく伸びた枝先に長さ30cm前後の円錐花序を出し、あまり目立たない黄緑色の小さな花が多数開きます。

果実は径1cm程の球形で秋に黒く熟します。

落葉した後も果実は萎びたまま枝に残る。

葉の特徴

葉は対生し、先端が尖る楕円形で、長さ6cm前後。

縁は全縁で裏面に白味を帯びる。

生育環境、植栽利用

庭木としての利用はほとんどありませんが、植物園などでは稀に植えられています。

山野では日当たりが良い斜面地などで見ることがある。

排水が良く、やや湿り気のある土壌が適します。

自然な樹形が基本で、からみ枝や長過ぎる枝を切り戻す程度に仕立てる。


キハダの効能(薬用樹)

奈良では、吉野地方発祥の胃腸薬陀羅尼助丸(だらにすけがん)に配合されていることで、長年親しまれてきた。

樹皮を煎じ洗眼すると目の充血、ただれ目、結膜炎、その他の眼病に効果がある。

キハダの樹皮から取れる黄檗(おうばく)は、貴重な薬用資源であり、江戸時代には無断で伐採することを禁じていた。

現代でも貴重な樹であることに変わりはない。

植えてから薬用にするためには20年程度の年月が必要で、若木はよく鹿に狙われて食べられてしまうため、注意を要する。

キハダは東洋医学の最古の生薬学書「神農本草経」(しんのうほんぞうきょう)に収載されているが、日本ではすでに縄文時代から使用されてきた。

縄文時代の遺跡からも、樹皮が薬用に保存されていたと思われる状態で発掘されている。




2021/06/26

ハマボウ No,508

 ハマボウ アオイ科フヨウ属

常緑小高木 「✫浜朴✫黃槿」

神奈川県の三浦半島以西から沖縄などの、潮の干満がある海辺の河口などに生える、塩生植物、半マングローブ植物とも呼ばれる。

名前はよく似たオオハマボウのハワイの呼び方である「ホウ、how」から出たもので、浜辺に自生することによるとする説がある。

一方、牧野富太郎博士によれば和名は浜辺に生えるホオノキの意に取られ「浜朴」と書くが「ホウ」の意味は不明とし「フヨウ」の転化ではないかとしている。

もう一つの漢字名「黄槿=黄色の槿·ムクゲ」も誤用であろうとしている。

✿牧野富太郎関連記事No,396
「植物を愛し続けた博士」参照


大きなものは高さ6㍍程になるが、通常は2㍍ほどの木が多い。

砂泥の堆積した場所に群落を作ることもある。

黄色の花は「一日花」で朝咲いた花は夕方には萎んでしまう。

これはアオイ科によく見られる咲き方の特徴です。


開花期は7〜8月頃で、枝先部分の葉腋から次々に花が開きます。


花は同属のハイビスカス、ムクゲ、フヨウ等に似た形で、5個の花弁がある花は黄色で、中心部は暗赤色です。

果実はさく果で先端が尖り、5つに裂けて種子が出ます。

木材は、キクラゲ原木栽培のホダ木に使われ、樹皮の繊維をロープに利用した。

かつては園芸用に栽培されることもあった。



                                       「ハマボウ」


類似種

オオハマボウはハワイや台湾などに自生し、樹高、花ともハマボウより大型で、花は同じ黄色だが、夕方には赤く変色する。

葉の基部を見ると、深いハート型になるので区別できる。

日本では、小笠原や屋久島以南の海岸に生えている。


                             「オオハマボウ」


生育環境

潮風や強風に強く、海辺では暴風や砂防林として利用されることがある。

よく葉を茂らすので生け垣に利用することもできる。

日当たりが良く排水の良いことが場所に適します。

岩場のような場所に自生があるように、乾燥に強くまた、土質も選びません。

日陰地でも育ちますが、木漏れ日ぐらいの日当たりは必要です。

次々に花を咲かせるには、枝先部分を切り過ぎないことが大切です。

殖やし方は挿し木と実生によります。


絶滅危惧植物

護岸工事や河川改修などの影響により、ハマボウの生育地は減少の一途を辿っており、絶滅危惧種、或いは準絶滅危惧種に指定されている府県も多く、地域によっては消滅した群落もある。



市町村のシンボルとしての指定樹

徳島県鳴門市の花(1983年)

和歌山県御坊市の花木(1994年)

福岡県糸島市の花(2011年)

長崎県西海市の花木(2009年)

熊本県天草市の花(2009年)

植物保護と両立した人類の生き方を正し、考えなければならない時代に来ている。

主な天然記念物のハマボウ

自生地では天然記念物に指定され保護されている。

鹿児島県南さつま市
万之瀬川河口域  (国定天然記念物)

福岡県糸島市(市指定天然記念物)
泉川のハマボウ

神奈川県横須賀市(県指定天然記念物)
天神島のハマボウ

伊豆下田市(市指定天然記念物)
大賀茂川河口のハマボウ







2021/06/25

剪定の基本 (花木、実物類) No,507

 庭全体のバランスを考える

たくさんの花が咲いても、実が着いても、庭の景色に合わない樹形になってしまっては、庭というものは駄目になってしまいます。

そうは言っても、花木や果樹を植えてるのに、花も実も着かなくて良いという事はありません。

庭の楽しみの一つとして、花木、実物類のせん定は一本の花木、果樹ではなく庭を構成している景色の一部であるので、第一に考えるところは樹形です。


せん定の時期(花物)

造園業者や植木屋は“花物は花後にすぐせん定すれば来年も咲くよ”などと言いますが、樹種によりせん定時期が違うものがあります。

樹種によっては休眠期間中であれば、どの位置で切っても開花します。

モクセイ、キョウチクトウ、サルスベリ、ムクゲ、フヨウなどがその樹種です。

その他の樹種は開花後のせん定で構いませんが、安全に行うなら休眠期間中に花芽がはっきりと確認できるものは、その期間中にせん定を行えば花芽を残すことができます。

樹木を大きくしないためのせん定

花木のせん定は、休眠期間中に行うのが一番良い方法のように思われますが、毎年この方法でせん定していると、花芽をなるべく多く残したいためにせん定する枝量が少なくなり、年々木が大きくなり、庭に対しての樹木の大きさがバランスの悪いものになってしまいます。

そこで必要となるのが、樹を大きくしないで花も見る方法として、開花後のせん定となります。


早春の花木は休眠期せん定

早春に開花するウメやコブシ、ハクモクレンなどは、樹形を乱す徒長枝には花芽がつきにくいので、休眠期間中に樹形を整えるせん定をする場合が多くあります。


花後せん定
花木は透かしせん定

サツキ、ツツジ類では刈り込みせん定と、透かしせん定の二通りの方法がありますが、花木には透かしせん定が有効ですが、庭でも公園や街路でも刈り込みが多いと思います。

公園や街路のサツキやツツジはよく花が咲くのに、庭のものは咲かないと思う事も多い。

サツキやツツジは陽樹であるにも関わらず家の北側や、狭い庭の中で中高木の側に植えられ、日照不足で花が咲かない場合が多いと思われます。

こんな時は毎年刈り込んている輪郭線から伸び出た枝を輪郭線よりも低く奥で切り、透かしせん定します。

頂芽に花芽をつけるサツキやツツジ類は、こうすると輪郭線に残る枝は先端部を切らないので、花芽をつけやすくなります。

その他の花木せん定

樹冠輪郭の内側奥に突き出した枝を切り、輪郭線付近の枝は濃淡を均一にするだけに止め、切り過ぎないようにします。

そうすると頂芽や側芽、短枝など、花芽のつきやすい部分が切られずに多く残るので樹形も整う。

開花直後のせん定でも、枝の先端部を全部切られてしまう刈り込みせん定よりは、透かしせん定の方が先端を切られない枝が多く残るので、花芽もつきやすくなります。


せん定(実物)

花物と同じく、花を多くつけ実をつけされる。

実物類のせん定も花物と同様のせん定を行います。

花が咲かなければ実もつきません。

樹種によっては花が咲いても実がつきにくい樹種もあります。

「雌雄異株」の樹種で、雌木と雄木が別株の場合は、一般的に市販されているのは雌木が多く、少しは活着しますが着かないことが多いので、近くに雄木を植えると良いでしょう。

「ヤマモモ」も雌雄異株ですが、この木の場合は植木屋が扱うのは殆どが雄木であるため実がつかない。

「雌雄同株」は雌と雄を一つの株で持っているので、開花すれば結実するのが当然と思われますが、結実しにくい品種もあります。

このような場合は、近くに同じ品種のものを植えても結実しません。

樹種は同じでも品種の違うもの、花粉が多い受粉樹として向いている品種、更に開花時期が同じ品種でなければ意味がありません。








2021/06/24

ポーポー(ポポー) No,506

 ポーポー バンレイシ科

英語名=pawpaw

アケビに似た果実の落葉小高木

北アメリカ東部原産
日本へは明治時代に渡来し、戦後は害虫がつきにくい事から広く普及し、一時はブームとなった事もあったが、果実が日持ちしない事や輸入植物の時代背景もあり、次第に流通果実としては姿を消していきました。

果樹としての利用があり、本州から九州にかけて植栽できます。

樹高は大きなもので10㍍ぐらいに達しますが、通常は5㍍前後に育つものが多い。

今では栽培農家も少なく「幻の果実」と呼ばれる。




主な特徴

大型の葉は互生し、先端が少し尖る卵状、楕円形で長さ15〜30cmと大きい。

葉質が薄く、葉柄の付け根には黒褐色の毛がある。

秋になると鮮やかに黄葉する。

開花期

4月から5月、葉が開くより早く枝先に近い部分から、径3〜5cmの黒褐色の両性花が咲きます。

雌しべの方が早く成熟する性質があります。

果実

アケビに似た形と大きさで秋に黄色く熟しますが、アケビのように割れることはありません。

バナナに似た甘みがあり、栄養価も高く生食できる。

この果実でワインを作るという例もある。

自花不和合性が強く、果実を楽しむには複数の植栽か、人工授粉が必要になります。

花が開いて3〜5日経過した頃、花が紫色に変わった頃が受粉の目安です。

実生苗の場合、結実するまでに5年から6年が必要である。


樹形

整形的な樹形になるので、洋風の雰囲気に適しています。

広い場所があれば複数で利用したい果樹です。

隣接する庭木とは2〜3㍍以上の間隔を取り植栽します。

自然樹形に見られる直立する幹と、横に広がる枝の樹形が基本です。


生育環境

日当たりが良い場所で、通気性に優れたやや湿り気のある土壌が適しています。

降雪地では枝が折れないようにする工夫が必要です。


病害虫

少ない方ですが、カイガラムシが発生することがあります。

風通しを良くすることが大切です。


肥料(施肥)

土壌が痩せている場合、果実を楽しむには堆肥に、有機質肥料を混ぜるなどの土壌改良が必要です。

殖やし方は実生と挿し木で殖やします。


せん定

落葉期の12月から1月頃にせん定を行います。

前年に伸びた枝の基部に花芽をつけるので、伸びすぎた枝を切り詰めます。

混み合った枝も切り取り、樹冠内に光が当たるようにします。


ポーポーの効能

ビタミンCを多く含む果実で、老化や癌の原因とされる活性酸素を、自ら酸化される事で身体を酸化から守る。

オーストラリアには一家に一本あると言われるポーポーの木。

擦り傷、やけど、アザ、ひび割れ、アトピー、肌荒れなど多くの効能があり、高い保湿力からリップバームや保湿クリームとしても有能であり、赤ちゃんのおむつのムレによる肌荒れにまで使え、天然成分でできた軟膏のため万人に愛されてきた。