緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/08/08

千本楠と呼ばれる不思議な森 No,536

 千本楠

千本楠は、樹齢800年以上の大クスノキで、20数本しかない楠が千本あるように見えることからそう呼ばれる。

倒れて朽ちた楠が親木とされ、神話による大汝牟遅(おおなむち)下向時に楠の木の杖を地に差したところ、それが根付いて親木になったと言われています。

大汝牟遅神社は楠屋敷とも称され★ニニギノミコト(瓊々杵命)がしばらく宮居された地との伝説が残る由緒正しい神社です。

明治時代以前は大汝牟遅八幡神社と称されたとされる。

★ニニギノミコトは天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫として有名な神で、天上世界の高天原(たかまがはら)の神様として初めて地上世界を治めた神様で、元々は天上世界の神様ですが、地上世界に降り立ち統治していく中で、人間になったとも言える存在である。


天照大御神からの使命を全うし、多くの神々を従えて国造りを遂行してきた神様です。


ニニギノミコトを祀る神社は、箱根神社、国見神社、霧島神宮、新田神社、野間神社等がある。



「中央の空洞化したものが親木とされる」


鳥居を出て住宅街の中を歩いた所に、周辺とは明らかに異質な古代を思わせる、クスノキの森が存在している。


かつてはこの場所も大汝牟遅神社の神域であったとされ、現在ではほとんど人の入らないうっそうとした所です。

森の中に入ると祠(ほこら)から数十メートル離れて、20本程のクスノキが同心同状の列をなしてそびえ立っている事に気がつくでしょう。




多くの樹は外側に傾いた状態で成長している。

かつて、祠の付近に巨大なクスノキが成長しており、あまりにも巨大なために枝が地面に接して、そこから再び枝が立ち上がって、幹として成長し始めたものといい伝えられている。

やがて中心部の親木のクスノキは衰えていき、外に向かう枝が新しい幹として親木の後を引き継ぎ、成長したものである。

中心にあった親木は明治時代に切り出されましたが、その根周りは18mにも及ぶ大きなものだったと言われており、中心にそびえていた親木がもしも現存し生き続けていたならば、一体どれ程までに成長した姿を人々に見せてくれた事だろう。





かつてはこの地に日本最大級のクスノキがあったであろう事を、現在にひっそりと伝える千本楠の森である。


静かな時の流れとともに今も脈々と年輪を刻み続けている。


千本楠

日置市指定天然記念物

所在地=鹿児島県日置市吹上町中原
大汝牟遅神社









2021/08/06

広島原爆投下の日 No,535

 広島76周年平和記念式典

核兵器禁止条約の発効(1月)から初めて迎える広島の原爆の日

ジリジリと焼ける程の暑い夏、無差別の殺人兵器が投下されて76周年を迎える。




原子爆弾により、何世にも渡り被爆者は苦しみ続ける。

世界最大の殺人兵器を保有する国々が今も尚核兵器に固執する。


戦争体験者が高齢となり、戦時中の体験話も聞くことができなくなるのも、時間の問題である。

その記憶が消えたとき戦争は再び起きやすいのです。

繰り返してはならない。

こども代表 平和への誓い

引き継いでいく思いを胸に、、、


広島市立袋町小学校6年
伊藤まりあ

広島市立五日市東小学校6年
宅味義将


広島NGO検討会

来年1月に開かれる核兵器禁止条約第一回締約国会議をめぐり、国連の中満泉軍縮担当上級代表は、生物兵器や対人地雷禁止条約などでも非締約国がオブザーバー参加し、議論する事が条約の実効性を高めたと強調。

被爆国である日本政府も参加を検討するように求めました。


被爆者を代表して、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団恊)の児玉三智子事務局次長は唯一の戦争被爆国である日本政府は、条約に背を向け続けている。

条約を批准し、世界をリードすることが求められていると強調。

出席した各党代表に「被爆国の議員として、人として、国会で議論し日本が条約を批准し、締約国会議に参加をするように尽力して欲しい」と求めました。


        「広島原爆ドーム」




       「2019年7月9日撮影」

核兵器のない世界を目指して毎年歩き続けてきた国民平和大行進。

今年もコロナ禍の中、規模を縮小し行われました。

    「茨城から千葉へ引き継ぎ」 
       「2021年7月7日撮影」


広島、長崎被爆地を目指して、北から南へと全国を結ぶ大行進です。









2021/08/05

8月のバラの手入れ No,534

 8月は酷暑、熱帯的な気候が続く季節です。

暑さが特別苦手なバラもあり、葉は巻き上がって茎は真っ黒になり、息も絶え絶えの様子ですが、秋には息を吹き返します。


   「アンネのバラ8月5日撮影」

1'咲きがら摘み

フロリバンダは依然としてそこそこの花を咲かせ、ハイブリットティーはますます貧弱となります。

夏に花を咲かせると、株が疲れると言われますが、実際は咲かせても影響はないようです。

3日に一度の咲きがら摘みを続けます。


2'シュートの処理

シュートの発生は少なくなりますが、見つけたらピンチします。

つるバラ、シュラブも7月に準じます。

3'病害虫の防除

8月になるとうどん粉病は増殖適温を超えますが、沈静化します。

黒点病も高温に加え、雨が降らないので一休みします。

ハダニは暑さと乾燥に強いので注意が必要ですが、心配なければ薬剤の定期散布は少し間隔を空けても良いでしょう。

4'施肥

夏の元肥がまだなら上旬には済ませるようにします。

鉢植えにはこれまで同様に置き肥と液肥を続けます。

5'水やり

庭植えのものには不要ですが、どうしても気になる場合は、回数は少なくてもやる時にはかなり深い所へ浸透するようたっぷり与えます。

少量の水や打ち水程度は逆によくありません。

6'夏のせん定

ブッシュ系は遅咲きのものから月末に始めてもよいでしょう。

早咲きのものは9月上旬頃に行います。

6月に出た2番花の中程、新しいシュートはピンチして分かれた枝の中程で切ります。

つるバラやシュラブは咲きがら摘み程度に止めます。


    「アンネのバラ4月12日撮影」


7'台風対策

早めの対策として支柱を立てるなどし、固定します。

鉢植えの場合は特に、台風対策を忘れないようにしましょう。





2021/07/31

植物の恩恵を考える No,533

 植物による恩恵

多くの人々が知る事であるが、地球の自然環境を支えているのは、紛れもなく植物たちの力である。

植物の緑からは様々な多くの恩恵があり、豊かな環境を維持するのはもとより、そのたいせつさはすべの生き物、人間の健康や生活と密接に関わっています。

また、植物から恩恵を受け生きる小さな生物たちさえも、環境の中で大きな役割を果たしているのです。

人類誕生とともに植物たちは生きてきました。

その中で有用種とする植物により、木材種、工芸品種、食用種(果実、茎や葉など)薬用種など、様々な用途で利用されてきました。

その種は、自国だけでは全てが賄えるわけではなく、他国から導入し栽培、植栽などを行って維持する種も多い。

つまり植物たちは、世界中で必要とされ、利用されてきたのです。

自然災害の他に人類の過剰な開発により、温暖化や酸性雨化などによる被害が起こることになり、植物たちの生育環境は一変し、悪化し始めているのが現状です。

人為的な影響によることを否定出来ない状況まで、環境が悪化したのが現代である。

薬用種は、物理的な環境要因との相関があまり高くないのが特徴とされる一方、アルカリ土壌と言う特殊な条件で種類が豊かなことが分かります。

このこともやはり、人為的影響との相関が強いと言える。

今後人類は、植物とどのように関わっていくのか、今一度深く考えなければならない環境下に辿り着いたと言えるだろう。



★他国の軍事基地建設に伴い、自然環境破壊が続いている沖縄辺野古海岸。
(2014年10月4日辺野古にて撮影)


地球規模で考えた場合、1地域、一国だけが自然環境が豊かであれば良いという事ではありません。

多くの生命は他のたくさんの生物と直接関わり、初めて生きて行くことができます。

長い人類の歴史の中で、多くの生命と地球という環境を分かち合い、そして多くの恩恵を『資源』として、様々な生き物たちが生きている環境を守る事は呼吸するために必要な空気を守ることであり、また光合成をする植物たちを大切にする必要があることです。

『生物多様性』とは、動植物の種類が多いという事だけを意味するだけのものではなく、長い歴史の中で育まれてきた生き物の、相互の繋がりをも指し示すことでもあります。

地球環境の問題は、人類自身が自然環境を改変し、多くの生物を減少、絶滅に追い込み、地球上の生物多様性を著しく破壊する、世界的規模の問題であるのです。

人類の医療を支える医薬品の成分には、5万種から7万種もの植物から取り入れたものが多くあります。

また、海の生物から抽出された成分で作られる抗がん剤もあり、利用さています。

この利用に対して、年間最大10億ドルの利益を生み出し、世界の薬草の取引も一年で430億ドルに達したとされる記録もある。

また、数多くの発見されていない様々な物質が存在していると考えられていますが、これらが発見されれば、現在の医療で解決されていない様々な、難病などがいずれ治療できるようになるかも知れません。

しかし、多くの様々な恵みが失われようとしているのが現状なのです。

この事は、人類が生物多様性から受けている恩恵を自ら失うことであり、未来に叶うであろう可能性を閉ざしてしまう事でもあります。

一方、この生物多様性と言うものは、地球上のあらゆる生命が、人間のためだけに存在しているわけではないと言う事です。

地球環境は全ての生命のために保たれ、また様々な生き物が生きて行くために壊してはいけないものなのです。











2021/07/20

羽黒山の爺杉 No,532

 爺杉

山形県羽黒山の表参道は全長約20㌔、2446段もの石段が続き、山東の両側には樹齢300〜600年と言われる杉並木が続き、その数は400本以上あると言われ、昼頃でも暗い。






表参道全体が国指定特別天然記念物となっている。

東北を代表する場所と言えるだろう。

観光ガイド日本編「ミシュラン·グリーンガイド·ジャポン」によれば、羽黒山の杉並木が三ツ星に選ばれている。

羽黒山の杉並木を登ると、平将門が創建したと伝えられる、国宝の五重塔が杉木立の奥に見えてくる。


江戸時代の頃には、五重塔の周囲には数多くの寺院や僧房が存在していたが、今では取り壊されて五重塔だけがポツンとたたずんでいる。

爺杉は樹齢1000年と言われ、国の天然記念物に指定されている。


かつては近くにもう一本、婆杉と呼ばれた杉が存在し、爺杉と並んで羽黒山の名物だったが、1902年(明治35年)婆杉は台風で倒れてしまい、現在では爺杉だけになった。

その後、残された杉は寂しかった事だろう。

その哀しみは、五重塔だけが知っているに違いありません。

「日本昔ばなし」なら、その気持ちも伝えてくれる事だろう。


1000年もの間、厳しい風雪にも耐え抜いてきたのである。


江戸時代には「祖父杉」「祖母杉」と呼ばれていたとされ、おそらくは「夫婦杉」として信仰の対象となっていたのだろう。

その後、国の天然記念物として指定される際に「爺杉」の名称で指定されましたが、倒れてしまった杉が爺杉で、現在残っている杉が婆杉であったと言う話もありますが、今となっては確かめるすべもないようです。


羽黒山の石段を登る際に、石段に掘られた、とっくり、杯、蓮などの掘り絵を探しながら登るのが楽しみのひとつで、全部で33個程あるそうですが、すべて見つけると満願成就するのだと云われているそうな。


                          「爺杉と五重塔」

羽黒山の爺杉
幹周り8.3m   樹高48.3m
樹齢1000年

所在地=山形県鶴岡市羽黒町手向








2021/07/19

プラタナス(スズカケノキ)オランダ発 No,531

 西ヨーロッパ  オランダ王国

西ヨーロッパに位地する立憲君主制国家のオランダは、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面している。


ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。

オランダは憲法上の首都はアムステルダムで、事実上の首都はデン・ハーグとなっている。

こんな制定の国が他国にもあるのだろうか?

カリブ海のアルバ、キュラソー、シント・マールテンと共にオランダ王国を構成し、その他カリブ海に海外特別自治領がある。

国土の45%が農業用地と言う農業大国である。

農作物の輸出額では、アメリカについで世界で2番目とされる。

日本での温室栽培はビニールハウスが主であるが、オランダではガラス張りの温室「グラスハウス」で、野菜などたくさんの作物を栽培している。

また、オランダは世界的に知られたチーズの産地で、オランダ全土で様々なチーズが作られていて、オランダの食生活にチーズは欠かせない存在となっている。


アムステルダムの運河沿いなどに立ち並ぶプラタナスの木




プラタナスは、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称。

世界四大街路樹の1つに含まれる。
プラタナス、マロニエ、ボダイジュ、ニレ

北半球に自生する樹木であるが種の数は少ない。

プラタナスの語源はギリシャ語のPlatys(広い)で、大きな葉に由来する。

古代ギリシア時代から並木に使われた。

西アジア原産のスズカケノキと、北米原産のアメリカスズカケノキの交雑種で、イギリスで作られたと言われる。

原産は南ヨーロッパ、北アメリカ、メキシコ及びインド

街路樹に向く樹種として日本へは明治時代に渡来したとされる。

明治40年、当時の東京市の都市計画の中で街路樹として初めて採用された。


日比谷公会堂前のスズカケノキの大樹


日本ではモミジバスズカケノキが街路樹、庭木として栽植され、以前はイチョウに次いで街路樹として多く利用されたが、集客力のある樹種(黄葉木)が主になって行った事で、だんだん街路で見かけることも少なくなった。

パリではマロニエ(セイヨウトチノキ)と並んで有名な街路樹です。

アメリカスズカケノキは「シカモア」と呼ばれることもあるが、もとは「エジプトイチジク」がそう呼ばれていて、「セイヨウカジカエデ」も同様に「シカモア」と呼ばれる。

ヒポクラテスの木(プラタナス)

「医学の父」と呼ばれる医学者の“ヒポクラテス”がプラタナスの大樹の陰で、弟子たちに医学を教えた事に由来する。


      「コス島ヒポクラテスの老木」


ヒポクラテスとは古代ギリシアの医者で、エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島ケファロスに生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられているが、その生涯について詳しいことは分かっていない。

西洋医学の父と言われたヒポクラテスの生まれた家系は、医師①「アスクレピアデス」の血を受け継ぐ家系で、ギリシャ神話に登場する「医学の神アスクレピオス」の子孫とされています。

✪アスクレピオンはコス島にある遺跡で、医学の神アスクレピオスが祀られている。



               「アスクレピオンの遺跡」


ヒポクラテスは医学学校や治療所をここに建てたとされる。

現在もその遺跡やアスクレピオスを祀った神殿が遺っている。

この場所からは美しい景色で、コス島の町がよく見えます。

①アスクレピアデスは古代ギリシアの医師で、ギリシアのプルザ生まれ、アレクサンドリアで医学を学び、アテネで✫修辞学を修め、同地で医業を開いたが、紀元前91年にギリシア医学をローマに移した。

✫修辞学とは、弁論、演説、説得の技術に関する学問の分野のこと✫


その医学はガレノス(古代の医学、哲学者の一人)の時代までローマで盛んに行われた。

アスクレピアデスはヒポクラテスの体液病理説に反対で、投薬を好まず、マッサージ、水溶療法を重視した医者である。

日本のヒポクラテスの木

日本のヒポクラテスの木はいくつかの系統に分類され、緒方株(コス島の株)と呼ばれるものと、コス島より原木の種子を持ち帰り(1955年)日本で発芽させて育てられた株からの取り木の1つ(篠田株)等が存在する。

✻緒方富雄博士(東京大学名誉教授)
✻篠田秀男博士(山形市篠田総合病院)


日本各地の医療施設、医学関連大学などで植樹されている。