緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/07/19

プラタナス(スズカケノキ)オランダ発 No,531

 西ヨーロッパ  オランダ王国

西ヨーロッパに位地する立憲君主制国家のオランダは、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面している。


ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。

オランダは憲法上の首都はアムステルダムで、事実上の首都はデン・ハーグとなっている。

こんな制定の国が他国にもあるのだろうか?

カリブ海のアルバ、キュラソー、シント・マールテンと共にオランダ王国を構成し、その他カリブ海に海外特別自治領がある。

国土の45%が農業用地と言う農業大国である。

農作物の輸出額では、アメリカについで世界で2番目とされる。

日本での温室栽培はビニールハウスが主であるが、オランダではガラス張りの温室「グラスハウス」で、野菜などたくさんの作物を栽培している。

また、オランダは世界的に知られたチーズの産地で、オランダ全土で様々なチーズが作られていて、オランダの食生活にチーズは欠かせない存在となっている。


アムステルダムの運河沿いなどに立ち並ぶプラタナスの木




プラタナスは、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称。

世界四大街路樹の1つに含まれる。
プラタナス、マロニエ、ボダイジュ、ニレ

北半球に自生する樹木であるが種の数は少ない。

プラタナスの語源はギリシャ語のPlatys(広い)で、大きな葉に由来する。

古代ギリシア時代から並木に使われた。

西アジア原産のスズカケノキと、北米原産のアメリカスズカケノキの交雑種で、イギリスで作られたと言われる。

原産は南ヨーロッパ、北アメリカ、メキシコ及びインド

街路樹に向く樹種として日本へは明治時代に渡来したとされる。

明治40年、当時の東京市の都市計画の中で街路樹として初めて採用された。


日比谷公会堂前のスズカケノキの大樹


日本ではモミジバスズカケノキが街路樹、庭木として栽植され、以前はイチョウに次いで街路樹として多く利用されたが、集客力のある樹種(黄葉木)が主になって行った事で、だんだん街路で見かけることも少なくなった。

パリではマロニエ(セイヨウトチノキ)と並んで有名な街路樹です。

アメリカスズカケノキは「シカモア」と呼ばれることもあるが、もとは「エジプトイチジク」がそう呼ばれていて、「セイヨウカジカエデ」も同様に「シカモア」と呼ばれる。

ヒポクラテスの木(プラタナス)

「医学の父」と呼ばれる医学者の“ヒポクラテス”がプラタナスの大樹の陰で、弟子たちに医学を教えた事に由来する。


      「コス島ヒポクラテスの老木」


ヒポクラテスとは古代ギリシアの医者で、エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島ケファロスに生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられているが、その生涯について詳しいことは分かっていない。

西洋医学の父と言われたヒポクラテスの生まれた家系は、医師①「アスクレピアデス」の血を受け継ぐ家系で、ギリシャ神話に登場する「医学の神アスクレピオス」の子孫とされています。

✪アスクレピオンはコス島にある遺跡で、医学の神アスクレピオスが祀られている。



               「アスクレピオンの遺跡」


ヒポクラテスは医学学校や治療所をここに建てたとされる。

現在もその遺跡やアスクレピオスを祀った神殿が遺っている。

この場所からは美しい景色で、コス島の町がよく見えます。

①アスクレピアデスは古代ギリシアの医師で、ギリシアのプルザ生まれ、アレクサンドリアで医学を学び、アテネで✫修辞学を修め、同地で医業を開いたが、紀元前91年にギリシア医学をローマに移した。

✫修辞学とは、弁論、演説、説得の技術に関する学問の分野のこと✫


その医学はガレノス(古代の医学、哲学者の一人)の時代までローマで盛んに行われた。

アスクレピアデスはヒポクラテスの体液病理説に反対で、投薬を好まず、マッサージ、水溶療法を重視した医者である。

日本のヒポクラテスの木

日本のヒポクラテスの木はいくつかの系統に分類され、緒方株(コス島の株)と呼ばれるものと、コス島より原木の種子を持ち帰り(1955年)日本で発芽させて育てられた株からの取り木の1つ(篠田株)等が存在する。

✻緒方富雄博士(東京大学名誉教授)
✻篠田秀男博士(山形市篠田総合病院)


日本各地の医療施設、医学関連大学などで植樹されている。









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