緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/08/09

長崎被爆76周年 No.537

 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

1945年8月9日(昭和20年)11:02
長崎市松山上空500mで原子爆弾が爆発。
広島に投下された三日後、長崎に原子爆弾が投下された。


    「原子爆弾によるきのこ雲」


    「原子爆弾投下前の爆心地」


   「一瞬で消えてしまった町並み」


    「長崎市松山の爆心地公園」




原子爆弾投下から76年、永遠に消えない被爆者の記憶。

長崎を最後の被爆地にの思いで訴え続けてきた。

核兵器禁止条約が1月に発効され初めての暑い夏である。

当時もジリジリと暑い夏だったに違いありません。

今年、新たに原爆被爆者死亡者名簿に奉安されるのは3202人

総数18万9163人


人類も地球も破滅させてしまう核兵器は何一ついらない。

抑止力などと言うまやかしに洗脳されてはならない。


        「平和記念公園」

原子爆弾で犠牲となった人々は日本人だけではない。

他国民の多くも無差別に犠牲となった。

アメリカ軍は自国民さえも、原子爆弾投下で殺したのではないだろうか。

自国民を殺したのは戦争を起こした国、日本軍も自国民を少なからず殺している。

それが戦争と言う狂行、どの国も絶対起こしてはならない事だ。

被爆76周年 未来へつなげ



爆心地の近くにある城山(しろやま)小学校
五年、六年生による児童合唱。

《子らのみ魂よ》

◆城山小学校(旧城山国民学校)は、爆心地から西に500㍍にあり、通っていた児童や教師など1400人以上が原爆の犠牲となった。

昭和26年8月に作られた《子らのみ魂よ》は、深い悲しみと平和への祈りが込められた歌で、城山小学校ではこの歌を大切に歌い継いでいて、8月9日の平和祈念式典では山里小学校で歌われている《あの子》と交互に2年に1度披露されている。

各地の学校でも歌い継がれているほか、イタリアの小·中学校にも広まり、この歌を通して平和を願う思いは国境を越えて歌い継がれている。


11:02分黙祷(もくとう)



国連、軍縮担当上級代表の中満泉氏より、国連事務総長アントニオ·グテーレス氏のメッセージが伝えられた。


★国連事務総長とは
国連事務総長は外交官にして唱道者(しょうどうしゃ=自分から先に立って言うこと)、公務員であると同時に、最高経営責任者であるとともに国連の理想の象徴であり、世界の人々、特に貧しい者や弱い者の代弁者とされる。


★アントニオ·グテーレス氏




1995~2002年までポルトガル首相を務めた。
その後、2005~2015年にかけて国連難民高等弁務官を務めました。



世界平和を願って
《千羽鶴》を合唱。
純心女子、中学、高等学校は1956年から平和祈念式典での合唱を担当している。




小生の故郷は長崎県である。
原爆が投下された当時、18歳であった母親は訓練に駆り出され、米軍による奇襲から度々防空壕に逃げ込んでいたと言う。

もしもその時、母親が命を落としていたら小生は18年後、この世に生まれてくる事はなかっただろう。

戦争体験を聞いて育った幼少期、平和への思いは今も尚、忘れることなく強い思いである。

それはまた、被爆地の県人としての強い思いである事も間違いない事である。



◆左=SDGs(エスディージーズ)
前身であるMDGsに代わって定められた。


持続可能な開発目標のことで、2030年までに達成すべき17の目標。

2015年9月に国連サミットの中で決められた、国際社会共通の目標。


◆右=世界の平和への願いを込めて
リボンピンバッジレインボー🌈🎗️

#永遠に明かりを灯せるように……








2021/08/08

千本楠と呼ばれる不思議な森 No,536

 千本楠

千本楠は、樹齢800年以上の大クスノキで、20数本しかない楠が千本あるように見えることからそう呼ばれる。

倒れて朽ちた楠が親木とされ、神話による大汝牟遅(おおなむち)下向時に楠の木の杖を地に差したところ、それが根付いて親木になったと言われています。

大汝牟遅神社は楠屋敷とも称され★ニニギノミコト(瓊々杵命)がしばらく宮居された地との伝説が残る由緒正しい神社です。

明治時代以前は大汝牟遅八幡神社と称されたとされる。

★ニニギノミコトは天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫として有名な神で、天上世界の高天原(たかまがはら)の神様として初めて地上世界を治めた神様で、元々は天上世界の神様ですが、地上世界に降り立ち統治していく中で、人間になったとも言える存在である。


天照大御神からの使命を全うし、多くの神々を従えて国造りを遂行してきた神様です。


ニニギノミコトを祀る神社は、箱根神社、国見神社、霧島神宮、新田神社、野間神社等がある。



「中央の空洞化したものが親木とされる」


鳥居を出て住宅街の中を歩いた所に、周辺とは明らかに異質な古代を思わせる、クスノキの森が存在している。


かつてはこの場所も大汝牟遅神社の神域であったとされ、現在ではほとんど人の入らないうっそうとした所です。

森の中に入ると祠(ほこら)から数十メートル離れて、20本程のクスノキが同心同状の列をなしてそびえ立っている事に気がつくでしょう。




多くの樹は外側に傾いた状態で成長している。

かつて、祠の付近に巨大なクスノキが成長しており、あまりにも巨大なために枝が地面に接して、そこから再び枝が立ち上がって、幹として成長し始めたものといい伝えられている。

やがて中心部の親木のクスノキは衰えていき、外に向かう枝が新しい幹として親木の後を引き継ぎ、成長したものである。

中心にあった親木は明治時代に切り出されましたが、その根周りは18mにも及ぶ大きなものだったと言われており、中心にそびえていた親木がもしも現存し生き続けていたならば、一体どれ程までに成長した姿を人々に見せてくれた事だろう。





かつてはこの地に日本最大級のクスノキがあったであろう事を、現在にひっそりと伝える千本楠の森である。


静かな時の流れとともに今も脈々と年輪を刻み続けている。


千本楠

日置市指定天然記念物

所在地=鹿児島県日置市吹上町中原
大汝牟遅神社









2021/08/06

広島原爆投下の日 No,535

 広島76周年平和記念式典

核兵器禁止条約の発効(1月)から初めて迎える広島の原爆の日

ジリジリと焼ける程の暑い夏、無差別の殺人兵器が投下されて76周年を迎える。




原子爆弾により、何世にも渡り被爆者は苦しみ続ける。

世界最大の殺人兵器を保有する国々が今も尚核兵器に固執する。


戦争体験者が高齢となり、戦時中の体験話も聞くことができなくなるのも、時間の問題である。

その記憶が消えたとき戦争は再び起きやすいのです。

繰り返してはならない。

こども代表 平和への誓い

引き継いでいく思いを胸に、、、


広島市立袋町小学校6年
伊藤まりあ

広島市立五日市東小学校6年
宅味義将


広島NGO検討会

来年1月に開かれる核兵器禁止条約第一回締約国会議をめぐり、国連の中満泉軍縮担当上級代表は、生物兵器や対人地雷禁止条約などでも非締約国がオブザーバー参加し、議論する事が条約の実効性を高めたと強調。

被爆国である日本政府も参加を検討するように求めました。


被爆者を代表して、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団恊)の児玉三智子事務局次長は唯一の戦争被爆国である日本政府は、条約に背を向け続けている。

条約を批准し、世界をリードすることが求められていると強調。

出席した各党代表に「被爆国の議員として、人として、国会で議論し日本が条約を批准し、締約国会議に参加をするように尽力して欲しい」と求めました。


        「広島原爆ドーム」




       「2019年7月9日撮影」

核兵器のない世界を目指して毎年歩き続けてきた国民平和大行進。

今年もコロナ禍の中、規模を縮小し行われました。

    「茨城から千葉へ引き継ぎ」 
       「2021年7月7日撮影」


広島、長崎被爆地を目指して、北から南へと全国を結ぶ大行進です。









2021/08/05

8月のバラの手入れ No,534

 8月は酷暑、熱帯的な気候が続く季節です。

暑さが特別苦手なバラもあり、葉は巻き上がって茎は真っ黒になり、息も絶え絶えの様子ですが、秋には息を吹き返します。


   「アンネのバラ8月5日撮影」

1'咲きがら摘み

フロリバンダは依然としてそこそこの花を咲かせ、ハイブリットティーはますます貧弱となります。

夏に花を咲かせると、株が疲れると言われますが、実際は咲かせても影響はないようです。

3日に一度の咲きがら摘みを続けます。


2'シュートの処理

シュートの発生は少なくなりますが、見つけたらピンチします。

つるバラ、シュラブも7月に準じます。

3'病害虫の防除

8月になるとうどん粉病は増殖適温を超えますが、沈静化します。

黒点病も高温に加え、雨が降らないので一休みします。

ハダニは暑さと乾燥に強いので注意が必要ですが、心配なければ薬剤の定期散布は少し間隔を空けても良いでしょう。

4'施肥

夏の元肥がまだなら上旬には済ませるようにします。

鉢植えにはこれまで同様に置き肥と液肥を続けます。

5'水やり

庭植えのものには不要ですが、どうしても気になる場合は、回数は少なくてもやる時にはかなり深い所へ浸透するようたっぷり与えます。

少量の水や打ち水程度は逆によくありません。

6'夏のせん定

ブッシュ系は遅咲きのものから月末に始めてもよいでしょう。

早咲きのものは9月上旬頃に行います。

6月に出た2番花の中程、新しいシュートはピンチして分かれた枝の中程で切ります。

つるバラやシュラブは咲きがら摘み程度に止めます。


    「アンネのバラ4月12日撮影」


7'台風対策

早めの対策として支柱を立てるなどし、固定します。

鉢植えの場合は特に、台風対策を忘れないようにしましょう。





2021/07/31

植物の恩恵を考える No,533

 植物による恩恵

多くの人々が知る事であるが、地球の自然環境を支えているのは、紛れもなく植物たちの力である。

植物の緑からは様々な多くの恩恵があり、豊かな環境を維持するのはもとより、そのたいせつさはすべの生き物、人間の健康や生活と密接に関わっています。

また、植物から恩恵を受け生きる小さな生物たちさえも、環境の中で大きな役割を果たしているのです。

人類誕生とともに植物たちは生きてきました。

その中で有用種とする植物により、木材種、工芸品種、食用種(果実、茎や葉など)薬用種など、様々な用途で利用されてきました。

その種は、自国だけでは全てが賄えるわけではなく、他国から導入し栽培、植栽などを行って維持する種も多い。

つまり植物たちは、世界中で必要とされ、利用されてきたのです。

自然災害の他に人類の過剰な開発により、温暖化や酸性雨化などによる被害が起こることになり、植物たちの生育環境は一変し、悪化し始めているのが現状です。

人為的な影響によることを否定出来ない状況まで、環境が悪化したのが現代である。

薬用種は、物理的な環境要因との相関があまり高くないのが特徴とされる一方、アルカリ土壌と言う特殊な条件で種類が豊かなことが分かります。

このこともやはり、人為的影響との相関が強いと言える。

今後人類は、植物とどのように関わっていくのか、今一度深く考えなければならない環境下に辿り着いたと言えるだろう。



★他国の軍事基地建設に伴い、自然環境破壊が続いている沖縄辺野古海岸。
(2014年10月4日辺野古にて撮影)


地球規模で考えた場合、1地域、一国だけが自然環境が豊かであれば良いという事ではありません。

多くの生命は他のたくさんの生物と直接関わり、初めて生きて行くことができます。

長い人類の歴史の中で、多くの生命と地球という環境を分かち合い、そして多くの恩恵を『資源』として、様々な生き物たちが生きている環境を守る事は呼吸するために必要な空気を守ることであり、また光合成をする植物たちを大切にする必要があることです。

『生物多様性』とは、動植物の種類が多いという事だけを意味するだけのものではなく、長い歴史の中で育まれてきた生き物の、相互の繋がりをも指し示すことでもあります。

地球環境の問題は、人類自身が自然環境を改変し、多くの生物を減少、絶滅に追い込み、地球上の生物多様性を著しく破壊する、世界的規模の問題であるのです。

人類の医療を支える医薬品の成分には、5万種から7万種もの植物から取り入れたものが多くあります。

また、海の生物から抽出された成分で作られる抗がん剤もあり、利用さています。

この利用に対して、年間最大10億ドルの利益を生み出し、世界の薬草の取引も一年で430億ドルに達したとされる記録もある。

また、数多くの発見されていない様々な物質が存在していると考えられていますが、これらが発見されれば、現在の医療で解決されていない様々な、難病などがいずれ治療できるようになるかも知れません。

しかし、多くの様々な恵みが失われようとしているのが現状なのです。

この事は、人類が生物多様性から受けている恩恵を自ら失うことであり、未来に叶うであろう可能性を閉ざしてしまう事でもあります。

一方、この生物多様性と言うものは、地球上のあらゆる生命が、人間のためだけに存在しているわけではないと言う事です。

地球環境は全ての生命のために保たれ、また様々な生き物が生きて行くために壊してはいけないものなのです。











2021/07/20

羽黒山の爺杉 No,532

 爺杉

山形県羽黒山の表参道は全長約20㌔、2446段もの石段が続き、山東の両側には樹齢300〜600年と言われる杉並木が続き、その数は400本以上あると言われ、昼頃でも暗い。






表参道全体が国指定特別天然記念物となっている。

東北を代表する場所と言えるだろう。

観光ガイド日本編「ミシュラン·グリーンガイド·ジャポン」によれば、羽黒山の杉並木が三ツ星に選ばれている。

羽黒山の杉並木を登ると、平将門が創建したと伝えられる、国宝の五重塔が杉木立の奥に見えてくる。


江戸時代の頃には、五重塔の周囲には数多くの寺院や僧房が存在していたが、今では取り壊されて五重塔だけがポツンとたたずんでいる。

爺杉は樹齢1000年と言われ、国の天然記念物に指定されている。


かつては近くにもう一本、婆杉と呼ばれた杉が存在し、爺杉と並んで羽黒山の名物だったが、1902年(明治35年)婆杉は台風で倒れてしまい、現在では爺杉だけになった。

その後、残された杉は寂しかった事だろう。

その哀しみは、五重塔だけが知っているに違いありません。

「日本昔ばなし」なら、その気持ちも伝えてくれる事だろう。


1000年もの間、厳しい風雪にも耐え抜いてきたのである。


江戸時代には「祖父杉」「祖母杉」と呼ばれていたとされ、おそらくは「夫婦杉」として信仰の対象となっていたのだろう。

その後、国の天然記念物として指定される際に「爺杉」の名称で指定されましたが、倒れてしまった杉が爺杉で、現在残っている杉が婆杉であったと言う話もありますが、今となっては確かめるすべもないようです。


羽黒山の石段を登る際に、石段に掘られた、とっくり、杯、蓮などの掘り絵を探しながら登るのが楽しみのひとつで、全部で33個程あるそうですが、すべて見つけると満願成就するのだと云われているそうな。


                          「爺杉と五重塔」

羽黒山の爺杉
幹周り8.3m   樹高48.3m
樹齢1000年

所在地=山形県鶴岡市羽黒町手向