長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
1945年8月9日(昭和20年)11:02
長崎市松山上空500mで原子爆弾が爆発。
広島に投下された三日後、長崎に原子爆弾が投下された。
「原子爆弾投下前の爆心地」
原子爆弾投下から76年、永遠に消えない被爆者の記憶。
長崎を最後の被爆地にの思いで訴え続けてきた。
核兵器禁止条約が1月に発効され初めての暑い夏である。
当時もジリジリと暑い夏だったに違いありません。
今年、新たに原爆被爆者死亡者名簿に奉安されるのは3202人
総数18万9163人
人類も地球も破滅させてしまう核兵器は何一ついらない。
抑止力などと言うまやかしに洗脳されてはならない。
原子爆弾で犠牲となった人々は日本人だけではない。
他国民の多くも無差別に犠牲となった。
アメリカ軍は自国民さえも、原子爆弾投下で殺したのではないだろうか。
自国民を殺したのは戦争を起こした国、日本軍も自国民を少なからず殺している。
それが戦争と言う狂行、どの国も絶対起こしてはならない事だ。
被爆76周年 未来へつなげ
五年、六年生による児童合唱。
《子らのみ魂よ》
◆城山小学校(旧城山国民学校)は、爆心地から西に500㍍にあり、通っていた児童や教師など1400人以上が原爆の犠牲となった。
昭和26年8月に作られた《子らのみ魂よ》は、深い悲しみと平和への祈りが込められた歌で、城山小学校ではこの歌を大切に歌い継いでいて、8月9日の平和祈念式典では山里小学校で歌われている《あの子》と交互に2年に1度披露されている。
各地の学校でも歌い継がれているほか、イタリアの小·中学校にも広まり、この歌を通して平和を願う思いは国境を越えて歌い継がれている。
11:02分黙祷(もくとう)
★国連事務総長とは
国連事務総長は外交官にして唱道者(しょうどうしゃ=自分から先に立って言うこと)、公務員であると同時に、最高経営責任者であるとともに国連の理想の象徴であり、世界の人々、特に貧しい者や弱い者の代弁者とされる。
★アントニオ·グテーレス氏
1995~2002年までポルトガル首相を務めた。
その後、2005~2015年にかけて国連難民高等弁務官を務めました。
世界平和を願って
《千羽鶴》を合唱。
純心女子、中学、高等学校は1956年から平和祈念式典での合唱を担当している。
小生の故郷は長崎県である。
原爆が投下された当時、18歳であった母親は訓練に駆り出され、米軍による奇襲から度々防空壕に逃げ込んでいたと言う。
もしもその時、母親が命を落としていたら小生は18年後、この世に生まれてくる事はなかっただろう。
戦争体験を聞いて育った幼少期、平和への思いは今も尚、忘れることなく強い思いである。
それはまた、被爆地の県人としての強い思いである事も間違いない事である。
◆左=SDGs(エスディージーズ)
前身であるMDGsに代わって定められた。
持続可能な開発目標のことで、2030年までに達成すべき17の目標。
◆右=世界の平和への願いを込めて
リボンピンバッジレインボー🌈🎗️
#永遠に明かりを灯せるように……
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