緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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月曜日, 11月 04, 2024

さつまいも基腐病 No,739

サツマイモ基腐病

サツマイモ基腐病(もとぐされびょう)は芋が土中で腐る病気です。


病気が感染多発した栽培地では、大幅な減収を生じます。

基腐病は平成30年度(2018年4月〜2019年3月)に沖縄県で、国内初として確認された後、全国で発生が確認されています。

令和5年1月時点で発生が確認されている都道府県

沖縄、宮崎、鹿児島、福岡、長崎、熊本、高知、静岡

岐阜、群馬、茨城、東京、千葉、岩手、愛媛、福井、埼玉

山形、石川、北海道、鳥取、長野、広島、徳島、神奈川

兵庫、岡山、大阪、和歌山、三重の30都道府県


サツマイモ基腐病は、主にさつまいも(ヒルガオ科)のみ感染するとされています。

感染すると茎の地際部が黒から暗褐色になり、茎葉は黄色や紫色に変色して萎れ、病状が進むと枯死し、その後芋(塊根=かいこん)が土中で腐ってしまいます。


      「地際部の枯れ込みが見られる株」


この病気は糸状菌(カビ)によって引き起こされ、その菌に感染した種苗や畑などに残った茎葉、芋などが伝染源になります。

健全な苗や芋に見えても、保菌している可能性があるので注意が必要です。

降雨などによって畑に水たまりができると、発病した株にできた胞子(カビのもと)が水を介して周辺の株に広がり、感染が拡大します。

育苗期から生育期、収穫期から貯蔵期間中に至るまで年間を通して感染、発病する可能があります。

日頃から病気の侵入防止と、早期発見、早期対策に努める必要があります。

苗を植えた後から収穫時まで、こまめに畑を確認し、発病が見られた畑では2年以上はさつまいも栽培を避け、さつまいも以外の作物を栽培するか、休耕します。

この病原菌は土壌中に残るため、同じ畑で連作栽培すると発病を繰り返す可能性あります。


       「発病が見られるサツマイモ」

主な防除対策例

病気が発生した場所から種芋を採取しない

無病な種芋や由来のわかる健全な苗を使用します。

種芋や苗はよく観察して選別し、腐敗や黒変があれば使用を避ける。

購入する苗が消毒済みであるかどうか確認

未消毒の苗は植え付け前にベンレート水和剤、ベンレートT水和剤20の登録農薬で消毒

別の畑で作業する前には、農機具や長靴についた土はよく落とし、水できれいに洗浄する。

畑に病原菌が入るのを防ぐため、コンテナや農機具、長靴等の洗浄水が畑に流れ込まないように注意する。

収穫後に畑に残った茎葉、芋は可能な限り畑の外に持ち出して適切に処分する。

収穫後は速やかに耕作を行う。

なお、病気が発生又は病気と疑われる症状を確認した場合、生産農家は関係機関に直ぐに連絡し、指導を仰ぐ必要があります。

家庭菜園に於いても必要不可欠な問題になっていると言えます。










日曜日, 11月 03, 2024

神農と断腸草 No,738

 断腸草

別名=鉤吻(こうとう)、冶葛(やかつ)

神農は紀元前2740年頃に活躍した皇帝で、人々に医療や農耕の術を教えたとされる人物です。

神農は毎日無数の草を食べていたが、「断腸草」と言う薬草を試すため食した時、解毒剤が間に合わず亡くなったとされています。

あらゆる毒素を解毒する葉を見つけていた神農であったが、常にその葉があるわけではありませんでした。

神農は120歳まで生きたと言われいます。

神農が食べた断腸草は外用薬として主に、湿疹や水虫、痔の治療に使われることもあります。

断腸草は山砒霜(やまひそう)、山の砒素(ひそ)とも呼ばれるほど、毒性が強いと植物で世界最強の毒草(劇毒植物)とされています。

その致死量は0.05mg


        「ゲルセミウム·エレガンス」


断腸草の正式名は「ゲルセミウム·エレガンス」でゲルセミウム科又はマチン科のツル性常緑低木です。

金銀花と外見がよく似ているため、間違って食する事故が原産地中国でも数多く発生し、死亡事故が起きている。

金銀花とはスイカズラのことで、涼茶(リャンチャ)として用いられている。

涼茶は冷たい漢方茶のこと









金曜日, 11月 01, 2024

お茶の歴史 No,737

 お茶の歴史

お茶の歴史は、中国で薬として発見されたのが始まりとされています。

紀元前2700年頃、神農が薬としてお茶を発見したとされています。

当時のお茶は、葉を食べんもので薬として用いられていました。

神農は紀元前2740年頃に活躍した皇帝とされ、炎帝神農とも呼ばれた、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の中の三皇(伏犠=ふっき、女媧=じょか、神農=しんのう)の一人。

五帝については配列や人名に諸説があるとされています。

神農は人々に医療と農耕の術を教えました。

神農神話

神農は毎日無数の草を食べる中で、毒気に当たることはなかったのかと言う話があるが、実際には1日に70回まで毒気に当たったそうです。

しかし、あらゆる毒素を解毒する葉を見つけていました。

それが茶です。

120歳まで生きたとされる神農は、「断腸草」と言う薬草を試した時、解毒剤に間に合わず亡くなったとされています。

常にお茶があるわけではなかったのです。



お茶の伝来

お茶は奈良、平安時代に遣唐使や留学僧によって日本に広まりました。

記録では、延暦24年(805年)に最澄(さいちょう)が唐からお茶の木を持ってきて近江の坂本にうえたとあり、これは今での日吉茶園として残っています。

最澄(767〜822年)は平安時代初期の日本の仏教僧=伝教大師

奈良時代から、日本人の暮らしとは切っても切り離せないお茶が緑茶です。

日本茶とも呼ばれることから日本文化のお茶と言えます。

鎌倉時代になると、臨済宗の開祖、明菴栄西(みょうあんえいさい、1141〜1215年)が宋に2度渡り、帰国の際にお茶を持ち帰ったのがきっかけで普及しました。

江戸時代のはじめまで緑茶は茶葉ごと飲むものでした。

今でも抹茶は粉にして葉を丸ごといただいています。

江戸時代には、幕府の儀礼に正式に用いられ、武家と茶の湯は切っても切れない関係となっていきました。

中国南部やタイなどでは、発酵させた茶葉を漬物として食べています。

1738年、宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)は、製茶方法を丁寧な方法に改めて、優れた煎茶の製法を編み出した「煎茶の祖」と呼ばれています。

宗円が生み出した製法は「宇治製法」と呼ばれ、18世紀後半以降全国の茶園に広がり、日本茶の主流となっていきました。


また、より高級な煎茶を開発しようと「覆下栽培」を煎茶に応用する試みが行われ、1835年山本嘉兵衛(やまもとかへえ)により「玉露=ぎょくろ」の製法が生み出されたとされています。

覆下栽培(おおいしたさいばい)とは、お茶の栽培方法のひとつで、茶の木をわらやむしろなどで覆って育てる栽培方法で、被覆栽培とも言われています。

茶葉を食べる

緑茶はスーパー健康食品であり、「日本茶を食べる会」と言う団体もあります。

無農薬、有機栽培のお茶を扱う業者が参加して「食べる」お茶文化を広げています。

お湯に溶け出すお茶の有効成分は、ビタミンCやタンニンの一種のカテキン、アミノ酸、カフェインなどが含まれています。

これらの成分は、1回出した茶がらには約40%、2回出した茶がらには約20%残っています。

また、不溶成分の食物繊維、ビタミンA.E、ミネラル、脂質などの栄養素がまだ含まれており、捨てるのはもったいないことです。