女性の休日
北欧アイスランドのストライキ
1975年10月24日の前代未聞の取り組みから今年で50年。
北欧アイスランドのストライキ「女性の休日」
男女平等世界1位
女性が最も生きやすい国と言われるアイスランド。
その昔、アイスランドでは夫の出世が妻の幸せなどという役割を強いられていました。
男女の賃金差や女性の政治進出の遅れに対する抗議として行われたストライキでもある。
当時の男女の賃金差は40%以上だった。
アイスランドの女性人口9割以上が、仕事や家事を放棄して参加したと言われているストライキが、どうして実現できたのだろうか?
75年6月、アイスランド政府が開催した「女性会議」が重要な契機になったとされ、労働組合、女性団体など多様な考えを持つ人たちが集まりました。
男性よりも低賃金なのに、女性が働かなければ社会は回らない。
その事を全国民に伝えるには、丸一日のストライキが必要だと、、、
女性会議でストに賛同する署名が集まります。
ところが右派の人たちが反対だ!
ストライキと言う言葉は受け入れないと、、、
そこで「休日」に変更する事にしました。
変更したのは団結が必要だったからで、全日ストの実現はその後の「ジェンダー平等法」制定に繋がる大きな一歩となった。
アイスランドの女性は1915年に参政権を獲得しましたが、しかし、その後の60年間で国会議員に就任した女性は9人に留まっており、1975年時点で女性の国会議員は総議席の5%に当たる3人であった。
ストライキを受け、1976年には性別による賃金格差を「違法」とする法律が成立。
1980年11月にアイスランドで初めての女性大統領(ヴィグディス·フィンボガドゥティル)が就任しました。
彼女はヨーロッパで初めての女性の国家元首であり、世界で初めて民主的に選出された女性国家元首でもありました。
ヴィグディスはこのストライキがなかったら、自身は大統領にはなっていなかっただろうと後に述べています。
そして、このストライキはアイスランド国外の女性運動にも影響を与える事になった。
1985年には、ストライキの10周年を記念して2度目のストライキが行われました。
その記念した日には、ヴィグディス大統領も登庁しなかった。
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