緑のお医者の徒然植物記

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木曜日, 12月 07, 2023

西蓮寺と大イチョウ No,680

 西蓮寺の大イチョウ

西蓮寺の大イチョウは、この寺を創建した最仙上人(さいせんしょうにん)によって植樹されたとされる。

昭和39年(1964)7月31日に県指定天然記念物に登録された。

1号株大イチョウは樹高約25mで幹周り約6メートル
明治16年(1833)の火災で幹が焼けて細くなったとされる。

この時の火災で建造物は消失しました。

現存する建造物は、その後の復興で建てられたものです。

1号株大イチョウの根元には子安観音を祀っています。



   「鮮やかに紅葉した1号株」



「株元が火災により細くなった状態」




 「子安観音を祀っている1号株」


2号株大イチョウは樹高約27mで幹周り約8メートル

大正6年(1917)の台風で幹の中途が折れる被害を受けました。

根元には稲荷社を祀っています。


  「稲荷社を祀っている2号株」



 「緑の葉がまだ見受けられる2号株」



1.2株ともに樹齢は1000年以上と言われ、気根を垂れ下げている、俗に「チチ」と称されるものが数多くついて、イチョウの老樹の特徴を見せている。


「かなり高い部分にもチチが見られる」


老樹である特徴の垂れ下がったチチ(気根)



イチョウは二億年前のジュラ紀から現存する大変古い樹種で、当時は日本にも自生していましたが、古い時代のうちに滅んだと考えられています。

日本で見られるイチョウは、中国浙江(せっこう)省の原産と言われ、飛鳥時代(593〜710年)の仏教伝来とともにもたらされ、初めは寺社を中心に植えられました。

室町時代(1338〜1573年)以降、一般に広まっていったとされる。

太平洋戦争の大空襲で焼け野原になった東京に、最初に芽生えたのもイチョウで、東京都の樹木に指定されています。

◉関連ブログ
イチョウ「銀杏、公孫樹」No,178



西蓮寺(さいれんじ)

西蓮寺は、延暦(えんりゃく)元年、天応2年
西暦782年(奈良時代)天台宗(てんだいしゅう)の僧侶、最澄(さいちょう)の弟子である最仙上人(さいせんしょうにん)によって、創建されたと伝えられている。



    「西蓮寺正門」



 「火災で消失後再建された瑠璃殿」


      「瑠璃殿」

関東地蔵霊場65番札所、関東薬師霊場78番札所、常陸七福神(寿老人)

最仙上人は、天台宗を常陸国に布教する上で大きな役割を果たしたとされる。

天台宗(てんだいしゅう)は中国を発祥とする「大乗仏教=だいじょうぶっきょう」の宗派のひとつで、妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる。


大乗仏教は伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の宗派。

日本の仏教は全て大乗仏教であるが、大乗仏教の経典は釈迦の死後、500年以降に成立しており、仏陀(ぶっだ=釈迦)の直説ではなく、後世に成立した偽経という批判にあった。


西蓮寺の木造薬師如来坐像は、貞観時代(じょうがんじだい、859〜877年)に最仙上人が自作したものと伝えられている、茨城県内最古の木像とされる。


最仙上人、自ら彫ったとされる木像写真






この時代は空海、最澄などの渡唐僧(唐に渡った)が密教美術を伝え、神秘的な木像が多く作られた時代と言われている。


最仙上人は現在の筑西市関本中の茶花(ちゃばな)家に生まれました。

年長になり仏教に信仰を持ち、後に日本から唐に渡って茶の種を持ち帰り、故郷関本で栽培を始めました。


茶花家の茶畑から収穫した初茶を、本尊薬師如来に献上する「献茶の儀式」が昭和初期迄続いていた。

茶花性はここから生まれたとされる。


西茨城県桜川真壁の「椎尾山薬王院」は、最仙上人が西蓮寺創建と同年に開山した古寺とされる。


◉写真撮影日
2023年12月7日

❉西蓮寺
所在地=茨城県行方市西蓮寺504