西蓮寺の大イチョウ
西蓮寺の大イチョウは、この寺を創建した最仙上人(さいせんしょうにん)によって植樹されたとされる。
昭和39年(1964)7月31日に県指定天然記念物に登録された。
1号株大イチョウは樹高約25mで幹周り約6メートル
明治16年(1833)の火災で幹が焼けて細くなったとされる。
この時の火災で建造物は消失しました。
現存する建造物は、その後の復興で建てられたものです。
1号株大イチョウの根元には子安観音を祀っています。
「鮮やかに紅葉した1号株」
「株元が火災により細くなった状態」
「子安観音を祀っている1号株」
2号株大イチョウは樹高約27mで幹周り約8メートル
大正6年(1917)の台風で幹の中途が折れる被害を受けました。
根元には稲荷社を祀っています。
「緑の葉がまだ見受けられる2号株」
1.2株ともに樹齢は1000年以上と言われ、気根を垂れ下げている、俗に「チチ」と称されるものが数多くついて、イチョウの老樹の特徴を見せている。
「かなり高い部分にもチチが見られる」
老樹である特徴の垂れ下がったチチ(気根)
イチョウは二億年前のジュラ紀から現存する大変古い樹種で、当時は日本にも自生していましたが、古い時代のうちに滅んだと考えられています。
日本で見られるイチョウは、中国浙江(せっこう)省の原産と言われ、飛鳥時代(593〜710年)の仏教伝来とともにもたらされ、初めは寺社を中心に植えられました。
室町時代(1338〜1573年)以降、一般に広まっていったとされる。
太平洋戦争の大空襲で焼け野原になった東京に、最初に芽生えたのもイチョウで、東京都の樹木に指定されています。
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イチョウ「銀杏、公孫樹」No,178
西蓮寺(さいれんじ)
西蓮寺は、延暦(えんりゃく)元年、天応2年
西暦782年(奈良時代)天台宗(てんだいしゅう)の僧侶、最澄(さいちょう)の弟子である最仙上人(さいせんしょうにん)によって、創建されたと伝えられている。
「西蓮寺正門」
「火災で消失後再建された瑠璃殿」
「瑠璃殿」
関東地蔵霊場65番札所、関東薬師霊場78番札所、常陸七福神(寿老人)
最仙上人は、天台宗を常陸国に布教する上で大きな役割を果たしたとされる。
天台宗(てんだいしゅう)は中国を発祥とする「大乗仏教=だいじょうぶっきょう」の宗派のひとつで、妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる。
大乗仏教は伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の宗派。
日本の仏教は全て大乗仏教であるが、大乗仏教の経典は釈迦の死後、500年以降に成立しており、仏陀(ぶっだ=釈迦)の直説ではなく、後世に成立した偽経という批判にあった。
西蓮寺の木造薬師如来坐像は、貞観時代(じょうがんじだい、859〜877年)に最仙上人が自作したものと伝えられている、茨城県内最古の木像とされる。
最仙上人、自ら彫ったとされる木像写真
この時代は空海、最澄などの渡唐僧(唐に渡った)が密教美術を伝え、神秘的な木像が多く作られた時代と言われている。
最仙上人は現在の筑西市関本中の茶花(ちゃばな)家に生まれました。
年長になり仏教に信仰を持ち、後に日本から唐に渡って茶の種を持ち帰り、故郷関本で栽培を始めました。
茶花家の茶畑から収穫した初茶を、本尊薬師如来に献上する「献茶の儀式」が昭和初期迄続いていた。
茶花性はここから生まれたとされる。
西茨城県桜川真壁の「椎尾山薬王院」は、最仙上人が西蓮寺創建と同年に開山した古寺とされる。
◉写真撮影日
2023年12月7日
❉西蓮寺
所在地=茨城県行方市西蓮寺504