鎌倉時代の庭園
鎌倉幕府成立1192年〜建武の新政1339年
武士が主導権を握るこの時代になると、寝殿造りの建築は作らなくなった。
代わって飾り気がなく強く、しっかりした「書院造り」の建築が造られるようになります。
❉書院造りとは、書斎である書院を建物の中心としている住宅様式のことで、室町時代になると武士は書院造りの屋敷に住むようになりました。
宗教は武士階級に受け入れられた「禅宗」が普及しました。
この「禅宗」にもとづく自然観は、庭園にも大きな影響を与えるようになります。
❉日本において禅宗(ぜんしゅう)には、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3宗派がある。
各宗派の共通点として、坐禅を重んじる修行を行うという特徴があり、坐禅の修行によって自分の心に向き合い、仏性を再発見することを目指すとされています。
禅宗の寺院では三門、仏殿、法堂、寝堂を縦に一直線に並べた伽藍配置をとるために、浄土式の寺院のような仏殿の正面に庭園を配置することはなくなり、庭園は本堂の奥に後退し、寺院の私庭の性格が強くなっています。
庭園は一般に小規模で質素になり、寺院や武士の住居にも造られました。
この時代の庭はその構成において、釣り合いや調和、力強さ等を重視したため、構成要素としては好んで石や敷砂、刈り込み物などが変化の少ないものが選ばれました。
このような庭園としては、奈良の永久寺、京都の南禅寺、横浜の称名寺などが挙げられます。
この庭園は単純な構成の中に、力強さを表現したところに特徴があります。
またこの時代は、禅宗的な自然観に裏打ちされた石立僧たちの作庭技術が大きく進歩しましたが、その中の代表が臨済宗の禅僧の「夢窓国師=夢窓疎石」です。
疎石(そせき)は庭造りにおいて、単に技術的に優れていたばかりではなく、作庭と禅の教えを強く結びつけた思想を有していました。
また、「南宋画(なんそうが)=南画」から影響を受けて、石組みで自然の山や川を象徴する手法も取り入れ、その時代の作庭法に強い影響を与えました。
疎石が造った庭園としては、鎌倉の瑞泉寺、甲州の恵林寺、京都の西芳寺、天龍寺などが挙げられます。