タブノキ(椨の木)
クスノキ科タブノキ属
沿海地に多く自生した常緑高木で、樹高は20メートルほどまで達する。
大木に育ち、材は家具、船材、鉄道の枕木、樹皮からは染料や香料、葉や幹の粉が線香の原料など様々に使用されてきました。
そのため、百を超える地方名がある。
本州、四国、九州、朝鮮、中国、台湾などの暖地及び亜暖帯に広く分布する。
別名をイヌグスといい、一般にイヌビエ、イヌタデなど「イヌ」が付く名を持つ植物は「似ているが性質が劣る、役に立たない」ことから名付けられる場合が多い。
しかし、それは人間が利用する都合によるものであると言えるだろう。
名前の由来は魂(たま)の木、魂の宿る木を表すことから付けられたという説がある。
木に宿る魂は木霊(こだま)と呼ばれるが、木霊とは樹木に宿る精霊や木の精霊を意味し、また木霊が宿った樹木そのものを木霊と呼ぶこともある。
八丈島に古くから伝わる織物である日本三大紬「黄八丈」はタブノキの樹皮を染料として利用したもので、八丈島ではタブノキを「マダミ」と呼ぶ。
八丈島はもともと西方からの漂着船が多くある場所で、江戸時代以降は流刑地としても利用された歴史がある。
いわゆる罪人を島送りする「島流し」である。
史実として、正慶元年1332年には第96代天皇(後醍醐天皇=ごだいごてんのう)の身でありながら、鎌倉幕府によって隠岐の西ノ島に流刑されたという歴史がある。
隠岐(おき)の西ノ島は、島根県、隠岐諸島に属する島の一つです。
八丈島の織物技術は西方からの漂着者や流刑者によってもたらされ伝わり、進化したと考えられています。
発祥は定かではありませんが、室町時代には白紬が献納されたと言われている。
黄八丈は1977年に国の伝統工芸品に指定されている。
波崎の大タブ
波崎の大タブは江戸時代、野火(のび=野焼きの火)が押し寄せ、この木によって難を逃れたと言い伝えられ、また、第二次世界大戦中の焼夷弾の難を逃れたとことから「火伏せの木」として信仰され、護摩を焚き家内安全の祈願をする習わしとなっている。
樹齢は1000年とも1500年とも言われ、県指定天然記念物、新日本名木百選にも選定されている巨樹です。
この巨樹は神栖市波崎の舎利地区の益田山神善寺(じんぜんじ、別名舎利寺)
の境内にある。
神善寺は平安時代の開基というこの地域では、最も古い真言宗の寺院で地名の「舎利=しゃり」の由来となっています。
天喜4年(1056年)に高野山から貞祐上人が十六善神の宝物を持ってこの地に開山したのが益田山神善寺です。
天喜(てんぎ、てんき)は平安時代の1053年から1058年の期間を指す。
真言宗は空海によって9世紀初頭に開かれた大集仏教の宗派で、日本仏教のひとつである。
空海が長安に渡り、青龍寺で恵果(えか、密教僧、空海の師)から学んだ、生きている間に悟りを開けるとする「即身成仏」という教えを持つ中国密教を基盤として、平安時代から続く宗派である。
長安は中国の古都で、現在の陝西省(せんせいしょう)の省都西安市に相当し、シルクロードの起点とされることもある。
「舎利」とは、火葬した後の遺骨を意味しますが、通常は釈迦の御遺骨のことを指します。
多くの釈迦の教えを世界に広めることを目的に、釈迦が亡くなった後、ご遺骨が細かく分けられました。
舎利は塔に納められ供養されますが、安置している塔を「舎利塔」と呼ぶ。
また、舎利は白く小さいお米を連想させることから、舎利という名がついたという説もある。
お寿司の白米がシャリと呼ばれているのはそのためなのだろう。
❉波崎の大タブ
所在地=茨城県神栖市波崎3355
益田山神善寺