戦争の証言
三重県津市で空襲を体験した角谷周作さん(89)。
津市では7度の空襲によって中心市街地の73%が焼失し、約2500人が犠牲になった。
同市で少年時代を過ごした角谷さんは、空襲があった頃の記憶が脳裏に焼き付いています。
当時の体験から「二度と戦争を繰り返してはいけない」と訴え続けています。
国民学校3年生だった角谷さんは、1945年5月14日、印象的な光景を目にしました。
国民学校とは兵士を育てるための軍国主義教育学校です。
日本軍の攻撃で被弾した米軍のB29爆撃機が黒煙と炎を上げ、伊勢湾に向かって飛んで行ったのです。
B29は低く飛び、白いパラシュートで降りてきた米兵の姿が見えたという。
津市上空で被弾し旋回しながら伊勢湾に墜落したとされる該当機は、B29(機体番号:44-69966/所属:第58航空団462爆撃群)で、搭載員は11名
機外に脱出した米兵は、日本軍の警備艇や漁師に助けられ、戦後に2名が米国へ帰還しました。
2名の米兵は群衆に暴行を受けていた。
漁師に救助され、上陸した米兵は群衆に石やゲタ、レンガで殴られた1人は血まみれになっていた事実がある。
米兵は憲兵に縛り上げられ、群衆に棒や素手で殴られたなど当時の住民による生々しい証言が、研究資料には記されています。
敵の兵士だからといって群衆が暴力を加え、軍の処刑で命まで奪われたことに角谷さんは驚き、本当に悲惨な出来事だと語っています。
44-69966搭乗員のPaulR.Labadie伍長は行方不明
Robertc.orr少尉(米国へ帰還)
LloydO.Miller(米国へ帰還)
TheodoreC.Reynolds少尉は東京陸軍刑務所の火災で死亡
他の7名は伊勢湾周辺で捕虜となり、1945年7月11日の軍律法廷で無差別爆撃を理由に死刑を宣告され、翌日の7月12日に小幡ヶ原陸軍射撃場(名古屋市)で全員が処刑(斬首)された。
処刑された7名
DeanH.Sherman(中尉/機長、操縦士)
NormanSolomon(少尉/爆撃手)
JerryW.Johnson(伍長/無線通信士)
EvanL.Howell(伍長/中央銃手)
CarlH.Manson(伍長/左銃手)
BenjaminW.Prichard(伍長/レーダー手)
EdwardR.Gentry(伍長/尾部銃手)
角谷さんが目撃した米兵も処刑されました。
この7名以外にも同時に処刑された米兵がいる。
同じ日に名古屋市西区に墜落したもう1機のB29(機体番号:44-70017.Clewett班)の生存者4名の捕虜を加えた計11名が処刑されています。
戦後のすぐの1945年12月、アメリカ軍の遺体捜索チーム(AGRS)によって小幡ヶ原陸軍射撃場から11名の遺体が掘り起こされ、身元が確認されました。
その後、遺骨はアメリカに送られ、現在は全米各地にある国立墓地などで家族のもと、あるいは戦没者として正式に埋葬されています。
名古屋市にある慰霊碑
東谷山聖徳寺というお寺の境内に、彼ら11名を追悼する殉難米軍飛行士記念碑が建立されています。
日本の各地にはB29爆撃機の墜落した場所に慰霊碑が建立されている。
戦後この事件は国際法(捕虜の虐待、処刑)に違反するものとして、横浜BC級戦犯裁判の対象となっています。
44-70017の機体は空中分解したため、乗員11名のうち7名が墜落時に死亡しました。
アメリカ軍の捕虜となった日本人がアメリカ軍によって処刑されたという事例はなく、反対に太平洋戦争中には、日本軍が米軍などの連合国軍捕虜を各地で違法に処刑、虐待した事例が多くあり、戦後に日本側がBC級戦犯として裁かれた。
この国は再び歴史に学ばず惨禍を繰り返すのか、軍拡姿勢から見えてくるおぞましい政権の姿が見え隠れしている。
世界中の国々は注視すべきである。

