200海里規定で船団崩壊末路へ
200海里(約370km)とは
世界各国が沿岸から200海里を「排他的経済水域(EEZ)」や「漁業水域」として設定し始めたのは1977年(昭和52年)今から49年前のことです。
排他的とは、自分たち以外の部外者や他者を受け入れず、締め出そうとする態度や性質のことです。
1973年から始まった国連海洋会議を前に、1976年頃から「主要国が一方的に水域の設定を宣言」しました。
1977年3月1日にアメリカとソ連(当時、現ロシア)が実施したことを皮切りに日本も同年7月1日から実施しました。
これにより、沿岸国は200海里以内の水産資源や鉱物資源に対して、排他的な権利を持つことになり、日本の遠洋漁業も大きな転換期を迎えることとなった。
アメリカとソ連の200海里水域における時刻の権利宣言に伴い、遠洋、沖合漁業の捕獲量が激減、日本が操業できる漁場はどんどん狭くなっていった。
この200海里水域規定は、1996年に国連海洋法条約が発行されたことで国際的な制度として正式に確定しました。
200海里水域が実施されてから2年後の1979年に小生は巻き網船に乗った。
すでに学歴社会、どんな仕事に就こうとも高卒と言う学歴がつきまとった。
それはのちに船乗りを辞めて田舎を離れた地方で強く身につまされた現実でした。
離島には漁師か自衛隊かの選択肢でしかない時代が長かった。
鳥取県境港の水産会社の巻き網船に乗って、北海道釧路へ
配属されたのは運搬船(第38千鳥丸)で、捕獲した魚を積み込んだあと港へ入港し、市場付近の埠頭で荷揚げしていた。
当時は16歳、賄い飯をひとりで作りながら本来は荷揚げ作業はしなくてもよかったのだが、人手不足もあって賄い飯を作らなければならない時間帯のぎりぎりまで荷揚げ作業をしていました。
「船員手帳」
1週間に1回の食料品の買い出しもひとりで行うが、知らない土地での買い出しは大変だった。
買い出しを行ったお店のおばさんに船まで送って貰うのがお決まりでした。
一度に1週間分の食料品を買うので段ボール箱が数個になった。
月に一度の1週間の休みのときは、主に釧路の幣舞橋の袂に船が接岸された。
幣舞橋(ぬさまいばし)は、釧路川の河口近くに架かる市のシンボルで、「北海道三大名橋」の1つで、世界三大夕日に数えられる美しい夕景や、橋上の春・夏・秋・冬(四季)のブロンズ像(日本初の橋上彫刻)裸婦像が有名です。
1889年に木橋として架けられて以来、現在の橋は5代目となります。
北海道三大橋=札幌の豊平橋、旭川の旭橋
幣舞橋=釧路市北大通1丁目
1週間の休みの間、船の寝台で寝る船員はほとんどいなかった。
皆そこそこに行く所があったのだろう。
遊びも知らない小生には無縁だった。
釧路市には喫茶店が多くあった、思い出の喫茶店は「太陽の顔」と言う錦町にあった喫茶店、今は存在しない思い出の喫茶店。
200海里水域の付近では中国船籍の船が魚を獲ってその船上で缶詰にしていた。
日本の水域まで入り込んでいた。
海上保安庁が警告を発して追っ払っていたがなかなか退避しない船も多かった。
中国船籍の行為は日本の漁獲量にも影響を与えていたようだ。
巻き網業は乱獲的な方法だと思う。
資本主義的な捕獲行為では、いずれ衰退することは目に見えていたと思う。
巻き網は魚が網の中で暴れるため、魚が傷つきやすく鮮度が落ち、生食に適さないことが多く、そのため加熱用や加工用で用いられることで消費されていた。
それでも港みなとでは、住民のために大きなかごに魚を入れて置くと袋を持った人が自由に魚を持っていったものです。
一度だけ釧路市場で荷揚げ船がいっぱいで、荷揚げできなくなったことがあった。
荷揚げ出来る港を探した時、青森県久慈市で荷揚げ出来る事になり、釧路沖から久慈まで向かった。
時間が経ちすぎて、鮮度を保つための氷も溶けて臭いまでする状態だった。
食べ物としては利用出来ない、、ところが魚価は高くついた。
肥料用として高値がついたのです。
しかし、荷揚げ作業する船乗りには臭くてたまらなかった事を覚えている。
歩合制であったため、その時の給料は40万円と言うものだった、ちなみに基本給は11万円。
船長や機関長、局長、漁労長は甲板員の2倍の給料なので80万円です。
冷凍会社も多くなっていたことも乱獲に拍車をかけたと思います。
日本の全体的な漁獲量は養殖も含め、1984年をピークに減少の一途を辿っていった。
1979年頃にはすでに、労働環境の厳しさや待遇面で若手の新規就業者が不足し始めていました。
日本の遠洋漁業や巻き網船などの沖合漁業は年々、燃料価格や潤滑油の高騰、漁具や発泡スチロールなどの資材費の値上がりや深刻な船員の高齢化、人手不足により、投網回数の減少とともに漁獲量も落ち、市場の競りや出荷時間にも間に合わず、魚価が下落する悪循環にか陥っていった。
漁業の衰退の最大の原因は「乱獲」であり、また、200海里水域規定と言う制度でり、持続可能な漁業を進める政策を打ち出さなかった政府の責任でもある。
漁業で成り立っている離島では死活問題になり、ほとんどの巻き網業の水産会社は倒産してしまった。
2010年から2030年の海域別の水揚げ量が、世界全体では23.6%と予測されていますが、日本の海域だけがマイナス9%となっている。
つまり、この予測から世界中で日本の漁業のみが衰退して将来性がないとみられています。
農業制度と同じく国内自給率を下げ続けている日本、輸入に頼る事を選び続ける悪政が続くなら、緊急事態での食糧難は避けられないことは明白だろう。




