緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/08/06

広島原爆投下の日 No,535

 広島76周年平和記念式典

核兵器禁止条約の発効(1月)から初めて迎える広島の原爆の日

ジリジリと焼ける程の暑い夏、無差別の殺人兵器が投下されて76周年を迎える。




原子爆弾により、何世にも渡り被爆者は苦しみ続ける。

世界最大の殺人兵器を保有する国々が今も尚核兵器に固執する。


戦争体験者が高齢となり、戦時中の体験話も聞くことができなくなるのも、時間の問題である。

その記憶が消えたとき戦争は再び起きやすいのです。

繰り返してはならない。

こども代表 平和への誓い

引き継いでいく思いを胸に、、、


広島市立袋町小学校6年
伊藤まりあ

広島市立五日市東小学校6年
宅味義将


広島NGO検討会

来年1月に開かれる核兵器禁止条約第一回締約国会議をめぐり、国連の中満泉軍縮担当上級代表は、生物兵器や対人地雷禁止条約などでも非締約国がオブザーバー参加し、議論する事が条約の実効性を高めたと強調。

被爆国である日本政府も参加を検討するように求めました。


被爆者を代表して、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団恊)の児玉三智子事務局次長は唯一の戦争被爆国である日本政府は、条約に背を向け続けている。

条約を批准し、世界をリードすることが求められていると強調。

出席した各党代表に「被爆国の議員として、人として、国会で議論し日本が条約を批准し、締約国会議に参加をするように尽力して欲しい」と求めました。


        「広島原爆ドーム」




       「2019年7月9日撮影」

核兵器のない世界を目指して毎年歩き続けてきた国民平和大行進。

今年もコロナ禍の中、規模を縮小し行われました。

    「茨城から千葉へ引き継ぎ」 
       「2021年7月7日撮影」


広島、長崎被爆地を目指して、北から南へと全国を結ぶ大行進です。









2021/08/05

8月のバラの手入れ No,534

 8月は酷暑、熱帯的な気候が続く季節です。

暑さが特別苦手なバラもあり、葉は巻き上がって茎は真っ黒になり、息も絶え絶えの様子ですが、秋には息を吹き返します。


   「アンネのバラ8月5日撮影」

1'咲きがら摘み

フロリバンダは依然としてそこそこの花を咲かせ、ハイブリットティーはますます貧弱となります。

夏に花を咲かせると、株が疲れると言われますが、実際は咲かせても影響はないようです。

3日に一度の咲きがら摘みを続けます。


2'シュートの処理

シュートの発生は少なくなりますが、見つけたらピンチします。

つるバラ、シュラブも7月に準じます。

3'病害虫の防除

8月になるとうどん粉病は増殖適温を超えますが、沈静化します。

黒点病も高温に加え、雨が降らないので一休みします。

ハダニは暑さと乾燥に強いので注意が必要ですが、心配なければ薬剤の定期散布は少し間隔を空けても良いでしょう。

4'施肥

夏の元肥がまだなら上旬には済ませるようにします。

鉢植えにはこれまで同様に置き肥と液肥を続けます。

5'水やり

庭植えのものには不要ですが、どうしても気になる場合は、回数は少なくてもやる時にはかなり深い所へ浸透するようたっぷり与えます。

少量の水や打ち水程度は逆によくありません。

6'夏のせん定

ブッシュ系は遅咲きのものから月末に始めてもよいでしょう。

早咲きのものは9月上旬頃に行います。

6月に出た2番花の中程、新しいシュートはピンチして分かれた枝の中程で切ります。

つるバラやシュラブは咲きがら摘み程度に止めます。


    「アンネのバラ4月12日撮影」


7'台風対策

早めの対策として支柱を立てるなどし、固定します。

鉢植えの場合は特に、台風対策を忘れないようにしましょう。





2021/07/31

植物の恩恵を考える No,533

 植物による恩恵

多くの人々が知る事であるが、地球の自然環境を支えているのは、紛れもなく植物たちの力である。

植物の緑からは様々な多くの恩恵があり、豊かな環境を維持するのはもとより、そのたいせつさはすべの生き物、人間の健康や生活と密接に関わっています。

また、植物から恩恵を受け生きる小さな生物たちさえも、環境の中で大きな役割を果たしているのです。

人類誕生とともに植物たちは生きてきました。

その中で有用種とする植物により、木材種、工芸品種、食用種(果実、茎や葉など)薬用種など、様々な用途で利用されてきました。

その種は、自国だけでは全てが賄えるわけではなく、他国から導入し栽培、植栽などを行って維持する種も多い。

つまり植物たちは、世界中で必要とされ、利用されてきたのです。

自然災害の他に人類の過剰な開発により、温暖化や酸性雨化などによる被害が起こることになり、植物たちの生育環境は一変し、悪化し始めているのが現状です。

人為的な影響によることを否定出来ない状況まで、環境が悪化したのが現代である。

薬用種は、物理的な環境要因との相関があまり高くないのが特徴とされる一方、アルカリ土壌と言う特殊な条件で種類が豊かなことが分かります。

このこともやはり、人為的影響との相関が強いと言える。

今後人類は、植物とどのように関わっていくのか、今一度深く考えなければならない環境下に辿り着いたと言えるだろう。



★他国の軍事基地建設に伴い、自然環境破壊が続いている沖縄辺野古海岸。
(2014年10月4日辺野古にて撮影)


地球規模で考えた場合、1地域、一国だけが自然環境が豊かであれば良いという事ではありません。

多くの生命は他のたくさんの生物と直接関わり、初めて生きて行くことができます。

長い人類の歴史の中で、多くの生命と地球という環境を分かち合い、そして多くの恩恵を『資源』として、様々な生き物たちが生きている環境を守る事は呼吸するために必要な空気を守ることであり、また光合成をする植物たちを大切にする必要があることです。

『生物多様性』とは、動植物の種類が多いという事だけを意味するだけのものではなく、長い歴史の中で育まれてきた生き物の、相互の繋がりをも指し示すことでもあります。

地球環境の問題は、人類自身が自然環境を改変し、多くの生物を減少、絶滅に追い込み、地球上の生物多様性を著しく破壊する、世界的規模の問題であるのです。

人類の医療を支える医薬品の成分には、5万種から7万種もの植物から取り入れたものが多くあります。

また、海の生物から抽出された成分で作られる抗がん剤もあり、利用さています。

この利用に対して、年間最大10億ドルの利益を生み出し、世界の薬草の取引も一年で430億ドルに達したとされる記録もある。

また、数多くの発見されていない様々な物質が存在していると考えられていますが、これらが発見されれば、現在の医療で解決されていない様々な、難病などがいずれ治療できるようになるかも知れません。

しかし、多くの様々な恵みが失われようとしているのが現状なのです。

この事は、人類が生物多様性から受けている恩恵を自ら失うことであり、未来に叶うであろう可能性を閉ざしてしまう事でもあります。

一方、この生物多様性と言うものは、地球上のあらゆる生命が、人間のためだけに存在しているわけではないと言う事です。

地球環境は全ての生命のために保たれ、また様々な生き物が生きて行くために壊してはいけないものなのです。











2021/07/20

羽黒山の爺杉 No,532

 爺杉

山形県羽黒山の表参道は全長約20㌔、2446段もの石段が続き、山東の両側には樹齢300〜600年と言われる杉並木が続き、その数は400本以上あると言われ、昼頃でも暗い。






表参道全体が国指定特別天然記念物となっている。

東北を代表する場所と言えるだろう。

観光ガイド日本編「ミシュラン·グリーンガイド·ジャポン」によれば、羽黒山の杉並木が三ツ星に選ばれている。

羽黒山の杉並木を登ると、平将門が創建したと伝えられる、国宝の五重塔が杉木立の奥に見えてくる。


江戸時代の頃には、五重塔の周囲には数多くの寺院や僧房が存在していたが、今では取り壊されて五重塔だけがポツンとたたずんでいる。

爺杉は樹齢1000年と言われ、国の天然記念物に指定されている。


かつては近くにもう一本、婆杉と呼ばれた杉が存在し、爺杉と並んで羽黒山の名物だったが、1902年(明治35年)婆杉は台風で倒れてしまい、現在では爺杉だけになった。

その後、残された杉は寂しかった事だろう。

その哀しみは、五重塔だけが知っているに違いありません。

「日本昔ばなし」なら、その気持ちも伝えてくれる事だろう。


1000年もの間、厳しい風雪にも耐え抜いてきたのである。


江戸時代には「祖父杉」「祖母杉」と呼ばれていたとされ、おそらくは「夫婦杉」として信仰の対象となっていたのだろう。

その後、国の天然記念物として指定される際に「爺杉」の名称で指定されましたが、倒れてしまった杉が爺杉で、現在残っている杉が婆杉であったと言う話もありますが、今となっては確かめるすべもないようです。


羽黒山の石段を登る際に、石段に掘られた、とっくり、杯、蓮などの掘り絵を探しながら登るのが楽しみのひとつで、全部で33個程あるそうですが、すべて見つけると満願成就するのだと云われているそうな。


                          「爺杉と五重塔」

羽黒山の爺杉
幹周り8.3m   樹高48.3m
樹齢1000年

所在地=山形県鶴岡市羽黒町手向








2021/07/19

プラタナス(スズカケノキ)オランダ発 No,531

 西ヨーロッパ  オランダ王国

西ヨーロッパに位地する立憲君主制国家のオランダは、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面している。


ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。

オランダは憲法上の首都はアムステルダムで、事実上の首都はデン・ハーグとなっている。

こんな制定の国が他国にもあるのだろうか?

カリブ海のアルバ、キュラソー、シント・マールテンと共にオランダ王国を構成し、その他カリブ海に海外特別自治領がある。

国土の45%が農業用地と言う農業大国である。

農作物の輸出額では、アメリカについで世界で2番目とされる。

日本での温室栽培はビニールハウスが主であるが、オランダではガラス張りの温室「グラスハウス」で、野菜などたくさんの作物を栽培している。

また、オランダは世界的に知られたチーズの産地で、オランダ全土で様々なチーズが作られていて、オランダの食生活にチーズは欠かせない存在となっている。


アムステルダムの運河沿いなどに立ち並ぶプラタナスの木




プラタナスは、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称。

世界四大街路樹の1つに含まれる。
プラタナス、マロニエ、ボダイジュ、ニレ

北半球に自生する樹木であるが種の数は少ない。

プラタナスの語源はギリシャ語のPlatys(広い)で、大きな葉に由来する。

古代ギリシア時代から並木に使われた。

西アジア原産のスズカケノキと、北米原産のアメリカスズカケノキの交雑種で、イギリスで作られたと言われる。

原産は南ヨーロッパ、北アメリカ、メキシコ及びインド

街路樹に向く樹種として日本へは明治時代に渡来したとされる。

明治40年、当時の東京市の都市計画の中で街路樹として初めて採用された。


日比谷公会堂前のスズカケノキの大樹


日本ではモミジバスズカケノキが街路樹、庭木として栽植され、以前はイチョウに次いで街路樹として多く利用されたが、集客力のある樹種(黄葉木)が主になって行った事で、だんだん街路で見かけることも少なくなった。

パリではマロニエ(セイヨウトチノキ)と並んで有名な街路樹です。

アメリカスズカケノキは「シカモア」と呼ばれることもあるが、もとは「エジプトイチジク」がそう呼ばれていて、「セイヨウカジカエデ」も同様に「シカモア」と呼ばれる。

ヒポクラテスの木(プラタナス)

「医学の父」と呼ばれる医学者の“ヒポクラテス”がプラタナスの大樹の陰で、弟子たちに医学を教えた事に由来する。


      「コス島ヒポクラテスの老木」


ヒポクラテスとは古代ギリシアの医者で、エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島ケファロスに生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられているが、その生涯について詳しいことは分かっていない。

西洋医学の父と言われたヒポクラテスの生まれた家系は、医師①「アスクレピアデス」の血を受け継ぐ家系で、ギリシャ神話に登場する「医学の神アスクレピオス」の子孫とされています。

✪アスクレピオンはコス島にある遺跡で、医学の神アスクレピオスが祀られている。



               「アスクレピオンの遺跡」


ヒポクラテスは医学学校や治療所をここに建てたとされる。

現在もその遺跡やアスクレピオスを祀った神殿が遺っている。

この場所からは美しい景色で、コス島の町がよく見えます。

①アスクレピアデスは古代ギリシアの医師で、ギリシアのプルザ生まれ、アレクサンドリアで医学を学び、アテネで✫修辞学を修め、同地で医業を開いたが、紀元前91年にギリシア医学をローマに移した。

✫修辞学とは、弁論、演説、説得の技術に関する学問の分野のこと✫


その医学はガレノス(古代の医学、哲学者の一人)の時代までローマで盛んに行われた。

アスクレピアデスはヒポクラテスの体液病理説に反対で、投薬を好まず、マッサージ、水溶療法を重視した医者である。

日本のヒポクラテスの木

日本のヒポクラテスの木はいくつかの系統に分類され、緒方株(コス島の株)と呼ばれるものと、コス島より原木の種子を持ち帰り(1955年)日本で発芽させて育てられた株からの取り木の1つ(篠田株)等が存在する。

✻緒方富雄博士(東京大学名誉教授)
✻篠田秀男博士(山形市篠田総合病院)


日本各地の医療施設、医学関連大学などで植樹されている。









2021/07/18

大麻草悲劇の歴史 No,530

 大麻草の歴史

別名=アサ(麻)、ヘンプ
カンナビス·サティバ·エル

大麻草は太平洋戦争後に制定した「大麻取締法」のもとで、厳しく規制されている植物である。

その取締法の成立のきっかけとなったのが、戦後も日本に駐留したGHQの指導によるものである。


過去から現代に至るまで、大麻そのものは日本国内で栽培されていて、特に戦前では様々な用途に盛んに利用されていた。

大麻取締法の制定(1948年)以降「大麻取扱者」の免許を取得した農家だけが栽培を許可され、栽培された大麻草は七味唐辛子に入っている「麻の実」や衣類の原料として繊維が使われている。


各地に自生する大麻草は、自治体によって定期的に除草され、その草姿を目にする機会もほとんどありません。


しかし、大麻取締法が成立する前の日本では、大麻はもっとありふれた植物で、日本人の生活や精神的にも密接な関わりを持っていました。


古くは縄文時代、弥生時代の頃から生活に欠かせない植物であったが、麻薬のような使用をしていた訳ではありません。


祖先の多くは大麻の実を食用にしたり、大麻の繊維を使い布を織って衣服を作ったりしていました。


特に繊維は様々な用途で利用された歴史があります。

木綿が登場する戦国時代中期頃まで、多く利用されていました。


風通しがよく、軽くて丈夫な麻布を使った衣服は庶民に親しまれていました。


赤ちゃんに着せる産着も麻布を使ったものが一般的であった。

その他には魚網や縄、縫い糸など道具の原料としても使われていた歴史がある。


今ではほとんど見かける事も少ない、使った経験もない人が多いと思われる蚊よけの蚊帳(かや)の原料にも繊維が使われていた。


この様に人々の生活や仕事など、ごく普通の存在で、また欠かせないものだったのです。

✫「神道」しんとう、しんどう=日本の宗教、「惟神の道」かんながらのみちともいう

神道の世界では、心霊が宿る“神聖な植物”として扱われ、本来は麻布を使うのが正式であるとする、お祓いに使うはらえぐし(祓串)がある。

御神木には、大麻の繊維で出来たしめ縄(注連縄)が巻かれます。

かつて日本は、黄金の国と呼ばれていたとする事が歴史書に記述が見られ、黄金の国日本は「麻の国」であったとする説がある。


「黄金」とは、大麻から作られる「精麻」であったと言う説もある。

精麻は大麻草の茎を精製した繊維のことで、黄金色で独特の光沢がある。

当時の農家では、米に次ぐ作物として栽培され、精麻が盛んに作られていた。


桜が日本の国花とするならば、大麻草は日本の国草と言っても過言ではない植物だったのである。



現在の日本を除く先進国では、医療大麻の活用が本格的に検討されたり、実施されたりしています。

医薬品として、難病の治療などに役立つものとして注目されています。

やはり、戦前からも医療目的で大麻は使われていた。


大麻の葉を乾燥させて作る「大麻タバコ」が明治時代ではぜん息の治療薬として使われていた事実がある。

この大麻は「カンナビス·インディカ」と言う種類で、中東から輸入され、「喘息煙草印度大麻煙草」と言う名称の医薬品として販売されていた。

江戸時代には、大麻がマラリアに効く治療薬として、本草学者の貝原益軒=かいばらえきけん(1630~1714年)の書物「大和本草」に記述されていた事実もある。

✫大和本草(やまとほんぞう)「1709年刊行」とは、明治時代に生物学や農学の教本が西洋から輸入されるまでは、日本史上最高峰の生物学書であり農学書であった。

現在、江戸時代までの生物学書や農学書の資料は「大和本草」以外は残っておらず、当時の日本独自の生物学や農学を知る上では第一級の資料である。


大麻取締法が成立する以前にも大麻を規制する「大麻取締規則」が1930年に制定されていた。

この時点で初めて日本でも“大麻は麻薬”
であるとされたのです。

しかし、日本で栽培利用されていた大麻は、規制対象外の大麻だったのである。

1930年の時点では、日本の大麻は麻薬としての扱いにならない植物だったのです。

しかし、アメリカとの戦争(1945年)に敗れた事で状況が一変したのである。

GHQによって、日本の大麻も麻薬に指定するように指導され、それを受けて「大麻取締法」が1948年(昭和23年)に制定されたのです。

これはアメリカ(占領国)の価値観を、日本に押し付けたものであると言えるだろう。

これに伴い、日本の農家にとって死活問題になった事は言うまでもない。

アメリカに従い続ける姿が大麻草の取り扱いからも見えて来るようだ。

現在、大麻草の扱い方が世界的にも変化を見せている。

この流れから日本でも、大麻取締法の内容を議論する動きが出て来ている。

この法改正が行われる事が迫っているようである。


                                             「大麻草」

                             「大麻草の雌花」

大麻草に間違われやすい植物

ケナフ アオイ科  アメリカ原産
別名=アンバリ麻、ボンベイ麻

ケナフ(洋麻)は大麻草と比べてると、ケナフの葉は1枚で基部まで深く葉が切れ込まない。

花が全く異なるので花の咲く夏期は見分けやすい。

                                「ケナフの葉」

                                 「ケナフの花」


これまで大麻の栽培の歴史はあまり分かっていませんでした。

しかし、過去最大規模の遺伝子研究によって、大麻のルーツが約一万二千年以上前の中国にあることが判明しました。

その研究内容は7月16日付けで「Scienee Advances」に掲載されています。


大麻の起源として、これまでに西アジア、中央アジア、中国北部が有力として挙げられていました。

研究の結果、大麻は現在の中国西部にあるカザフスタン及びキルギスとの国境付近で、はじめて栽培されたことが示されました。

同地に自生する大麻植物の遺伝子が、最初に栽培されたとされる「基底型(基本)」に非常に近かったのです。

「基底型」は、「精神作用」の発現と繊維生産の両方に適しています。

研究チームがもともと最有力地としていたのは中央アジアでした。


その理由は、中央アジアの道路沿いに野生化した大麻が多く存在していたからです。

しかしゲノム(遺伝子情報)解析の結果、中央アジアの大麻は「繊維型」であることが示されたのです。

「繊維型」は枝分かれしないタイプで、「精神作用」はなく、ロープや織物の繊維を作るのに適しています。


「基底型」を栽培するうちに様々な種が分岐し、約四千年前にはじめて「繊維型」が派生したようだとしている。

ヨーロッパ、中央アジア、中国北部の一部に現在は「繊維型」の大麻が自生している。

野生のアサ(麻)属の祖先は絶滅しているとされ、今日存在する大麻は全てが、中国北西部で栽培されたアサ属の子孫と見られる。

長い栽培歴史の中で大麻は、商業的なルートを経て、世界各地にさまざまな品種が広がって行ったと思われる。


★後書き

日本では大麻草について特に厳しい扱いである。

植物に詳しい人なら分かる事だが、植物には毒が含まれている物は多い。

何が大事かは、植物の成分をどう使うかであると言うことです。