緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2020/05/26

植物の種類と果実  No.225

植物の花からできる果実

植物の種類と果実

a)果実

雌しべの基部にある子房(しぼう)が、受精後発達したもので、中に種子を入れているもの

子房を持たない裸子植物は、厳密に言えば果実は出来ない。

b)種子植物

植物の分類上の門の1つで、花をつけ種子を作るものの総称

顕花植物(けんかしょくぶつ)という

裸子植物亜門と被子植物亜門に大別される

c)被子植物(ひししょくぶつ)

花に子房があり、大半のものはおしべや雌しべ、花弁や蕚(がく)がある

子房や子房を含むその他のものが、発達した果実をつけその中に種子ができる


          (被子植物)


d)裸子植物(らししょくぶつ)

花には花弁やがく、子房がない

被子植物では、子房の中にある胚珠(はいしゅ)が露出しており、種子ができる



        (裸子植物)


e)子房(しぼう)

雌しべの下方の膨らんだ部分のことで、中に将来種子になる胚珠がある

子房の部分は将来果実になる

発生学的には、雌しべは1~数枚の葉のヘリがくっついて下方に室(膨らみ=子房)を作ったもので、室は1室のこともあれば、数室に分かれることもある

各室の中には1個~多数の胚珠を持っている

また、がくや花冠、雄しべなどと比べて子房がどのような位置関係に当たるかにより、上位子房、中位子房、下位子房という

子房の位置や部屋の数、胚珠の数によって果実の形態が異なる。




f)胚珠(はいしゅ)

被子植物の雌しべの子房内にある小さな粒

卵細胞を包む胚のうを持ち、受精後は種子になる

裸子植物の雌しべは、子房を作らないので胚珠はむき出しになっている


果実のつくり

①真果(しんか)
子房と胚珠(種子)だけでできる果実

偽果に対する用語でカキ、ツバキ、ミカン、モモなど種子植物の大半は真果

②偽果(ぎか)
子房以外の部分が、子房と一緒に発達してできた果実のこと。真果に対する用語

花托(かたく)が子房と密着して膨らんでできるナシ、リンゴ、オランダイチゴ(イチゴの正式和名)

花托が肥大してツボ状に窪み、その中に多数の花を入れるイチジクなどが代表的



③果皮(かひ)
果実のうち、種子を包む部分のことで、子房の壁が変化したもの

カキ、ウメ、モモなどの真果では外果皮(がいかひ)中果皮(ちゅうかひ)内果皮(ないかひ)の3つに分かれており通常、中果皮の部分を食べる

子房以外の部分が一緒に発達する偽果では、果実は真果のように発達しないので、外見上明確に3つには分かれない

例えば、リンゴの場合は、花托が食べられる部分となりいわゆる芯の部分が果皮となる

④球果(きゅうか)
種子を覆った鱗片(りんぺん)が集まって球形の果実のような形になっているもの

球果につく1つの鱗片を果鱗(かりん)という

裸子植物のマツカサ(松ぼっくり)など







2020/05/24

山本懸蔵の憧れた時代へ 特別編 No.224

山本懸蔵

(やまもとけんぞう)

                     「山本懸蔵の碑、碑文」


山本懸蔵は「山懸=やまけん」の略称で呼ばれた労働運動家及び日本共産党の活動家である。


茨城県鹿島郡矢田部村(現神栖市)
1895年(明治28年)2月20日生


大正11年に共産党に入党、14年日本労働組合評議会結成に参加。


昭和3年2月1日、党中央委員会の非合法中央機関紙「赤旗=せっき」が創刊された。


「赤旗」は創刊された時から一貫して、反戦、平和、自由と民主主義、国民の権利と生活擁護の旗を掲げ続け、命をかけて真実を報じた。


「赤旗」を持ってるだけで逮捕、投獄を免れない困難な状況のもとで、非公然の地下の編集局と印刷所でつくられた。


靴の敷き革の下や工具の中に潜ませて、労働者や農民の手から手へと渡された。


総選挙を通じて、国民の前に存在を現した日本共産党の前進を恐れた、天皇制政府は日本共産党に対して、全国一斉の大弾圧を加え、党員と党支持者を検挙し野蛮な拷問を加えたのだ。





また、日本共産党が反社会的な、陰謀家集団であるかのような、印象を与えようとする、キャンペーンを大々的に展開したのである。


天皇制政府と支配階級は、差し迫った侵略戦争の✣「銃後」を固めるために、侵略戦争反対、自由と民主主義の旗を掲げ、人民の利益を擁護して不屈に闘う日本共産党を暴力で圧殺しようとしたのである。

✣銃後とは
戦場の後方。
直接戦闘に加わらない一般国民。



昭和3年3月15日の日本共産党への大弾圧の際、山本懸蔵は検挙を免れ、日本を脱出してソ連に渡った。

(3.15事件、共産党関係者一斉検挙)
の事である。

その後同国で活動を続けた。

1937年(昭和12年)11月2日ソ連の弾圧機関によって、日本の政府、警察のスパイとしてでっち上げられ「国家反逆罪」と言う根拠のない罪状で逮捕された。


スパイとして密告したのは、他でもない同士であったはずの、野坂参三だったのだ!


◆1939年(昭和14年)3月10日山本懸蔵は処刑(銃殺)された。
享年44歳




事件後50数年を経て、日本共産党は山本懸蔵、杉本良吉、国崎定洞がソ連最高裁判所軍事法廷で、銃殺刑の判決を受け、銃殺されたことをロシア当局から正式な回答として確認。


山本は1956年(昭和31年)国崎と杉本は1959年(昭和34年)に、彼らへの告発、判決は根拠なしとされ完全に名誉を回復した。


自国政府(日本)から迫害され、秘密の内にソ連に入国し、名前も変えて活動していた。


スターリンは、こうした事情を弾圧に利用し、秘密裏に逮捕処刑し、その真相を隠蔽したのである。


治安維持法などによって、非合法な状態に置いてきた戦前の天皇制下の政治も、スターリンの弾圧を容易にしたと言う点で言えば、重大な責任があると言わざるを得ない。


山本の死亡から53年後の1992年9月、党は野坂参三が山本懸蔵に関する根拠のない疑惑を★コミンテルンの書記長に密告した、1939年2月の書簡のコピーをモスクワで入手した。


★コミンテルン=1919年から1943年まで存在した、国際共産主義運動の指導組織で、別名第三インターナショナル、第三インター、国際共産党と呼ばれていた。

設立者はウラジーミル·レーニン(ロシア モスクワ)


野坂は、この書簡を自分が書いたことであることを認めた。


その内容は事実を偽ったり、根拠なく山本を告発した重大なものであった。


そのことは山本がソ連当局によって、無実であったとして、名誉回復された事からも明白に立証されていた。


野坂は、山本の銃殺に関わる真実を、党に報告する機会がありながら、この事を全く報告しなかった。


そればかりか、逮捕された山本の救出のために、努力したかのように事実を全く逆に描いていたのである。


事実はソ連共産党と野坂本人、山本の夫人しか知りようのない事であり、野坂本人が告白しない限り知り得ないことであった。


野坂は自らの個人的利益を、党の革命的事業に優先させて、自己の保身をはかるため、スターリンの不当な弾圧に積極的に加担する立場に身をおき、これを実行した。

許しがたい行為を行ったのである。


野坂は山本の死亡年月日や死の原因まで捏造していたのである。


野坂執筆の文章の中で、山本は1942年4月11日に結核が悪化して死亡したと発表されてきました。


山本の無実を早くから知りながら、野坂は長期に渡り誤魔化し、嘘をつき続けていたのです。


また、ソ連に渡っていた山本夫人の帰国を妨害した。

真実が山本夫人の帰国によって、暴露されることを恐れたからである。






2020年5月24日草取り、昨年10月下旬に剪定したサルスベリも新梢を伸ばし始めていた。


1968年山本夫人(関マツ)はモスクワで死去した。

25年後の1993年に党は、関マツの遺骨を引き取り、日本共産党常任活動家のお墓に合葬しました。


野坂は、その後も国会議員でありながら、長期に渡りソ連共産党などと連絡をとり、その事を党に報告しないできた。


50数年間も裏切り行為を行っていた、恐ろしい人物である。

1992年(平成4年)12月、野坂参三に除名処分の決定が下されたのであった。


山本懸蔵、杉本良吉、国崎定洞の無念は計り知れないものである‼️


◆殺伐とした時代が悪いのか、いつの世も人類は、戦争をひき起こし、他国に干渉する国々がある。


繰り返される度に犠牲になるのは、弱小で権力もない人々たちである。


一握りの人たちの欲望のために、繰り返される惨禍が再び起きないこと、世界平和を願う事は唯一の平等の願いと云えよう。


野蛮な時代の権力政府でなければ、山本懸蔵はソ連に逃げる事もなかった。


祖国の土を踏むこともなく、無念の叫びも届かず……死んで行くこともなかったと、、、

それが血も涙もない戦争なのです!

合掌

❆後記
現政権自民党の前身とも言える組織が、戦前、戦中、戦争反対を貫き平和への道を訴え続けた日本共産党を弾圧し続けた。


仲間同士が裏切り合う道を選ばなければならない、それが戦争でもある。


戦争で、自ら子どもさえも殺してしまう、それは仕方のない事なのだろうか?


戦後も日本共産党への弾圧体制は変わらなかった。


日本政府は、他国の共産主義国と日本共産党を、一緒の扱いにしなければならない理由がある。


それは現政権が大企業や富裕層と塊、その地位を戦前から不動にしてきた体制を崩されたくないからである。

根底に民主主義、国民主権を否定し、許さないと言う思想に他ならないのである。


いつの世も苦しめられるのは庶民であると言う事は、戦前から然程も変わっていない!

2020年5月24日


✿山本懸蔵碑
所在地=茨城県神栖市矢田部
✫関連ブログ
山本懸蔵命日 No,400-1









2020/05/23

バラの花に秘められたもの  No.223

香り高きバラのお話し

ストレスの多い現代社会において、バラの甘い香りはちょっとした気分転換やリラックスに、最適であることを知っているだろうか。


                      「アンネのバラ」

バラの魅力は、その美しさだけではなく、原種のバラの中には美容、健康にも効果的と言われているものがあり古くから医薬品やアロマテラピー(芳香療法)にも用いられてきました。

また、芳香浴や香水にも使われていることも知られていることでしょう。


医学の祖と言われるヒポクラテスの書物には、バラを使った数々の治療法、特に婦人科系の疾患に対する処方が記されています。

その事から、バラの持つ薬としての効果効能が、遠い古代ギリシャ時代から、認められていたと言うことになります。

アラビア医学の権威、イブン·シーナは、バラの冷却作用を説き、発熱には花弁をオリーブオイルに漬けたものを頭に注ぐとよいとか、口内炎にはローズウォーターが効
果的と著しています。

バラの効果効能は、史実によって実証されていると言ってもよいのではないでしょうか。

    
       (原種ロサ·ガリカ)
 
 1930年代頃までは、医薬品のひとつに数えられた、ガリカ種のバラは別名アポテカリーローズ(薬屋のバラ)と呼ばれました。

現代でもバラの効果効能の評価は高く、アロマテラピーには欠かすことの出来ないものになっています。

また、西洋だけではなく東洋でも、バラの活用の歴史は古く、中国ではお茶としてインドでは、治療薬として取り入れられています。

また、バラの果実はローズヒップと呼ばれ、レモン以上のビタミンCを含んでいます。

特にビタミンCが多いのは、ドッグローズ(ロサ·カリナ)の果実です。

この果実にはビタミンA,Eなども豊富で、壊れやすいビタミンCの吸収を助けます。

🌿ハーブティーやジャム、ハーブ酒などに活用できるローズヒップは、バラのもうひとつの優れた恵みと言えるでしょう。

香料バラ産地のブルガリアには「バラの谷」と呼ばれる一帯があります。

すでに古代ギリシャ、ローマ時代には、人の手で栽培が行われていた事が知られています。

ブルガリアのバラの最初の記録は、紀元前に遡ると言われています。

当時ローマ帝国の支配下にあったこの地方は、12種類のバラが栽培され、そのうちの1種類はトラキアン·ローズと呼ばれていたそうです。


バラがヨーロッパに持ち込まれたのは、13世紀のことで十字軍が当時シリアで栽培されていた、ダマスクローズを持ち帰ったのが最初だと言われています。

ブルガリアも同様に、バルカン山脈とスレドナ·ゴラ山脈の間の地域に根づき、これが現在の「バラの谷」に繋がっています。





冬は寒く、開花期の5月から6月は多湿で、土地は水はけのよい森林系の砂地で、バラの栽培には理想的な条件を備えた地域でした。

それは現在も変わることはありません。

「バラの谷」の人々は、代々バラの精油の抽出技術を研究し続け、世界で最も高品質なバラの精油抽出法を確立してきました。

その結果、バラの精油の生産は、この地域の伝統的な産業として発展したのです。

17世紀のヨーロッパにおける、香料産業の発展に大きく貢献し、バラの精油では世界市場の位置を占めるようになっていきました。

ブルガリアにおけるバラの精油生産の歴史は、300年を超えます。

世界一香り高いと言われる、ブルガリアンローズオイル(バラの精油)それは長い歴史の中で、独特の技術を培ってきた「バラの谷」の人たちの成果である。

バラの花摘みはとても大変な作業です。

陽が高く昇ってしまうと、芳香成分が蒸散してしまうため花の収穫は、朝5時頃から11時頃まで、それは太陽との競争です。

多い人で二時間の内に20㎏から30㎏を摘みます。

一家総出で、大きな袋をエプロンのように下げ、両手で手早く摘みます。

花が一番よい香りを放つのは、満開直前のカップ型、控えめに頬をほころばせているようなバラ、花開く時が最も香り高い時です。

美しく咲いても、ここでは農産物としてのバラ収穫に携わる人にとっては、生活の糧に過ぎません。

でも、「バラの谷」の人々はバラを楽しんでいます。

バラの香りに癒やされ、微笑んでいます。

そうそれは、バラのアロマテラピー効果が畑いっぱいに広がっているからに違いありません。









  

2020/05/21

落葉樹のせん定について No.222

落葉樹の基本せん定

庭木は春になると新しい芽を出す準備行動を始めます。

やがて芽をふくらませ葉を展開しそして枝を伸ばします。

そのまま生長を続けて、7月下旬の梅雨が明ける頃になると一旦生長を止めます。

秋になると多少生長して、幹や枝が充実するが秋の終わり頃には、葉にたくわえられた栄養分が幹に移っていき、幹や根で貯蔵されます。

そして生長を中止した落葉樹の場合は葉を落とし休眠します。

〈春〉

まだ花芽が伸びていない2月から3月上旬頃までに軽いせん定、整枝を行います。

新芽が開くようになってからでは、貯蔵されていた栄養分が、新しい枝や葉の生長に向けられているのでせん定、整枝をすることによって、栄養分を落としてしまうことになります。

新芽が開き生長している時には、芽かき、芽つみ、混みすぎた枝抜き、花が咲き終わった後の花芽の分化の早いもののせん定を行います。

春は花木などを除き、樹形を整える程度の軽いせん定、整枝にします。

〈夏〉

夏は幹や枝に栄養がたくさん貯えられてる時です。

せん定すると樹勢の減退に繋がります。

春から生長してきた枝の伸びが一旦止まるので樹形を整えるために、間引き、切り戻し、芽かきなどにより、徒長枝や密生し過ぎた枝など、余分な枝を取り除く程度にします。

梅雨が明ける頃には、土用芽といって、新芽が出てくるので、刈り込みにした樹木などの刈り込みせん定を行います。

花木類では、6月から8月が花芽の分化期なので、せん定は行わないようにします。

花芽を切り取ってしまう原因になります。

※花芽分化(期)=花芽と葉芽のいずれかに分かれる時期のこと。


〈秋〉

初秋の頃は、まだ葉がついてる枝は充実期にあります。

この時期のせん定は、樹形の乱れを直す程度の軽い切り返し、枯れ枝の除去などを行います。

晩秋になって落葉した落葉樹は、冬のせん定に準じて行います。


〈冬〉

栄養分は根の部分に貯えられており、幹や枝には栄養分が少ないので、切り除いても樹勢の減退にはなりません。

特に11月から3月はせん定の適期です。

思いきって樹形を整えるために、間引き、切り戻しなどの強いせん定を行う事ができます。

花木の場合も花芽が大きくなり、他の芽と区別が出来るようになります。

せん定、整枝は木の栄養分の消耗が少ない時期を選びます。

つまり、せん定、整枝をした後に、幹や枝の切り口が早くふさがる期間に行う事が重要です。

夏の間にせん定しては、樹勢の減退に繋がります。

どうしても切り除く必要がある場合は、混み合った枝や重なった枝などに限定した軽いせん定に止めます。

◉花木類のせん定、整枝時期

落葉樹の中でも特に、花木類はせん定、整枝の時期に気をつける必要があります。

時期を誤ると、花の咲かない樹木になってしまいます。

適期は冬期せん定(12月~3月)と花後せん定の2タイプに分けられます。

この分類は花芽ができる枝、花芽ができる時期、花の咲く時期の違いによって決まります。

当年生枝の花木は冬期せん定が原則

春から伸びた枝に、その年の内に花が咲く花木が当年生枝の花木です。

休眠期に当たる冬期にせん定します。

せん定後の春から初夏に新芽が伸び、その新梢に花芽がついて開花します。

新芽が活動を始める前の冬期にせん定をすれば必ず花をつけます。

花後せん定は花柄取りや、二番花を咲かせるためのもので補助的なせん定に該当します。

当年生花木は、冬期せん定時期での花芽のつき方で2タイプに分かれる。

◉①のタイプ

葉腋の芽に花芽と葉芽の区別ができるもの。

※葉腋(ようえき)=枝と葉柄との付け根部分をいい、そこに花をつける事を葉腋に咲くと言います。

冬の休眠期に、翌春開花枝となる花芽が確認できるタイプで、その芽が伸びる前までに、花のつく花芽を考えながらせん定します。

◉②タイプ

葉腋の芽に花芽と葉芽の区別ができないもの。

冬期にほとんど芽が確認できず、冬期せん定後の春から伸びた枝(新梢)は全て開花枝となります。

そのため①と違い、芽の位置に注意しなくてもせん定できます。

◉前年生枝の花木は花後せん定が原則

「当年生枝の花木」は厳密に言うと、春から夏までの約半年間で花をつけますが「前年生枝の花木」は一年間で花をつけるものです。

花後に新梢が伸び、夏に充実して花芽をつけ、花芽は冬の間は休眠し、翌春に花を咲かせるものです。

開花時期からみて前年にできた枝に花をつける花木を言います。

花芽が休眠している冬にせん定すれば、つぼみを切り取ることになり、翌春に花が咲かないので、花後せん定が原則になります。

それも花が終わった直後のせん定が基本になります。

例えば、開花時期が遅いツツジ類などは、開花後すぐに花芽形成が始まるので、花後しばらくしてからせん定を行うと、翌春に花が咲かないことになります。

◆前年生枝の花木にも、冬の休眠期での花芽のつき方が3タイプあります。

①花芽が頂部に作られるもの

花が終わった直後にせん定します。

冬期に枝先を切り詰めると、花芽を切り取ってしまうことになり、翌春に花が咲かなくなる。

②頂芽及びその下の側芽数個が花芽になるもの。

花後せん定のほか、枝を切っても萌芽しない12月以降に花芽を確認しながら冬期にせん定する。

ただし、冬期せん定は、花芽を一部切り取ってしまうことになるので、翌春の花数は少なくなる。

③頂上から基部までの側芽が花芽となるもの。

花後せん定及び冬期せん定

冬に枝を切っても花数は減少しますが、枝いっぱいに花芽があり、確実に花をつけます。

花後に翌春の開花数を考えながら、切り詰めて冬期の軽いせん定で整枝する。








2020/05/20

常緑樹のせん定について No.221

常緑樹の基本せん定

常緑樹は、寒さに弱いので冬期のせん定は避けることが原則です。

冬は、ほとんどの常緑樹が休眠しているように見えますが、落葉樹の休眠とは違い、常緑樹は仮眠状態にあたります。

葉、幹、枝とも気温や日照時間、地温などの外的刺激を受けて、わずかな活動を続け、体内的にはホルモンなどの働きで、春の芽吹きの準備をしています。

春は芽を伸ばし、あるいは花を咲かせ、体内に蓄えた養分を少しずつ溶かして、消費して行きます。

初夏は葉もしっかり充実し始め、古くなった葉を落とす時期でもあります。

夏は花木の多くが花芽を作る時期にあたり、種子ができる時期と重なる樹も多いようです。

夏から秋にかけては、養分の貯蔵期で、消費する養分よりも製造する方が多くなり、また根も盛んに伸び活動する時期にあたります。

秋から冬は寒さに向かい、養分を幹や根の方に送り込み休眠(仮眠)状態に向かいます。

※ただし、一部の樹は花を咲かせ、種子をつける時期でもあります。

◉活動期間(4月から10月)

この間にせん定を行えば、常に緑を保てます。
この期間は、常緑樹は生長を続けるので、葉が無くなることはありません。


◉休眠期(11月から3月)

この間のせん定は、ハサミを入れる時期と位置によっては、緑を失うことにもなりかねません、従って危険性は大です。

しかも常緑樹は耐寒性に弱く、枝葉が少なくなると寒害を受ける場合があります。

この事から、常緑樹のせん定の適期は、広い意味では
4月から10月までが安全期と言うわけです。

冬の間はできるだけせん定を避け、行う場合でも枯れ枝や徒長枝、古葉を取る程度の軽いせん定に止めます。

◆樹形を観賞する樹木は7月、9月にせん定

4月から10月の活動期間の中で、6月下旬から
7月、及び9月が安定期にあたります。

それ以外の時期は、生長が旺盛でハサミを入れると、かえって強い枝を出し、枝葉への養分が分散されてしまいます。

そこで、せん定の安定期(4月~10月)の中でも、樹勢に影響の少ない6月から7月、9月がせん定の適期となります。

特に安定期の初めに行えば、その後の生長曲線は緩いので、整った樹形を長い間保つことができるので、効果的です。

※ただし、これは花芽を気にする必要のない、樹形を楽しむ庭木に限ってのことです。


◆自然樹形を維持する庭木のせん定

自然樹形を楽しむ庭木は年に、1~2回のせん定で樹形を保てます。

毎年行う場合は、年に一度、最も生長した直後の6月から7月に行うだけでもいいでしょう。

夏にこまめに行う場合は、6月から7月に一度行いそして、第2生長後の9月にもう一度行うようにします。

◉仕立て物にする庭木のせん定

人工的に仕立てる物や刈り込み物は、6月から7月と9月の他に、お正月向けに秋から冬の手入れもすることになります。

秋から冬は、せん定を避けたい期間ですが、特に寒さに弱い樹木や、秋から冬の間に古葉を落とす性質のあるものは、要注意です。

仕立て物の樹木は、誤って強く刈り込むと、葉を全て落とすことにもなりかねません。

枝枯れを起こすことにもなるでしょう。

よって、秋から冬の手入れをする場合は、全て細心の注意が必要になります。

◉花を楽しむ花木の多くは、花後せん定が有効

花木は、花芽のできる時期によってせん定の適期を考えます。

〈当年生枝に開花する花木〉

春から伸びた枝(当年生枝)に花芽をつけ、その年の内に開花するもの。

これは、花芽をつける枝が伸びる直前の3月下旬から4月にせん定します。


〈前年生枝に開花する花木〉

春から伸びた枝にその年の内に花芽をつけ、花芽はつぼみのまま冬を越し、翌年に開花するもの。
(開花期からみて、前年にできた枝に開花)

これは開花直後にせん定(花後せん定)します。

開花後に翌年の花芽の準備が始まるので、花後以外の時期では、花芽を捨てることになるからです。

◉常緑樹の強いせん定は活動期直前の3月から4月

毎年の定期的なせん定で、一定の大きさを保つには正しいせん定の時期がありますが、放任したままで、育ち過ぎた庭木を小さくする場合は、花木、樹形を眺める樹木とも、4月上旬の活動期間前が適期になります。

この時期であれば、せん定後の生長力も強く、小さくて貧弱な姿になっても、早く回復することができるからです。

常に緑を楽しむためには、強せん定は避けたいものです。
それでも行う場合は、3月下旬から4月上旬を原則として行います。
    

◉まとめ

自然樹形を楽しむ樹木のせん定
6月下旬から7月と9月の安定期に行う。

人工樹形、刈り込み物に仕立てる樹木のせん定。
6月下旬から7月と9月、及び秋から冬(12月頃)に行う。

当年生枝に開花する花木のせん定。
3月下旬から4月上旬に行う。

前年生枝に開花する花木のせん定。
花の終わった直後(花後せん定)に行う。

常緑樹を強くせん定する場合
3月下旬から4月にかけての活動期直前にせん定。


2020/05/19

ムラサキシキブ(紫式部) No.220

ムラサキシキブ 

クマツズラ科 落葉広葉樹

日本の美しい果実と言う学名がある。(Callicarpa japonica)

秋から冬にかけて紫色をした3㎜~4㎜の丸い実をつける。

初夏に咲く淡い紫色の花とともに
風情ある表情を見せてくれる庭木です。

同属別種にコムラサキがありますが、コムラサキが高さ2㍍ほどで枝が低く垂れるのに対して、ムラサキシキブの樹高は2㍍~3㍍以上になり、幹は直立するのが大きな特徴です。

また、コムラサキに比べて実のつき方がまばらなことから、観賞価値がやや低いと言われるムラサキシキブですが、むしろそこに素朴な味わいを感じると言う、根強いファンも少なくありません。


園芸ショップなどではムラサキシキブの名で鉢植えが売られていますが、その大部分はコムラサキで
こうした現状からも両種はよく混同されがちです。

同属でよく似た木が多いですが、葉の両面に毛がなく枝が丸いのもムラサキシキブを見分けるポイントです。


原産地は、日本、台湾、中国です。

北海道南部から沖縄、南西諸島まで国内の山野に広く自生しています。

和名の由来には諸説ありますが、京都では古くから「ムラサキシキミ」と呼ばれていたことからシキミ(実が枝に重くついた重実のこと)が転じてシキブとなったと言う説があり、こちらの説が有力視されていますが、本当のところはよくわっていません。

縁起のよい木として、結婚記念樹として植えられる。

この実は野鳥の大好物で、庭に小鳥を呼び寄せる木としても、ムラサキシキブは有名です。



◉植え付け、移植

11月から3月、6月から7月が植え付けの適期です。

植え穴を大きく深めに掘り、堆肥や腐葉土を十分に
混ぜ込んで埋め戻しを行ってから、苗の根土ごと植え付けて水やりをします。

日当たりがよく湿潤な場所を好みます。

萌芽力はあまり強くないので、株立ち状の自然樹形で育てます。

あまり丈が低いうちは花をつけず、また開花しても結実しにくいのもムラサキシキブの特徴です。

乾燥には弱いので水切れに注意しましょう。

◆肥料

冬期の間に寒肥として、有機質を主体に堆肥や腐葉土に鶏ふんやリン酸分の多い化成肥料を少量混ぜ、溝を掘って埋める。

追肥として主に、実のつきをよくするために8月から9月上旬頃にリン酸カリ分の多い化成肥料を
少量与えますが、チッ素分の多い肥料は避けるようにする。

◉剪定、整姿

強剪定をしてしまうと、新梢の成長が盛んになり花や実つきが悪くなります。

徒長枝には花芽がつかないので、浅めに切り戻し枯れ枝や細い枝を整理するようにします。

適期は12月から2月

全体に一定の大きさを保つには、伸び過ぎた枝の枝数を半分程度に間引き、枝先を軽く切り戻します。

花芽は5月下旬頃、梢の葉腋に生じるのでそのまま生かして結実させます。

特に2年から3年生枝から出た新梢が最もよく実をつけます。

継続して、実つきをよくするには4年から5年に1回のサイクルで付け根から切り取って株を更新します


★病害虫

※アブラムシ
春から夏にかけて発生
マラソン乳剤1000倍液を月に2回から3回散布

※コガネムシ
見つけしだい補殺する。

コガネムシの幼虫(ジムシ)は土中にいるので、根を食害して約6~8ヶ月で成虫になります。

食害されると木は立ち枯れ状態になります。

これが発見の目安になります。

5月から9月にかけて月に1~3回ほど、オルトランやスミチオンを散布し予防する。

※根腐れ病
病気に侵された落葉した葉や、害虫の越冬場所になりやすい落ち葉や枯れ枝などは、集めて処分することが防除となる。

★殖やし方
挿し木と実生で殖やします。

挿し木は5月中旬から6月中旬、8月中旬から9月中旬

実生は11月から12月中旬に採り蒔きします。