2021/11/01
桜の管理の必要性 No,571
一般家庭で桜の木を植えることは少ないことですが、地方自治体の殆どの場所には花見会場として、桜の木を植樹している。
自治体によって桜の木の管理のあり方も様々で、多かれ少なかれ適切な管理をしている自治体は少ないのではないかと思う。
主に、春先までの管理を重点に行っているかで、桜の開花や花数にも影響する。
キノコが発生し、枯れてしまっている幹の部分であるが、全く手入れがなされていない花見会場にある桜の木である。
ならたけ病に侵された幹の部分は、数年間全く手入れがなされていない事が伺える。
主に樹幹の地際部や根に発生し、若木では病気が急速に進行して全身が萎ちょう枯死に至るが、成木でははじめ一年から二年生枝梢の枯死が起こり、数年かかって次第に衰弱して行き、ついには全身が枯死にいたる。
写真の桜の木はまだ若いが、病気の進行も早く主幹がほとんど枯れてしまっている。
病原菌は担子菌類に属する糸状菌の一種であり、サクラ類のほか多数の広葉樹、針葉樹、果樹などを侵して被害を及ぼす多犯性の菌である。
日本をはじめ、韓国、中国などアジアのほか、北米、南米、欧州など熱帯から亜熱帯まで南北両半球の世界各地に広く分布するキノコである。
各地の桜にならたけ病の被害が多いが、これには桜の根部外科手術によって治療を図る手段が望ましい。
それは、被害樹木の根の周囲の土を掘り上げ、病患部及び羅病根をすべて切除します。
切り口にはチオファネートメチル塗布剤を塗り、掘り上げた土壌にバーク堆肥を加えてよく混ぜ、埋め戻します。
対処樹木は、樹勢が回復し根が発達し終えるまで支柱を添えてあげます。
また、枯死してしまった樹木の跡地には、クロルピクリン剤、ダゾメット剤などのガスくん蒸剤による土壌消毒を行う。
そんなことわざがあるが、切った後に切り口を保護しないで枯らしてしまう事が原因である。
木にも強い、弱いがあるので、その木の特性にあった保護をしてやらなければいけない。
手入れもしないで枯らしてしまうのだら、切る以前の問題である。
枝を切る場合、切る位置も大切です。
どこで切ってもよいと言うような樹木もありますが、ほとんどが切る位置があります。
我が家の吉野桜も一枝剪定しました。
管理が大変なので樹高を低くするためです。
健全な枝ですが、間引く必要もあった枝なので切り取りました。
2021/10/28
山本懸蔵記念碑碑文 No,570
総選挙の度に思う。
暗黒の歴史を繰り返す勢力に政治を委ねてはならないということを、、
暗黒政治の下で、不当に命を奪われた者たちの事を忘れないために、遺さなければならない闘争の歴史がある。
山本懸蔵記念碑碑文
山本懸蔵は、1895年、明治28年2月20日茨城県鹿島郡矢田部村押上に生まれた。
小学校を終えた後上京して労働者となり、1914年頃から労働運動に参加し、科学的社会主義に接近した。
米騒動で投獄された後、労働運動に専念し、日立、足尾、神戸など各地の争議を指導した。
1922年7月に日本共産党が創立されると、山本はただちに入党し、逮捕、投獄に屈せず、精力的に活動し、外国に渡って国際連帯の活動を活発におこなった。
1925年結成の日本労働組合評議会の代表的な指導者となり1927年(昭和2年)には静岡県での衆議院補選に、翌年の最初の普通選挙に北海道でともに労農党から立候補した。
同年、日本共産党中央委員に選任された。
1928年、ソ連に渡り、プロフィンテルンおよびコミンテルンで活動した。
★プロフィンテルン及びコミンテルンとは、1919年から1943年まで存在した国際組織で、コミンテルンの指導下に結成された左翼系労働組合の国際組織のこと。
日本の階級的労働組合運動の闘争を援助し、日本共産党の方針「32年テーゼ」の作成に参加し、1936年には「日本共産主義者への手紙」を発表し、人民戦線を結成して日本の暗黒政治と侵略戦争に反対してたたかうことをよびかけた。
★32年テーゼとは、1932年5月コミンテルンで決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」の通称。
赤旗=初刊当時は「せっき」と言った。
1932年7月10日特別号に発表された。
テーゼとは今日の綱領的文書に相当する(定立、言明)
しかし、1937年11月スパイ容疑と言うことで根拠なく逮捕され、本人の否定にも関わらず、1939年3月10日銃殺刑の判決を受け、即日モスクワで処刑された。
享年44歳
党中央委員会は、この報に接し断固抗議。
1956年、ソ連当局によって無実として名誉回復された。
妻、関マツは、1924年の結婚以来、終始懸蔵の活動を大きく援助し、1968年8月17日モスクワで死去した。
山本懸蔵の名は、「山懸」という愛称とともに、日本の社会進歩の事業の歴史に長く記録されるであろう。
山本懸蔵記念碑建設委員会
1973年10月7日建
1992年5月、山本懸蔵が派遣され活動したソ連邦の権利、義務を引き継いだロシア連邦政府からの山本懸蔵死亡年月日の正式通報があったので、1993年12月に改造した。
1993年12月吉日改
日本共産党中央委員会
No,224
山本懸蔵の憧れた時代へ特別編
No,400-1
山本懸蔵の命日
2021/10/27
気候変動を招いた資本主義産業 No,569
気候変動、地球温暖化
今、世界各国で地球温暖化が問題となっているが、各国が提出した温室効果ガスの排出削減目標を集計した報告書が25日、公表されました。
報告書では、現在段階の目標を達成しても2030年の世界の温室効果ガス排出量が「10年比16%」増加すると指摘している。
各国、地域がより強力な目標を設定しない限り、今世紀末までに世界の気温が2.7度上昇することになると警告しています。
報告書はパリ協定「地球温暖化対策の国際枠組み」のすべての締約国192ヵ国、地域の目標を集計、その内目標を新規提出、更新した国は143ヵ国。
中国に次ぐ排出量を記録する欧州連合(EU)と、3位である米国が新たな目標を設定しました。
一方、中国と4位のインドは古い目標のままで設定を更新していません。
また、多くの途上国の削減目標は富裕国から資金援助と技術移転が前提となっている。
2030年までに温室効果ガスの「10年比で45%削減」を揚げる国連の目標実現については、産業革命以来、CO2を長期に渡って排出してきた先進国に特別な責任があります。
しかし、日本の削減目標は46%(13年比)であり、10年比換算では42%に過ぎません。
50~60%の削減を目標とする世界の主要国に比べても、極めて低いものです。
この目標に消極的な日本政府の姿勢に対して、環境団体は世界第5位の大規模排出国としての責任に背を向けているとし、国際社会からも批判を受けると批判しています。
現在日本では総選挙の真っ只中ですが、この気候変動、地球温暖化に対しての公約を揚げている政党は日本共産党以外に無いようである。
本来なら、政権与党が掲げなければならない公約ではないでしょうか。
地球温暖化に対しても深く取り組んでいく政府が今、求められています。
深く考える必要がある重要な問題として、追求しなければならない時にきているのです。
地球上で起こる様々な大気現象は、太陽から受け取ったエネルギーを源としています。
地球が太陽から受け取ったエネルギーは、大気圏だけではなく様々な形態を取りながら、最終的には赤外放射として宇宙空間に戻され、ほぼ安定した地球のエネルギー収支が維持されています。
このようなエネルギーの流れに関与する地球の全システムを気候系と呼び、また大気の平均状態を気候と呼びます。
気候は様々な要因になり、様々な時間スケールで変動しています。
この気候変動の要因には、自然と人為的な要因があります。
現代社会で起きている気候変動は人為的な要因です。
その要因には、二酸化炭素などの温室効果ガス(気体)の増加やエアロゾル(空気中に漂う微細な粒子のこと)の増加、森林破壊などがあります。
この温室効果ガスの増加が地上気温を上昇させます。
この事が地球温暖化の原因となっている。
地球温暖化により、北陸の米が美味しくなったと発言した国会議員がいるようだが、とんでもない発言である。
記録のために記しますが、その発言者は「麻生太郎自民党国会議員」です。
問題になり得るような発言は如何なものかと思う。
地上気温が上昇した結果、森林破壊などの影響による植生の変化は、水の循環や地球表面の日射の反射量に影響を及ぼしている。
産業革命(1760~1840年)後、さらに大量の石油や石炭などの化石燃料の消費による、大気中の二酸化炭素濃度の増加による地球温暖化が拡大し続けた。
産業革命とは、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と石炭利用によるエネルギーの革命、それに伴う社会構造の変革のことである。
気候変動、地球温暖化の要因を招いたのは先進国とされる国々の過剰な、開発、生産などに伴って生じた人為的な要因であり、先進国によって気候変動はもたらされたと言っても過言ではないだろう。
その事は紛れもない事実であり、また資本主義社会の発展が招いたことだと言えるだろう。
自然環境保護を唱える一方で、自然環境を破壊していると言う矛盾がある。
気候変動は今、先進国や途上国を問わず、世界中の人々の安全を脅かす、大問題となっているのです。
関連記事No,547
資本主義社会がもたらした地球環境破壊
2021/10/20
剪定作業NO,568
マキの木剪定
最近はお家に庭を作らない所も多くなっていると思うが、庭を造れる広さがあっても庭木を植える事を好まない方々も多い。
その理由も様々だろう。
代々引き継がれた樹木であっても、庭木の手入れをすることも少なくなって、毎年のように剪定していた庭木も放置状態になることも少なくない。
2年前に剪定したお宅より、剪定作業の依頼がきた。
以前から放置状態の庭木も今回は剪定したが、幹には苔が生えシダ植物が寄生していた。
そのような枝は枯死する状態になりつつあった。
二年前に剪定したマキの木
今回は枯れ枝と透かし剪定を中心にしながら形を整えました。
樹上に登って剪定作業。
全体の樹形が分かりにくいため何度も確認が必要。
このマキも2年前に剪定したもので、形もすでに崩れている。
これほどだと樹形もまだ整えやすい。
今回はこんな感じで剪定終了です。
2021/10/19
巨樹の村の八村杉 No,567
追討使(者)が植えた杉 八村杉
九州の巨樹の村で知られる椎葉村は、宮崎県東臼杵郡の秘境地。
大寒の頃、椎葉村大河内の森は氷の森となり、落差30mの滝全体から広い滝つぼ全てが凍りついた「御神の滝」はまるで別世界です。
この地はまた、平家にまつわる数多くの伝説が語り継がれる地でもある。
九州山地の中心に位置する椎葉村は、現代においても平家と言えば椎葉村ともいわれる程、平家の落人集落として全国にその名を知られている。
交通の便がよくなった現在でも岐阜の白川郷や徳島の祖谷とともに、日本三大秘境と呼ばれていることからも、当時はいかに奥深い山谷の地であったかが想像できるだろう。
1185年(文治元)3月、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の人々は、五ケ浦町鞍岡を経て霧立越(きつたちごし)を抜けて椎葉村へ逃げてきました。
椎葉村の北部、十根川地区にも平家の残党が身を隠す所であると知った源氏は、那須大八郎宗久に追討の命令を出し、そしてこの地にやって来た大八郎だったが、平家の人々が焼き畑をしながら木の実や草の根をかじり、細々と暮らしているありさまも目のあたりにして、「どうしてこの人たちを殺すことができようか」と深く哀れみ、「平家の残党は残らず追討を終えた」と嘘の報告を鎌倉に伝え、自ら平家の落人と共に十根川の集落に陣屋を造って暮らす事となった。
この際、陣屋から100㍍ほど離れた場所に大八郎自ら植えた杉が、現在の八村杉(やむらすぎ)であると言われている。
八村杉は別称「十根の杉」といい、1871(明治4)年まで十根川神社が八村大明神と呼ばれていたことから、八村杉と呼ぶようになったとされる。
かつては人が出入りできる程の空洞があったが、生長により現在ではほとんど痕跡を見ることが出来なくなっている。
八村杉は生長に伴い、根元を埋め立てて行ったようで、本来であれば樹高も幹周りももっと大きく、日本最大級の杉であっただろうと想像できます。
秘境の自然環境の中で生き続けてきた八村杉は、物言わぬ歴史を知る唯一の生き証人なのかも知れません。
八村杉
樹齢800年
国指定天然記念物
所在地=宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良
十根川神社
2021/10/17
戦火を逃れた首里金城の大赤木 No,566
アカギ トウダイグサ科アカギ属
「赤木」
アカギは材の色が赤褐色なのでこの名がある。
高さが20㍍以上になる雌雄異株の半落葉高木で、沖縄では日除けや街路樹として使われることもある。
半常緑性で冬の一時期葉が少なくなるが、3月頃一斉に芽吹いてくる。
花の時期とも重なるため、若葉が開く頃は特に華やかである。
萼(がく)が花弁のように見えるが花弁はない。
首里金城の大アカギ
首里金城(しゅりきんじょう)町は、かつて琉球王国の城下町で「日本の道」100選にも選ばた琉球石灰岩で作られた『石畳の道』が現在も残る情緒豊かな町である。
首里城周辺の高台に位置することから、見晴らしは那覇市でも一番の土地と言える場所です。
また、歴史的にも古い町として先祖代々、脈々と歴史が受け継がれている地でもある。
その石畳の道の途中に、大アカギへの行き先を示す小さな道標がある。
道標に従い石畳から分かれて民家の間を進むと、大アカギのある森に辿り着く。
うっそうと茂り緑が残された不思議な場所のようにも感じるが、実はここだけ戦火から焼け残った場所なのだと言う。
古くは首里城内にも数多くアカギの巨木は生育していました。
しかし、1945年の戦時中、沖縄戦の際に艦砲射撃(軍艦が搭載する大砲)を受け、多くの森がほとんど焼失してしまいましたが、この場所だけは奇跡的に6本のアカギが残ったのだと言われています。
残った森の中のアカギは、奥に生育するのが一番大きく迫力がある。
昼間でも暗い森の中の主であるかのように存在している。
暖地の巨樹らしく根元にはオオタニワタリなどが着生し、いかにも南国独特の湿潤な雰囲気のある森である。
オオタニワタリは、日本南部から台湾の森林内の樹木や岩などに着生するシダ植物である。
単にタニワタリとも言う。
大アカギの樹齢は200〜300年前後と言われており、中でも古木はシマオオタニワタリやクワズイモなどの植物が着生している。
この場所は、沖縄に数多く存在する「御嶽=うたき」と呼ばれる祭祀=さいし(神や先祖を祀ること)祭事、祭典、祭りなどを行う場所で、内金城嶽(うちかなぐすくたき)と呼ばれています。
普段は静かなこの森も、毎年旧暦の6月から15日には賑わうと言われています。
1年でこの日だけは、アカギに祭られた祠(ほこら)に神が降りてくると言われていて、この日には島を離れていた人々が集まって来るのです。
地元では昔から神聖な場所であり、アカギは御神木でもあったのです。
沖縄県に多く存在する聖域の中では比較的アクセスが良く、近年ではパワースポットとしても知られている場所である。
首里金城の大アカギ
樹齢300年以上
国指定天然記念物
所在地=沖縄県那覇市首里金城町3丁目
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