緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2023/09/06

リコリス·インカルナータNo,652 

 リコリス·インカルナータ

ヒガンバナ科 タヌキノカミソリ

中国中部原産の桃花種

リコリスは多年草の球根植物で、秋の彼岸の頃に畦道などに群生して咲く彼岸花が有名ですが、日本を含む東南アジアに20種類ほどの原種が分布しています。


   「リコリス·インカルナータ」
     「9月6日撮影」


開花期の早い品種は7月から、遅い品種は10月から開花し始める。

赤、白、ピンク、オレンジ、黄色などの色の品種があります。

2つのタイプの花型があり、ヒガンバナのような花弁が反転(反り返る)するものと、ユリ(ナツズイセン)に似たラッパ状のものがある。


品種によって葉が出る時期は異なっている。

早春に葉が出るものと秋に葉が出るものがあるが、いずれも初夏になると葉は全て枯れしまう。


★有毒植物

全草が有毒で特に「鱗茎」にアルカロイドを多く含みます。

植物毒の多くは、アルカロイドと言う天然の有機化合物です。

毒草であるため、絶対に食してはいけません。

◉鱗茎(りんけい)とは、地下茎さで、ユリ根、玉ねぎのように養分を蓄えた厚くなった葉が、茎の回りに多数重なって球状になっているもの。



♣有毒性の利用
ネズミやモグラ、虫除けのために水田の畦に植えたり、虫除けに墓場に植えられています。


また、雑草の成長を抑制する作用もあり、イネ科に影響を与えることがないことから、水田の畦に植えられたと言われている。

★畦(あぜ)は水田と水田の境に水田の中の泥土を盛り上げて、水が外に漏れないようにしたものです。

また、モグラやケラが開けた穴から水が漏れるのも防ぎます。


ヒガンバナ



別名マンジュシャゲ(曼珠沙華)

学名ではリコリス·ラジアータとも呼ぶ。

原産地は中国大陸、日本においては帰化植物に分類される。









2023/08/28

花柄から殖やすウチワサボテンの成長記録 No,651

花柄から殖やすウチワサボテン

       「7月8日撮影」

       「7月18日撮影」

🌵サボテンの子株が咲き終わった花柄の上に出てきました。


土に花柄を植え込んだ場合、このような状態で成長するのではないかと思う。




普段、花が咲き終わった花柄の上からサボテンが出てくるのか?

群生地のサボテンを観察しながら調べて見たいと思う。


   「7月24日子株を切り取った花柄」


      (A)「7月24日」
★花柄から切り取った子株の挿し木


     (A)「8月9日撮影」

♣挿し木した子株が少しずつ大きくなって来ました。


     (A)「8月28日撮影」



 「切り取りった花柄から再び子株」


      「8月28日撮影」

咲き終わった花柄の上には8箇所の芽があるので、切り取らずにそのままだと子株が全て出てくるのかも知れない。

そうなると、かなり密集した状態になるのではないかと思う。


   「2023年8月16日撮影」

◉ウチワサボテンの殖やし方として、花が咲き終わった花柄から殖やす事ができる。



     (A)「2024.05.13撮影」

長く伸びた部分を切断した後、新たに伸びてきたサボテン

切断するとこのように成長していく


       「裏側?」

表と裏があるように見える?


     「2024.05.13撮影」

そのまま成長するとどうなるの?



★関連ブログ記事
ウチワサボテンNo,634









2023/07/13

ベトナム王朝時代の名残をとどめる古都「フエ」No,650

ベトナム、フエのガーデンハウス

ベトナム最後の王朝グエン朝時代から受け継がれた庭


世界遺産の古都、フエの街並みに緑を添えるのが王朝時代から受け継がれた、広い庭付きのガーデンハウスである。




 
ガーデンハウスはベトナム中部、フエ市内を流れるフォーン川の畔に広がる。

フエの街には、ベトナム最後の王朝グエン朝(1802~1945年)の都として発展し、首都が置かれていました。

この街は堀と分厚い石の壁に囲まれた19世紀の城塞
で有名です。


     「ベトナムフエ」


ベトナムの京都とも言われる世界遺産古都


  「フエ市内を流れるフォーン川」


フォーン(フォン)川とはベトナム語で「薫る川」を意味する。


旧市街地には壮大な王宮が占め、郊外には天女伝説の伝わる有名なティエンムー寺の八角塔や、歴代皇帝の墓所である広大な社(やしろ)が点在します。

ユネスコは1993年に、こうした歴史的建造物を世界遺産に指定しています。


    「旧市街地にある王宮」

日本では考えられないと思うが、2月でも堀に蓮の花が咲く。


フエの街には昔、王族や宮臣たちが住んだガーデンハウスと呼ばれる広い、庭付きの家が多く残っています。

建設当時の面影はないものの、そこには自然を身近に取り込んで楽しむ生活が受け継がれています。


ベトナム帝国の滅亡

1945年8月17日「ベトナム8月革命」が起こり、ベトナム帝国は滅亡しました。

崩壊した後、ベトナム民主共和国が誕生。

ベトナム民主共和国になり、新しい時代が始まったベトナムですが、1955年からベトナム戦争が始まり、南部ベトナムに対するテト攻勢が1968年に勃発し、フエで戦闘が繰り広げられました。

やがて北ベトナム軍に支配されたフエは分断し、約300人の人々が生き埋めにされたり、銃で撃たれたりした。


アメリカ軍はフエの攻撃を始め、フエは焼け野原になった。


グエン王朝時代に建てられた建物も多く犠牲となった。

その爪痕は現在も残っている。


戦争終息直前の1975年3月、アメリカ軍は主要な街としてフエを解放しました。

その後、フエは再建され、ベトナムで初の世界遺産に登録されました。


伝統的なフエの庭に共通しているのが石造りの「風よけ」とその前に作られたロックガーデンと池です。


庭全体が風水思想に基づいて設計され、日本でも馴染みのある松や梅、竹、椿などが植えられ、池にはスイレンが咲いています。


    「熱帯性スイレン」


水面に浮かんだように咲く温帯性スイレンに対し、水面から茎を伸ばして咲くのが熱帯性スイレンで、温帯性に比べて花上がりがよく、4回から10回も花を咲かせる。


ベトナムでは蓮の花をHoasen(ホアセン)と言い、日本の桜のようにベトナム国民から愛されている国花である。


家の周囲には大小の盆栽や吊り鉢のランで飾られています。


家族や先祖を大切にするベトナムの人々にとっても、庭は代々の祖先の魂が宿る場所なのです。


屋敷内には大きな祭壇、庭に先祖を祭る祠を持つ家もあり、祭礼の度に家族や親戚が集う。


ベトナム戦争で破壊を受け、フォーン川の氾濫による洪水の被害も深刻です。

そのため修復、維持経費を賄うために観光客への一般公開が始められました。


平和であることの大切さ、戦争がいかに愚かな事なのかを伝えて行くためにも、伝統とともに長く保有される必要があります。


       
「1930年代当時の姿を残す家屋」
「日本式の池」

庭は家族のプライベートな空間だが、訪れる者に門戸を閉ざすことはないと言う。


  「オクナ·インテゲーリマの花」


フエではこの黄色い花が旧正月を飾る。

一般に黄色い花でマイフラワーと呼ばれる。

野生では小さい木、低木種の熱帯植物でオクナ科は、全世界の熱帯に分布する常緑木本で一部は草本である。









2023/07/10

幹や茎をはしる動脈と静脈 No,649

 幹や茎のはたらき、つくり

植物の幹や茎には自分の体を支えると言う働きがあり、また、幹や茎には根や葉などに水分や養分を運ぶ管が通っています。


どんなに高い樹木の枝先にも水分や養分が届き、光合成によって造られた糖を葉から、体の各組織に運びます。


維管束(いかんそく)

植物の茎を切ると維管束と言う組織があります。

維管束は師部(しぶ)と木部に分かれていて、師部には師管が木部には導管(被子植物)、裸子植物では仮導管(かどうかん)が通っています。


     「維管束の拡大図」


導管は水分や養分を根から葉へと伝える役目をしています。

師管は葉の光合成によってできた糖を、体の隅々まで届ける役目を果たしています。

被子植物の多くの種は導管を含む材を持つが、ほとんどのシダ植物や裸子植物は導管を持たず、仮導管からなり、仮導管組織がその役割を担っている。

仮導管の両端は尖って穿孔(せんこう=空いた穴)はない。

♣種子植物は胚珠(はいしゅ)が心皮(しんぴ)に包まれているものと、いないものとの2つに分けたときに、包まれているものを被子植物、包まれていないものを裸子植物としています。


ソテツやイチョウ、針葉樹などが裸子植物で、被子植物へと進化する前段階の植物と言われています。


形成層

被子植物の双子葉植物と裸子植物には、木部と師管の間に形成層と言う分裂組織があります。

単子葉植物では形成層がなく、維管束が放射状に散らばっています。

形成層の細胞は盛んに分裂して茎を太くしています。

樹木の場合、形成層の内側は木部に外側は樹皮になります。

双子葉(そうしよう)植物は子葉が2枚またはそれ以上ある植物で、単子葉(たんしよう)植物は子葉が1枚の植物を言う。


樹皮

樹皮は2つの部分でできていて、外側はコルク状の層になっています。

コルク状の層は死んだ細胞でできていて、外界から樹木を守る役目をしています。

内側の層は生きた細胞でできていて師管が通っています。

樹皮の外側の死んだ細胞はそれ以上成長しませんが、内側の形成層はどんどん新しい細胞を作るので樹は太っていきます。


それに連れて樹皮は引っ張られて裂けてしまいます。

樹は葉の気孔(きこう)だけでなく、樹皮の裂け目を通しても呼吸をしています。


     「葉のはたらき」

水はなぜ上昇できるの?

根から吸われた水は導管を通り、動力に逆らって葉の先端まで上っていきます。

たとえ100㍍の高さの樹木でも水は上っていきますが、それには3つの理由があります。


     「植物内の水の流れ」

①葉からの水の蒸散によって葉が水不足になる。

②水と水との分子の分子間力の結びつく力(凝集力=ぎょうしゅうりょく)は大変強く、どんなに強い力を働かせても滅多に水の流れが切れることはない。

③水が細い管の中を上っていく毛細管現象で、外部からエネルギーを与えられることなく管の中を移動する物理現象。

地球上での重力に逆らえるほど上昇することもあり、主に静電気力が影響しているとされる。









2023/07/07

メリンジョの木 (インドネシア)No,648

 メリンジョの木 グネツム科

インドネシア原産

古来よりインドネシアでは、メリンジョの実や葉を酸味のあるスープ(サユールアッサム)に加えたり、実の中の種を取り出して炒ってから潰してチップ状にし、揚げてお菓子やおつまみ(ウンピン)にしたりする。



      「メリンジョの実」


農家の庭には、メリンジョの木が必ず1本は植えられているほど身近な植物です。


ジャワ島はメリンジョの主な生産地で、中でもジョグジャカルダ特別州は、他の地域と比べて収穫量もウンピンの消費量も多い。


メリンジョは雌雄異株の裸子植物ですが、一般的に裸子植物が仮導管、被子植物が導管を持っているのに対し、メリンジョは導管を持っている。


メリンジョは裸子植物と被子植物をつなぐ、中間的存在と考えられています。

インドネシア、カリマンタン島(旧ボルネオ島)の深い森に住むダヤック人は、メリンジョを「生命の樹」と呼び、この樹木の物語を代々語り継いできた。


「生命の樹」と呼ばれるメリンジョの語り継がれる物語

遠い昔、森の中で人間はたくさんの動物たちと仲良く暮らしていました。

ある日、人間が動物の肉を食べてしまったことから、動物たちは人間と一緒に暮らすことを止めてしまいました。


やがて、果実だけではなく動物の肉も食べるようになった人間に困ってしまった動物たちは、森の中のすべての果実を取り去ってしまいました。

その結果、人間は食料を失うことになり、争いを始めました。

その頃、南の国から一人の王さまが小さなお姫さまを連れ、ガルーダ(霊鳥)を従え、島に渡って来ました。

姫はガルーダに乗り、楽しく暮らしていたが、蛇に噛まれて亡くなってしまいます。

姫の死を悲しんだ王さまは、ガルーダに言いつけ蛇を襲って食べさせました。

すると蛇の体内から3つの玉が出てきました。

その玉を供養のためにお墓に供えると、玉から芽が出て見る間に大木となり、たくさんの実が成ったのです。

王さまはこの木をあちこちに植えるように命じました。

そして人々はその木の実や葉を食べて、命をつなぐことができたのでした。

玉から芽が出て大木となった木が「メリンジョの木」なのです。


       「インドネシア」


インドネシアは数千の島からなる赤道直下の国で、殆どの熱帯植物を見ることができます。


バリ島にはボゴール植物園の支所エカ·カリヤ(Eka Karya)植物園があります。


★ボゴール植物園はインドネシアのボゴール市内にある植物園で、面積80ha以上の広さがあり、15000種以上の様々な熱帯の花や植物を見ることができる。

ボゴール宮殿(大統領宮殿)と隣接し、最大栽植種を誇る東洋最大規模の植物園


エカ·カリヤ植物園は、標高1500mの高地に位置し、赤道直下のバリ島にあっても涼しい環境となっています。


園内は157.5haと広大で、敷地内に1600種類以上の熱帯雨林の珍しい植物や、巨木を見ることができます。

一日で歩いて回るには厳しい広さと言えます。





温室には多種多様のサボテンが植えられ、アスレチックやピクニックも楽しむ事ができる。



       「ガジュマルの木」


敷地の奥まで歩いて行くと、巨大なガジュマルの木があり、パワースポットとして知られている。









2023/07/04

キナノキ(ペルー共和国)No,647

 キナノキ

キナノキはアカネ科に属する熱帯性の高木で、樹皮(キナ皮)から「キニーネ」を抽出し、抗マラリア薬として長く利用されました。

利用部位は枝皮、樹皮、根皮

キナノキ属は70種ほどあるとされ、コロンビアからエクアドル、ペルーを経由しボリビアに延びるアンデス山脈の東側斜面、海抜1500~2500mに限定して自生している。

マラリア治療以来、「キナ」と呼ばれていたこの土地固有の言葉から「キニーネ」と言う言葉が生まれたとされる。


全てのキナノキ属の植物がマラリアに有効と言うことではなく、有効とされるのは2~3種類のみである。


中でも痩せ地でもよく育つ「アカキナノキ」は現在、ジャワ島やスマトラ島などで移植栽培され、今では世界の「キナ皮」の90%がジャワ島で生産されている。


 「アカキナノキの花、花咲き5月」


日本では、東京都立薬用植物園(小平市中島町21-1)
でアカキナノキが栽培されている。

この植物園は昭和21年設立以来、薬用植物を収集、栽培し主に、危険ドラッグや健康食品の指導、取締りに向けた植物鑑別等の試験検査、調査研究を行う他、薬用植物の正しい知識の普及に努めている。



ペルーの果物

ペルーは果物の宝庫と言っても過言ではない。

カムカム、ニカンボ、トゥンボ、ルクス、タマリロ、カカオなど多くの果物があるが、全く食べたことがないものばかりである。


1つの例として、ルクスはボリビア、エクアドル、ペルーのアンデス渓谷が原産地で、アカテツ科の樹木の一種です。


アカテツ科は双子葉(そうしよう)植物に分類され、世界の熱帯から亜熱帯に分布する常緑樹で、分類には諸説あるが、35属~75属ほど存在すると考えられ、世界では約800種が確認されている。

日本では南西諸島、小笠原諸島だけに分布するが、アカテツ属のアカテツとムニンノキが分布するのみである。


ルクスの見た目はオレンジのアボカドと言った感じでしょうか。


     「ルクス」


ペルーでは1500年以上前から食べられている果物で、南米ペルーでは定番のフルーツなのだが、日本には馴染みがないため、認知度が圧倒的に低いフルーツである。

一度食べてみたいものである。

しかし、ペルーに知り合いも友達もいないし、地元のスーパーマーケットで見ることもない果物です。

食べれるのは皆無に等しいと言えるのかも知れない。


ペルーの世界遺産

ペルーを代表する観光地と言えば、マチュピチュ(MachuPicchu)でしょうか。

  




「マチュピチュ」



マチュピチュはインカ時代(15世紀)に作られた石造りの都市遺跡で、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った高い山の尾根(標高2430m)にある。


当時、インカ帝国の首都は3400mの標高に位置するクスコに所在し、最盛期には人口600万を有した。

クスコはマチュピチュからさらに約1000㍍高い場所にあった。

現在のクスコはペルー有数の都市で、1983年より市街地は文化遺産に登録されている。



    「南米ペルー、クスコ」


     「南米ペルー位置図」


1200年頃に成立したインカ帝国は、1533年にスペインの征服者フランシスコ·ピサロによって滅亡し、マチュピチュの都市遺跡は、スペイン人侵略期の応急の避難所として築かれたものと考えられている。

♣征服者(せいふくしゃ)とは、相手を従わせて優位に立った者


16世紀にスペインの植民地になったことで、スペイン人がペルー原産の作物を持ち帰り、世界に広めました。

この歴史がなかったら、トマトのないイタリア料理やトウガラシのないインド料理になっていたと言われています。


また、ペルーのジャングルは世界でも有数の動植物の宝庫であり、世界中で最も生物多様性が高い場所となっています。