一切皆苦(いつさいかいく)
人生が苦しいのはあなたのせいではない、生きていれば思い通りにならないことのれんぞくである。
それは生きることそのものの構造だからである。
あらゆる人生は苦痛である。
これは絶望の言葉ではない。
苦しみを「例外」ではなく「前提」として受け入れことができてはじめて人は楽になれるという意味の言葉です。
生の欲望それ自体が「苦痛」であるという教えを仏教界では「一切皆苦」と言う。
人間はいつか全て死にゆく存在である。
だから、欲望や執着、所有欲がどれほど空しいかを知る必要がある。
名声、権力、知識などは自分が死んでしまえば全て泡と消えてしまう。
この事実を知り、欲望の波をうまく治めることが心の幸せを得る第一歩なのです。
「一切皆苦」は全て苦しみだから諦めろと言う意味ではなく、苦しみの根っこにあるのは「欲望」であり、その欲望がある限り苦しみは終わらないという構造を見抜いた言葉です。
一切皆苦は仏教における基本的な考え方の一つで、この世の全ての現象や人生は、思い通りにならない「苦」であるという意味。
お釈迦様は苦しみが生まれる本当の原因は、自分中心の物の見方や「思い通りにしたいという執着」にあると説きました。
人生のままならなさをネガティブに諦めるのではなく、現実を深く見つめ直すことで無駄な苦悩を手放すための「智慧=ちえ」として説かれています。
智慧は仏教用語として用いられている、人生の真理や物事の本当の姿を見抜く力のこと。
名声が欲しい、もっと認められたい、もっと持ちたいと心から強く望む、切実に欲求する、その渇望(かつぼう)が満たされる度に次の渇望が生まれる。
知らず知らず終わりのないレールを自ら走り続けている。
得た物全ては死の前では等しく泡と消えてしまう。
どうせ消えるものだと理解すれば、執着の力も少しは緩んで行くだろう。
「求めない」は諦めではなく「技術」だ。
欲望は消すことではなく「治める」ことだ。
欲望の波が来るのを認めながら、それに飲み込まれない距離をとることである。
求めることをやめるのではなく、求める自分を静かに観察する、それがこの哲学が教える心の幸せへの最初の一歩である。
何かを強く求めた瞬間に「これは欲望の波かも知れない」と一呼吸置くことだけでいい。
そう解くのは19世紀を代表するドイツの哲学者『アルトゥル·ショーペンハウアー』である。
「ショーペンハウアー/1788.2.2〜2860.9.2」
知的能力が高い人であるほど、ひとりで過ごそうとする傾向が強まり、知的能力が低い人であるほど誰かと一緒にいようとする傾向がある。
知的能力とは、新しい情報を学び、論理的に思考し、問題を解決し、環境に適応するための総合的な力を指します。
単なる知識の量ではなく、「知識をどう活用するか」という脳の働き全体を意味します。
言葉を理解し、情報を素早く正確に処理する力。
物事の筋道を立てたり、見えない概念(大まかな理解や考え方)を理解したりする力。
一時的に情報を頭に留めながら別の作業をこなす力。
ショーペンハウアーは、孤独を単なる「寂しさ」ではなく「精神の自由」を得るための必須条件と捉えました。
人間が完全に自分らしくいられるのは一人の時だけであり、孤独を愛さない者は自由を愛さない者であると説きました。
孤独は自由の証
ショーペンハウアーは、他者と群れることは自分自身を偽ることであり、本当の自己に戻れるのは一人でいる空間と時間だけだと考えました。
他人の評価や世間の期待から距離を置くことで、初めて心の平穏(へいおん)と自由を手に入れることができます。
人生の幸福は「自分が何者であるか」にかかっていると述べています。
内面が空虚(くうきょ)な人は孤独に耐えられず、他者や刺激を求め続けます。
しかし、優れた精神や豊かな内面を持つ人は孤独を最高の友とし、自分の内側から喜びを生み出すことができます。
他人への過度な期待を手放し、無用なストレスや煩わしさから身を守ることができるとしました。
