緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2019/01/02

梅は食うとも種食うな中に天神寝てござる No,108

梅は食うとも種食うな中に天神寝てござる。


天神様こと菅原道真が生前、梅をこよなく愛していたことから生じたことわざです。   

ちなみに、梅の種のことを核または「仁」と呼びますが、これを天神の「ジン」にかけているのでしょう。

実際に、生梅の種に何らかの毒があることは昔から知られており、むやみに食べて体を壊さぬように戒めているとも考えられます。

よく「梅の種をかむと字を忘れる」とも言われたますが、確かな根拠がありません。

◆未熟な梅の種に含まれている毒ですが、近年ではアミグダリンという化学物質として一般に知られています。


これは梅だけでなくアンズなどの種子にも含まれている物質で、一種の青酸化合物です。


そのままでは無毒ですが、体内に入り胃酸によって分解されることで毒性を示します。

実際にはその毒性は弱く、よほど多量に摂取しない限り生命に危険は及びません。

むしろ最近ではこのアミグダリンはビタミンB17として、適量の摂取により健康維持に寄与する成分とされています。

劇薬でも少量ならば薬として作用するのと同じ理屈でしょう。









2019/01/01

植物の秘めた効能を見直す時代 No,107-1

植物の秘めた効能


植物には、薬草としてのあらゆる効果がある。
治療薬が、開発され薬剤が多くなった現代社会の中では、多くの植物、薬草の能力がいつしか忘れ去られている、そんな気がします。

今一度、植物の能力が見直される時代が訪れる事を願いたいものである。

日々の予防が大切です。







門松は冥途の旅の一里塚(ことわざ) No,107

門松は冥途の旅の一里塚


本来、たいへん目出度い物とされる門松だが、それを立てる度にひとつひとつ年を取るわけで、これを死に近づく一里塚と考えると複雑な気持ちになる、という年輩者の心情を表現した狂歌。

とんち話しで有名な一休禅師作と考えられている名句である。

このあとに「めでたくもありめでたくもなし」と続きますが、この一節は寄席の大喜利でもよくお題に上ります。







2018/12/31

2018年の想い出「2」花*花 NO,106



                  「サルスベリの花」


                「サルスベリの白花」


                           「アジサイ」


                         「アジサイ」


             「カワラナデシコ原種」


                       「アマリリス」

                   「ゼラニウム、花美」

                              「ボタン」


                「アンネのバラ咲き始め」


                  「ハクチョウゲ苔玉」









2018/12/30

2018年の想い出「1」花*花 NO,105


2018年の想い出



           「ゼラニウム」






                        「アンネのバラ」


                     「オリヅルランの花」


                         「ゼラニウム」





                                 「スイセン」











2018/12/29

悪木に陰せず (ことわざ) NO.104

悪木(あくぼく)に陰(かげ)せず


文字通り解釈すると「どんなに疲れていようと、悪い木の下では休まない」ですが、言い換えれば、高潔な志を持っている者はいかに苦しい状況でも不正などせず、汚れたものには近寄らないという意味である。

同様のことわざに「悪木盗泉」「渇しても盗泉の水を飲まず」等がある。

✿悪木(あくぼく)盗泉とは、どんなに困窮しても、僅かな悪事にも手を染めないことで悪木とは役に立たない木または、悪臭のある木の意味です。

✿褐(かっ)しても盗泉の水は飲まずとは、どんなに困っていても、不正には手を出さないことの例えで、不正でなくてもそれに通じる可能性のあるものを避けるという意味もある。


盗泉(とうせん)とは

山東省泗水(しすい)県にある泉の名で、孔子(儒教の祖、春秋魯の人)はこの名を忌み嫌ってその土地に泊らず、また現地の水も口にしなかったとい伝えられています。


古代中国にはこのように高い志を表明したことわざが多い、それは、それだけ当時の政治が腐敗を極めていたということだろう。




真心の花を咲かせて欲しい