緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/10/20

剪定作業NO,568

 マキの木剪定

最近はお家に庭を作らない所も多くなっていると思うが、庭を造れる広さがあっても庭木を植える事を好まない方々も多い。


その理由も様々だろう。

代々引き継がれた樹木であっても、庭木の手入れをすることも少なくなって、毎年のように剪定していた庭木も放置状態になることも少なくない。


2年前に剪定したお宅より、剪定作業の依頼がきた。


 以前から放置状態の庭木も今回は剪定したが、幹には苔が生えシダ植物が寄生していた。

そのような枝は枯死する状態になりつつあった。


      「原形がない仕立てのマキ」


      「約三時間でこの姿に剪定」


二年前に剪定したマキの木




2年前は徒長枝が無数に立ち上がって、形も崩れていた。


今回は枯れ枝と透かし剪定を中心にしながら形を整えました。



樹上に登って剪定作業。
全体の樹形が分かりにくいため何度も確認が必要。




このマキも2年前に剪定したもので、形もすでに崩れている。

これほどだと樹形もまだ整えやすい。




今回はこんな感じで剪定終了です。






2021/10/19

巨樹の村の八村杉  No,567

 追討使(者)が植えた杉 八村杉

九州の巨樹の村で知られる椎葉村は、宮崎県東臼杵郡の秘境地。

大寒の頃、椎葉村大河内の森は氷の森となり、落差30mの滝全体から広い滝つぼ全てが凍りついた「御神の滝」はまるで別世界です。

この地はまた、平家にまつわる数多くの伝説が語り継がれる地でもある。

九州山地の中心に位置する椎葉村は、現代においても平家と言えば椎葉村ともいわれる程、平家の落人集落として全国にその名を知られている。

交通の便がよくなった現在でも岐阜の白川郷や徳島の祖谷とともに、日本三大秘境と呼ばれていることからも、当時はいかに奥深い山谷の地であったかが想像できるだろう。


1185年(文治元)3月、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の人々は、五ケ浦町鞍岡を経て霧立越(きつたちごし)を抜けて椎葉村へ逃げてきました。


椎葉村の北部、十根川地区にも平家の残党が身を隠す所であると知った源氏は、那須大八郎宗久に追討の命令を出し、そしてこの地にやって来た大八郎だったが、平家の人々が焼き畑をしながら木の実や草の根をかじり、細々と暮らしているありさまも目のあたりにして、「どうしてこの人たちを殺すことができようか」と深く哀れみ、「平家の残党は残らず追討を終えた」と嘘の報告を鎌倉に伝え、自ら平家の落人と共に十根川の集落に陣屋を造って暮らす事となった。


この際、陣屋から100㍍ほど離れた場所に大八郎自ら植えた杉が、現在の八村杉(やむらすぎ)であると言われている。





八村杉は別称「十根の杉」といい、1871(明治4)年まで十根川神社が八村大明神と呼ばれていたことから、八村杉と呼ぶようになったとされる。


かつては人が出入りできる程の空洞があったが、生長により現在ではほとんど痕跡を見ることが出来なくなっている。

八村杉は生長に伴い、根元を埋め立てて行ったようで、本来であれば樹高も幹周りももっと大きく、日本最大級の杉であっただろうと想像できます。


秘境の自然環境の中で生き続けてきた八村杉は、物言わぬ歴史を知る唯一の生き証人なのかも知れません。


八村杉

樹齢800年
国指定天然記念物

所在地=宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良
十根川神社







2021/10/17

戦火を逃れた首里金城の大赤木 No,566

 アカギ トウダイグサ科アカギ属

「赤木」

アカギは材の色が赤褐色なのでこの名がある。

高さが20㍍以上になる雌雄異株の半落葉高木で、沖縄では日除けや街路樹として使われることもある。


半常緑性で冬の一時期葉が少なくなるが、3月頃一斉に芽吹いてくる。


花の時期とも重なるため、若葉が開く頃は特に華やかである。

萼(がく)が花弁のように見えるが花弁はない。



         「アカギ」


首里金城の大アカギ

首里金城(しゅりきんじょう)町は、かつて琉球王国の城下町で「日本の道」100選にも選ばた琉球石灰岩で作られた『石畳の道』が現在も残る情緒豊かな町である。


首里城周辺の高台に位置することから、見晴らしは那覇市でも一番の土地と言える場所です。

また、歴史的にも古い町として先祖代々、脈々と歴史が受け継がれている地でもある。

その石畳の道の途中に、大アカギへの行き先を示す小さな道標がある。

道標に従い石畳から分かれて民家の間を進むと、大アカギのある森に辿り着く。

うっそうと茂り緑が残された不思議な場所のようにも感じるが、実はここだけ戦火から焼け残った場所なのだと言う。


古くは首里城内にも数多くアカギの巨木は生育していました。

しかし、1945年の戦時中、沖縄戦の際に艦砲射撃(軍艦が搭載する大砲)を受け、多くの森がほとんど焼失してしまいましたが、この場所だけは奇跡的に6本のアカギが残ったのだと言われています。

残った森の中のアカギは、奥に生育するのが一番大きく迫力がある。

昼間でも暗い森の中の主であるかのように存在している。

暖地の巨樹らしく根元にはオオタニワタリなどが着生し、いかにも南国独特の湿潤な雰囲気のある森である。


         「オオタニワタリ」


オオタニワタリは、日本南部から台湾の森林内の樹木や岩などに着生するシダ植物である。
単にタニワタリとも言う。


大アカギの樹齢は200〜300年前後と言われており、中でも古木はシマオオタニワタリやクワズイモなどの植物が着生している。



      「首里金城の大アカギ」


この場所は、沖縄に数多く存在する「御嶽=うたき」と呼ばれる祭祀=さいし(神や先祖を祀ること)祭事、祭典、祭りなどを行う場所で、内金城嶽(うちかなぐすくたき)と呼ばれています。

普段は静かなこの森も、毎年旧暦の6月から15日には賑わうと言われています。

1年でこの日だけは、アカギに祭られた祠(ほこら)に神が降りてくると言われていて、この日には島を離れていた人々が集まって来るのです。


地元では昔から神聖な場所であり、アカギは御神木でもあったのです。


沖縄県に多く存在する聖域の中では比較的アクセスが良く、近年ではパワースポットとしても知られている場所である。


首里金城の大アカギ

樹齢300年以上
国指定天然記念物

所在地=沖縄県那覇市首里金城町3丁目








2021/10/15

オキナワウラジロガシ伐採危機 No,565-1

 石垣島のマザーツリー

オキナワウラジロガシ

緊急提言

首里城再建のため、石垣島に自生する天然巨木5本が伐採まで1ヶ月余りという危機に直面している。


その昔、オキナワウラジロガシは首里城築城の際に、築城材として切り出された。


その時の生き残りが、現存のオキナワウラジロガシであるとの言い伝えがある。

オキナワウラジロガシは沖縄の銘木100選に認定されている。

日本に自生するドングリの木としては最大級である。

別名=ヤエヤマガシ、リュウキュウガシ、リュウキュウウラジロガシと呼ばれ、日本固有種である。

巨樹巨木群の存在は自然環境維持には欠かせない、大切なものです。

野鳥や動物たちの生活環境を助けています。

また、海の環境保護にも重要な役目をもち、サンゴ礁の海を護っています。

人類は壊すだけで自然環境を作る事は出来ないという事を、今一度肝に銘じなければならない!

それはいつの時代でも重要な事である。



     「オキナワウラジロガシの巨木」


キャンペーン、石垣島のマザーツリー

↑キャンペーンクリックで詳細

(オキナワウラジロガシ)を助けてくだい。


その後の経過として(10月28日)報告によると
賛同総数が26.000人を超え、取り敢えず12月上旬の伐採は無いようです。


どれくらい伐採が延期されるか不明であり、総選挙の結果次第で伐採事業が早まらないかと、住民は敏感になっている様である。


首里城宮殿の設計変更まで話を持っていきたいと考えてるとのことです。

この伐採計画のほかに石垣島では、ユニマット社のホテル、ゴルフ場建設、JTBによる固定式浮島による計画があり、石垣島の未来を心配する声が数多く寄せられていると言う。


島の自然破壊は限界に来ているとし、石垣市民有志は次のアクションに向けて協議を重ねている。


引き続き、皆さんが石垣島に関心を持っていただく事を願っているとの、マザーツリーを守る会代表の会田昌平さんのコメントです。

さらに賛同を集めている。






ひんぷんガジュマル No,565

 ひんぷんガジュマル

クワ科イチジク属 「榕樹」

ひんぷんガジュマルは、沖縄県名護市の商店街の入口にたたずむ、推定樹齢300年以上の天然記念物のガジュマルの木である。




ガジュマルはクワ科の高さ10m以上になる常緑高木で、枝から多数の気根を垂らす特徴のある木で、気根は地面に着くと支柱根となって木を支えます。


他の樹上に着生したガジュマルが、気根を寄主した幹に絡ませながら生育し、締め付けて枯死させることから「締め殺し」の木とも言われる。


屋久島以南の亜熱帯から熱帯にかけて広く分布し、沖縄では屋敷木、防風林、防潮林、緑陰樹、公園樹などとして広く植栽されている樹種である。


カンボジアのアンコール遺跡などで見られる、根が遺跡の石に絡みつく写真などが有名ですが、これもガジュマルの近縁種です。


ひんぷんガジュマルもかつては「リュウキュウマツ」に寄生し成長したもので、そのリュウキュウマツは絞め殺されてすでに存在していません。

名護大通りの幸地川に架かる「あなだ橋」のたもと、道の中心部にひんぷんガジュマルは生育し、ガジュマルを中心としたロータリー状の道路となっているが、これはガジュマルを避けるように後から道路が作られたものだと言えるだろう。


ひんぷんとは、屋敷の正門と母屋との間に設けられた塀のことを言う。

樹下に置かれた石碑の三府龍脈碑(さんぷりゅうみゃくひ)の別名「ヒンプンシー」に由来する。


外から屋敷内が見えないようにする役目があると同時に、悪霊や災難が入り込まないようにするという意味もある。

名護の町に災難が入り込まないよう、地元住民の信仰の対象となっている。


また、ガジュマルの木には「キジムナー」と言ういたずらの大好きな伝説の妖怪(精霊)が12匹住むと信じられていて、道路端には『がじゅまるがんた』と言うキジムナーをイメージして作られたキャラクターが立っている。



一般的にはガジュマルの古木に住むとされる精霊であるが、精魔、セーマグ、ブナンガー、ブナガイ、ミチバタ、ハンダンミー、アカガンダーなど様々な呼び方があり、これは出会える場所などによって呼び方が違うとされている。



    「キジムナーと言う精霊」

ひんぷんガジュマルは、2002年(平成14年)の台風16号の強風によって樹が南西方向に傾いてしまい、倒木の危険性がある被害を受けたが、その後対策工事が行われ維持された。

同時に大規模な枝の剪定作業が行なわれ、約940㌔もの枝がせん定された。

その枝は市内の小・中学校に植樹され、名護博物館にて挿し木にして育てられた苗木も、希望者に配られることになった。


かつての広大な樹幹は見られなくなったが、今でも元気な姿で気根を垂らして、大きな木陰を作り出している。




ひんぷんガジュマル

推定樹齢300年以上

沖縄県指定天然記念物1956年(昭和31年)10月19日指定

国指定天然記念物1997年(平成9年)9月2日指定

所在地=沖縄県名護市大東1丁目1









2021/10/13

尾八重の一本杉 No,564

 尾八重(おはえ)の一本杉

吹き荒れる尾根に育ち生きてきた杉

一本杉は尾八重集落の奥、横尾峠から続く尾根伝いに位置し、ちょうど旧街道が尾根を越える。

まさに峠の頂上部分に一本杉は生長している杉の名木である。

その生命力は計り知れないほどの強さである。

高地の尾根上に当たるため、四方から季節風が吹き荒れてまともに杉を、傷めつけているかの様である。

生育環境が過酷すぎる条件下に育っていると言える。

やせ地の尾根に育つため根元は固い岩盤で、根を深く伸ばすことができないため、樹高が伸びずに低い幹の部分に数多くの枝を伸ばす。

自らその生長の仕方を選んだようで、太いコブのような枝が集中して伸びる様子は異様である。


真っ直ぐに伸びる本来の杉の姿とは程遠い、杉としては珍しい樹形そのものである。

この尾根の厳しい自然条件が杉の運命と生き方を決めたと言えるだろう。




一本杉の根元を横切る山道は昔、南郷村に至る交通の要路であったが、日本経済成長に伴い、自動車による移動手段とり、次第に峠道の存在が忘れ去られて行った。


かつては山の神として信仰された杉であったことから、峠を旅する人々たちへ安らぎの場所を与えていたに違いありません。


400年以上の長きに渡り、尾八重の暮らしや旅人の安全を見守ってきたことだろう。


今では、ほとんど人の通ることのない峠となっているが、いまだに尾八重集落の守り神と峠の番人として存在しているのだと思う。



宮崎県西都市尾八重地区は、西都市北西部の深い山中にあり、一ッ瀬川の支流、尾八重川上流の集落。

山の習わしを色濃く残す尾八重神楽と有楽椿が咲き誇る地として知られ、かつて日本に数多く存在した山里の風情を漂わせる集落である。


尾八重の一本杉
推定樹齢450年以上

西都市指定天然記念物(昭和46年6月10日)

所在地=宮崎県西都市尾八重