スパイ防止法復活案
今なぜ?
危険な法が制定される危うさ
秋の臨時国会において「スパイ防止法」の制定を狙う各党の動きが強まっている。
スパイ防止法の最高刑は「死刑」で、40年前に廃案となった悪法がなぜ今必要なのか?
スパイ防止法案は、1985年の中曽根康弘政権下で自民党が法案提出し、外交、防衛に関わる「国家秘密」を他国に漏らした者に死刑など、厳罰を科す内容であった。
何が国家秘密に当たるのか?
何をもって情報漏洩とみなすのか?
政府が恣意的に判断することも可能性で、報道、調査や日常会話に至るまで、監視対象となりうる「現代版治安維持法」とも言えるものでした。
スパイ防止法は国民的な反対世論の高まりの中で、40年前に廃案となったものです。
40年前自民党が主導して廃案になった法案を、今度は国民民主党、日本維新の会、参政党など自民党補完勢力や極右、排外主義の野党が主導して現代に蘇らそうとしている。
参政党は早ければ、11月にも法案を提出する考えを示している。
日本維新の会は臨時国会に、スパイ防止基本法の案の提出を目指すとしている。
国民民主党も同じく、臨時国会に提出を目指す意向を表明しています。
この3党に共通しているのは、外国勢力への敵対視で、根底にあるのは外国人差別、排外主義です。
更に、各党が米国のCIAのような情報機関の創設を主張していることで、40年前にはなかった危険な動きです。
自民党は党を挙げて法案を推進する動きは見えないが、政府にスパイ防止法制定などを盛り込んだ提言を5月に提出。
それを主導したのは、自民党総裁選候補者の高市早苗氏です。
スパイ防止法制定の動きは、統一協会の政治団体「国際勝共連合、1968年設立」がけん引してきました。
勝共連合は、1978年にスパイ防止法制定3千万人署名国民運動を開始し、翌79年には同連合の全面的な支援下で、スパイ防止法制定促進国民会議が発足しました。
統一協会=勝共連合と癒着する自民党は、こうした動きと連動し、85年に「スパイ防止法案」を国会に提出しました。
今回もスパイ防止法を推進する勢力の背後には、勝共連合=統一協会の影がちらつきます。
参政党が8月に提出した質問主義書の内容は、勝共連合の主張と酷似している。
自民党総裁選でスパイ防止法制定を公約にあげた高市早苗氏は、初当選後の1994年から2001年にかけて少なくとも5回、統一協会系の「日刊紙世界日報」に登場している。
国民民主党の玉木代表は、世界日報の元社長から2016年に計三万円の寄付を受けています。
スパイ防止法の狙いは、国民監視を強化し、思想、言論の自由を統制することで、「戦争国家づくり」を本格化される動きです。
スパイ防止法によって、日本が再び戦争する国になる、切り札的なものになる危険が隠されている。
治安維持法は1925年(大正14)に日本で制定され、1945年(昭和20)に廃止されるまで天皇制政府が国民の思想や言論、結社の自由を弾圧するために用いた悪法です。
1925年4月、一部の議員の反対はあったが、憲政会、政友会、政友本党など、ブルジョア、地主諸政党の一致した支持のもとに、それまでの治安警察法などの弾圧法規に加えて「治安維持法」を公布した。
治安維持法は世界でも稀に見る悪法で、天皇制と資本主義制度に批判的な全ての思想と運動を「犯罪」とする法律であった。
1928年には天皇の命令である「緊急勅令」によって死刑法にまで改悪され、あらゆる口実で弾圧できる「目的遂行罪」も新設された。
政府は、治安維持法は無政府主義、共産主義の運動だけを取り締まるもので、一般社会運動や民主運動、学問研究を圧迫するものではないと議会で説明していました。
しかし、それが全くの欺まんであったことはこの法律によって多くの自由主義者や宗教者が弾圧された。
その後の歴史の中ではっきり証明されることになった。
治安維持法に対するメディアの反対論は弱々しいものであったが、これは現代のメディアの態度にも当てはまると言えるだろう。
新聞は治安維持法に基づく「特高情報」を無批判に掲載し続けた。
正しく正さない、正せないのは昔も今も同じなのだろう。
これでは戦争に対しても反省できるはずもない。






