緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2025/12/01

百里原と呼ばれた開拓農地No.801

 百里の歴史

茨城県小美玉市小川町百里、現在の百里基地と茨城空港がある一帯はその昔百里ヶ原と呼ばれ、藤蔓や雑林が生い茂る荒れ地でしたが明治の末頃(1907年、明治40年)から農民が入植し、苦労して開墾した農地でした。

旧橘村と旧白河村にまたがる百里原の両村は1954年12月10日に廃村合併し、小川町となった。

地名の由来

殿様の自慢ばなしが地名になったとされています。

昔、殿様たちが集まったときに、お国自慢の花が咲いた。

千葉の殿様が「わしの所には九十九里浜と言う長い長い浜がある」と自慢しました。

それを聞いて、負けず嫌いの水戸の殿様が「わしの所には、百里原と言う広い広い原がある」とやり返したそうだ、、、、。

それからこの原を百里原と呼ぶようになったと、土地の古老たちは語っている。

『百里原物語〜基地をつくるなの運動』松原日出夫著より
他著書=百里基地の危険な実態、百里物語など


名付けた水戸の殿様は、常陸国水戸藩第9代藩主の徳川斉昭(とくがわなりあき、1800〜1860年)とされています。

江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の実父である。



百里原農地

百里原と言われる土地に開拓農民が入植したのは1907年頃のことで、農民たちは雑木が生い茂った荒れ地を根気よく開墾していきました。

この土地は長い期間に渡って多くの人々が開拓団、地元農民、戦後、政府による緊急開拓政策の一環として、引揚者や復員軍人、失業者など多くの人々が入植し、大規模な開拓がなされてきた歴史があります。






日本帝国主義が中国侵略を拡大し、国際連盟から脱退した1933年から4年後、日本帝国主義は中国への全面侵略戦争を開始し、秋には「大本営」が設置された。

「大本営」とは、日清戦争(1894年明治27年)から太平洋戦争までの戦時中に設置された、日本の陸海軍の最高統帥機関の事で、大日本帝国憲法下において、天皇が有する統帥権(組織を率いる最高の権力)の発動に基づくとされる。


1937年、(昭和12年)百里原に海軍航空隊百里基地が設置された。

当初は艦上爆撃機などの訓練基地であった。

翌38年に飛行場を開設した。

百里原は太平洋戦争(日米開戦)によって接収された百里原農地である。

日本帝国主義は終戦を1年後に控えた1944年8月に、周辺農民たちに立ち退きを強制し、農民から土地を奪ってしまう。

B29爆撃機より優秀な飛行機が出来るからと海軍は、滑走路を延長するため土地を農民から奪ったのです。

しかし日本は敗戦国となり、農地として使えない状態の土地になってしまった。

敗戦の翌1946年3月、国の役人が来て、日本はもう戦争はしないから基地は要らなくなったから、ここを耕して食糧増産に励んでくれと言った。

旧海軍基地の跡地には、建物の基礎が残っていたり、じゃりが敷きつめてあったりして農地にするまでは数年かかりました。

当時は機械もなくて、もっこで手作業、掘り出した砂利を売ってなんとか農民は生活できたんだと言います。

電灯もなく、ランプ生活で食うや食わずの生活だったと言う。

ローラーで硬く固められた滑走路の跡を手作業で開墾する日々で、家は冬の朝、布団の上には薄っすらと雪が積もる隙間だらけの家であった。

その後、1948年(昭和23年)頃に国営で、百里原開墾建設事業が着工されています。

それでも大地にしがみついて農民は頑張ってきました。


農民たちが農業の行方に光を見出し始めた1955年(昭和30年)、国は再び百里に航空基地建設を計画し、翌56年に基地の建設が始まり現在に至っています。

前年の54年に、日米相互防衛援助協定(MSA)が調印され、防衛庁設置方法、自衛隊法が成立、そして自衛隊が発足した。

国は本格的な再軍備の道を踏み出したのです。

この年(55年)に自民党(自由民主党)が結成され「55年体制」が始まった年として日本の政治史上重要な年となっている。

また、家電製品(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)が爆発的に普及し始め、高度経済成長の象徴となった。

トヨタ・クラウンが発売され、スズキが初の軽自動車「スズライト」を発売した。

後楽園遊園地が完成した。

ワルシャワ条約機構が結成された年であり、またアジア・アフリカ会議(バンドン会議)が開催され時でもある。

アメリカ·カルフォルニア州アナハイムに世界初のテーマパークとして「ディズニーランド」が誕生した。

物理学者のアインシュタインや俳優のジェムスディーンがこの年に亡くなっています。

ちなみに、1983年4月15日にアメリカ国外初のディズニーテーマパークとして開園した「東京ディズニーランド」は、ディズニー社が直接所有、運営していない、世界でも珍しいディズニーパークです。

2001年には「東京ディズニーシー」がオープンし、現在ではホテルやショピング施設を含む東京ディズニーリゾートとして発展しています。


農地を取り上げて基地となった百里基地

ある時は土地を出せ!

ある時は食糧がないから食糧を増産しろと言う。

また再び基地をつくるんだから「退け」と、虫けらのごとく農民は扱われた。

今度こそは絶対に土地を手放さないと言うことで、どのような理屈をつけようとも「基地は存在するなかれ」との思いで、「く」の字に曲がった誘導路がそのことを表し、物語っている。

1956年(昭和31年)に防衛庁が航空自衛隊の基地建設を発表した際に、土地を所有していた住民を中心に激しい反対運動が起きたことから「百里基地反対闘争」は始まりました。

土地買収に応じなかった農民の土地が平和公園となり、基地の誘導路を「く」の字に曲げ、平和公園と言う形で花を咲かすまでには戦前、そして戦後50年の苦闘の歴史が秘められています。

1965年から始まった「一坪地主運動」などを通じて反対闘争は全国にひらがり、現在も続く運動となっています。


     「くの字に曲がった誘導路」


航空自衛隊百里基地が建設される当時、滑走路を建設する計画区域内に、基地反対派の住民らの所有する土地が残っていました。

この土地を国は強制収用しようとしたが、所有住民らの反対により断念、その結果、住民所有の土地を避ける形で誘導路が「く」の字になりました。

曲がった誘導路の中心付近には「百里平和公園」が整備され、反対運動の象徴的な場所となっています。

1月には初午祭が公園内で行われ、普段許可なく入る事が出来ないがこの日は公園から見学することができる。


2010年3月に茨城空港と民間共用化される際に、従来の滑走路の西側に新たな滑走路及び誘導路が建設されました。

これによってくの字の誘導路の不便さは解消されている。

この事例は、世界的に見ても珍しい構造であり、日本の土地問題や基地問題を象徴する歴史的な経緯として知られています。







関連ブログ
茨城空港拡張計画と基地強化 No.804









2025/11/26

神栖市長選再点検結果② No.800

 異議申し立てによる再点検

26日行われた再点検作業は、警察官4名、県警4名の監視の下で午前9時半から始まりました。

9日投票、開票された市長選は同数票となり、くじ引きでの決定となった。

その結果、新人の木内氏が当選したが、これに現職の石田氏による異議申し立てが行われ、選挙管理委員会は石田氏の申し立てを受理する事を決定し、本日再点検を実施する事を決定していました。




舞台に向かって中央部の佐右が点検係で、中央が検査係。

点検係は左右4名ずつで行われ、有効票を各自が1枚ずつ点検。

中央部の検査係で無効票の点検確認が行われました。


     「右側点検係席」






      「左側の点検係席」



有効票は10時半の時点で約半分ほどが点検されました。


同時刻に検査係で行われていた無効票(219)の集計が行われ、選挙管理委員の席に移行し、最終確認を行なった各委員が捺印



公開で行なわれた再点検は関心が高く、大勢の市民が作業を見守っていました。

会場となった体育館周辺のいくつもの駐車場は、駐車スペースがなくなって止められない車もいました。





記者席もいっぱいです。



✻写真は全て会場にて写したもの

全ての点検が終わったのは11時48分頃で、機械による数集計が終わったのが11時50分


それから選挙管理委員の最終確認作業があり、全確認が終わったのは14時35分頃

再点検の最終発表は14時42分でした。






結果は同数票(16724)で、規定によりくじ引きで当選となっていた木内氏の当選が確定しました。


なお、石田氏は県選管への申し立てを行う事が出来るが、どのような判断をするかは分かりません。


どちらにしても再点検を行なった事が良かったのかと言う疑問は残ってしまうでしょう。

負の「前例」を作ってしまったと言う事は間違いないと思います。



後記

実は会場内で朝日新聞社の取材を受けていました。

まさか新聞欄に載ることはないだろうと思っていました。

ところが翌日の新聞に簡素化されたコメントが掲載されていたようです。


落選石田氏の動向


石田氏は県選管への申し立てを検討しているようだ。

また、ある市会議員によると11月20日に市選管に申し立てがなされているものがあると言う。

その内容までは今のところわからないようだが、もし市長選挙の申し立てであるなら、疑わしいのは金権選挙である。

市会議員も分からない申し立て内容と考えるなら、金権選挙の申し立ての可能性があるのかも知れない。

その後の調べで11月20日の申し立ては同じ内容の申し立てであった事が判明しました。

10日と20日の2回申し立てを行なったと言う事です。


くじ引きのやり方も公正ではないとする訴えもしていたようです。

どちらにしても石田氏の行動によっては「泥沼化の様相」を見せる事になるだろう。

再点検の結果を受けた石田氏は再点検でも同数になった事に納得がいかない。

はっきりと白黒つけたいなどと述べ、県選管に申し立てる意向を示している。

今後の石田氏動向として県選管へ申し立てを行う模様、県選管受理か棄却、最高裁裁判闘争まで可能性がある。



木内氏の任期は12月6日から始まるため、県選管の審査が行われた場合、審査が優先されるが、その結果が木内氏の任期が始まったあとになる可能性があります。

そのため、県選管は木内氏の任期が始まる前に結果を出す可能性があります。


石田氏は県選管の審査で結果が覆る可能性があると強気を見せているようだ。


12月5日、石田氏の退任式が市役所で行なわれた。

同日出されていた市選管への申し立ては棄却された。

今後、石田氏は県選管への申し立てを行うことにしている。









立候補者は、通称名使用の申請をし、受理された場合は有効票として認められる。

「まんじゅうや」や「だんごや」でも申請を行い使用が認められた場合は有効票になる。



茨城県選挙管理委員会は26日石田氏の申し立てを受理することを決定しました。

最終的な結果は2026年2月末頃に出すとしている。











2025/11/20

夢の跡先 No.799

 夢と想い出と未来

夢をみた、18年前に亡くなった元同僚の夢。

相変わらずパチンコをしていた。

知り合いの職人も数年前に数名亡くなったが、そちらで会えたかとたずねたら「会っていない」と言う。

きっと地獄行きもいるからね、、なんて


そんな束の間の夢

彼との出会いは20歳の頃

まだ職人になったばかりの頃で、彼はすでに3年ほどの経験者だった。

所属するグループが違っていたが、親会社では一緒に仕事をしていた。

昼休みに彼の彼女が勤める商店街の喫茶店に行った事があった。

彼の彼女は高部知子(元わらべ)に似ていた事を覚えている。

その後、彼女と結婚し、子どもが生まれた。

その時、アパートに訪ねていった事があったが、どんな会話をしたのか今となっては覚えていない。


それから6年後、同じ会社で働く事になる。

その頃はお互い現場を任される立場だったので、同じ現場で働く事はほとんどなかった。

彼は僕の息子(妻の連れ子)を子方として連れて回り現場、現場で仕事をしていた。

息子からたまに彼の仕事ぶりを聞くことはあった、少し厳しい所があったようだが我慢して仕事を覚えたほうがいいと諭した。

それから3年後(平成4年)、僕が独立する事になってからほとんど出会う機会もなくなっていた。

その後、所属する会社が計画倒産したため、所属会社を失ってしまった。

その事を知った知り合いの社長からお誘いがあり、所属する会社が見つかった。


1996年(平成8年)会社が計画倒産した、年末年始から僕は地所を構えるため自力で工場を作り始めた、完成後法人会社を設立(平成9年4月)した。

従業員は5人からのスタートだったが、ほとんどが未経験者職人見習い。

所属会社はニチアスと言う大手会社で、三菱油化構内での常駐だった。

元同僚の彼も三菱油化の関西保温に所属していた。


彼も一人親方になっていた。

難しい仕事以外は三菱油化で仕事をする事はなかったので、あまり顔を合わせることはなかったが、担当していた息子はよく会話をしていたようです。


その後、息子に会社を譲ると同時に法人会社も閉じることになった。

僕は一人親方に戻り、同地区コンビナートにある旭硝子構内で仕事をすることになりました。


そして2007年12月21日、三菱油化構内プラントの分解炉から火災が午前11時半頃発生した。

その一方を聞くと同時に、行方不明者の中に、どうやら彼が含まれていると言う知らせを受けたのです。

この火災で4人の社員が行方不明になっていた。

悪い予感がした。

彼がやはり現場で仕事をしていたのです。

木村春男(キーヤン)

愕然とした。

キーヤンと僕はいいライバルとして歩いてきたんだと思う。

だから互いに成長できたんだと思う。

誕生日が一ヶ月早い同学年

誕生日が妻と同じだった。


身元が判明するまで数日かかった。

分かったのは12月27日のことだった。

お互い職人として地元では名が知られた存在で

他社も含め、職人仲間は多かった。

葬儀は三菱油化の社葬となった。

職人としては僕一人だけの参加で寂しかった事を覚えている。


あれから18年、夢をみた

きっとあの世とやらに僕が逝った時にはキーヤンと会えるのかも知れない。

45歳、まだまだこれからと言う時に逝ってしまったキーヤン。

運命とは時に残酷です。

きっとキーヤンは「けん坊」遅かったなぁ〜とあの世で再会したらそう言うだろうなぁ〜

若かりし頃思い通りに遊べなかった事が出来るかもね。

あの世に逝くのもそう悪くないかも知れない。

いつかはきっと誰もが通る道。

それまでふれあいは大切に生きていたい。















2025/11/19

自国の憲法を無視する日本 No.798

 住民安全保障無し

保守王国·熊本で起きていること

敵基地攻撃能力を持つ長射程ミサイルが熊本市の陸上自衛隊健軍(けんぐん)駐屯地に年度内に先行配備されることが8月29日に発表され、住民からの怒りが噴出している。

その配備についての住民説明会も求めているが開催の予定もない。

小泉防衛相はその必要性を拒否している。


地域住民は、有事の際に地域が攻撃される恐れがあると訴え、長射程ミサイル配備も軍事力による抑止も絶対反対と訴えている。

健軍駐屯地は、政令市、熊本市街地の東エリア、住宅地の中心にあり、市民病院や国家公務員、県職員住宅、飲食店と道を挟んで隣接している。

駐屯地の周辺2キロメートル圏内には、保育施設が29カ所、小学校が12校、中学校が7校
、高校が8校あります。

駐屯地では敵国からのミサイル攻撃に備えて司令部の地下設備化も進められている。

熊本1区選出の木原稔官房長官は、攻撃される心配はしなくていいと言うが、それならなぜ自衛隊がけ地下壕を作るのか?

住民の安全はどこにもありません。

住民蔑ろである事は明らかです。




   「住宅街のど真ん中にある駐屯地」



健軍駐屯地は戦前の軍需工場跡地に作られました。

住民への説明は一切なにもなされていない、住民からの意見も全く聞いてもらっていないと言う状態であり、説明会を住民は求めている。

また地域住民によると、現役自衛官からも長距離ミサイル配備に加え、大軍拡による広範囲の人事異動や実戦的な訓練の増加、訓練中の事故などに対し、これからどうなるか分からず心配だとの声が漏れていると言います。

今月9日には地元商店街で集会が開かれ、配備に抗議し説明会の開催を求める県民、市民が1200人参加し、アーケードを埋め尽くしました。


初めて平和の活動に参加すると言う住民も中にはいて、平和について家族で考えることはあっても、実際に動かなければと言うところまでは行き着いた事はなかったと振り返ります。

ニュース報道で配備を知って集会に参加した住民は、生活が脅かされるということをすごく実感しましたと言います。


日本共産党の田村智子委員長は、11日の衆議院予算委員会で住民の不安に応えるよう閣僚に迫りました。

現地では「党首自ら足を運び国会議員が集会に参加してくれるとは」と感動が広がっている。

その一方で、高市首相や小泉防衛相が住民説明会の開催を拒否し、更に全国各地へのミサイル配備に言及したことに反発が強まっています。

この発言そのものが憲法違反です。

高市政権は、配備は決まった事として住民や市民、国民の声を聞く気が全くないと言う事です。

このことから国民主権が民主主義国家であるが、高市、小泉両氏が言っている事は「国民に主権はない」と言ってることに等しい。


このミサイル配備宣言は、南アジアの平和を破壊し戦争の脅威を広げる「憲法違反」の大軍拡を熊本から全国に広げていこうという危険な流れがあります。


熊本だけの問題ではありません。










2025/11/18

地球温暖化の連鎖 No797

 沿岸での酸性化が著しい

深海の水とCO2放出が関与している

大気中に放出され海水に吸収される二酸化炭素の量が増えているのに加え、酸性度がもともと高い深海の水が湧き上がってくる沿岸部で、海水の酸性化が明らかに進んでいることが分かったと米ワシントン大学などの研究グループが、科学誌ネイチャー·コミュニケーションズ(13日付)に発表しました。

化石燃料の燃焼などによって、大気中に放出される二酸化炭素による海水の酸性化が問題になっています。

研究グループは、カナダと米国の境界に面したセイリッシュ海に生息する冷水性サンゴに含まれるホウ素の「同位体比」を分析し、海水の酸性度が20世紀にどのように変化したか調べました。

同位体比とは、同じ原子番号を持つ元素の中性子の数が異なる同位体の「存在数の比率」のことで質量が違う原子のことです。

ホウ素の同位体比は、海水の酸性度によって変化することが知られています。

分析の結果、この海域の海水の酸性化が大気中の二酸化炭素濃度から予測されるレベルを超えて進んでいることが分かりました。

研究グループは、北米西海岸を北から南へと流れるカリフォルニア海流に注目しました。

同海流の影響を受ける沿岸部では陸に向かって吹く風より、表面の海水が沖に流れ、その代わりに深海から海水が湧き上がってきます。


深海の海水は沈んだ有機物の分解でできた二酸化炭素によって、もともと酸性度が高く世界には、深海から海水が湧き上がってくる所が南米ペルー沿岸部など他にもある。

人為的(資本主義的増産など)な二酸化炭素の放出が続けば、海水酸性化による生態系の破壊で「漁業にも大きな損失が生じる」と研究グループは警告しています。

将来的にも魚介類や海産物の減少に繋がる。

地球温暖化による連鎖

地球温暖化は自然環境や人間社会に様々な影響をもたらします。

ある影響が他の影響を引き起こす負の連鎖も懸念されます。

しかし、複雑に絡み合うこれらの影響がそれぞれどのように関係するのか、全体像を把握するのはなかなか難しいことです。





図は食料、生態系、健康など温暖化の影響が及ぶ様々な分野について、それぞれの専門家が幅広く文献を調査して洗い出し、デザインの専門家が図で表現したものです。


この図は、地球温暖化の影響の全体像を理解したり、対策を考える際に役立ててもらえるよう、どなたでも自由にお使いいただける資料として公開されたものです。


温暖化は人間にも影響

地球温暖化で紛争が激化する!?

一見すると関係が無さそうですが、地球温暖化の影響を辿ると、図の中央に「作物生産量の減少」とあります。




そこから左斜め下に伸びた矢印の先に「食料価格の上昇」があり、その先に「食料安全保障の悪化」更に右に進むと「紛争の激化」とあります。


温暖化が進むと猛暑日が増えたり、水資源が減ることで作物生産量が減少します。

食料価格は上昇し、生活に必要な食料を入手しづらくなる「食料安全保障の悪化」が起こります。


最終的に、食料を巡る争いを火種に紛争の激化を招く可能性があることも報告されています。

何もかも破壊してしまう紛争、戦争をやっている場合ではありません。

戦争に必要だとする製造も温暖化を拡大する製造でしかありません。

もっと穏やかに自然の中で暮らせる社会を目指せないのでしょう?

世界中の国々が本気で、「資本主義社会」と言う一方的に富が億万長者や富裕層に集中する社会を見直さなければならない時に来ているのではないだろうか!











2025/11/15

侵略戦争が招いた貧困社会 No.796

 日本の主な戦争

日本における戦前の主な戦争は、1877年の西南戦争で明治維新後の日本国内で起こった最後の内戦です。

西郷隆盛が率いる不平士族が挙兵した。


1931年の満州事変から始まる日中戦争及び太平洋戦争(大東亜戦争)、これらの戦争は日本国内の紛争から始まり、次第に拡大して広範な地域での戦闘へと発展して行きました。


日清戦争(1894年)

朝鮮の支配を巡り、日本と清国が朝鮮から満州を舞台に戦った近代日本初の国家間戦争である。


日露戦争(1904〜1905年)

満州と朝鮮の支配権を巡り、日本とロシア帝国が戦った。


満州事変(1931年昭和6年)

柳条湖(りゅうじょうこ)事件(鉄道爆破事件)をきっかけに、日本軍が満州へ侵攻した。

政府によって満州事変と名付けられた。

9月18日に満州の奉天郊外の南満州鉄道が爆破され、関東軍はそれを張学良軍の犯行として軍事行動を起こし、満州事変の発端となったが、この事件は関東軍が自ら仕組んだ謀略だったのである。

関東軍とは、満州に駐留していた日本陸軍の部隊で、南満州鉄道の保護などを目的としていたが、次第に政治的実権を握り、政府の意向を無視して満州事変を引き起こすなど暴走を繰り返した部隊である。


日中戦争(1937〜1945年)

盧溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに、日本と中国の間で始まった全面的な戦争で、近衛(このえ)内閣によって当初は北支事変、その後支那事変と改称された。

全長約226.5m
マルコポーロ橋とも呼ばれる。






事件拡大を推進、主導したのは陸軍の石原莞爾(いしわらかんじ)、河本大作、牟田口廉也(むたぐちれんや)などが事件拡大の中心人物であったとされる。


大東亜戦争、太平洋戦争(1941〜1945年)

1945年12月の真珠湾攻撃を機に、日本とアメリカなどが交戦状態に突入しました。

当時の内閣情報局が大東亜戦争と名付けたが、戦争の呼び方を巡っては、第二次世界大戦、大東亜戦争、太平洋戦争など様々な名称が使われています。


大東亜戦争については敗戦後「太平洋戦争」を使う勢力との間で対立があり、結局GHQ(連合国軍総司令部)が大東亜戦争の使用を禁止したことで、太平洋戦争が主流になりました。

また、「大東亜戦争」の呼び名に対して、侵略戦争を肯定するという意味合いが強いと言う意見が根強くあったとことも理由とされています。


侵略戦争を強行した代償

A級戦犯容疑者である岸信介(官僚、元内閣総理大臣、孫は安倍晋三)は、戦後の湧き上がる民主勢力に対抗するため、政党の結集を計った人物である.。

米国は侵略戦争を推進したA級戦犯である岸信介を財界に復帰させ、自らの手足として利用した。

そのため、岸信介はA級戦犯として裁かれることはなかった。

日本の対米従属構造の根幹にある、現行日米安保条約は、1960年6月23日
岸信介政権の下で強行された条約です。

政党誕生のお膳立てをしたのは財界とアメリカで、当時の経団連は総会で「保守合同を強く要望する」ことを決議し、資金を援助しました。


CIA(アメリカ中央情報局)からも巨額な資金が流れ込んでいたことから、アメリカの「スパイ政党」として自民党が結党されたのは明らかです。

米国務省が2006年に公刊した外交文書に、CIAが自民党等に秘密資金を提供していたことが記録されています。


そのような背景の中で1955年11月15日自民党は結党された。

国民政党として旗揚げしながら実際に根を張ったのは違う土壌であった。

侵略戦争の反省もない戦争推進者が、党の中枢に居座ったことも人々の平和への願いに背いていたと言える。

立党当時の綱領にあった「福祉国家の完成」はとうに消え失せ、社会保障の相次ぐ後退や消費税増税をはじめ、国民の貧困は拡大し続けている。


労働者の搾取も著しい状況が長年続いている一方で、大企業や富裕層は優遇され、対米従属はあからさまになっています。

大軍拡や危機を煽る内閣の姿勢は、軍事的な緊張を高める一方です。

結党から70年の自民党は、初の女性首相を押し出し、変化をアピールしているが、人権や多様性からかけ離れた極右的性格は強まる一方である。

自民党政治が終わらない限り、明るい未来は望めません。

国民は懲りずに迷走を望み続けるのだろうか?

この国を変えようとする勢力の結集が望まれる時です。


後記

戦争という前例をあげれば、軍や部隊は暴走すると言うことです。

自衛隊が憲法に明記されることになれば暴走することも起きうると言う事になります。

戦争は人の心の暴走から始まるのです。

そんな心を持った者たちが集結した時、戦争は再び起きるのです。


戦争は全てが侵略である。

外交の失敗と定義されているのが「戦争」である。

外交を怠っておいて軍拡、軍備増強に進むのは本末(ほんまつ)転倒です。