日本の主な戦争
日本における戦前の主な戦争は、1877年の西南戦争で明治維新後の日本国内で起こった最後の内戦です。
西郷隆盛が率いる不平士族が挙兵した。
1931年の満州事変から始まる日中戦争及び太平洋戦争(大東亜戦争)、これらの戦争は日本国内の紛争から始まり、次第に拡大して広範な地域での戦闘へと発展して行きました。
日清戦争(1894年)
朝鮮の支配を巡り、日本と清国が朝鮮から満州を舞台に戦った近代日本初の国家間戦争である。
日露戦争(1904〜1905年)
満州と朝鮮の支配権を巡り、日本とロシア帝国が戦った。
満州事変(1931年昭和6年)
柳条湖(りゅうじょうこ)事件(鉄道爆破事件)をきっかけに、日本軍が満州へ侵攻した。
政府によって満州事変と名付けられた。
9月18日に満州の奉天郊外の南満州鉄道が爆破され、関東軍はそれを張学良軍の犯行として軍事行動を起こし、満州事変の発端となったが、この事件は関東軍が自ら仕組んだ謀略だったのである。
関東軍とは、満州に駐留していた日本陸軍の部隊で、南満州鉄道の保護などを目的としていたが、次第に政治的実権を握り、政府の意向を無視して満州事変を引き起こすなど暴走を繰り返した部隊である。
日中戦争(1937〜1945年)
盧溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに、日本と中国の間で始まった全面的な戦争で、近衛(このえ)内閣によって当初は北支事変、その後支那事変と改称された。
全長約226.5m
マルコポーロ橋とも呼ばれる。
事件拡大を推進、主導したのは陸軍の石原莞爾(いしわらかんじ)、河本大作、牟田口廉也(むたぐちれんや)などが事件拡大の中心人物であったとされる。
大東亜戦争、太平洋戦争(1941〜1945年)
1945年12月の真珠湾攻撃を機に、日本とアメリカなどが交戦状態に突入しました。
当時の内閣情報局が大東亜戦争と名付けたが、戦争の呼び方を巡っては、第二次世界大戦、大東亜戦争、太平洋戦争など様々な名称が使われています。
大東亜戦争については敗戦後「太平洋戦争」を使う勢力との間で対立があり、結局GHQ(連合国軍総司令部)が大東亜戦争の使用を禁止したことで、太平洋戦争が主流になりました。
また、「大東亜戦争」の呼び名に対して、侵略戦争を肯定するという意味合いが強いと言う意見が根強くあったとことも理由とされています。
侵略戦争を強行した代償
A級戦犯容疑者である岸信介(官僚、元内閣総理大臣、孫は安倍晋三)は、戦後の湧き上がる民主勢力に対抗するため、政党の結集を計った人物である.。
米国は侵略戦争を推進したA級戦犯である岸信介を財界に復帰させ、自らの手足として利用した。
そのため、岸信介はA級戦犯として裁かれることはなかった。
日本の対米従属構造の根幹にある、現行日米安保条約は、1960年6月23日
岸信介政権の下で強行された条約です。
政党誕生のお膳立てをしたのは財界とアメリカで、当時の経団連は総会で「保守合同を強く要望する」ことを決議し、資金を援助しました。
CIA(アメリカ中央情報局)からも巨額な資金が流れ込んでいたことから、アメリカの「スパイ政党」として自民党が結党されたのは明らかです。
米国務省が2006年に公刊した外交文書に、CIAが自民党等に秘密資金を提供していたことが記録されています。
そのような背景の中で1955年11月15日自民党は結党された。
国民政党として旗揚げしながら実際に根を張ったのは違う土壌であった。
侵略戦争の反省もない戦争推進者が、党の中枢に居座ったことも人々の平和への願いに背いていたと言える。
立党当時の綱領にあった「福祉国家の完成」はとうに消え失せ、社会保障の相次ぐ後退や消費税増税をはじめ、国民の貧困は拡大し続けている。
労働者の搾取も著しい状況が長年続いている一方で、大企業や富裕層は優遇され、対米従属はあからさまになっています。
大軍拡や危機を煽る内閣の姿勢は、軍事的な緊張を高める一方です。
結党から70年の自民党は、初の女性首相を押し出し、変化をアピールしているが、人権や多様性からかけ離れた極右的性格は強まる一方である。
自民党政治が終わらない限り、明るい未来は望めません。
国民は懲りずに迷走を望み続けるのだろうか?
この国を変えようとする勢力の結集が望まれる時です。
後記
戦争という前例をあげれば、軍や部隊は暴走すると言うことです。
自衛隊が憲法に明記されることになれば暴走することも起きうると言う事になります。
戦争は人の心の暴走から始まるのです。
そんな心を持った者たちが集結した時、戦争は再び起きるのです。
戦争は全てが侵略である。
外交の失敗と定義されているのが「戦争」である。
外交を怠っておいて軍拡、軍備増強に進むのは本末(ほんまつ)転倒です。


0 件のコメント:
コメントを投稿