緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/07/20

羽黒山の爺杉 No,532

 爺杉

山形県羽黒山の表参道は全長約20㌔、2446段もの石段が続き、山東の両側には樹齢300〜600年と言われる杉並木が続き、その数は400本以上あると言われ、昼頃でも暗い。






表参道全体が国指定特別天然記念物となっている。

東北を代表する場所と言えるだろう。

観光ガイド日本編「ミシュラン·グリーンガイド·ジャポン」によれば、羽黒山の杉並木が三ツ星に選ばれている。

羽黒山の杉並木を登ると、平将門が創建したと伝えられる、国宝の五重塔が杉木立の奥に見えてくる。


江戸時代の頃には、五重塔の周囲には数多くの寺院や僧房が存在していたが、今では取り壊されて五重塔だけがポツンとたたずんでいる。

爺杉は樹齢1000年と言われ、国の天然記念物に指定されている。


かつては近くにもう一本、婆杉と呼ばれた杉が存在し、爺杉と並んで羽黒山の名物だったが、1902年(明治35年)婆杉は台風で倒れてしまい、現在では爺杉だけになった。

その後、残された杉は寂しかった事だろう。

その哀しみは、五重塔だけが知っているに違いありません。

「日本昔ばなし」なら、その気持ちも伝えてくれる事だろう。


1000年もの間、厳しい風雪にも耐え抜いてきたのである。


江戸時代には「祖父杉」「祖母杉」と呼ばれていたとされ、おそらくは「夫婦杉」として信仰の対象となっていたのだろう。

その後、国の天然記念物として指定される際に「爺杉」の名称で指定されましたが、倒れてしまった杉が爺杉で、現在残っている杉が婆杉であったと言う話もありますが、今となっては確かめるすべもないようです。


羽黒山の石段を登る際に、石段に掘られた、とっくり、杯、蓮などの掘り絵を探しながら登るのが楽しみのひとつで、全部で33個程あるそうですが、すべて見つけると満願成就するのだと云われているそうな。


                          「爺杉と五重塔」

羽黒山の爺杉
幹周り8.3m   樹高48.3m
樹齢1000年

所在地=山形県鶴岡市羽黒町手向








2021/07/19

プラタナス(スズカケノキ)オランダ発 No,531

 西ヨーロッパ  オランダ王国

西ヨーロッパに位地する立憲君主制国家のオランダは、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面している。


ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。

オランダは憲法上の首都はアムステルダムで、事実上の首都はデン・ハーグとなっている。

こんな制定の国が他国にもあるのだろうか?

カリブ海のアルバ、キュラソー、シント・マールテンと共にオランダ王国を構成し、その他カリブ海に海外特別自治領がある。

国土の45%が農業用地と言う農業大国である。

農作物の輸出額では、アメリカについで世界で2番目とされる。

日本での温室栽培はビニールハウスが主であるが、オランダではガラス張りの温室「グラスハウス」で、野菜などたくさんの作物を栽培している。

また、オランダは世界的に知られたチーズの産地で、オランダ全土で様々なチーズが作られていて、オランダの食生活にチーズは欠かせない存在となっている。


アムステルダムの運河沿いなどに立ち並ぶプラタナスの木




プラタナスは、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称。

世界四大街路樹の1つに含まれる。
プラタナス、マロニエ、ボダイジュ、ニレ

北半球に自生する樹木であるが種の数は少ない。

プラタナスの語源はギリシャ語のPlatys(広い)で、大きな葉に由来する。

古代ギリシア時代から並木に使われた。

西アジア原産のスズカケノキと、北米原産のアメリカスズカケノキの交雑種で、イギリスで作られたと言われる。

原産は南ヨーロッパ、北アメリカ、メキシコ及びインド

街路樹に向く樹種として日本へは明治時代に渡来したとされる。

明治40年、当時の東京市の都市計画の中で街路樹として初めて採用された。


日比谷公会堂前のスズカケノキの大樹


日本ではモミジバスズカケノキが街路樹、庭木として栽植され、以前はイチョウに次いで街路樹として多く利用されたが、集客力のある樹種(黄葉木)が主になって行った事で、だんだん街路で見かけることも少なくなった。

パリではマロニエ(セイヨウトチノキ)と並んで有名な街路樹です。

アメリカスズカケノキは「シカモア」と呼ばれることもあるが、もとは「エジプトイチジク」がそう呼ばれていて、「セイヨウカジカエデ」も同様に「シカモア」と呼ばれる。

ヒポクラテスの木(プラタナス)

「医学の父」と呼ばれる医学者の“ヒポクラテス”がプラタナスの大樹の陰で、弟子たちに医学を教えた事に由来する。


      「コス島ヒポクラテスの老木」


ヒポクラテスとは古代ギリシアの医者で、エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島ケファロスに生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられているが、その生涯について詳しいことは分かっていない。

西洋医学の父と言われたヒポクラテスの生まれた家系は、医師①「アスクレピアデス」の血を受け継ぐ家系で、ギリシャ神話に登場する「医学の神アスクレピオス」の子孫とされています。

✪アスクレピオンはコス島にある遺跡で、医学の神アスクレピオスが祀られている。



               「アスクレピオンの遺跡」


ヒポクラテスは医学学校や治療所をここに建てたとされる。

現在もその遺跡やアスクレピオスを祀った神殿が遺っている。

この場所からは美しい景色で、コス島の町がよく見えます。

①アスクレピアデスは古代ギリシアの医師で、ギリシアのプルザ生まれ、アレクサンドリアで医学を学び、アテネで✫修辞学を修め、同地で医業を開いたが、紀元前91年にギリシア医学をローマに移した。

✫修辞学とは、弁論、演説、説得の技術に関する学問の分野のこと✫


その医学はガレノス(古代の医学、哲学者の一人)の時代までローマで盛んに行われた。

アスクレピアデスはヒポクラテスの体液病理説に反対で、投薬を好まず、マッサージ、水溶療法を重視した医者である。

日本のヒポクラテスの木

日本のヒポクラテスの木はいくつかの系統に分類され、緒方株(コス島の株)と呼ばれるものと、コス島より原木の種子を持ち帰り(1955年)日本で発芽させて育てられた株からの取り木の1つ(篠田株)等が存在する。

✻緒方富雄博士(東京大学名誉教授)
✻篠田秀男博士(山形市篠田総合病院)


日本各地の医療施設、医学関連大学などで植樹されている。









2021/07/18

大麻草悲劇の歴史 No,530

 大麻草の歴史

別名=アサ(麻)、ヘンプ
カンナビス·サティバ·エル

大麻草は太平洋戦争後に制定した「大麻取締法」のもとで、厳しく規制されている植物である。

その取締法の成立のきっかけとなったのが、戦後も日本に駐留したGHQの指導によるものである。


過去から現代に至るまで、大麻そのものは日本国内で栽培されていて、特に戦前では様々な用途に盛んに利用されていた。

大麻取締法の制定(1948年)以降「大麻取扱者」の免許を取得した農家だけが栽培を許可され、栽培された大麻草は七味唐辛子に入っている「麻の実」や衣類の原料として繊維が使われている。


各地に自生する大麻草は、自治体によって定期的に除草され、その草姿を目にする機会もほとんどありません。


しかし、大麻取締法が成立する前の日本では、大麻はもっとありふれた植物で、日本人の生活や精神的にも密接な関わりを持っていました。


古くは縄文時代、弥生時代の頃から生活に欠かせない植物であったが、麻薬のような使用をしていた訳ではありません。


祖先の多くは大麻の実を食用にしたり、大麻の繊維を使い布を織って衣服を作ったりしていました。


特に繊維は様々な用途で利用された歴史があります。

木綿が登場する戦国時代中期頃まで、多く利用されていました。


風通しがよく、軽くて丈夫な麻布を使った衣服は庶民に親しまれていました。


赤ちゃんに着せる産着も麻布を使ったものが一般的であった。

その他には魚網や縄、縫い糸など道具の原料としても使われていた歴史がある。


今ではほとんど見かける事も少ない、使った経験もない人が多いと思われる蚊よけの蚊帳(かや)の原料にも繊維が使われていた。


この様に人々の生活や仕事など、ごく普通の存在で、また欠かせないものだったのです。

✫「神道」しんとう、しんどう=日本の宗教、「惟神の道」かんながらのみちともいう

神道の世界では、心霊が宿る“神聖な植物”として扱われ、本来は麻布を使うのが正式であるとする、お祓いに使うはらえぐし(祓串)がある。

御神木には、大麻の繊維で出来たしめ縄(注連縄)が巻かれます。

かつて日本は、黄金の国と呼ばれていたとする事が歴史書に記述が見られ、黄金の国日本は「麻の国」であったとする説がある。


「黄金」とは、大麻から作られる「精麻」であったと言う説もある。

精麻は大麻草の茎を精製した繊維のことで、黄金色で独特の光沢がある。

当時の農家では、米に次ぐ作物として栽培され、精麻が盛んに作られていた。


桜が日本の国花とするならば、大麻草は日本の国草と言っても過言ではない植物だったのである。



現在の日本を除く先進国では、医療大麻の活用が本格的に検討されたり、実施されたりしています。

医薬品として、難病の治療などに役立つものとして注目されています。

やはり、戦前からも医療目的で大麻は使われていた。


大麻の葉を乾燥させて作る「大麻タバコ」が明治時代ではぜん息の治療薬として使われていた事実がある。

この大麻は「カンナビス·インディカ」と言う種類で、中東から輸入され、「喘息煙草印度大麻煙草」と言う名称の医薬品として販売されていた。

江戸時代には、大麻がマラリアに効く治療薬として、本草学者の貝原益軒=かいばらえきけん(1630~1714年)の書物「大和本草」に記述されていた事実もある。

✫大和本草(やまとほんぞう)「1709年刊行」とは、明治時代に生物学や農学の教本が西洋から輸入されるまでは、日本史上最高峰の生物学書であり農学書であった。

現在、江戸時代までの生物学書や農学書の資料は「大和本草」以外は残っておらず、当時の日本独自の生物学や農学を知る上では第一級の資料である。


大麻取締法が成立する以前にも大麻を規制する「大麻取締規則」が1930年に制定されていた。

この時点で初めて日本でも“大麻は麻薬”
であるとされたのです。

しかし、日本で栽培利用されていた大麻は、規制対象外の大麻だったのである。

1930年の時点では、日本の大麻は麻薬としての扱いにならない植物だったのです。

しかし、アメリカとの戦争(1945年)に敗れた事で状況が一変したのである。

GHQによって、日本の大麻も麻薬に指定するように指導され、それを受けて「大麻取締法」が1948年(昭和23年)に制定されたのです。

これはアメリカ(占領国)の価値観を、日本に押し付けたものであると言えるだろう。

これに伴い、日本の農家にとって死活問題になった事は言うまでもない。

アメリカに従い続ける姿が大麻草の取り扱いからも見えて来るようだ。

現在、大麻草の扱い方が世界的にも変化を見せている。

この流れから日本でも、大麻取締法の内容を議論する動きが出て来ている。

この法改正が行われる事が迫っているようである。


                                             「大麻草」

                             「大麻草の雌花」

大麻草に間違われやすい植物

ケナフ アオイ科  アメリカ原産
別名=アンバリ麻、ボンベイ麻

ケナフ(洋麻)は大麻草と比べてると、ケナフの葉は1枚で基部まで深く葉が切れ込まない。

花が全く異なるので花の咲く夏期は見分けやすい。

                                「ケナフの葉」

                                 「ケナフの花」


これまで大麻の栽培の歴史はあまり分かっていませんでした。

しかし、過去最大規模の遺伝子研究によって、大麻のルーツが約一万二千年以上前の中国にあることが判明しました。

その研究内容は7月16日付けで「Scienee Advances」に掲載されています。


大麻の起源として、これまでに西アジア、中央アジア、中国北部が有力として挙げられていました。

研究の結果、大麻は現在の中国西部にあるカザフスタン及びキルギスとの国境付近で、はじめて栽培されたことが示されました。

同地に自生する大麻植物の遺伝子が、最初に栽培されたとされる「基底型(基本)」に非常に近かったのです。

「基底型」は、「精神作用」の発現と繊維生産の両方に適しています。

研究チームがもともと最有力地としていたのは中央アジアでした。


その理由は、中央アジアの道路沿いに野生化した大麻が多く存在していたからです。

しかしゲノム(遺伝子情報)解析の結果、中央アジアの大麻は「繊維型」であることが示されたのです。

「繊維型」は枝分かれしないタイプで、「精神作用」はなく、ロープや織物の繊維を作るのに適しています。


「基底型」を栽培するうちに様々な種が分岐し、約四千年前にはじめて「繊維型」が派生したようだとしている。

ヨーロッパ、中央アジア、中国北部の一部に現在は「繊維型」の大麻が自生している。

野生のアサ(麻)属の祖先は絶滅しているとされ、今日存在する大麻は全てが、中国北西部で栽培されたアサ属の子孫と見られる。

長い栽培歴史の中で大麻は、商業的なルートを経て、世界各地にさまざまな品種が広がって行ったと思われる。


★後書き

日本では大麻草について特に厳しい扱いである。

植物に詳しい人なら分かる事だが、植物には毒が含まれている物は多い。

何が大事かは、植物の成分をどう使うかであると言うことです。






2021/07/17

フィンランド森と湖の国 No,529

 北欧 フィンランド

フィンランドに生育する木は、4種類の針葉樹と27種類の広葉樹があり、マツ、トウヒ、シラカバの3種類で99%のを占めている。


                             「トウヒ」

✿トウヒは唐風(中国風)の檜(ひのき)に見立てた名前だという。

エゾマツと同種であると考える学者もいるが、葉が短く、球果が小さいなどの違いがある。

形態学では、白い方が葉の表面である。


北欧の国フィンランドの国土面積は、約日本の9割にも達している、世界一の森林率を誇る森と湖の国で、スウェーデンに次ぐ世界3番目の森林大国である日本とは、木の関わりに大きく違いがある。

10%が湖などの水域で、土地の約68%も森に覆われている自然豊かで「森と湖の国」と呼ばれています。

また、国連が122カ国で行った水質調査で、水のきれいな国として世界第一位に輝いたほどです。





フィンランドの国立公園は40ほどあり、群島、湖、森、泥炭、山などが国中に散在しています。

日本とほぼ同じ広さの国土で、18万個以上の湖があると言われている。



ヨーロッパアカマツの木は、かつて西ヨーロッパや中央ヨーロッパでも広域に渡って森の主要樹種だったが、土地開発、森林開発によってほぼ絶滅状態である。


ヨーロッパアカマツは現在、北ヨーロッパからシベリアまでの広い範囲に渡って存在する。


スウェーデン北部で発見された「オウショウトウヒ」の株は9550年も生きてきて「生きている木の世界最高齢」の木とされる。

シラカバはとても広く分布し、西はイギリス、スペイン。

東は日本の東北地方、北海道。

北は北欧フィンランド、シベリア。

南は中国南西部や東南アジアは山岳地帯まで、その姿を見ることができる。


フィンランドは、2017年12月6日に独立100周年を迎えましたが、実際の所フィンランドの歴史はあまり知られていません。


現在の北欧の全域は一万三千年前までの間、氷床が広がっていたが「ヴュルム氷期」が終わって気温が上昇すると氷が解けて、氷河の重みに抑えられていた陸が隆起した。

◆一般にヴュルム氷期と言われるのは最終氷期のことで、およそ7万年前に始まって約1万年前に終わった一番新しい氷期の事である。

最終氷期が終わった約1万年前から現在の完新世(かんしんせい)の事を後氷期と呼ぶこともある。

約9000年前、アキュルス湖(後のバルト海)の東側へ南方から人々が移動するようになり、人々は狩猟(しゅりょう)や漁業を行って暮らし始めました。

紀元前3300年頃にヴォルガ川周辺の文化が伝わって、土器を使い始めました。

紀元前1500年頃には、青銅器時代が始まるまでに南部で農業が始まったが、東部や北部では狩猟と漁業が中心の生活であった。

5〜6世紀のフィンランドを前期民族移動時代と呼び、8世紀末までを後期民族移動時代として区別される。

後期民族移動時代の頃の主な産業は、夏期の大麦、ライ麦栽培と冬期のテン、リス、ミンクの狩猟でした。

ミンクの毛皮は交易品として重用されました。

その後幾多もの戦争を繰り返す時代へと時は流れ移り、植民地時代、2度の世界大戦経て、冷戦、ソビエト連邦崩壊後、政治的な自由とは裏腹に経済的な苦境に見舞われた。


経済的な便益を求め、1995年にスウェーデンと共に欧州連合に加盟する。

欧州連合に加盟したことで、欧州連合諸国や北欧諸国との政治、経済に密接となっていった。

情報通信産業に活路を見出したフィンランドは、国家を挙げてIT革命を邁進し、21世紀初頭の現在、北欧諸国と共に世界トップグループの一員となったのである。

フィンランドのグルメ

フィンランドの家庭料理の定番である「ロヒケイット」は、いわゆるサーモンのスープです。

やはり、冬季の長いフィンランドではスープが大人気料理で、中でもこのロヒケイットと言うスープは、それぞれの家庭でよく作られるおふくろの味のひとつである。

一皿食べれば体ホカホカになる、カフェなどのメニューにもよくあるので、寒い日は特におすすめの一品と言ったところでしょうか。

フィンランドはサンタの国としても知られる。

やはりトナカイの肉料理もある。

よく食べられているのがシチューで、たっぷりのマッシュポテトとベリーソースでいただくのが定番。

猫舌にも大丈夫なのかな?なんて野暮なことを思ったりする。

他にはトナカイソーセイジもあり、臭みがなく食べやすいおすすめの一品とのこと。

フィンランド、カレリア地方の家庭の味で、オーブンで焼き上げた「カレリアパイ」はほんのり甘く優しい味。

ゆで卵とバターを混ぜたものを添えていただくと、一つでお腹がいっぱいになる。

大食い選手には無理だと思うけど…

カレリアパイは街中でも売られている。

映画「かもめ食堂」で一躍有名になったフィンランドの「シナモンロール」

カフェでは定番メニーで、コーヒーをよく飲む国なので、シナモンロールに少し苦いコーヒーはピッタリである。


ビルベリーの故郷

北欧はビルベリーの故郷として知られる。

森に自生する野生種のブルーベリー(ビルベリー)は、特徴的な現象の「白夜」の季節に一日中太陽の光を浴びるため、紫外線から果実を守ろうと「アントシアニン」を蓄える。


      「ビルベリー」


その含有量は一般栽培種のブルーベリーの約5倍(果実100gあたり)とされ、ブルーベリーもビルベリーも皮は青紫色ですが、ブルーベリーの果肉が白色に対し、ビルベリーは果肉が濃い青紫色で、この天然色素が健康成分の「アントシアニン」です。

★「アントシアニン」は植物がそれぞれの身体を守るために自ら合成した抗酸化物質のことで、ポリフェノールの一種の青紫色の天然色素です。

成分名はギリシャ語のanthos=「花」とcyanos=「青」が語源で「花の青色成分」を意味し表しますが、赤色や紫色など幅広い色調を持っていて、自然界には500以上もの種類の「アントシアニン」が存在していると言われている。

アントシアニンを含む食材として、赤ジソ、カシス、黒豆、黒ごま、ブドウ、ビルベリーなどのベリー類などがある。


    「フィンランドの白夜」

白夜(びゃくや)は南極圏や北極圏に近い場所で起きる現象で、夏になると太陽が沈まない日が続く。

まるで夕方のような明るさでこの状態が一ヶ月以上続きます。


冬には一日中太陽の出ない日も続くが、これを極夜(きょくや)と言う。


野菜や果物とは別に独立して分類されるほど「ベリー類」は特別な存在。

中でも栄養価の高いビルベリーは旬である夏の時季に、各家庭でバケツに何杯も摘んで冷凍し、それを次の夏まで日常的に食べています。

料理やスイーツ、ジュースなど色々な味わい方をする北欧の人々の食べ方はとても理にかなったものです。


それは、「アントシアニン」は体内に吸収されたあと、約24時間後には働きを終えて排出されてしまうので、一度にたくさん食べるより毎日継続的に摂取する事が、理想的だと言えるからです。


北欧4ヶ国のサンタクロース

フィンランドはサンタの国として知られるが、その他にノルウェー、デンマーク、スウェーデンもサンタの国とされている。




北欧4ヶ国にはそれぞれ、サンタの村や定住地などが存在しているが、本当のサンタクロースはどこにいるの?と思う人も多い。

多くの場合、サンタクロースは「ラップランド」に住んでいると言われています。

ラップランドとは、ノルウェー北部から白海までの沿岸地帯で、伝統的な「サーミ人」が住んでいる地域のことを指し、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ロシアの4ヶ国にまたがった、大部分が北極圏に位置している場所。

✪サーミ人とは、スカンジナビア半島北部、ラップランド及びロシア北部コラ半島に居住する先住民族。

有名人=女優レーネ=セシリア·スパルロク



どの国々も、サンタクロースの住まいが自分の国にあると主張している。


デンマークはラップランドに位置していませんが、デンマーク領のグリーランド(北極圏)にサンタクロースが住んでいると主張しています。


サンタさんはやっぱり人気者です。

しかし、あまり主張し過ぎて揉めたら夢もない話で…凍りつきそうなんだけど。


オーロラを見てみたい!

ラップランドでは一年間に200晩、オーロラが出現すると言われています。


ヘルシンキなどの南フィンランド地域でも、街の灯りの届かない地域に行けば、冬の間で20晩ほどオーロラを見ることができるそうな!


オーロラを見るには、暗闇であることと空が澄んでいることが条件で、晩秋から冬、早春の9月から3月頃が最も適した時期に当たると言われています。


オーロラは、太陽から宇宙に向けて飛び出してきた、電気を帯びた大量の粒が地球という大きな磁石に吸い寄せられ、大気圏に突入する時に空気中の窒素や酸素と反応して、天空に描かれる光のことです。




つまり、地球がこれらの粒を引き寄せる力、磁場の強い所に行けばオーロラが見られる可能性がより高いという事です。

オーロラが最も現れやすい場所は、北半球では北緯65度から70度付近の「オーロラベルト帯」と呼ばれる周辺で、北欧ではノルウェー北部、スゥエーデン北部、フィンランド北部、アイスランド、グリーンランドで、北極圏は北緯66度33分より北の地域を指します。





オーロラ 、見てみたい!

貧乏だから無理、行けないっしょ。

感電しないかな?……バカ!!










2021/07/16

ヤマモモの頭頂部枯れ No,528

ヤマモモ       (頭頂部枯れ)

すべての樹木は、頂芽優勢の原理に基づき、生長に従って下部にある枝に比べ、上部の枝は小枝が多く萌芽したり、新梢の伸び率がよくなります。





上部の枯れ枝の発生原因は、害虫や病原菌伝播でなく、水分の不足によるものが多いと考えられます。

毎年5月以降の高温時には、葉面や小枝、樹体から大気中への水分の蒸散が多くなり、根を通して地中から吸収される水分量が不足すると、受光率の高い部分の枝は光合成機能が低下して枝枯れが生じやすくなる。

こうした生理的障害発生を機に、樹高を管理しやすい高さ、4〜5㍍程度に低くしてみるのも木の今後を考えれば賢策かと思います。

ただ、上部を切る場合、一度に切るのではなく側枝を最初に切り、次に樹芯を切ります。

必ず分岐点の約10cm上で切り、翌年切り口に萌芽したら、それを頂部として笠状に仕立てます。

枝を切るときは、切り口が割れ裂けないように基本に沿って行います。

樹高切り下げと同時に、混み合った枝や重なり枝などの不要枝を切り、樹冠内部への日当たりを良くします。

太枝の切り口には殺菌癒合剤のトップジンMペーストを塗って保護します。

樹高を低くすることにより、下部にあった枝先が伸び、小枝も発生してきます。

3〜4年に1度、長く伸びた枝を切り詰めると翌年、基部に短枝ができて花芽がつくようになりす。

早春の2〜3月上旬頃がせん定の適期です。




2021/07/15

メープルの木 No,527

 シュガーメイプル

「サトウカエデ」

メープルの木は和名カエデ、モミジとも呼ばれることもある。

世界には100種を超えるメープルの樹がある。

フランス人がカナダに進出する以前から、先住民はカエデを栽培し、樹液を採取して調味料として使ってきました。

ヨーロッパの人々が大好きなパンケーキと、カエデの樹液のシロップがとても合うことを発見するのに、時間はかからなかったのかも知れません。

カナダと言えば、カナダの国旗にはカエデの葉が国旗の中央に配置され、メイプルリース旗、一葉旗とも呼ばれる。




カエデの葉は、1700年前後からカナダの人々のシンボルとされてきました。

現在の国旗の図柄は1965年より用いられている。

小生の方が少し先輩ではあるが、さほど変わらない年代である。

カナダと言えば、思い出すのは「カナダからの手紙」と言う歌であるが、知ってる人は知っている流行歌である。

🎶ラブレター  フロム  カナダ
もしもあなたが   一緒にいたら

どんなに楽しい  旅でしょう
ラブレター  フロム  カナダ🎶

実に懐かしい、、今度ギターで弾いてみようかな…

サトウカエデは他のメープルよりも糖度が高く、1㍑のメープルシロップを作るのに約40㍑の樹液が必要なんだと😲

ワォー凄い!

でも大丈夫?
カナダには800kmのメープル街道がある。


                     「メープル街道」

紅葉の季節は圧巻だ!

ドライブするには長過ぎる気もする。

旅ゆけば、、
カナダは真裏の国遠しかな。


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No,299カエデ、モミジ