緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2026/01/11

世界最大の島 No.817

 グリーンランド

グリーンランドは北極海と北大西洋の間にある世界最大の島

デンマーク王国の自治領


グリーンランドは日本のおよそ6倍に及ぶ世界最大の島で、大部分は北極圏にあり、約85%は氷床に覆われています。

大部分の人は主に南西部にある氷のないフィヨルドが続く海岸沿いに住んでいます。

グリーンランドの名の由来

命名したのは、ノルウェー生まれでアイスランドのヴァイキング「赤毛のエイリーク」で、殺人罪で故国を追放されていた982年、探検の途上に発見し、この地に入植希望者が多数現れることを願い、「緑の島」と名付けたとされています。






フィヨルドとは、氷河が山を深く削ってできたU字谷に海水が入り込んで形成された細長く深い入り江のことです。

両岸には切り立った断崖絶壁がそびえ、世界的にはノルウェーやニュージーランド、チリなどで見られる有名な景観です。


大部分が北極圏内であるため、夏の白夜や冬のオーロラのような自然現象が見られます。

首都ヌークの人口は約1万7000人で、世界で最も人口の少ない首都になります。

グリーンランドは大部分が氷な覆われていますが、夏の間は沿岸部を中心に草や花が咲き、低木地帯が広がり、緑豊かになる場所もありますが、近年は地球温暖化による氷の融解で緑化が進んでいる。

一方で氷の喪失と言う深刻な問題も抱えています。

氷の減少は海面上昇を引き起こすほか、永久凍土の融解による土地不安定化や地球温暖化を加速させる原因にもなっています。


グリーンランドの国花はヒメヤナギランですが、その他にはコスギランやアイスランドポピーなど、寒冷地に適応した花々が咲きます。


      
      「ヒメヤナギラン」


特に国花であるヒメヤナギランは、イヌイットに食用としても利用される象徴的存在となっています。


ヒメヤナギランはアラスカやロッキー山脈北部で見られ、草丈が低く大きな花を咲かせ、暑さに弱いのが特徴です。

ヒメヤナギランの近縁種にヤナギランがあり、日本でも北海道や本州以北の高原に分布し、美しい紅紫色の花を咲かせます。




      「ヤナギラン」


イヌイットとは北極圏に住む先住民族で日本人と同じモンゴロイド系に属します。


エスキモーと言う呼び名はカナダでは「人間」を意味するイヌイットが公式の名称として使われています。



グリーンランドの主要産業は漁業と水産加工業で、輸出の9割以上を占め、特にエビやカニが中心となっているが、近年では地球温暖化による氷床の融解でレアアースや鉱物資源(鉄鉱石、ウランなど)の開発が注目され、観光業も成長しています。

しかし、財政は依然としてデンマークからの補助金に大きく依存しています。

トランプ米大統領はグリーンランドのレアアースや鉱物資源を狙っている可能性がある。

更に中国やロシアを口実に米軍基地として領土を奪うだろう。

武力行使も厭わない国際法無視の無法者



























2026/01/09

戦争の悲劇でうまれる孤児 No.816

 子どもらの未来も命も奪う戦争

駅の子や浮浪児と呼ばれた子どもたち

駅の子は太平洋戦争後に親を亡くしたり、離れ離れになったりして全国各地の駅などで寝泊まりしていた戦争孤児をそう呼んでいた。

戦争で親を失った子どもは12万人に及んだと推計され、親元に帰れず駅を拠点に路上生活を強いられた。

浮浪児などとも呼ばれ、地域によっては駅前小僧と呼ばれるなど呼び名は様々であった。

汚いと罵られ、助けを求める声も届かず、国や大人たちからも放置され、差別や排除の対象になった。

自国に虫けらのように扱われた子どもたち

行政や一部の人々によって集められた身寄りのない子どもらは、地方の山中などに連れて行かれ放置されたり、収容されたりした。


子どもらは過酷な環境下で生き延びるため、農作物や物乞いなどで食料を得て戦後を生き抜きました。

しかし全ての子どもが生き抜けたわけではありません。

餓死する子どもらも多くいたのです。

施設収容などを名目にトラックなどで集められ、見知らぬ山奥などに置き去りにされた子どもらも多い。

お弁当を買ってあげるなどと声をかけられ、連れて行かれた後、放置されるという裏切りもあった。

孤児を集める事を「狩り込み」といい、その行為は27年まで続けられたとされる。

国にも大人にも見捨てられた子どもらが確かにいたのです。

当時は東京養育院と言う施設に収容される事が多かったとされている。

東京養育院は明治5年(1872年)に作られ、日本最古級の困窮者保護施設で、渋沢栄一が深く関わり発展させたが、1999年に廃止となった。

東京養育院と言う名称はなくなりましたが、明治時代から続く公的な福祉、医療事業の歴史と役割は、現在の東京都健康長寿医療センターをはじめとする様々な形で今も東京都の福祉を支えています。


1990年以降、戦争孤児と言う名称は戦争責任が曖昧との主張があり、また引き揚げ孤児、残留孤児、混血孤児、浮浪児等、広く戦争による孤児を含めた総称として戦争孤児の名称を使用する動きもあった。


日本では第二次世界大戦でアメリカ軍による日本本土への空襲や、広島、長崎への原子爆弾投下により、多くの子どもらが家族を失い孤児になりました。



戦後、特にそれらの戦災による孤児を指す言葉として戦災孤児の言葉が使用されるようになった。


防空法が原因で孤児

もう一つの孤児になった原因として考えられるのが防空法と言う戦時中の法律です。

防空法とは、1937年、第二次世界大戦中に日本で制定された法律で、空襲による被害を防ぐため、国民に夜間の明かりを制限する灯火管制や防空訓練への参加を義務付けした法律です。

敵の戦闘機に見つからないように家から明かりが漏れないようにする事を義務付けしたのです。

その後1941年に法律が改正されると、「逃げるな、火を消せ」を原則とし、避難や消火活動への協力を強制しました。


当初は統制を目的とすることであったが、次第に国民の生命よりも戦争遂行を優先する内容に変貌し、多くの犠牲者を出した法律である。

1943年の改正では、防空を妨害する行為に対する死刑を含む厳しい罰則が規定されました。

国民を守ると言うより戦時下の統制強化と戦争遂行のための国民動員が主な目的だったのです。

政府やメディアにより「逃げるな」が徹底され、空襲で多くの市民が避難できず、家族もバラバラになり、生死も分からない状態になり被害が拡大しました。

この惨状の中で多くの子どもらが孤児になったのも事実である。

この法律は終戦後の1946年1月31日廃止されました。

少子化が叫ばれる現代、軍事拡大を強固に進めようとしている日本政府は、再び同じ過ちを犯すのではないか、その疑念は消せない状況になりつつある、そんな気がしてならない。









2025/12/27

本当は危険な無関心 No.815

 社会を崩壊させる原因は無関心

ドイツの牧師(神学者)マルティン·ニーメラー(1892〜1984)は、ナチス政権下で傍観者であったことを深く後悔した人物、反ナチ運動家として知られています。



      「マルティン·ニーメラー」



共産主義者が攻撃されたとき、私は共産主義者ではないから声を上げなかった。

社会民主主義者が牢獄されても、社会民主主義者ではないから私は声を上げなかった。

労働組合員が攻撃されたとき、私は労働組合員ではなかったから声を上げなかった。

ユダヤ人が連行されたとき、私はユダヤ人ではなかったから声を上げなかった。


最後に自分自身が攻撃されたが、私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった。


最終的にニーメラーは収容所に収容されたが、辛うじて生還しました。


戦後ニーメラーはこの言葉を通して、無関心や傍観者であることの危険性をドイツ国民や世界に訴え続けました。

この出来事は歴史的な過ちに対して、個人が声を上げることの重要性を示す象徴的な事例となっている。


〇〇じゃないから…と無関心でいることは大きな後悔を招くことになると言うことでしょう。

人間でいる以上無関係なことはないと思う。

戦争中のナチス・ドイツは可能な限り多くのソ連の戦争捕虜を殺害した。

ドイツの収容所で死亡したソ連の捕虜は半数以上であったが、他の連合国(イギリス、フランスなど)の捕虜の死亡率は20人に1人以下でした。

ドイツは捕獲時に約200万人のソ連の戦争捕虜を殺害しました。

ドイツはどこよりも捕虜を多く殺害した国だったのです。

ドイツは前に進むために正式に謝罪をしましたが、日本は侵略戦争に対して正式に謝罪していない。


戦争被告国と言う表現はありませんが、戦争は国が起こす事です。

個人が戦争犯罪人として裁かれるが国が裁かれることはありません。

個人(権力者)の危険な主張ほど怖いものはないと言うことです。

それが独裁政権を生み出すことになるのです。

声を上げなかったら独裁政権が誕生してしまう可能性が大きいのです。











2025/12/25

高市政権の危うさ No.814

 明らかな戦争への道

1915年9月19日、安倍政権によって安保法制が強行され、1922年12月16日、岸田政権により安保3文書が閣議決定された。

安保3文書とは、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の3つの文書(3文書)である。

これは、専守防衛を投げ捨てる敵基地攻撃能力の保有に踏み込む、憲法九条を踏みにじる歯止めなき大軍拡である。


1923年には軍拡財源法、軍需産業支援法など安保3文書を具体化するための「付随法=ふずい」が成立した。

その後も経済秘密保護法、能動的サイバー防御法、改定地方自治法、改悪国立大学法人法、日本学術会議解体法など国家の統制を強め、学問の自由や地方自治、市民の知る権利を制限する悪法が次々と強行されました。


これらの法律は一見すると分野も目的も異なるように見えますが、しかし、補助線を引いて全体を見下ろせば社会全体を国の管理下に組み込み、戦争を遂行できる体制を隅々まで整えていくと言う一点で、全てが「戦争準備」に向かって一本の線で繋がっています。


高市政権では、与党入りした日本維新の会と歩調を合わせ、「スパイ防止法」の制定や戦力不保持を定めた憲法九条2項の削除にまで踏み込む発言が公然と行われています。


特定の地域や具体的事態を想定して、発言すること自体が軍事的緊張を高め、日本を戦争に引きずり込む危険をはらんでいることを理解していた歴代政権は、台湾有事と存立危機事態の関係について意図的に踏み込むことを避けてきました。

ところが高市首相は、「台湾有事は存立危機事態になり得る」と公言したのです。

一線を踏み越えたこの発言は、実際に国民の安全や生活を危険にさらしたと言う意味で、高市氏が一国を預かる政治家としては全く資質を欠いているという事実を国内外に明らかにしたと言えるだろう。


しかし、高市氏は中国との情報戦などと問題をすり替え、発言の撤回を拒み続けています。

高市氏はこの発言を軍事的緊張としてあおり、軍事力強化への世論を動員しようとする動きを強めています。


危機的な状況として演出し、軍事費の更なる増額や軍備増強を正当化しようとする意図が首相だけでなく、小泉防衛相の言動からも透けて見えます。


政治家の一言が、国民の命と生活を戦争の渦に巻き込む可能性が大きくなっています。


その責任の重さを高市首相は自覚しているとは思えません。

米軍に扇動され、一体化し、戦争に突き進む危険が懸念されています。














疎開船対馬丸の悲劇 No.813

 81年の時を超えて確認された対馬丸

太平洋戦争中の昭和19年8月22日の夜、鹿児島県悪石島沖(トカラ列島)で米潜水艦の魚雷攻撃によって撃沈された(翌日未明に沈没)学童疎開船「対馬丸」の海底を調査をした結果、対馬丸の船体を確認したと内閣府が23日に発表しました。


対馬丸では学童を含め、1500人近くが犠牲になっており、政府は遺品回収や戦争の記憶継承に繋げたい考えを示している。




「対馬丸の文字が確認できる」

調査は11月27日から12月18日に実施され、カメラやロボットアームを搭載した無人探査機を調査母船から水中に降ろして観察。

水深約870㍍で船体を確認し、右船首近くに対馬丸と書かれた船名が残っていました。


付近の木片や土砂も収集しており、今後詳しい分析結果は改めて公表するとしています。


対馬丸による生存者は約280名と推計され、体験者は慰霊祭(沖縄や奄美大島など)に生存者や遺族が参加するなど、平和への思いを表明し、命の尊さを伝えるため、証言活動が続けられています。


乗船者1788名の内1484名(学童784名含む)が犠牲となり、生存者は7人に1人と言われていますが、軍や警察が当時、撃沈について生存者や遺族らに厳しく口止めしたこともあり、被害の全容は今も明らかになっていません。


対馬丸が狙われた理由

対馬丸が狙われたのは、太平洋戦争末期の米軍による通商破壊作戦の一環として、日本への物資輸送路を断つ事が目的として狙われた。



     「対馬丸」


沖縄が米軍の攻撃目標となり、住民を本土へ疎開させるための国策が進む中、民間人を乗せた対馬丸が軍事目標とみなされ、米潜水艦(ボーフィン号、全長95m)による魚雷攻撃を受け撃沈されました。


この疎開船自体が日本軍の足手まといになる住民を減らし、食料確保や兵力温存を図るためのものとされ、戦争遂行の一環であるとみなされたのです。

しかし、戦争と言うものは「見境のない惨禍」である事を物語っています。


勝つためには何でもありと言うもので、人間ではなくなるのが戦争です。


正しい戦争など一つもありません。





    「米潜水艦ボーフィン号」


退役、除籍後(1971年12月1日)ボーフィン号は真珠湾にて博物館船として展示されている。


81年の時の流れと共に合掌🙏













2025/12/19

ついに出た核保有論aNo.812

高市政権暴走モード

核保有論までとうとう出てきた高市内閣

個人的考えと前置きしても何の意味もない。

これが高市首相の本音だろう。

高市首相の代わりに発言したと言う意味がある。

それで非核三原則は堅持する、、全く合致しない発言である。

ほんとの馬鹿なのか?

まだまだ危険思考の人物がいることが明らかになった。

多くの同類が後にも控えているのだろう 。

高市ブレーンは間違いなく憲法も国是も無視している危険な存在であると言わざるを得ない!

高市政権で安保保障政策を担当する官邸筋は、18日、「私は核を持つべきだと思っている」と官邸で記者団に述べ、日本の核兵器保有が必要だとの認識を示した。

高市首相の意に反しての発言なのか?

それとも他人の口を借りて自らの考え、思いを発信する高市首相の策略か?

台湾有事での発言問題も有ったことから、今後は自ら発言せず、代弁させる戦略をとる可能性もある。

この発言が大問題になることは避けられないだろう。

総理に助言をする立場の者が私的でも許される発言内容ではありません。

やはりかなり馬鹿のようだ!

非核三原則

核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則が国是(こくぜ)として確立されている、したがっていかなる場合においてもこれを忠実に厳守しなければならない。

非核三原則を提唱したのは、日本人初のノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元内閣総理大臣(第63代)で、1967年末の国会答弁で初めて表明しました。

日本の国是として今日まで基本方針とされていますが、沖縄返還を巡る日米密約の存在が後に明らかになり、特に「持ち込ませず」の解釈については議論が続いています。