稲作農業の始まり
日本の稲作は、紀元前10世紀頃に九州北部で始まった弥生時代の「水田稲作」が基となっている。
稲作技術は中国、朝鮮半島から伝来したもので、狩猟採集の生活から定住へと生活様式を大きく変え、村落共同体の形成を促しました。
その後、紀元前7世紀頃には近畿地方、紀元前4世紀頃には本州北端まで広まりました。
多品種の稲が多くの人々を支えてきたことで、東南アジアや中国などの文明が栄えました。
米は数千年にわたり日本の人々を支えてきた主要な食料であり、日本の人口増加を可能にもしました。
食糧難の歴史
第二次世界大戦中及び戦後(1942〜1949)の頃、戦争の影響で食糧生産が激減し食糧難に陥った日本。
日本には幾度となくそんな時代がある。
食糧難と言う状況は戦後も続き、1949年頃から徐々に解消に向かったとされています。
米不足での代用品はサツマイモやジャガイモ、トウモロコシなどが使われ、ヤミ米の価格は公定価格の49倍に跳ね上がったと言われています。
ヤミ米価格は、昭和21年頃で白米1升(約1.5kg=10合)で最高価格が70円で、現代価格にすると13520〜23660円程になります。
現代では気候変動も影響し、米の生産量も減少しています。
夏の気温が米の生育適温を超え、デンプンがうまく蓄積されず、米粒が白く濁る「白未熟粒」が全国で発生しています。
また、カメムシによる被害も深刻で、米粒がカメムシに吸汁されて実らない。
更に、米粒に黒い痕が残るなど商品としての価値も下がっています。
政府は毎年、主食用米の需要と供給の見通しを発表しますが、米の需要減を理由にこれまで生産量を抑制してきました。
主食用米は年に約10万トンのペースで減産し、コロナ禍で外食需要が落ちると更に減産しました。
政府は今年8月、生産不足を認めましたが、生産者の判断による需要に応じた生産と言う、これまでの方針を変えていません。
需要以上に米を作って価格が下がっても「生産者の判断の結果」と言うわけです。
米が足りないのは政府がぎりぎりの需給計画で進めてきた結果であり、自然環境下での生産米が予想通りに作れるはずがありません。
工業製品のようには作れないものを、市場任せにする政府の姿勢が問われるべきなのです。
農政によって生産農家を減らし、消費者が安心して米を食べられない状況を政府は作ったのです。
今、増産しろと言われてもお米ができない程に農地は荒れ果て、生産農家の数も激減し続けています。
そんな荒れ地ではすぐにお米を作る事はできません。
危険な宣言
一方で軍事費増拡大を宣言した日本の首相は、更に国内自給率を下げると言う減産を表明しています。
こんな方針を出すことじたいが、狂っているとしか思えません。
戦時中、多くの日本兵は遠く離れた戦地で戦わずして餓死、栄養失調による病気感染などで亡くなりました。
食糧の補給がなされず、食物がなくなり戦うよりも深刻な状況だったのです。
南方諸島のジャングルの中でサツマイモを栽培した軍隊もあったのです。
大きく育ったサツマイモだったが、とても不味いものだったとの帰還兵の話があります。
再び戦争が起きるなら、食糧難が自国内で起きる可能性は大きい。
今住んでる場所で、餓死すると言う事が起きてしまうかも知れません。
戦争反対!
日米安保条約、日米同盟の下、真っ先に戦死するのは自衛隊員です。
自衛隊員は戦場に行くためや戦死するため、人を殺すために自衛隊員になったのでしょうか?
きっと違うと思います。
しかし、当事者である自衛隊員が声を上げる事がなければ、戦争のない平和な時を維持することは出来ません。
誤った組織、権力者に従う限り危険な状況が無くなる事はありません。
そんな組織だったから、終戦の日でも暴走した軍隊があったのです。
輸入米に頼って行く道は、やがて絶滅の引き金になることになるだろう。
日本は他国のモルモットか?
実験に、他国の輸入食糧を知らず知らずに、食べさせられていると言う話さえあるのです。
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