緑のお医者の徒然植物記

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2021/07/10

古代文明の発展と自然環境 No,522

 古代文明の発展は自然環境と関係する。


狩猟採集時代には、獣や魚を捕えて、木の実や貝などを集める生活をしていました。

日本列島では、このような狩猟、採集を基本とした生活が稲作の技術が伝わる2700年前まで続けられた。


                          「狩猟、採集時代」

また、この時代は約1万2千年前を境にして、旧石器時代と縄文時代との2つの時代に区別される。

農耕が開始される新石器時代まで、全ての人類は狩猟採集社会だったと考えられている。


                                 「新石器時代」

今から約1万3千年前から2千3百年くらい前まで、約1万年間続いた縄文時代は、生産経済に移行するだけの技術を知っていたと思われるが、生産経済へと進まなかったのには、様々な理由があるに違いありません。


縄文人は一番自然環境を大切にして、自然を広範に破壊するような農耕を、行わなかった時代であったのではないだろうか。


縄文人は農耕をしなかったと思われているが、小規模の作物は作っていたのではないだろうか。



現生人類は、次第に狩猟や採集などの獲得経済から農耕、牧畜などの生産経済へと移っていった。

その過程で、森林が伐採され、開墾される事で、まだ自然破壊の影響が目に見えない状況の下、生産経済へと進んで行った。

その中でも、狩猟や採集が比較的困難な砂漠や乾燥地などの地域より、農耕に必要な条件である川が近くにある地域の人類が、いち早く集団住居を始め、そこで農耕や牧畜を行い、一定の食料を安定して生産できるように努めました。

そしてそれが次第に文明へと進化して行ったのである。

日本の文明の発展が比較的遅れてしまった原因は何かとするならば、日本は森林や海など食料の採集や狩猟で供給できるだけの十分な環境があったからであり、集団住居や農耕をする必要性が比較的低かったためではないかとする説がある。

いち早く文明を築き発展して行ったものが、今のイランなどの場所に位置するメソポタミア文明、エジプト文明、中国文明、そしてインダス文明とされ、これらを総称して「世界四大文明」と言う。

この中に、アメリカ大陸のメソアメリカ文明とアンデス文明を加えて「六大文明」とすることもある。

また、エジプト文明とメソポタミア文明を合わせて、オリエント文明と呼ぶ事もある。

オリエントとは「日の登る所」及び「東方」を意味する。

中国文明  (新石器時代)

中国大陸には、遼河文明、黄河文明、長江文明が起こったが、その中で長江文明は稲作の発祥となる文明とされる。

初期の頃より稲作が中心であり、畑作中心の黄河文明との違いからどちらの農耕も独自の経緯を経て、発展したものであると見られる。




長江文明の発見から、ジャポニカ米(稲)の原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もこの地と見られ、日本の稲作もここが起源と思われる。


日本の稲作発祥地は、京都府京丹後市峰山町「月の輪田」や佐賀県唐津市の菜畑遺跡、岡山県朝寝鼻遺跡などの諸説がある。


人類によって様々な生産経済の発展を続けた事で、あらゆる問題を引き起こし、地球規模で自然環境破壊を招く原因を引き起こしたのは紛れもない事だろう。

限度を忘れ、世界全体の問題になれば制御出来ない。

その領域まで何故突き進んでしまったのか?

祖先である縄文人は凄い存在だなぁ〜とつくづく思う。

便利を追求し続ける現代人類が、愚かな生物に思えて仕方ない。