緑のお医者の徒然植物記

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2021/03/06

植物を愛し続けた牧野富太郎博士 No,396

 植物分類学者牧野富太郎博士

自身を「草木の精」と呼ぶほど植物を愛し続けた植物分類学者

新種や新品種など、1500種類以上の植物を命名し、日本の植物分類学の基礎を築いた牧野富太郎博士。

牧野博士は幕末の1862年、高知県の中央部より西に車で1時間ほど、現在の佐川町である、作り酒屋の裕福な家庭に生まれました。

しかしながら、幼くして両親と祖父を亡くし、祖母の手で育てられました。

そんな少年期での遊び相手となったのが植物でした。

私塾で英語、地理、物理などの最先端の学問を修得し、後にできた小学校では物足りなさを感じ、自主退学その後、本草書などから独学で植物学の知識を深めていきました。

牧野博士の人生の転機となった出来事は、1881年に東京で開催された「第2回内国勧業博覧会」でした。

この博覧会は、明治政府の「殖産興業政策」の一環として開催された。

博覧会を見学するため上京した際に、日本の植物学の現状を知り、本格的に植物分類学の道を歩き始める決意をしたのである。

牧野博士の夢は、故郷である土佐の植物目録を作る事。

しかし、当時は日本の植物についても、良く分かっていなかった時代でもあった。

現代のように植物誌が分かるような 図鑑もなく、また日本の植物の学名の多くが定かでなかったのです。

1884年、牧野博士は東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、植物分類学の研究に打ち込む機会を得ました。

それからは、土佐をはじめ日本の植物を集めて、その学名を知るべく、海外の研究者のもとへ盛んに標本を送りました。

こうした動きの中で、ようやく日本でも植物分類学、特に記載学の土壌が整っていったのです。

1889年牧野博士は、✭大久保三郎と共に国内で初めて新種「ヤマトグサ」の学名を付けました。

✭大久保三郎(植物学者)
1857年〜1914年(56歳没)

❆ヤマトグサ
アカネ科の多年草、ややハコベに似ている。
学名(Theligonum japonica.okubo et Makino)
学名には命名者、大久保、牧野が記されている。


       A,「ヤマトグサ」


A,国内で初めて学名が発表された植物ヤマトグサ。

牧野、大久保、両博士が1889年に共著で発表。


牧野博士は以降、たくさんの植物を発見し、命名して行きました。

こうした事の功績から牧野博士は、「日本の植物分類学の父」と呼ばれています。

幼い頃から模写力は国内外でも評価が高く、牧野博士直筆の植物図(42ページ)は海外の著作にも掲載されました。

国内にも植物図の影響を受けた画工がいる。


              牧野博士直筆「ホテイラン」の植物図。


牧野博士は、研究ばかりではなく、各地の植物同好会の設立、採集会や公演の講師を務めるなど、地域の要望に応じて北海道から九州まで全国を巡り、植物を知る事の大切さを伝え広めた。

その気さくさで陽気な人柄は、多くの人々に親しまれたと言います。


「オニバス」の幼株を首に掛けて牧野博士77歳


また、昭和天皇より植物種名を調べるご依頼を受け、御進講をしています。

御進講(ごしんこう)とは様々な分野の専門家や学者等が、天皇、皇后、皇族等の貴人に対して講義をする事を指す。

牧野博士が設立に関わった同好会の中には、東京や横浜の植物同好会のように今も、活動を続けている所もあります。

横浜の植物同好会(植物会)
1909年10月に設立された日本最初の植物同好会。
2009年に創立100周年を迎えた。

公益財団法人高知県牧野記念財団では、博士の夢だった「高知県植物誌」を県民ボランティアと共に作り上げました。

牧野博士の教育普及にかけた情熱は今も尚、受け継がれているのです。

生涯を掛けて制作した「牧野日本植物図鑑」は晩年の寝たきりの生活の中でも、可能な限り改訂が続けられました。




本書は、100版70万部以上という大ベストセラーとなり、現在も研究者や愛好家の必携の書物となっている。

自身の事を「草木の精」と呼ぶほど生涯植物を愛し、植物の魅力を伝えてきた。

その功績は今尚、我々に植物の魅力を伝え続けているのです。



✿APG
(被子植物系統発生グロープ)
これまでの植物の構造や形態を観察して、植物系統の分類がされていたのに対し近年の遺伝子解析によって、形態によらず遺伝子的に近縁かどうかで植物系統の分類をしたもの。
将来主流になると言われている分類方法です。




全てフルカラーの図で掲載され、写真ではわかりにくい植物の葉や茎の細やかな特徴が良くわかる。

分布地域や生態、形態、和名の由来なども解説しています。

また季節によって変化する花や実の様子、根の状態も一目でわかりやすい。


❆牧野富太郎(まきのとみたろう)
1862〜1957年。
植物学者、理学博士
生涯で収集した40 万点に及ぶ標本や観察記録、書き残した植物図合わせて1700枚以上を残す。


✿高知県立牧野植物園
牧野博士の業績を顕彰する為
1958年に開園。

西日本の野生植物を中心に、博士ゆかりの植物など約3000種の植物を観賞できる。

〒781-8125
高知県高知市五台山4200-6
TEL:088-882-2601


牧野博士が愛した花💠バイカオウレン

バイカオウレン(梅花黄連)はキンポウゲ科オウレン属の多年草

別名=ゴカヨウオウレン(五加葉黄連)

早春に白い花を咲かせ、冬になっても葉が残る常緑の植物です。


         「バイカオウレン」



牧野博士の言葉として知られる「雑草と言う草はない」

実は牧野博士が書いた書物にこの言葉は記されていない。

時代作家として有名になる前の「山本周五郎」の担当になった新聞記者が、インタビューの時に何度も聞かされた牧野博士の言葉として、著作に記したものです。

この事実は帝国データバンクの史料館の学芸員の協力を得て判明した事です。