緑のお医者の徒然植物記

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2024/09/07

日本の造園史(7) No,708

 江戸時代の庭園

江戸幕府の成立1603年〜大政奉還1867年

江戸時代は、徳川幕府によって約260年にもわたって「太平の世の中」が続きました。

書物によっては約300年と記載されているものもある。

「太平の世」とは、戦争がなく世の中が穏やかに治まっている状態の事で、これは、徳川家康をはじめとする歴代将軍が文化人として、文化創造に貢献したことが理由のひとつだとされています。

この時代には各地の大名が、その国元や江戸屋敷に多くの庭園を造りましたが、これらは「大名庭」と呼び、その多くは回遊式庭園の形式を採っています。

回遊式庭園とは、園内の観賞点や庵(いおり=小さな家)が園路に沿って配置されていて、大きな園池等を園路が巡っているような庭園のことを言います。


      「回遊式庭園」


この回遊式庭園は、それまでの造園技術、特に茶庭や枯山水などの技術が、一層大規模になった集大成です。

その最初にして最も美しい庭と高く評価されているのが、後水尾(ごみずのお)天皇又は、その皇子方の指導によって造られたと言われている、京都西郊に現存する「桂離宮」です。

桂離宮では、伝統的な池泉(ちせん)庭園の中にいくつかの茶室を配置し、それらを結ぶ園路等に茶庭の技法を含め、いろいろな造園技法が巧みに取り入れられています。

✫池泉庭園は池泉や水景物のある庭のこと

現在残っている地方の主な大名庭園は
水戸の偕楽園、金沢の兼六園
岡山の後楽園、彦根の楽々園
広島の縮景園、熊本の水前寺成趣園
鹿児島の磯庭園


江戸屋敷の庭園として造られたものは
将軍家の浜御殿(浜離宮)
小田原城主の大久保侯の楽寿園(芝離宮)
紀州侯の赤坂西園(赤坂離宮)
水戸侯の小石川後楽園
柳沢侯の六義園(りくぎえん)
尾張藩主徳川侯の戸山荘(廃絶)
平戸藩主松浦伯の蓬楽園(廃絶)

✫侯(こう)とは大名、領主のこと

江戸時代初期を代表する作庭家として、「小堀遠州」が挙げられます。

遠州は、当時の役人として多くの作庭や建築に携わっていますが、茶室に関してもひとつの新しい流れを作り出しました。

桃山時代末期の「侘=わび」に徹した茶室や茶庭に対して、より明るく侘の中に華やかさも併せ持った、独特の茶室や茶庭を遠州は作り出しました。

遠州の代表作品は、京都大徳寺孤篷庵(こほうあん)等に残されています。


       「孤篷庵」


小堀遠州は安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した大名茶人で作庭家、建築家として知られている。

江戸時代中期から後期にかけては、庶民の文化が花開いた時期です。

「築山庭造伝=つきやまていぞうでん」をはじめとし、多くの造園図書が出版され、これを基に庶民の庭が多数造られました。

この図書は、造園に関する知識を広く普及するという意味では重要な役割を果たしましたが、造園の設計を固定化し、形式化するという悪い結果をもたらした事は否定できません。