緑のお医者の徒然植物記

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緑のお医者の徒然植物記

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2021/07/31

植物の恩恵を考える No,533

 植物による恩恵

多くの人々が知る事であるが、地球の自然環境を支えているのは、紛れもなく植物たちの力である。

植物の緑からは様々な多くの恩恵があり、豊かな環境を維持するのはもとより、そのたいせつさはすべの生き物、人間の健康や生活と密接に関わっています。

また、植物から恩恵を受け生きる小さな生物たちさえも、環境の中で大きな役割を果たしているのです。

人類誕生とともに植物たちは生きてきました。

その中で有用種とする植物により、木材種、工芸品種、食用種(果実、茎や葉など)薬用種など、様々な用途で利用されてきました。

その種は、自国だけでは全てが賄えるわけではなく、他国から導入し栽培、植栽などを行って維持する種も多い。

つまり植物たちは、世界中で必要とされ、利用されてきたのです。

自然災害の他に人類の過剰な開発により、温暖化や酸性雨化などによる被害が起こることになり、植物たちの生育環境は一変し、悪化し始めているのが現状です。

人為的な影響によることを否定出来ない状況まで、環境が悪化したのが現代である。

薬用種は、物理的な環境要因との相関があまり高くないのが特徴とされる一方、アルカリ土壌と言う特殊な条件で種類が豊かなことが分かります。

このこともやはり、人為的影響との相関が強いと言える。

今後人類は、植物とどのように関わっていくのか、今一度深く考えなければならない環境下に辿り着いたと言えるだろう。



★他国の軍事基地建設に伴い、自然環境破壊が続いている沖縄辺野古海岸。
(2014年10月4日辺野古にて撮影)


地球規模で考えた場合、1地域、一国だけが自然環境が豊かであれば良いという事ではありません。

多くの生命は他のたくさんの生物と直接関わり、初めて生きて行くことができます。

長い人類の歴史の中で、多くの生命と地球という環境を分かち合い、そして多くの恩恵を『資源』として、様々な生き物たちが生きている環境を守る事は呼吸するために必要な空気を守ることであり、また光合成をする植物たちを大切にする必要があることです。

『生物多様性』とは、動植物の種類が多いという事だけを意味するだけのものではなく、長い歴史の中で育まれてきた生き物の、相互の繋がりをも指し示すことでもあります。

地球環境の問題は、人類自身が自然環境を改変し、多くの生物を減少、絶滅に追い込み、地球上の生物多様性を著しく破壊する、世界的規模の問題であるのです。

人類の医療を支える医薬品の成分には、5万種から7万種もの植物から取り入れたものが多くあります。

また、海の生物から抽出された成分で作られる抗がん剤もあり、利用さています。

この利用に対して、年間最大10億ドルの利益を生み出し、世界の薬草の取引も一年で430億ドルに達したとされる記録もある。

また、数多くの発見されていない様々な物質が存在していると考えられていますが、これらが発見されれば、現在の医療で解決されていない様々な、難病などがいずれ治療できるようになるかも知れません。

しかし、多くの様々な恵みが失われようとしているのが現状なのです。

この事は、人類が生物多様性から受けている恩恵を自ら失うことであり、未来に叶うであろう可能性を閉ざしてしまう事でもあります。

一方、この生物多様性と言うものは、地球上のあらゆる生命が、人間のためだけに存在しているわけではないと言う事です。

地球環境は全ての生命のために保たれ、また様々な生き物が生きて行くために壊してはいけないものなのです。











2021/07/20

羽黒山の爺杉 No,532

 爺杉

山形県羽黒山の表参道は全長約20㌔、2446段もの石段が続き、山東の両側には樹齢300〜600年と言われる杉並木が続き、その数は400本以上あると言われ、昼頃でも暗い。






表参道全体が国指定特別天然記念物となっている。

東北を代表する場所と言えるだろう。

観光ガイド日本編「ミシュラン·グリーンガイド·ジャポン」によれば、羽黒山の杉並木が三ツ星に選ばれている。

羽黒山の杉並木を登ると、平将門が創建したと伝えられる、国宝の五重塔が杉木立の奥に見えてくる。


江戸時代の頃には、五重塔の周囲には数多くの寺院や僧房が存在していたが、今では取り壊されて五重塔だけがポツンとたたずんでいる。

爺杉は樹齢1000年と言われ、国の天然記念物に指定されている。


かつては近くにもう一本、婆杉と呼ばれた杉が存在し、爺杉と並んで羽黒山の名物だったが、1902年(明治35年)婆杉は台風で倒れてしまい、現在では爺杉だけになった。

その後、残された杉は寂しかった事だろう。

その哀しみは、五重塔だけが知っているに違いありません。

「日本昔ばなし」なら、その気持ちも伝えてくれる事だろう。


1000年もの間、厳しい風雪にも耐え抜いてきたのである。


江戸時代には「祖父杉」「祖母杉」と呼ばれていたとされ、おそらくは「夫婦杉」として信仰の対象となっていたのだろう。

その後、国の天然記念物として指定される際に「爺杉」の名称で指定されましたが、倒れてしまった杉が爺杉で、現在残っている杉が婆杉であったと言う話もありますが、今となっては確かめるすべもないようです。


羽黒山の石段を登る際に、石段に掘られた、とっくり、杯、蓮などの掘り絵を探しながら登るのが楽しみのひとつで、全部で33個程あるそうですが、すべて見つけると満願成就するのだと云われているそうな。


                          「爺杉と五重塔」

羽黒山の爺杉
幹周り8.3m   樹高48.3m
樹齢1000年

所在地=山形県鶴岡市羽黒町手向








2021/07/19

プラタナス(スズカケノキ)オランダ発 No,531

 西ヨーロッパ  オランダ王国

西ヨーロッパに位地する立憲君主制国家のオランダは、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面している。


ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。

オランダは憲法上の首都はアムステルダムで、事実上の首都はデン・ハーグとなっている。

こんな制定の国が他国にもあるのだろうか?

カリブ海のアルバ、キュラソー、シント・マールテンと共にオランダ王国を構成し、その他カリブ海に海外特別自治領がある。

国土の45%が農業用地と言う農業大国である。

農作物の輸出額では、アメリカについで世界で2番目とされる。

日本での温室栽培はビニールハウスが主であるが、オランダではガラス張りの温室「グラスハウス」で、野菜などたくさんの作物を栽培している。

また、オランダは世界的に知られたチーズの産地で、オランダ全土で様々なチーズが作られていて、オランダの食生活にチーズは欠かせない存在となっている。


アムステルダムの運河沿いなどに立ち並ぶプラタナスの木




プラタナスは、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称。

世界四大街路樹の1つに含まれる。
プラタナス、マロニエ、ボダイジュ、ニレ

北半球に自生する樹木であるが種の数は少ない。

プラタナスの語源はギリシャ語のPlatys(広い)で、大きな葉に由来する。

古代ギリシア時代から並木に使われた。

西アジア原産のスズカケノキと、北米原産のアメリカスズカケノキの交雑種で、イギリスで作られたと言われる。

原産は南ヨーロッパ、北アメリカ、メキシコ及びインド

街路樹に向く樹種として日本へは明治時代に渡来したとされる。

明治40年、当時の東京市の都市計画の中で街路樹として初めて採用された。


日比谷公会堂前のスズカケノキの大樹


日本ではモミジバスズカケノキが街路樹、庭木として栽植され、以前はイチョウに次いで街路樹として多く利用されたが、集客力のある樹種(黄葉木)が主になって行った事で、だんだん街路で見かけることも少なくなった。

パリではマロニエ(セイヨウトチノキ)と並んで有名な街路樹です。

アメリカスズカケノキは「シカモア」と呼ばれることもあるが、もとは「エジプトイチジク」がそう呼ばれていて、「セイヨウカジカエデ」も同様に「シカモア」と呼ばれる。

ヒポクラテスの木(プラタナス)

「医学の父」と呼ばれる医学者の“ヒポクラテス”がプラタナスの大樹の陰で、弟子たちに医学を教えた事に由来する。


      「コス島ヒポクラテスの老木」


ヒポクラテスとは古代ギリシアの医者で、エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島ケファロスに生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられているが、その生涯について詳しいことは分かっていない。

西洋医学の父と言われたヒポクラテスの生まれた家系は、医師①「アスクレピアデス」の血を受け継ぐ家系で、ギリシャ神話に登場する「医学の神アスクレピオス」の子孫とされています。

✪アスクレピオンはコス島にある遺跡で、医学の神アスクレピオスが祀られている。



               「アスクレピオンの遺跡」


ヒポクラテスは医学学校や治療所をここに建てたとされる。

現在もその遺跡やアスクレピオスを祀った神殿が遺っている。

この場所からは美しい景色で、コス島の町がよく見えます。

①アスクレピアデスは古代ギリシアの医師で、ギリシアのプルザ生まれ、アレクサンドリアで医学を学び、アテネで✫修辞学を修め、同地で医業を開いたが、紀元前91年にギリシア医学をローマに移した。

✫修辞学とは、弁論、演説、説得の技術に関する学問の分野のこと✫


その医学はガレノス(古代の医学、哲学者の一人)の時代までローマで盛んに行われた。

アスクレピアデスはヒポクラテスの体液病理説に反対で、投薬を好まず、マッサージ、水溶療法を重視した医者である。

日本のヒポクラテスの木

日本のヒポクラテスの木はいくつかの系統に分類され、緒方株(コス島の株)と呼ばれるものと、コス島より原木の種子を持ち帰り(1955年)日本で発芽させて育てられた株からの取り木の1つ(篠田株)等が存在する。

✻緒方富雄博士(東京大学名誉教授)
✻篠田秀男博士(山形市篠田総合病院)


日本各地の医療施設、医学関連大学などで植樹されている。









2021/07/18

大麻草悲劇の歴史 No,530

 大麻草の歴史

別名=アサ(麻)、ヘンプ
カンナビス·サティバ·エル

大麻草は太平洋戦争後に制定した「大麻取締法」のもとで、厳しく規制されている植物である。

その取締法の成立のきっかけとなったのが、戦後も日本に駐留したGHQの指導によるものである。


過去から現代に至るまで、大麻そのものは日本国内で栽培されていて、特に戦前では様々な用途に盛んに利用されていた。

大麻取締法の制定(1948年)以降「大麻取扱者」の免許を取得した農家だけが栽培を許可され、栽培された大麻草は七味唐辛子に入っている「麻の実」や衣類の原料として繊維が使われている。


各地に自生する大麻草は、自治体によって定期的に除草され、その草姿を目にする機会もほとんどありません。


しかし、大麻取締法が成立する前の日本では、大麻はもっとありふれた植物で、日本人の生活や精神的にも密接な関わりを持っていました。


古くは縄文時代、弥生時代の頃から生活に欠かせない植物であったが、麻薬のような使用をしていた訳ではありません。


祖先の多くは大麻の実を食用にしたり、大麻の繊維を使い布を織って衣服を作ったりしていました。


特に繊維は様々な用途で利用された歴史があります。

木綿が登場する戦国時代中期頃まで、多く利用されていました。


風通しがよく、軽くて丈夫な麻布を使った衣服は庶民に親しまれていました。


赤ちゃんに着せる産着も麻布を使ったものが一般的であった。

その他には魚網や縄、縫い糸など道具の原料としても使われていた歴史がある。


今ではほとんど見かける事も少ない、使った経験もない人が多いと思われる蚊よけの蚊帳(かや)の原料にも繊維が使われていた。


この様に人々の生活や仕事など、ごく普通の存在で、また欠かせないものだったのです。

✫「神道」しんとう、しんどう=日本の宗教、「惟神の道」かんながらのみちともいう

神道の世界では、心霊が宿る“神聖な植物”として扱われ、本来は麻布を使うのが正式であるとする、お祓いに使うはらえぐし(祓串)がある。

御神木には、大麻の繊維で出来たしめ縄(注連縄)が巻かれます。

かつて日本は、黄金の国と呼ばれていたとする事が歴史書に記述が見られ、黄金の国日本は「麻の国」であったとする説がある。


「黄金」とは、大麻から作られる「精麻」であったと言う説もある。

精麻は大麻草の茎を精製した繊維のことで、黄金色で独特の光沢がある。

当時の農家では、米に次ぐ作物として栽培され、精麻が盛んに作られていた。


桜が日本の国花とするならば、大麻草は日本の国草と言っても過言ではない植物だったのである。



現在の日本を除く先進国では、医療大麻の活用が本格的に検討されたり、実施されたりしています。

医薬品として、難病の治療などに役立つものとして注目されています。

やはり、戦前からも医療目的で大麻は使われていた。


大麻の葉を乾燥させて作る「大麻タバコ」が明治時代ではぜん息の治療薬として使われていた事実がある。

この大麻は「カンナビス·インディカ」と言う種類で、中東から輸入され、「喘息煙草印度大麻煙草」と言う名称の医薬品として販売されていた。

江戸時代には、大麻がマラリアに効く治療薬として、本草学者の貝原益軒=かいばらえきけん(1630~1714年)の書物「大和本草」に記述されていた事実もある。

✫大和本草(やまとほんぞう)「1709年刊行」とは、明治時代に生物学や農学の教本が西洋から輸入されるまでは、日本史上最高峰の生物学書であり農学書であった。

現在、江戸時代までの生物学書や農学書の資料は「大和本草」以外は残っておらず、当時の日本独自の生物学や農学を知る上では第一級の資料である。


大麻取締法が成立する以前にも大麻を規制する「大麻取締規則」が1930年に制定されていた。

この時点で初めて日本でも“大麻は麻薬”
であるとされたのです。

しかし、日本で栽培利用されていた大麻は、規制対象外の大麻だったのである。

1930年の時点では、日本の大麻は麻薬としての扱いにならない植物だったのです。

しかし、アメリカとの戦争(1945年)に敗れた事で状況が一変したのである。

GHQによって、日本の大麻も麻薬に指定するように指導され、それを受けて「大麻取締法」が1948年(昭和23年)に制定されたのです。

これはアメリカ(占領国)の価値観を、日本に押し付けたものであると言えるだろう。

これに伴い、日本の農家にとって死活問題になった事は言うまでもない。

アメリカに従い続ける姿が大麻草の取り扱いからも見えて来るようだ。

現在、大麻草の扱い方が世界的にも変化を見せている。

この流れから日本でも、大麻取締法の内容を議論する動きが出て来ている。

この法改正が行われる事が迫っているようである。


                                             「大麻草」

                             「大麻草の雌花」

大麻草に間違われやすい植物

ケナフ アオイ科  アメリカ原産
別名=アンバリ麻、ボンベイ麻

ケナフ(洋麻)は大麻草と比べてると、ケナフの葉は1枚で基部まで深く葉が切れ込まない。

花が全く異なるので花の咲く夏期は見分けやすい。

                                「ケナフの葉」

                                 「ケナフの花」


これまで大麻の栽培の歴史はあまり分かっていませんでした。

しかし、過去最大規模の遺伝子研究によって、大麻のルーツが約一万二千年以上前の中国にあることが判明しました。

その研究内容は7月16日付けで「Scienee Advances」に掲載されています。


大麻の起源として、これまでに西アジア、中央アジア、中国北部が有力として挙げられていました。

研究の結果、大麻は現在の中国西部にあるカザフスタン及びキルギスとの国境付近で、はじめて栽培されたことが示されました。

同地に自生する大麻植物の遺伝子が、最初に栽培されたとされる「基底型(基本)」に非常に近かったのです。

「基底型」は、「精神作用」の発現と繊維生産の両方に適しています。

研究チームがもともと最有力地としていたのは中央アジアでした。


その理由は、中央アジアの道路沿いに野生化した大麻が多く存在していたからです。

しかしゲノム(遺伝子情報)解析の結果、中央アジアの大麻は「繊維型」であることが示されたのです。

「繊維型」は枝分かれしないタイプで、「精神作用」はなく、ロープや織物の繊維を作るのに適しています。


「基底型」を栽培するうちに様々な種が分岐し、約四千年前にはじめて「繊維型」が派生したようだとしている。

ヨーロッパ、中央アジア、中国北部の一部に現在は「繊維型」の大麻が自生している。

野生のアサ(麻)属の祖先は絶滅しているとされ、今日存在する大麻は全てが、中国北西部で栽培されたアサ属の子孫と見られる。

長い栽培歴史の中で大麻は、商業的なルートを経て、世界各地にさまざまな品種が広がって行ったと思われる。


★後書き

日本では大麻草について特に厳しい扱いである。

植物に詳しい人なら分かる事だが、植物には毒が含まれている物は多い。

何が大事かは、植物の成分をどう使うかであると言うことです。






2021/07/17

フィンランド森と湖の国 No,529

 北欧 フィンランド

フィンランドに生育する木は、4種類の針葉樹と27種類の広葉樹があり、マツ、トウヒ、シラカバの3種類で99%のを占めている。


                             「トウヒ」

✿トウヒは唐風(中国風)の檜(ひのき)に見立てた名前だという。

エゾマツと同種であると考える学者もいるが、葉が短く、球果が小さいなどの違いがある。

形態学では、白い方が葉の表面である。


北欧の国フィンランドの国土面積は、約日本の9割にも達している、世界一の森林率を誇る森と湖の国で、スウェーデンに次ぐ世界3番目の森林大国である日本とは、木の関わりに大きく違いがある。

10%が湖などの水域で、土地の約68%も森に覆われている自然豊かで「森と湖の国」と呼ばれています。

また、国連が122カ国で行った水質調査で、水のきれいな国として世界第一位に輝いたほどです。





フィンランドの国立公園は40ほどあり、群島、湖、森、泥炭、山などが国中に散在しています。

日本とほぼ同じ広さの国土で、18万個以上の湖があると言われている。



ヨーロッパアカマツの木は、かつて西ヨーロッパや中央ヨーロッパでも広域に渡って森の主要樹種だったが、土地開発、森林開発によってほぼ絶滅状態である。


ヨーロッパアカマツは現在、北ヨーロッパからシベリアまでの広い範囲に渡って存在する。


スウェーデン北部で発見された「オウショウトウヒ」の株は9550年も生きてきて「生きている木の世界最高齢」の木とされる。

シラカバはとても広く分布し、西はイギリス、スペイン。

東は日本の東北地方、北海道。

北は北欧フィンランド、シベリア。

南は中国南西部や東南アジアは山岳地帯まで、その姿を見ることができる。


フィンランドは、2017年12月6日に独立100周年を迎えましたが、実際の所フィンランドの歴史はあまり知られていません。


現在の北欧の全域は一万三千年前までの間、氷床が広がっていたが「ヴュルム氷期」が終わって気温が上昇すると氷が解けて、氷河の重みに抑えられていた陸が隆起した。

◆一般にヴュルム氷期と言われるのは最終氷期のことで、およそ7万年前に始まって約1万年前に終わった一番新しい氷期の事である。

最終氷期が終わった約1万年前から現在の完新世(かんしんせい)の事を後氷期と呼ぶこともある。

約9000年前、アキュルス湖(後のバルト海)の東側へ南方から人々が移動するようになり、人々は狩猟(しゅりょう)や漁業を行って暮らし始めました。

紀元前3300年頃にヴォルガ川周辺の文化が伝わって、土器を使い始めました。

紀元前1500年頃には、青銅器時代が始まるまでに南部で農業が始まったが、東部や北部では狩猟と漁業が中心の生活であった。

5〜6世紀のフィンランドを前期民族移動時代と呼び、8世紀末までを後期民族移動時代として区別される。

後期民族移動時代の頃の主な産業は、夏期の大麦、ライ麦栽培と冬期のテン、リス、ミンクの狩猟でした。

ミンクの毛皮は交易品として重用されました。

その後幾多もの戦争を繰り返す時代へと時は流れ移り、植民地時代、2度の世界大戦経て、冷戦、ソビエト連邦崩壊後、政治的な自由とは裏腹に経済的な苦境に見舞われた。


経済的な便益を求め、1995年にスウェーデンと共に欧州連合に加盟する。

欧州連合に加盟したことで、欧州連合諸国や北欧諸国との政治、経済に密接となっていった。

情報通信産業に活路を見出したフィンランドは、国家を挙げてIT革命を邁進し、21世紀初頭の現在、北欧諸国と共に世界トップグループの一員となったのである。

フィンランドのグルメ

フィンランドの家庭料理の定番である「ロヒケイット」は、いわゆるサーモンのスープです。

やはり、冬季の長いフィンランドではスープが大人気料理で、中でもこのロヒケイットと言うスープは、それぞれの家庭でよく作られるおふくろの味のひとつである。

一皿食べれば体ホカホカになる、カフェなどのメニューにもよくあるので、寒い日は特におすすめの一品と言ったところでしょうか。

フィンランドはサンタの国としても知られる。

やはりトナカイの肉料理もある。

よく食べられているのがシチューで、たっぷりのマッシュポテトとベリーソースでいただくのが定番。

猫舌にも大丈夫なのかな?なんて野暮なことを思ったりする。

他にはトナカイソーセイジもあり、臭みがなく食べやすいおすすめの一品とのこと。

フィンランド、カレリア地方の家庭の味で、オーブンで焼き上げた「カレリアパイ」はほんのり甘く優しい味。

ゆで卵とバターを混ぜたものを添えていただくと、一つでお腹がいっぱいになる。

大食い選手には無理だと思うけど…

カレリアパイは街中でも売られている。

映画「かもめ食堂」で一躍有名になったフィンランドの「シナモンロール」

カフェでは定番メニーで、コーヒーをよく飲む国なので、シナモンロールに少し苦いコーヒーはピッタリである。


ビルベリーの故郷

北欧はビルベリーの故郷として知られる。

森に自生する野生種のブルーベリー(ビルベリー)は、特徴的な現象の「白夜」の季節に一日中太陽の光を浴びるため、紫外線から果実を守ろうと「アントシアニン」を蓄える。


      「ビルベリー」


その含有量は一般栽培種のブルーベリーの約5倍(果実100gあたり)とされ、ブルーベリーもビルベリーも皮は青紫色ですが、ブルーベリーの果肉が白色に対し、ビルベリーは果肉が濃い青紫色で、この天然色素が健康成分の「アントシアニン」です。

★「アントシアニン」は植物がそれぞれの身体を守るために自ら合成した抗酸化物質のことで、ポリフェノールの一種の青紫色の天然色素です。

成分名はギリシャ語のanthos=「花」とcyanos=「青」が語源で「花の青色成分」を意味し表しますが、赤色や紫色など幅広い色調を持っていて、自然界には500以上もの種類の「アントシアニン」が存在していると言われている。

アントシアニンを含む食材として、赤ジソ、カシス、黒豆、黒ごま、ブドウ、ビルベリーなどのベリー類などがある。


    「フィンランドの白夜」

白夜(びゃくや)は南極圏や北極圏に近い場所で起きる現象で、夏になると太陽が沈まない日が続く。

まるで夕方のような明るさでこの状態が一ヶ月以上続きます。


冬には一日中太陽の出ない日も続くが、これを極夜(きょくや)と言う。


野菜や果物とは別に独立して分類されるほど「ベリー類」は特別な存在。

中でも栄養価の高いビルベリーは旬である夏の時季に、各家庭でバケツに何杯も摘んで冷凍し、それを次の夏まで日常的に食べています。

料理やスイーツ、ジュースなど色々な味わい方をする北欧の人々の食べ方はとても理にかなったものです。


それは、「アントシアニン」は体内に吸収されたあと、約24時間後には働きを終えて排出されてしまうので、一度にたくさん食べるより毎日継続的に摂取する事が、理想的だと言えるからです。


北欧4ヶ国のサンタクロース

フィンランドはサンタの国として知られるが、その他にノルウェー、デンマーク、スウェーデンもサンタの国とされている。




北欧4ヶ国にはそれぞれ、サンタの村や定住地などが存在しているが、本当のサンタクロースはどこにいるの?と思う人も多い。

多くの場合、サンタクロースは「ラップランド」に住んでいると言われています。

ラップランドとは、ノルウェー北部から白海までの沿岸地帯で、伝統的な「サーミ人」が住んでいる地域のことを指し、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ロシアの4ヶ国にまたがった、大部分が北極圏に位置している場所。

✪サーミ人とは、スカンジナビア半島北部、ラップランド及びロシア北部コラ半島に居住する先住民族。

有名人=女優レーネ=セシリア·スパルロク



どの国々も、サンタクロースの住まいが自分の国にあると主張している。


デンマークはラップランドに位置していませんが、デンマーク領のグリーランド(北極圏)にサンタクロースが住んでいると主張しています。


サンタさんはやっぱり人気者です。

しかし、あまり主張し過ぎて揉めたら夢もない話で…凍りつきそうなんだけど。


オーロラを見てみたい!

ラップランドでは一年間に200晩、オーロラが出現すると言われています。


ヘルシンキなどの南フィンランド地域でも、街の灯りの届かない地域に行けば、冬の間で20晩ほどオーロラを見ることができるそうな!


オーロラを見るには、暗闇であることと空が澄んでいることが条件で、晩秋から冬、早春の9月から3月頃が最も適した時期に当たると言われています。


オーロラは、太陽から宇宙に向けて飛び出してきた、電気を帯びた大量の粒が地球という大きな磁石に吸い寄せられ、大気圏に突入する時に空気中の窒素や酸素と反応して、天空に描かれる光のことです。




つまり、地球がこれらの粒を引き寄せる力、磁場の強い所に行けばオーロラが見られる可能性がより高いという事です。

オーロラが最も現れやすい場所は、北半球では北緯65度から70度付近の「オーロラベルト帯」と呼ばれる周辺で、北欧ではノルウェー北部、スゥエーデン北部、フィンランド北部、アイスランド、グリーンランドで、北極圏は北緯66度33分より北の地域を指します。





オーロラ 、見てみたい!

貧乏だから無理、行けないっしょ。

感電しないかな?……バカ!!










2021/07/16

ヤマモモの頭頂部枯れ No,528

ヤマモモ       (頭頂部枯れ)

すべての樹木は、頂芽優勢の原理に基づき、生長に従って下部にある枝に比べ、上部の枝は小枝が多く萌芽したり、新梢の伸び率がよくなります。





上部の枯れ枝の発生原因は、害虫や病原菌伝播でなく、水分の不足によるものが多いと考えられます。

毎年5月以降の高温時には、葉面や小枝、樹体から大気中への水分の蒸散が多くなり、根を通して地中から吸収される水分量が不足すると、受光率の高い部分の枝は光合成機能が低下して枝枯れが生じやすくなる。

こうした生理的障害発生を機に、樹高を管理しやすい高さ、4〜5㍍程度に低くしてみるのも木の今後を考えれば賢策かと思います。

ただ、上部を切る場合、一度に切るのではなく側枝を最初に切り、次に樹芯を切ります。

必ず分岐点の約10cm上で切り、翌年切り口に萌芽したら、それを頂部として笠状に仕立てます。

枝を切るときは、切り口が割れ裂けないように基本に沿って行います。

樹高切り下げと同時に、混み合った枝や重なり枝などの不要枝を切り、樹冠内部への日当たりを良くします。

太枝の切り口には殺菌癒合剤のトップジンMペーストを塗って保護します。

樹高を低くすることにより、下部にあった枝先が伸び、小枝も発生してきます。

3〜4年に1度、長く伸びた枝を切り詰めると翌年、基部に短枝ができて花芽がつくようになりす。

早春の2〜3月上旬頃がせん定の適期です。




2021/07/15

メープルの木 No,527

 シュガーメイプル

「サトウカエデ」

メープルの木は和名カエデ、モミジとも呼ばれることもある。

世界には100種を超えるメープルの樹がある。

フランス人がカナダに進出する以前から、先住民はカエデを栽培し、樹液を採取して調味料として使ってきました。

ヨーロッパの人々が大好きなパンケーキと、カエデの樹液のシロップがとても合うことを発見するのに、時間はかからなかったのかも知れません。

カナダと言えば、カナダの国旗にはカエデの葉が国旗の中央に配置され、メイプルリース旗、一葉旗とも呼ばれる。




カエデの葉は、1700年前後からカナダの人々のシンボルとされてきました。

現在の国旗の図柄は1965年より用いられている。

小生の方が少し先輩ではあるが、さほど変わらない年代である。

カナダと言えば、思い出すのは「カナダからの手紙」と言う歌であるが、知ってる人は知っている流行歌である。

🎶ラブレター  フロム  カナダ
もしもあなたが   一緒にいたら

どんなに楽しい  旅でしょう
ラブレター  フロム  カナダ🎶

実に懐かしい、、今度ギターで弾いてみようかな…

サトウカエデは他のメープルよりも糖度が高く、1㍑のメープルシロップを作るのに約40㍑の樹液が必要なんだと😲

ワォー凄い!

でも大丈夫?
カナダには800kmのメープル街道がある。


                     「メープル街道」

紅葉の季節は圧巻だ!

ドライブするには長過ぎる気もする。

旅ゆけば、、
カナダは真裏の国遠しかな。


✫関連記事
No,299カエデ、モミジ








2021/07/14

樹木の夏期せん定 No,526

 夏期のせん定

6月から8月は、暖帯性の常緑広葉樹のせん定に適しています。

一般の樹木にとっては余りよい季節とは言えませんが、暖地を好むカシ、モクセイ、カクレミノ、モチノキなどにとっては春より夏の方が適しています。


冬にせん定した落葉樹も新梢を伸ばす時期ですが、養分を蓄える時期なので、伸び過ぎたからといってあまり切り過ぎないことが大切です。

また、多くの花木はこの時期に葉芽と花芽が決定(花芽分化期)します。

むやみにせん定し過ぎると、翌年の花つきが悪くなってしまうので注意が必要です。



◆生け垣の刈り込みは年2回が原則


芽の種類と名前

芽には樹木の性質上、発芽する位置が決まっている定芽(ていが)と本来なら芽が発芽しない場所に出る不定芽があります。

定芽

頂芽(ちょうが)は枝の先端につく芽

腋芽(えきが)又は側芽(そくが)枝の側面につく芽で、そのうち幹から見て外側につく芽を外芽、内側につく芽を内芽という。

不定芽

定芽以外の場所に出るの芽の総称で、強いせん定をしたり、定芽の生長が悪いと生じやすく、本来芽が出ない太い枝などに出やすい。


                                「 芽の種類と名前」


枝の出方

樹種によって枝の出方に特徴がある。

互生(ごせい)
1つの場所から1つ、左右交互に枝が出る最も一般的なつき方。

イチイ,イヌツゲ、ウメ、カイドウ、マキなど



対生(たいせい)
同じ位置に対になって枝がでる。

通常は枝抜きせん定して、互生の形になるようにする。

アオキ、キンモクセイ、オウバイ、クチナシ、サルスベリなど


輪性(りんせい)
同じ場所から3つ以上の枝が出る。

放置したまま生長すると、樹形を乱す枝になるので程好くせん定する。


                                     「枝の出方」


✿不要な枝については、No,245「樹形を乱す枝」を参照






2021/07/13

植物寄生性線虫類の生物学 No,525

 植物寄生性線虫とは

線形動物門に属する線虫(ネマトーダ)のうち、植物に寄生するものを植物寄生性線虫という。

分類学的には植物寄生性線虫Tylencnida目及び一部のDor-ylaimida目に限られる。


基本的な体型は、細長い円筒状で体長は0.1〜1.5㍉程度のものが多い。

体壁((クチクラ)は多層の膜で構成され柔軟性に富む。

✫クチクラ(ラテン語Cuticula)とは、表皮を構成する細胞が、その外側に分泌することで生じる丈夫な膜のことである。

様々な生物において体表を保護する役割を果たしている。

クチクラは保護膜でクチクラがない植物は萎れる。


線虫の運動筋肉は縦走筋のみで、大多数の線虫は波状の前進運動を行う。

線虫は、植物細胞内容物を摂取したり、植物体内に侵入するための器官として口針を持つ。

卵、幼虫、成虫に区分され、線虫の多くは卵内で1回脱皮して第2期に幼虫として孵化(ふか)する。

幼虫期に計4回脱皮して成虫となる。


ネコブセンチュウでは、栄養不足などの悪環境下で、雌が性転換し、雄の比率が高まる。

寄主植物の根からの浸出液は、シストセンチュウの幼虫孵化やピンセンチュアの脱皮を促進する。

植物性寄生性線虫の根部寄生による被害は、潜在的、慢性的で生長遅延や生育不良として症状が現れることが多い。

苗木育生圃場(ほば=栽培畑)では、線虫による直接害に加えて、他の病原微生物との混合感染による害が大きい。(複合病害)

日本国内に広く分布し、大きな作物被害をもたらす線虫は、ネコブセンチュウ、シストセンチュウ、ネグサレセンチュウ及びマツノザイセンチュウである。


ネコブセンチュウ類

根に内部寄生し、巨大細胞とコブ(ゴール)を形成する。

ゴールの着生程度(ゴール指数)で被害度を表す。

サツマイモネコブセンチュウの寄生範囲は700種を超え、サツマイモ、ニンジン、キュウリ、トマト、ナスなどに加害する。

その他、キク、ツツジ、スギ、ヒノキ、マツなどの樹木などに被害が多い。


シストセンチュウ類

ダイズシストセンチュウはダイズ、アズキ、インゲンなどのマメ科植物に寄生する。

中でもダイズの被害が大きく、茎葉は黄変し生育は衰える。

また、線虫寄生により根粒菌の着生数は減少する。

ジャガイモに寄生するジャガイモセンチュウは、国外からの侵入線虫でジャガイモ、トマト、ナスに寄生し、北海道のジャガイモ被害が大きい。


ネグサレセンチュウ類

ネグサレセンチュウは、皮層内で摂食、移動しながら植物組織を破壊する。

被害部は壊死(えし、ネクロシス)を起こして黒褐色になる。

ミナミネグサレセンチュウは多犯性で、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ、ウリ類、トマト、ナス、ダイズなどで被害を起こす。

クルミネグサレセンチュウによる被害は、イチゴなどで問題となる。


樹木類ではツバキ、サザンカ、ゴム、カエデ、マツ、ニレ、ヒノキ、イヌマキ、キャラボクに被害がある。

キタネグサレセンチュウは350種以上の植物に寄生し、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、トマト、ナス、イチゴ、トウモロコシ、フキ、キクなどで被害が大きい。


マツノザイセンチュウ

北海道と青森を除く日本全土で、クロマツ、アカマツなどの被害が大きく、枯死の原因になる。

線虫は、マツノマダラカミキリムシの成虫によって伝搬されるため、枯れたマツを中心に被害面積が急速に拡大する。


複合被害

線虫と病原微生物との相互関係より、個別的な感染で被害の増大や抑制が、認められる線虫関連被害を複合病という。


細菌との複合病

細菌との混合感染による被害は、ネコブセンチュウが関与した場合が多い。

ナス科の青枯病は、サツマイモネコブセンチュウやキタネコブセンチュウと、ジャワネコブセンチュウと混合感染して被害が激しくなる。


糸状菌との複合病

50種以上の糸状菌、20属以上の線虫で複合病への関与が認められる。

フザリウム菌
ネコブセンチュウ、ネモグリセンチュウ、イシュクセンチュウ、ミカンネセンチュウ、ダイズシストセンチュウなどと混合感染して被害を拡大する。

フザリウム菌は糸状菌(カビ)の一種で、フザリウム菌の殆どは、無害な腐生菌であり、土壌微生物群集の中で多くの種類がいる。

しかし、フザリウム菌の数種に経済に影響する程の、致命的な損害を作物に与えるものがある。

✫バーティシリウム菌は、ネグサレセンチュウとの混合感染による被害が著しい。

✫サツマイモネコブセンチュウは、トマト、オクラ、タバコの根腐れ病

✫エンドウ、スイカ、メロン、キュウリ、トマトの萎ちょう病

✫タバコ、トマトの立枯病との複合病害を引き起こす。


植物寄生性線虫類の防除


化学的防除

殺線虫剤にはくん蒸剤と非くん蒸剤(接解剤)がある。

①くん蒸剤
臭化メチル、クロルピクリン、テロン、メチルイソチオシアネート、DCIPなど

DCIP粒剤は、生育期間中の使用も可能で、チャやワタは株間に土壌混和する。

くん蒸剤は、ガス化した薬剤が気門を通して線虫の呼吸系に入ることにより作用する。

作物と薬剤の種類ごとに定められた薬量を、作付け前に土壌中に注入ないし灌注(かんちゅう)する。
(30kg/10a)

薬害を防ぐために、処理後約10日後に耕起して、十分にガス抜きした後播種や定植を行う。


②非くん蒸剤
オキサミル、ピラクロホス、ホスチアゼートなど、いずれも粒剤で土壌と混和して用いるが、残効時間は短くオキサミルなどの浸透移行性薬剤は、低濃度では幼虫孵化、根や異性への誘引、根内の侵入線虫の発育や繁殖を阻害し、高濃度では致死的に作用する。(20〜40kg/ha)

③輪作
線虫被害を軽減するための基幹的手段で、抵抗性品種や線虫の増殖に不敵な作物、或いは✫休閑を栽培体系に組み込み、線虫密度を経済的被害許容水準以下に抑える。


✫休閑(きゅうかん)とは
土地の力を養うために、耕作を休むこと

サツマイモネコブセンチュウに対してはラッカセイ、イチゴ、サトイモ、サツマイモ(抵抗性品種)などが、キタネコブセンチュウに対しては、イネ科植物、トウモロコシ、スイカ、サツマイモ(抵抗性品種)などが増殖不適作物となる。


④抵抗性品種
感受性品種と同様に線虫感染を受けるが、感染した線虫の発育が著しく劣るものを、抵抗性品種と言う。

抵抗性品種利用の際には、寄主範囲を異にする線虫の存在に注意が必要である。


⑤対抗植物の利用
殺線虫性物質を分泌または含有する植物で、土壌中または植物組織内の線虫の、発育阻害効果や致死効果を持ち、その栽植や投入が、線虫密度を積極的に低下させる植物を対抗植物という。

マリーゴールド、アスパラガス、
ウィーピング(ラブ)グラス、クロタラリア属植物などが対抗植物である。

栽培畑にマリーゴールドを植えると、ネモグリセンチュウやネコブセンチュウの密度が低下する。


             「マリーゴールド、キク科」

マリーゴールドを約3〜4ヶ月間全面栽培したのち、土壌中にすき込む。


               「クロタラリア、マメ科」

キク科の1、2年草又は多年草で、抵抗性植物の一種「ルドベキア」は別名マツカサギクと呼ばれ、花としても大変美しい。


                     「ルドベキア」

ルドベキアは、ひまわりを小さくしたような花を寂しい雰囲気の秋に咲かせる。

とても丈夫で、こぼれ種からもよく殖えるので、地植えなら毎年花を咲かせます。


⑥有機物の施用
土壌環境の改善を主目的に施用される有機物は、鶏ふん、豚糞、牛ふんなどと、各種の堆肥は総合的、遅効的に線虫害を軽減する。

線虫被害軽減効果は、線虫の移動や行動の阻害、土壌中における殺虫性分解産物の生成、天敵微生物及び自活性線虫の増殖、作物の抵抗性高揚や植物の生育促進などによる。

⑦湛水(たんすい)処理
(水を張ってため続けること)

好気的条件で発育、増殖する植物寄生性線虫は、嫌気的環境条件下において、湛水などでは著しく密度が低下する。

太陽熱による熱殺効果も同時に働く、夏季のハウス密閉処理は、暖地の施設園芸で有効な防除手段となる。

⑧線虫感染の回避
健全な種苗の利用
線虫感染植物の移動(移植)の禁止
線虫汚染土壌の持ち込み使用禁止など


⑨生物的防除
線虫の天敵糸状菌として、外部寄生菌、内部寄生菌、シスト寄生菌、卵寄生菌など約150種が知られている。


エビやカニの甲殻の土壌施用は、主として「キチン」からなる卵殻を貫通して感染する卵寄生菌を増加される。

✫キチンとはエビ、カニをはじめとして、昆虫、貝、キノコに至るまで極めて多くの生物に含まれている天然素材のこと。

不溶性食物繊維のひとつとされ、甲殻類の殻からタンパク質やカルシウムを取り除いて精製された動物性の食物繊維。

出芽細菌は寄主特異性の高い絶対寄生菌=(純寄生菌、活物寄生菌)で、P.penetrasはネコブセンチュウにP.thorneiはネグサレセンチュウにP.nishiz-awaeはシストセンチュウに対して有効な防除手段となり得る。








2021/07/12

根頭癌腫病 について No,524

 根頭癌腫病

(こんとうがんしゅびょう)

病原菌学名=Agrobacterium tumefsciens(Smith et Townsend)com

バラ科植物では発病しやすいものだが、多くの常緑樹や落葉広葉樹、針葉樹、菊、かすみ草、クレマチスなど、判っているだけでも46科の植物に発病する、極めて他犯性の高い病気です。

バラ栽培面積の20%が発病し、営利生産では20億円の損失があると言われています。

根や幹(茎)の地際部(根頭)が病気になります。

苗木や幼齢木の根冠部や、根の一部に小さなコブを生じ、樹の生長とともに次第に膨大して、樹冠や太根側面では半球形、細根では球形の癌腫に発達します。



最初は類白色軟質(ゴムのような)の弾力がある「癌」ですが、のちに硬化して表面が粗造りな黒褐色から黒色と変化し、秋には肥大は停止するが、翌春から再び膨れて年毎に大きくなり、削ってもまた盛り上がってくる。

樹勢が衰える事になりますが、転移していない貴重品種などは、挿し木や接ぎ木で子孫を残すようにします。

この病気はウイルス病と違って全身病ではありません。

病原菌は、✫桿菌に属する細菌(バクテリア)で、多くの植物に寄生する土壌生息細菌です。

✫桿菌(かんきん)とは
棒状、円筒状の細菌で病原となるものにはチフス菌、ジクテリア菌、赤痢菌などがある。

桿菌には「バチルス菌」で病原菌の殺菌



病原菌は、コブやコブの崩れた組織片とともに土壌に残って伝染源のとなり、苗木が植え付けられると接ぎ木部、根部の傷害痕、害虫の食害痕など、主として根部や地際部に生じた傷口から侵入します。

傷口などから侵入した細菌は、健全細胞の遺伝子に変化を起こすと癌化し、その後は病原菌が存在しなくても癌化細胞は、異常分裂を繰り返し増殖する。

病状は感染後、一週間から数週間の潜伏期間を経て現れるが、時には数ヶ月に及ぶこともある。

感染部では地温が上昇し、樹体の生長速度が早い春から夏にかけてはコブが急速に大きくなるが、地温が下がり生長休止期になると一時的に休息する。

この病気は土壌に病原菌が潜伏するので、細菌に汚染された土壌では、植栽と同時に感染、発病に至ることが多く、特に苗木を育生する畑(圃場=ほば)など、数年に渡って連作される所では被害が著しい。


また、この他に接ぎ木などを行う場合には汚染した刃物によって感染する事が多い。

このように多くは、感染圃場や刃物によって感染した苗木、或いは購入した苗木が感染していた場合などで、病原菌が運ばれ伝染する「種苗伝播」によることが主となっている。


防除法

苗木の育生にあたっては無病地を選んで、健全な育苗を行うことが重要です。

育苗畑では連作になりがちなので、輪作するか汚染地でクロルピクリン剤、NCS、バスアミド等で土壌消毒を施す必要があり、植え直しても発病します。


「輪作ローテーションのイメージ」


植え付けの際には、苗木の地際部をよく検査し、多少でもコブが確認できたものは廃棄します。

コブを切除して外見健全と見られるものでも、すでに感染が進行していて定植後発病に至るので、このような苗木も使用しない。


また、健全な苗木であっても念の為、ストレプトマイシン500倍水溶液に一時間浸漬(しんし、しんせき)した後、無病菌地へ植え付けるようにします。

土壌への✭灌注は効果がありません。

✭灌注(かんちゅう)とは、薬剤などの液体を直接土の中に注入すること、薬液が飛散することもなく、天候にも左右されにくい方法です。

生物農薬としてアグロバクテリウム、ラジオバクター剤、「商品名=バクテローズ」は定植前処理をした苗の発病予防に効果的です。

バラの苗を移植或いは定植のたびにバクテローズに浸漬します。

20〜50倍希釈液に苗の根部を一時間浸漬処理し、根部が乾燥しないように速やかに植え付けます。

✿バラの根頭癌腫病

アビオンCA(アビロン)を幹部に塗る。

患部に尿素の粒を置く。

木酢液原液で患部を洗うようにして20cc程ふりかけてる。

数日後には患部のコブが縮小し始め、その後月に3回程度原液のふりかけを続けた結果、数カ月後には跡形もなく消滅。

通常、癌腫の患部は時間とともにボロボロに崩れて地面に散らばりますが、それとは異なる変化があったとする報告がある。

冬の植え付け時に癌腫病を発見した場合は、原液をふりかける処理を行うと同時に、根を洗った後に8倍程度に薄めた木酢液中に20〜30分浸けてから植え込みます。

尚、木酢液には不良品、偽物も多く存在します。
利用する際には十分注意が必要です。

木酢液使用の注意点については、「No,37の木酢液について」を参照してください。

✣病原細菌(バクテリア)

植物病原細菌は、植物に寄生することにより、植物体から必要な栄養源を得ています。

病斑内で増殖する病原細菌は、一般には植物細胞の✻膜透過性を変化させ、水分とともに各種有機化合物を得ているが、その中には植物が生産した糖類が多く含まれている。

✻膜透過性(まくとうかせい)とは、膜が気体、液体、溶質、イオンなどを透き通らせる(透過)性質のこと。






2021/07/11

ブナの巨木 No,523

 森の神(ニドムカイム)ブナ

ブナ科 「山毛欅、椈」

ブナは日本の温帯を代表する木で、広大な面積に純群落をつくる。

高さは30㍍にも達し、樹齢数百年を経たものは直径が2㍍以上にも及ぶ。

日本海側の多雪山地のものは葉が大きく、オオバブナ、太平洋側のものは葉が小さくコハブナと呼ばれる。

葉は卵形で縁が波打ち、秋には黄褐色に黄葉する。

果実は刺状の果皮に包まれて生長し、食べることができる。

2006年の頃、十和田湖や奥入瀬(おいらせ)渓流にほど近い山林でブナの巨木が確認されました。

青森県では白神山地のブナが特に有名ですが、同じ太平洋側の十和田湖に近い山中で、大きなブナの発見が全国に報道された。

ブナはきれいな姿をし、空洞や大枝の枯れや損傷も全く見られないほとんど傷みのない状態でした。

「森の神」周辺のブナは完全に伐採され、新たに成長し始めた小さなブナしか存在していない場所で、このブナだけ伐採から免れることができたのでしょう。

それは、昔からマタギやキコリの間で信仰されてきた「3本に分かれた木(三頭木)には神が宿る」という考えが、地元のマタギやキコリたちの間で語り継がれて来たからなのです。



 「 十和田市奥瀬森の神(ブナ)」

✿所在地=青森県十和田市奥瀬


付近一帯を伐採した際にも、このブナだけは斧を入れることを頑として、受け付けなかったからだと言われています。


400年以上も生き続けてきたとは思えないほどの若々しい樹姿を見られるのも、マタギやキコリたちの古くから、慣習があったからこそなのだと思うばかりである。

その後、地元有志の方々により、ブナの解説板や柵などが設置されました。

ところがこの状況に驚いたのが熊だったのです。

数日も経たない内に、案内板には引っ掻き傷が多数確認されたのです。

それはツキノワグマの爪痕で、見慣れないものが縄張り内に出現したので、排除しようとした痕跡だったのだと思われる。

また、ツキノワグマはペンキの香りが何よりの大好物と言われ、その香りに引き寄せられたのかも知れません。




この事により、この場所がクマの縄張りであることが明らかになったのだと思います。

周辺にはクマに注意を知らせるものが立てられている。


周辺を探索する際には、厳重に注意される事をお忘れなく!










2021/07/10

古代文明の発展と自然環境 No,522

 古代文明の発展は自然環境と関係する。


狩猟採集時代には、獣や魚を捕えて、木の実や貝などを集める生活をしていました。

日本列島では、このような狩猟、採集を基本とした生活が稲作の技術が伝わる2700年前まで続けられた。


                          「狩猟、採集時代」

また、この時代は約1万2千年前を境にして、旧石器時代と縄文時代との2つの時代に区別される。

農耕が開始される新石器時代まで、全ての人類は狩猟採集社会だったと考えられている。


                                 「新石器時代」

今から約1万3千年前から2千3百年くらい前まで、約1万年間続いた縄文時代は、生産経済に移行するだけの技術を知っていたと思われるが、生産経済へと進まなかったのには、様々な理由があるに違いありません。


縄文人は一番自然環境を大切にして、自然を広範に破壊するような農耕を、行わなかった時代であったのではないだろうか。


縄文人は農耕をしなかったと思われているが、小規模の作物は作っていたのではないだろうか。



現生人類は、次第に狩猟や採集などの獲得経済から農耕、牧畜などの生産経済へと移っていった。

その過程で、森林が伐採され、開墾される事で、まだ自然破壊の影響が目に見えない状況の下、生産経済へと進んで行った。

その中でも、狩猟や採集が比較的困難な砂漠や乾燥地などの地域より、農耕に必要な条件である川が近くにある地域の人類が、いち早く集団住居を始め、そこで農耕や牧畜を行い、一定の食料を安定して生産できるように努めました。

そしてそれが次第に文明へと進化して行ったのである。

日本の文明の発展が比較的遅れてしまった原因は何かとするならば、日本は森林や海など食料の採集や狩猟で供給できるだけの十分な環境があったからであり、集団住居や農耕をする必要性が比較的低かったためではないかとする説がある。

いち早く文明を築き発展して行ったものが、今のイランなどの場所に位置するメソポタミア文明、エジプト文明、中国文明、そしてインダス文明とされ、これらを総称して「世界四大文明」と言う。

この中に、アメリカ大陸のメソアメリカ文明とアンデス文明を加えて「六大文明」とすることもある。

また、エジプト文明とメソポタミア文明を合わせて、オリエント文明と呼ぶ事もある。

オリエントとは「日の登る所」及び「東方」を意味する。

中国文明  (新石器時代)

中国大陸には、遼河文明、黄河文明、長江文明が起こったが、その中で長江文明は稲作の発祥となる文明とされる。

初期の頃より稲作が中心であり、畑作中心の黄河文明との違いからどちらの農耕も独自の経緯を経て、発展したものであると見られる。




長江文明の発見から、ジャポニカ米(稲)の原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もこの地と見られ、日本の稲作もここが起源と思われる。


日本の稲作発祥地は、京都府京丹後市峰山町「月の輪田」や佐賀県唐津市の菜畑遺跡、岡山県朝寝鼻遺跡などの諸説がある。


人類によって様々な生産経済の発展を続けた事で、あらゆる問題を引き起こし、地球規模で自然環境破壊を招く原因を引き起こしたのは紛れもない事だろう。

限度を忘れ、世界全体の問題になれば制御出来ない。

その領域まで何故突き進んでしまったのか?

祖先である縄文人は凄い存在だなぁ〜とつくづく思う。

便利を追求し続ける現代人類が、愚かな生物に思えて仕方ない。






2021/07/09

太古から現存するイチョウの木 No,521

 イチョウ イチョウ科

「公孫樹」「銀杏」

イチョウは恐竜時代の太古から現存する歴史的樹で、2億年前のジュラ紀から現存する大変古い樹種とされ、当時は日本にも自生していたが、地質時代の内に滅んだと考えられている。

✿地質時代とは、約46億年前の地球誕生から現在までの内、直近数千年の記録の残っている歴史時代以前の事で、地質学的な手法でしか研究できない時代の事である。

日本で見られるイチョウは中国浙江(せっこう)省の原産と言われ、飛鳥時代の仏教伝来と共に渡来したとされ、寺社を中心に植えられていたが、室町時代以降一般に広まっていったとされている。


大名草(おなぎ)の大公孫樹

兵庫県青垣町大名草地区の常瀧寺(じょうりゅじ)裏手の山中にあるイチョウの巨木で、境内から約30分程山を登らなければ見る事が出来ない。

山中には、ヤマヒルが多く生息しているので、辿り着くには最新の注意が必要である。

かつての常瀧寺があった跡の山中には訪れる人も少ない。


                   「大名草の大公孫樹」

青垣町指定天然記念物 樹齢1300年以上

所在地=兵庫県丹波市青垣町大名草481

このイチョウの特徴は、太枝から垂れ下がる長さ1㍍以上の大きな気根で、中には枝の先が地面に着いて、そこから新しい幹となって生長する気根を見ることができる。

この異様とも言える気根は乳(ちち)とも呼ばれ、その表皮を煎じて服用すると母乳の出が良くなるとの言い伝えがある。

そのため、このイチョウは「乳の木さん」などの別名で呼ばれていたそうな。

山の中腹にあるため、紅葉時期には遠方からも紅葉を眺められるという。

イチョウの中でも紛れもなく珍樹と言えるだろう。


銀南木(いちょうのき)の子安イチョウ

青森県七戸(しちのへ)町銀南木にある雄株のイチョウは、地名の銀南木からも分かるように、イチョウの木と共に歩んできた集落である事を窺い知ることができる。



          「銀南木の子安(こやす)イチョウ」

横に伸びた大枝は自らの重さに耐えきれず、幹から剥がれ傾き、先端が地面に着いて新たに幹として立ち上がり、別の株として生長している。

秋には一面黄色いじゅうたんと化し、訪れる観光客を魅了している。

✿銀南木の子安イチョウ
県指定天然記念物

所在地=青森県上北郡七戸町銀南木19
銀南木農村公園


◉イチョウ関連ブログ
イチョウ葉の薬効 No,579
イチョウ「銀杏、公孫樹」No,178
銀杏(ギンナン)の実生で盆栽を作りたい。
No,66








2021/07/08

琴平町の大センダン No,520

 センダン センダン科

別名=オウチ  「栴檀」

センダンは、熱帯亜熱帯地域に自生する植物で、日本国内では四国以南、沖縄では本島北部の山林(ヤンバル)でよく見られる。

万葉の昔から古名の「オウチ」の名で親しまれている。

その昔、獄門のさらし首の木とし使われたこともあるという。

毒にも薬にもなるセンダンの実

秋に黄色く実るセンダンの実は、人や家畜が食べると中毒を起こして、最悪は死に至る毒とされるが、漢方ではひび、あかぎれ、しもやけ、整腸薬、鎮痛剤として利用される。

樹皮は虫下しとして利用され、葉は強い除虫効果を持つ。

葉以外は医薬品として指定されている。


琴平町の大センダン

香川県琴平町には、「讃岐(さぬき)のこんぴらさん」と呼ばれ、古くから海の守り神として知られる金刀比羅宮があり、参拝者で賑わってきました。

琴平町には、国の天然記念物の指定を受けた「センダン」の巨樹があります。


                    「琴平町の大センダン」

国指定天然記念物
樹齢約300年
所在地=香川県仲多度郡琴平町129


思うように進めず、迷い、困っている(難渋=なんじゅう)お遍路さんのために植えられたとも言われ、四国ではよく目にする樹です。

また、センダンは高知市のシンボルツリーとなっている。

高知城のセンダンの巨木は、高知城が焼失し、再建された1749年とほほ同じ年齢とされる。

樹幹全体を着生植物に被われ、272年余りの時代の流れを感じさせる。


高知城にある巨木の中でも一番の高さで25㍍に達する。

センダンの樹は板垣退助像の左横にあり、後方には高知城が見える。


現在では、国の天然記念物に指定されているのは、琴平町の大センダンの他に、野神の大センダンである。



                       「野神の大センダン」

台風の被害を受けたことで、これまでの樹形とは異なる姿となってしまった。

樹齢は400年以上

所在地=徳島県阿波市阿波町野神3番地1









2021/07/07

クリ 市野々の大栗 No,519

 クリ 「栗」ブナ科クリ属

別名=シバグリ

縄文時代より果実は重要な食料であった。

栗は人間が最も早く認識した植物と言えるだろう。

山野に普通に見られる自生する栗は「シバグリ」の名でも呼ばれている。

栽培種「タンバグリ」の大粒の栗に対して、果実が小さく半分以下であるのが自生種です。

材は、椎茸の原木や薪炭材に使われ、葉にはタンニンが含まれ、葉を煎じたものをかぶれなどの薬にする。


市野々(いちのの)の大栗

岩手県九戸郡軽米町の山林に「市野々の大栗」と呼ばれる山栗の巨木がある。

樹高15㍍、幹周り6.5㍍、推定樹齢674年。
「子孫長久」の木札が根本に置かれている。

大栗が生きる山林では、積もった雪が3月末に解けると大きな「ふき」が葉を広げる。

同町から80㌔ほど離れた三内丸山遺跡から出土した遺物から、縄文時代に柱や食料に栗を利用したことが分かっている。

発掘された土器から八千年から1万年前には軽米町に人が住み着いていたことが分かります。

縄文人も自生する「市野々の大栗」を大切に利用していた事だろう。

✿三内丸山遺跡は青森市三内丸山にある、縄文時代前期中期から中期末頃の、日本最大級の縄文大規模集落跡で、国の特別史跡に指定されている。

世界遺産登録


                     「市野々の大栗」

1993年(平成5年)町指定天然記念物
かつては日本一の栗の巨樹であったがその後、この樹を凌ぐ巨樹が発見された事により、その座を譲ることになった。

地元では「天狗様」と呼ばれ、神様の木として親しまれている。









2021/07/06

日本最大のイチイガシ No,518

 イチイガシ 「一位樫」

別名=イチガシ、ロガシ、イチイ

イチイガシはブナ科コナラ属の常緑高木

関東地方南部以西の太平洋側から九州の山地に生え、樹高30㍍直径1.5㍍程になる。

日本に育つ「カシ」の中では最も温暖な地を好むが、基本的には「シラカシ」などと同じような性質を持つ。

日本以外では済州島、台湾、中国に分布する。

「イチイガシ」という名前の由来には神聖な木を意味する「イチビカシ(最火樫)」が変化したものとする説があるが、詳細はわかっていない。

薪炭材や器具材として利用され、昔は船の櫓(ろ)に使われていた。

現在では、フローリングやパレット、パルプに利用されている。


左右知(そうち)のイチイガシ

天然記念物
九州の尾根、祖母傾(そぼかたむき)山系の北側に位置する大分県大野郡清川村左右知。

村を流れる奥嶽川の支流沿いに、古くから左右知の巨木と言われてきたイチイガシがある。

約54年前、この木を屋敷林としてきた2軒の農家がこの地を去り、その後、すっかり山林と化した谷あいに、老木は幹の空洞をさらしながらもしっかりと根を張って生存してきました。

荒れるに任せてきたこのイチイガシが脚光を浴びたのは、環境庁の全国巨樹調査でカシの日本一となってからで、村は歩道や橋を整備してきました。


このイチイガシは幹周り約12㍍、樹高約20㍍、推定樹齢千年以上とされ、幹は根から直径2㍍ほどの空洞になっていて、見上げれば青空が見える。

山の神を祀った祠の周りには、人が4〜5人も入れる広さがある。



所在地=大分県豊後大野市清川町左右知















2021/07/05

なんじゃもんじゃの木 No,517

 有馬のなんじゃもんじゃの木

樹種はハルニレ ニレ科  落葉高木

江戸時代、徳川家光の主治医であった半井蘆庵(なからいろあん)によって、国外から有馬村(現、神奈川県海老名市本郷)に移植されたと伝えられている。

この樹は太さ日本一の「ハルニレ」である。

「ハルニレ」は北東アジアなどに分布し、水分の多い場所を好み沢沿いや湿地などに生える。

春に花が咲くことからこの名があるが、「ニレ」の語源は樹皮を剥がすとヌルヌルする「滑(ぬ)れ」に由来するという。

当時、神奈川県下では見られない珍しい木で「よく分からない」事から「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれ親しまれてきた。


「木のろう」といういうものがいくつもある。

木のろうとは、樹木の幹や太い枝にできた洞窟状の空間で、樹皮が剥がれて内部が腐ったり、キツツキ類が巣穴を掘ったりすることによって形成されます。

主に広葉樹でできるが、大きなものは「がらんどう」とも呼ばれます。

直径が1メートルを超えるものや、樹齢を重ねた老木にはたいてい木のろうがある。

虫たちや動物が巣を作ったり、子育ての場所にしたりします。

フクロウが巣を作ったり、リスがどんぐりを蓄える倉庫に使ったりすることも知られています。

樹洞(じゅどう)=(洞=うろ)


有馬のなんじゃもんじゃ「ハルニレ」

県指定天然記念物1954年(昭和29年) 推定樹齢374年以上



   有馬のハルニレなんじゃもんじゃの木


「なんじゃもんじゃ」とは植物学的には特定の植物名ではなく、その地方でどんな種類の木なのか分からない場合に使われた呼び名である。

そのため、クスノキやカツラ、ニレなども「なんじゃもんじゃ」と呼ばれる場合がありますが、中でも代表格とされるのが「ヒトツバタゴ」です。

なんじゃもんじゃの木と呼ばれる植物は、全国に45箇所29種類があるとされ、明治神宮外苑の「ヒトツバタゴ」が有名なものとされている。

✿有馬のなんじゃもんじゃの木
所在地=神奈川県海老名市本郷上星谷
県道406号線沿い


ヒトツバタゴ

モクセイ科の落葉高木でヒトツバタゴ属の一種。

アジア東部と北アメリカにだけ知られる独特の属の植物で、日本産の種は対馬、犬山市、岐阜と長野の県境などごく限られた地域に自生し、また朝鮮半島や中国、台湾にも自生している。


ヒトツバタゴは自生のものは希少種としても知られ、レッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類に指定され、国指定、及び一部の県では天然記念物として指定されている樹もある。


栽培されているものは日本国内でも公園樹や庭木としても多く見られます。

一般的には「なんじゃもんじゃ」と言う名前の方が馴染み深い。

神社などに植えられている事が多く、明治神社外苑にかつてあった大木は有名で、大正13年に天然記念物に指定されたが、昭和8年に枯れてしまった。

現在ではこの樹の2代目、3代目が生育し、外苑の至る所で見る事ができる。

中部地方には数える程しか自生していないが、対馬ではこの花で山肌が真っ白く見えるほど群生している。


ヒトツバタゴを「なんじゃもんじゃ」として有名にしたのは、牧野富太郎植物記によると昔、江戸青山六道の辻、明治神宮外苑にあった木は名前が分からないので、何というものかが転化して「なんじゃもんじゃ」となったもので、青山六道の辻にあったことから「別名六道木」と呼ばれていた。


この場所は明治、大正の頃には青山の陸軍練兵場となり、一般人の立ち入りが禁止されていたが、この木が何なのかを確かめるために夜中に侵入して、この木の一枝を採取して調べた結果、ヒトツバタゴであったと植物記に書かれていた事による。



           「明治神宮外苑のヒトツバタゴ」

全国各地には、様々な樹種が“この木何の木?”なんじゃもんじゃ、、と呼ばれている。










2021/07/04

7月のバラ手入れ、管理 No,516

 7月のバラ手入れ

関東地方では7月上旬頃は梅雨の盛りですが、下旬には明けて猛暑が訪れます。

バラは咲き柄を摘んだ後の二番花が咲き始めます。




①咲き柄摘み

この時期は雨がちなので、二番花は長持ちしません。

放って置くと灰色かび病の温床になるので、こまめに摘み取るようにします。


②シュートの処理

中旬頃まではシュートの発生が盛んです。

時々、庭を見回って目につき次第シュートをピンチします。

遅れてほうき状に広がってしまったものは、下の2本の枝を残して上をせん定ばさみで切ります。

つるバラは6月同様の処理を行います。


③病害虫の防除

病気では引き続き黒点病の発生を見たら、サプロールなどを散布して拡がるのを防ぎます。

うどん粉病にも注意して、発生が止まらないようなら、治療薬を変えて交互使用します。

カミキリムシは上旬まで、ハダニは雨が続くとやや収まります。


④施肥

夏の元肥は梅雨が明けてから施します。

早すぎると夏のせん定前に効いてきて株が茂り過ぎたり、秋の生育期に養分を浪費してしまうことになります。

鉢植えには置き肥と液肥を続けます。


⑤水やり

梅雨が明けても庭植えのものには不要です。

鉢植えは、梅雨明け後からほとんど毎日水やりする事になります。

一日一回で間に合わないようなら、鉢を大きなものに替える必要があります。








2021/07/03

早川のバクチノキ(ビランジュ) No,515

 早川のバクチノキ 

バラ科サクラ属

別名=ビランジュ「 博打の木」

「早川のビランジュ」となっているが、ビランジュとはバクチノキの別名である。

バクチノキは、関東地方以西の暖帯で海辺に近い所に自生がある常緑高木です。

早川のバクチノキの巨樹は急な斜面に生育していて、通常、生長する幹の径は30〜50cmと言われていますが、早川のバクチノキは1㍍を超え、また樹高は約20㍍に達している。


バクチノキは生長につれて灰褐色の外皮が剥がれ、赤橙色になることが大きな特徴である。

博打打ちが賭けに負けて身ぐるみを剥がされ、丸裸になった様子に例えて名付けられたと言われている。

花は9月頃に、新しく伸びた枝の葉腋から長さ3cm程の総状花序を出し、白い小さな花を多数つけます。

果実は長さ2cm程の長楕円形で翌年の初夏(5月頃)に黒く熟します。




周辺にも大木になる可能性のあるバクチノキが自生している。

やや窪みのある地形で生育している事から、台風の影響も少ないと考えられ、長寿を保っているようである。

類似種には、樹皮が剥がれても赤橙色にならない小高木の「セイヨウバクチノキ」がある。

セイヨウバクチノキは花が4月頃に咲き、葉の色が淡色である。


バクチノキは庭木としては余り利用されていない樹種ですが、樹皮の様子を眺められる配植をすれば利用できます。

赤橙色の樹皮を見せるようになるには、概ね10年以上の年月が必要です。


枝が横に広がるので、植栽間隔にゆとりを持たせることが大切です。

自然樹形を基本にし、絡み枝や徒長枝、逆さ枝などの不要枝のせん定が基本になります。

セイヨウバクチノキは、枝葉が多く刈り込んで樹形を整えることもできます。


早川のバクチノキ(ビランジュ)



国指定天然記念物(大正13年12月9日)

所在地=神奈川県小田原市早川
飛乱地(びらんち)








2021/07/02

アジサイのうどん粉病 No,514

 アジサイのうどん粉病

葉身、花(がく片)、新梢に発生する。

はじめ葉身表面に灰白色ないし白色粉状の薄い菌叢(きんそう、菌の集まり)が小円斑状に散生するが、次第に拡大するとともにお互いに癒合しやがて、葉面全体を覆うようになる。

古い病斑は、雨水に洗われて菌の集まりがまばらになり暗紫色になる。

新梢が侵されると、その後に展開する病葉は萎縮することがある。

発病が激しい場合には、病葉の黄化が進み落葉も早まる。


                  「アジサイのうどん粉病」


梅雨期頃に発生が激しいが、盛夏には一旦消滅するが秋に再び発生する。

秋には白色菌叢上に点々と子のう殻(微小黒粒状物)を形成することがある。

病原菌は子のう菌類に属するうどんこ菌(糸状菌)の一種であるが、完全世代が確認されていない。

病原菌の他に、野生のアジサイ属植物に寄生するうどん粉病菌3種が記録されている。

病原菌の越冬及び第一次伝染源は未詳であるが、生育期においては病葉身上に生じた分生子が飛散して、伝播を繰り返すことに違いはない。


この病気は、施設栽培の鉢物では問題となることが多いが、露地では白粉状の菌叢が目立っても、薬剤防除を必要とする程激しく蔓延しない。


防除法

毎年発生して薬剤防除を必要とする場合は、新葉展開期から秋にかけてキノキサリン系剤、チオファネートメチル剤、トリホリン剤、フェナリモン剤、ミルディオマイシン剤などを用い、月に1〜2回散布して蔓延防止を図る。

また、秋には病葉落葉を集めて処分する事が伝染源の低減に有効となる。









2021/07/01

サルスベリのうどん粉病 No,513

 サルスベリのうどん粉病

新梢や葉、つぼみに小麦粉をまぶしたような白いカビが生え、被害が進むと全体がカビで被われる。

カビが原因で発生する主要病害で、サルスベリ以外の植物にも多く発生します。

一般に夏の高温期を除き、初夏や秋口に雨が少なく雨天が続く、比較的冷涼でしかも乾燥すると発生します。

肥料のやり過ぎで枝葉が茂り過ぎたり、密植して日当たりや風通しが悪いと発生が促されます。

発病した葉の上にできる胞子が風で飛散し、周囲に伝染するのが一般的です。






一度発生すると連年発生が続き、多発生が続くと生育が阻害されて、次第に衰弱し、貧弱な樹となります。

病原菌は病葉上に形成される子のう殻や、枝上の芽の組織内に潜伏した菌糸の状態で越冬して、翌春の第一次伝染源となり、新葉展開期以降に子のう胞子及び分生子を飛散し、秋期に至るまで二次伝播を繰り返します。


防除法

被害部位や発病した落ち葉は、早めに取り除いて伝染源を断ちます。

密植を避け、枝葉が茂り過ぎる場合はせん定して日当たりや風通しを良くします。

チッ素肥料を一度に与え過ぎると発生しやすいので施肥には注意します。

チッ素肥料

硫酸アンモニア、硝酸アンモニア、尿素
石灰窒素、硝酸ソーダ、硝酸石灰、IBチッ素など

植物が吸収利用するチッ素の形態は、大部分がアンモニア性及び硝酸性である。

そのため、チッ素肥料はアンモニア性か硝酸性、または、土壌中でアンモニア性チッ素に変化しやすい化学形態を持っている。


薬剤による防除

生育初期からマンネブ剤、ジネブ剤、
キノキサリン系剤、チオファネートメチル剤、ベノミル剤、トリホリン剤、ミルディオマイシン剤などを用い、特に発生初期を重点に月に2回程度散布してまん延防止を図る。