緑のお医者の徒然植物記

Translate

緑のお医者の徒然植物記

検索結果

2024/09/30

生け垣に適した樹種の条件 No,725

 生け垣に使用する樹種の

一般的条件

せん定、刈り込みに強く萌芽力が強い

長い年数が経過して樹の幅が広くなり過ぎたり、樹が高くなり過ぎた生け垣は、かなり強いせん定を行って樹形を保つ必要があります。


生け垣にする樹種は、強いせん定、刈り込みをしても樹勢が衰えず、すぐに芽生える強い萌芽力を持っていることが重要です。

特に、強い刈り込みに耐える樹種としては、カヤ、ウツギ、カシ類、カナメモチ
シイ、マサキ、ピラカンサス
ドウダンツツジ、サンゴジュなどがあります。

逆に、自然風の生け垣にしてあまり強く刈り込まない樹種には、カイヅカイブキ
コウヤマキ、コノテガシワ、モッコク
ヒイラギナンテン、ジンチョウゲなどがあります。


枝葉が密生しやすく、下枝が枯れにくい

目隠しとしての役割を持つ外生け垣には、枝葉が密集する樹種が適しています。

一般に、樹木は頂部優勢性であるため、樹冠の樹勢が強く、下枝は弱い傾向にあります。

生け垣では、日照や通風なども一般の庭木より厳しい生育条件下に晒されます。

そのため、生け垣には下枝の枯れ上がりが少ない樹種を選ぶ必要がありますが、基本的に強いせん定に耐えられる樹種は条件を満たしています。


カラタチ、サワラ、スギなど、生長の早い樹種も枝葉が早く生い茂るので、下枝の枯れ込みが少なくなります。


下枝が枯れにくい、又は生長が早い樹種

ウツギ、カラタチ、サワラ、スギ、マサキ
ネズミモチ、ピラカンサス、ポプラなど


病虫害が少なく管理しやすいこと

庭木全般に当てはまることは、病虫害の発生しやすい樹種は管理の面で負担が大きいことです。

特に、刈り込み整形垣で病虫害が発生すると、一般の単植の樹木より被害が拡大しやすいので注意が必要です。

マサキは、ウドンコ病やアブラムシによるスス病が比較的発生しやすいので、注意が必要です。

しかし、その他の条件が非常に優れているなめ、実際にはよく生け垣に使用されています。

マサキは、強い刈り込みや萌芽力、枝を切断された後の芽吹きが強く、この特性が生け垣に向いているとされています。

生け垣によく使われる常緑樹は、病虫害に比較的強いが、花木はアブラムシ、グンバイムシなどがつくものもあるので注意が必要です。

また、丈夫な樹種でも日照や通風などの条件が悪い生け垣では、常に病虫害に対する注意が必要となります。


寒さや日陰に強く、比較的土質を選ばない

生け垣は日陰になることが多くなります。

生け垣のすぐ脇には、主木となる庭木を植えることが多いため、中高木や高木によって日陰を作ってしまう原因となります。

日陰になっている時間が長いと、気温も上がりにくくなるので、寒さや相当の日陰にも耐える樹種を選ぶ必要があります。


更に、土質に対しても比較的条件を選ばず、よく育つタイプの樹種が適しています。

特に日陰に強い樹種

アオキ、アスナロ、イチイ、カヤ
クチナシ、コウヤマキ、サカキ
シキミなど


湿地に強い樹種

イヌマキ、サンゴジュ、ハルニレ
マサキ、ハンノキなど


海岸地に強い樹種

イヌマキ、カイヅカイブキ、サンゴジュ
シャリンバイ、トベラ、マサキなど


日本全国で幅広く使われてる樹種

イヌツゲ、マサキなど

北海道を除く日本各地で使われている樹種

コノテガシワ、サワラ、スギ、ヒノキ
ヒバ、カラタチ、バラ、ムクゲなど


主に東北地方、関東地方で使われている樹種

アスナロ、ヒムロ、ドウダンツツジ
クコ、レンギョウなど


主に関東地方以南の地方で使われている樹種

カシ類、カイヅカイブキ、カナメモチ
クチナシ、サンゴジュ、サザンカ
ツバキ、ツツジ類、チャ、ピラカンサス
モチノキ、キョウチクトウ(有毒)など


主に九州地方以南で使われている樹種

ホクオウチク、ホウライチク、カンチクなど









2024/09/28

生け垣づくり④ No,724

 樹種または植え方による分類

重層垣(二、三段垣)

樹の高い生け垣と、低い生け垣を組み合わせたものです。

仕立て方は、整形刈り込み垣または自然風垣同士で合わせたり、整形刈り込みと自然風を組み合わせる場合など、様々なパターンがあります。

高さのある生け垣の前面に低い生け垣を作ることで、高さのある樹木の足元(根元)を隠すことができます。

特に、敷地と道路との高低差がある場合は、目隠し効果が増し見栄えも良くなり、下枝が少なくなりやすい樹木に最適です。


しかし、重層垣を作る場合は、生け垣の幅にかなりの場所を取るので、敷地の広さに余裕が必要です。


混ぜ垣

複数の樹種を混植して作った生け垣です。

重層垣も混ぜ垣の部類に入りますが、異なる樹種を玉ものなどの同じ形に仕立てて、これを列植したもの、整形刈り込みで高さを変えたものなどがあります。


混ぜ垣を作るときのポイントは、生長の速度や枝葉の張り出し方などの性質が異なる樹種を組み合わせると、生長していくにつれて樹形が大きく乱れたり、その後の管理が複雑になるので注意が必要です。


花垣

花木を使った生け垣で、開花期には花のある美しい風情を楽しむことができます。

花垣にする樹種は、花つきがよく、強いせん定にも比較的耐えられるものを選ぶ必要があります。

一般には、ツバキ、サザンカ、クチナシなどがよく利用されています。

また、ウメモドキなどの実のなる樹種で生け垣に使われたものもあり、これらも含めて花垣と呼びます。

生け垣にできる主な花木
アジサイ、アセビ、オウバイ、カイドウ
キョウチクトウ、クチナシ、コデマリ
サザンカ、サツキ、ジンチョウゲ
シモツケ、ツツジ、ハギ、バラ
ヒイラギナンテン、ヤマブキ
レンギョウなど


生け垣にできる主な実ものの花木
ウメモドキ、ナンテン、ピラカンサス
メギ、ニシキギなど


注意が必要な毒性樹種
キョウチクトウは花、葉、枝、根などすべての部分に、青酸カリよりも毒性が強いと言われる「オレアンドリン」という有毒物を含んでいます。

口に入れると死に至ることもあるほど、危険な植物であるため、注意が必要です。


キョウチクトウによる死亡事故
1975年にフランスで、バーベキューをしていた7人の男女が、死亡するという事故が起きている。

また、1980年には、千葉県の農場で牛に与える飼料の中にキョウチクトウの葉が混入した。

この飼料を食べた乳牛20頭が中毒を起こし、そのうちの9頭が死亡しました。

混入した牛1頭当たりの量は、乾いたキョウチクトウの葉、約0.5g程度だったとされている。


アセビの毒性
(グラヤノトキシン、クエルセチン)
アセビには、葉や茎、花、枝、根のすべてに毒性があり、摂取すると中毒症状を引き起こします。

アセビの毒性は、馬が葉を食べると酔ったようにふらつくことから、「馬酔木」という名が付けられました。

人にも有害で、摂取すると下痢や嘔吐、腹痛、痙攣、麻痺など様々な症状を引き起こす可能性があります。

野生動物もアセビは決して口にすることはありません。


つる垣

つる性の植物を利用した生け垣で、金網のフェンスや竹を縦横に組んだ四つ目垣などに絡ませ、柔らかい風情を出します。

常緑性のものでは、テイカカヅラ、ムベなど

落葉性のものではツルウメモドキ、ノウゼンカズラなどがつる垣によく利用されています。

注意が必要なつる性の毒性植物
テイカカヅラは、キョウチクトウ科の植物で有毒植物です。

葉や枝など全体的に毒性を持っているので、利用の際は注意が必要な植物です。

日本では古来から自生していた植物で、古くは「マサキノカズラ」と呼ばれたつる性の木本です。

✿木本(もくほん)とは、地上に出ている茎が二次成長で太り続け長い間存続する植物で、普通に言う「木」のことです。









2024/09/26

生け垣づくり③ No,723

形状による分類

整形刈り込み垣

外生け垣に最も多く見られる、生け垣全体をひとつの造形として、整然と刈り込んだ生け垣です。


刈り込み後は細かい枝葉が密集するので、とても美しい印象を与えます。

形は長方形にするのが最も一般的ですが、その他にも円形、列植、盃形、三角形、紡錘形(ぼうすいけい)、台形など様々な生け垣の形があります。


自然風垣(自然形垣)

列植した樹木を1本ずつ整形した生け垣で、整形刈り込み垣のように全体を、平面に切り揃えることはありません。


1本ずつの樹形は使用する樹種によって自然形、円錐形、円筒形、散らし玉などに仕立てます。

実際には人工的な樹形になりますが、一本一本の樹木をそのまま使うと言う意味で、整形刈り込み垣に対して「自然風」と名付けられています。


樹と樹のすき間が、大きく開かないように注意して配列するのがポイントです。









2024/09/25

生け垣づくり② No,722

 作る場所による分類

外生け垣

外生け垣は家の外周に作る生け垣ですが、単純に「外垣」とも呼びます。

通常は侵入防止や目隠しが目的で、人の視線を遮る「1.5〜2㍍」程度の高さのものが一般的です。

ただし、防風や防火を目的とした生け垣は、通常「5〜6㍍」以上の高い生け垣にします。

厳密な高さの規定があるわけではありませんが、一般に3㍍以上のものを「高生け垣」1㍍前後以下のものを「低生け垣」と言います。


通常の高さの生け垣は、高生け垣や低生け垣に対比する場合は「普通垣」と呼ぶこともあります。


   「高さによる生け垣の呼称」


また、侵入防止のために作る生け垣を「バリヤー」と呼び、トゲがあったり人や動物を寄せ付けいほど、枝葉が密生して丈夫な生け垣を作る事が出来る樹種を利用します。

和風ではカラタチ、洋風ではクリスマス装飾でよく使われるヒイラギの仲間の、クリスマスホーリー(セイヨウヒイラギ)などが代表的樹種です。


高生け垣によく使われる樹種

一般的な生け垣に適した樹高3〜5㍍程度のもの

イヌマキ、サンゴジュ、ツバキなど


防火、防風目的で使用する樹高3〜7㍍程度のもの

カシ類、スギ、ヒノキ、シイ類など


景観と防風などの実用を兼ねる樹高5〜8㍍のもの

クロマツ、アカマツなど


低生け垣によく使われる樹種

タマイブキ、サツキ、ツツジ類
イヌツゲ、ジンチョウゲ、レンギョウなど


バリヤーによく使われる樹種

カラタチ、ピラカンサス、ヒイラギ
クリスマスホーリー、ホンツゲ
キャラボクなど

内生け垣

内生け垣は庭の内部に作る生け垣で、単純に「内垣」とも呼びます。

内生け垣の多くは、比較的広い庭で雰囲気の異なるスペースを区分けする場合に作ります。

一般家庭の庭では、景観を考えたとき、他の庭木を楽しむ際の障害になったり、存在感が薄れないように「50㌢〜1㍍」ほどの低生け垣にすることが多く、高くても1.5㍍程度に高さを抑えるのが通例です。

内生け垣によく使われる樹種

ジンチョウゲ、イヌツゲ、チャ
ハイビャクシン、サツキ、ツツジ
カナメモチなど










2024/09/24

生け垣づくり① No,721

 生け垣づくり

生け垣とは、植物を使った囲いや仕切りのことで、文字通り「生きている」垣根のことを言います。

生け垣に対して無表情なブロック塀やコンクリート塀などは「死に垣」と言われる。

生け垣は、四季折々の葉色の変化で楽しめるほか、花木を使った生け垣は開花時の美しさを楽しむこともできます。

更に、通風や通気性が優れていることや、地震による倒壊に対する安全面も注目されています。

開放感を保ちながら境界を仕切る効果もあり、敷地面積の狭い家でこそ生け垣をする利点は多いと言えます。

生け垣の種類

生け垣は、その目的によって使う樹種や作る形が異なります。

最も一般的なのは、隣家や道路との境界を囲い、外部からの目隠しとして使用するものです。

その他に、日陰を作るため、防風や防火を考えた生け垣など、主に外部からの侵入を防止する役目として、トゲのある樹種を用いる生け垣など、目的ごとに適した樹種わ形状があります。

美観と実用の両面で使う樹種を選ぶようにします。










2024/09/22

全く日の当たらない場所での植樹 No.720

 日光が当たらない場所の植樹

植樹の場所としては狭く、家の軒下やその陰になったり、日が当たらない場所でも植木を楽しむことができます。

家の北側など日が当たらない場所では、庭木を植える事は不可能に思えますが、日陰の原因である軒よりも高い木を植えると、葉に日光が当たるので生長することができます。


  「日の当たらない場所での植樹」


この場合、部屋の窓からは主に幹を眺めることになるので、木肌が美しいシャラやヒメシャラなどの高木が適しています。あ

ただし、小さな苗木から育てることは困難なので、1㍍前後の高さの樹木を利用する必要があります。


      「ナツツバキ」

✿シャラは一般的に「シャラノキ」と呼ばれることが多いナツツバキのことで、夏にツバキのような花を咲かせるのでこの名がある。

山地に生え、高さが15㍍程になる落葉高木で、樹皮は古くなるとまだらに剥げ落ちる特徴があります。

他には、樹木を鉢植えにして時々移動して日に当てることもできます。

また、狭い場所では樹木だけではなく、庭石やその他のアクセサリーを置いて、景色に変化をつけるという方法もあります。

鉢植えの樹木を北向きの部屋の中で育てる場合、洋風の観葉植物や陰樹を置くことが多くありますが、時々外気に触れる機会を与えるようにすることが大切です。

日は当たらなくても窓際に配置することが重要です。










2024/09/21

庭木のトラブルと対策② No,719

 花がつかない時の原因と対策


①日照不足

花木の大半は初春から晩夏までに開花します。

花木の花芽分化期は概ね4月から9月ですが、生長期に当たるこの時期は、樹木の活動が最も活発な時です。

日光を十分に浴びた葉が光合成を行い、樹幹内に栄養を蓄え、その栄養分が芽に集まり花芽を形成します。

この生長期間に日照が不足すると、花芽分化に必要な栄養分が不足して花芽がつかなくなります。

対策として、こまめなせん定で茂り過ぎた込み枝を整理し、樹の中の葉までよく日光が当たるようにすることです。


また、樹木が日陰になるときは、日陰になる原因を解決することも大切です。

日陰になることを避けられない場合は、移植する事も考える必要があります。


②土壌の養分過多

樹木の生育には、土壌の養分が豊富であることは大事なことですが、多過ぎても花が咲かない原因になります。

元気の良い若木に花芽がつかないのは、大半の養分を幹や枝葉の生育に使われるためです。

成木(生り木)でもある程度の年数が経ち、樹勢が落ち着くまでは栄養過多が原因で、花芽がつきにくくなることがあります。

チッ素系の肥料が効き過ぎると、養分が幹や枝の生長に回り、肝心の「花芽」が育たない全部が「葉芽」になる場合があります。


油かすや鶏ふんなどのチッ素系肥料の投与を控え、チッ素成分が少ない化成肥料を与えるようにします。

✼主なチッ素肥料
硫酸アンモニア、過リン酸石灰
尿素、石灰チッ素

✼主なチッ素の多い有機肥料
油かす、魚かす、鶏ふん、骨粉


また、チッ素は土壌有機物や堆肥にも多く含まれていて、地力チッ素として年々蓄積していきます。


土壌有機物とは、土壌中に存在する有機物で、主に植物残渣や動物残渣、微生物による溶解等によって生成される黒色の腐植物質のことで、「腐植=ふしょく」とも呼ばれる。

✼植物残渣(ざんさ)とは、植物の収穫後に残る茎や葉、つる、根などの残骸物を指します。

作物栽培地では作物残渣とも呼ばれます。


根の張り具合が良すぎても養分過多になることがあります。

この場合は、株元から少し離れた周辺にスコップ等を入れて断根すると効果的です。

更に、土壌水分が豊富過ぎても養分過多の原因になります。

花芽がつきにくい場合は、断根などで根の活動を調整する必要があります。


③土壌の養分不足

養分の不足で新芽が伸びないか、伸びても弱々しいと花芽はつきません。

原因は、肥料不足や土壌乾燥、日焼けによる葉の衰弱や前年に多くの実をつけ過ぎたことなどがあります。

施肥と土壌管理に加え、日頃の樹木の健康管理が栄養不足を防ぐポイントになります。

また、鉢植えの樹木は根が鉢いっぱいに広がって根詰まりを起こして、栄養不足になることがあるので、一回り大きな鉢に植え替える必要があります。


④せん定によるミス

花後せん定を正しい時期に行わないと、花芽を切ってしまいます。

特に、春から夏にかけて咲く花木の大半は、開花とほぼ同時に新芽が伸びるので、花後せん定の時期がずれると、花芽分化が終わっているので注意が必要です。


⑤病虫害による衰弱

花芽分化期に病虫害が発生すると、葉が弱って栄養不足になったり、花芽そのものを食べられたりして花が咲かない原因になります。

適切な予防と早期発見や駆除が重要となります。

また、燃焼等に伴い発生する「煤煙=ばいえん」などの公害や、海岸地の潮風によるの衰弱も花芽をつけない原因になります。

早めに防煙、防風対策、移植や幹巻きなどの保護を行うことが大切です。









2024/09/20

庭木のトラブルと対策① No,718

 植木がよく育たない、枯れる

庭に植えた樹木がよく育たない、枯れてくるという場合は、主に4つの原因が考えられます。

①栽培環境の不適
樹種が庭の環境に適していない。

樹木は、基本的には環境の変化に対する適応力がありますが、高山性の植物を平地で育てたり、暖地性のものを寒地で育てたりする場合などは特に注意が必要です。

花木に比較的このようなケースが多く見られます。

それぞれの樹種に合った温度、乾燥に対する適性、空気の汚れや土壌などを調べて、植える樹種を選ぶことが大切です。

すでに植えているものは、できるだけ自生地の環境に近づくように、管理する必要があります。


②肥料の与え過ぎ、石灰の与え過ぎ
速効性の肥料を一度にたくさん与え過ぎると、葉が黄色く変色したり、ひどい場合は徐々に枯れてくる場合があります。

✿速効性のある主な肥料として
硫酸アンモニア、硝酸アンモニア
石灰窒素、IB窒素、過リン酸石灰
熔成リン肥、塩化ナトリウム
魚かす、他、やや速効性の尿素(ウレア)などがあります。

シャクナゲ、ツツジ、サツキなどの根が細い浅根性(せんこんせい)の樹種の場合は特に注意が必要です。


また、ツツジやサツキ、カルミアなど微酸性を好む樹種は、土壌改良に使う石灰(アルカリ性)を嫌います。

基本的には、これらの樹種を植える用土に石灰を与えると、速効性肥料の与え過ぎと同様の症状を起こすことになります。


③土の中の害虫
土の中で害虫に冒(おか)されているのが原因で、樹勢が弱ってくることがあります。

コガネムシの幼虫は、放っておくと重要な細根を全部食べてしまうので要注意です。

例えば、鉢植えで引っ張っただけで抵抗なく植木が抜けてしまう場合は、コガネムシによる根の食害が考えられます。

ひどい場合は、一見健康そうな樹木が強い風が吹いただけで、倒れてしまうこともあります。

イヌマキ、ネムノキ、サクラなどはコガネムシの成虫がよく集まり、産卵するので注意が必要です。

その他の樹種でも近くにコガネムシを見つけたら、幹の周辺にダイアジノン粒剤やオルトラン粒剤などを撒いて防除します。

防除は、産卵期の6月下旬から7月にかけて行うと効果的です。

また、同じ場所に同一種の樹木を繰り返し植え付けていると、これも細根を食い荒らすネグサレセンチュウが発生しやすくなるので注意が必要です。


その他に、幹に穴を開け樹幹内に入るテッポウムシ(カミキリムシの幼虫)にも注意が必要です。

はじめは樹皮の近くを食べていますが、次第に中の方に侵入して、幹の中まで食い荒らして大木を枯らしてしまうこともあります。

幹の株元表面に白い粉状のフンが見えたら、テッポウムシに食害されている証拠です。

食い入った穴を見つけたら、針金を中に突き刺して殺すか、オルトランなどな殺虫剤をスポイトで穴に注入して、入口を粘土などで塞ぎます。

卵が孵化する7月頃が処置の適期です。


④下層の土の状態が悪い
都会の庭などでは、土の下層全面にコンクリートの破片が混じっていたり、砂利混じりの土を埋めて突き固めている場合があります。


このような場合は、根の部分が乾燥しやすく、葉が黄色くなる原因になります。

幹周りに敷きワラをしたり、水やりの回数を増やして乾燥しないようにします。

逆に、水田を埋め立てた住宅地やコンクリート、アスファルトで固めた地盤に土を覆った住宅地では、水はけが悪くなり、根腐れなどを起こしやすくなります。


コンクリートが下層にある地盤では、根が必要以上に下まで伸びきれず、生育不良になることもあります。

このような場合は、排水溝を設けて水はけを良くしたり、太い鉄棒などを数箇所に打ち込んで、コンクリートの盤層を破って根が入り込めるようにする必要があります。









2024/09/18

樹木の移植(4) No,717

 断根法による根回し

断根法による根回しは、育成中の苗木等に適用され、適当な鉢の大きさを考えながら根元の周囲に、エンピやスコップ等を突き刺して、土中の根を切断する方法です。

    「断根法による根回し」

溝堀法による根回し

溝堀法は、樹木の根元を掘り下げて、そこに現れた根を切断する方法です。

この時、一度にすべての根を切ってしまうと風で倒れたり、水分の吸収量が不足して枯れてしまう事があります。


太根を3〜4本ほど残して、その根の皮だけを10㌢前後の区間を剥ぎ取っておくようにします。

この処置を「環状剥皮=かんじょうはくひ」といいますが、こうすることによって養水分の吸収能力が損なわれることもなく、風で倒れることもありません。


      「環状剥皮」


やがて剥ぎ取った部分や切断された根から、新しく細根が多数発生して、移植しやすい状態になります。


「埋め戻しておくと細根が発生する」

根回しを行う時の鉢の大きさは、移植を行うときの鉢の大きさに比べて、少し小さめにしておく必要があります。

鉢の大きさの基準として、根元直径の4〜5倍の直径とする。


これは移植を行うときの鉢の大きさの範囲に、根回しを行った後で生じた細根が、鉢の中に納まるようにするためです。


根回しを行うと、根が切られるため樹木の水分吸収量は一時的に減少します。

従って、地上部の蒸散作用とのバランスをとるために、枝葉をせん定して水分の蒸散量を抑えます。

大木では、移植した時と同じように幹巻きをして支柱を施すのが安全です。


その後、掘り起こした土を埋め戻してよく灌水(かんすい)しておきます。

埋め戻しを行う際、堆肥などを切断した根に接して与えておくと、細根の発生が促進されます。


根回しを行った樹木は、新たに植え付けた樹木と同じように時々見回って、乾燥しているようであれば灌水する必要があります。









2024/09/17

樹木の移植(3) No,716

 樹木の根回し

普通根回しは、移植6ヶ月から1年くらい前に行いますが、新根の発生量は樹木の休眠期よりも生長期の方が旺盛です。

大切な老木などでは、根元を半周ずつ2年から3年にわたって根回しを行うこともありますが、根の再生力の強い樹種では、移植の1ヶ月前に根回しを行っても、その効果が大きい場合があります。


造園では、細根が少なくて移植のために、根回しをする必要のある状態の根を「根が荒れている」といいます。

一般に若木で生育の盛んな樹は、根の荒れ方が早く、前回の移植からまだ期間が短くても根回しを行った方が良い。

老木は根の荒れ方が遅いとされる。

前回の植え付け後、根が荒れて再移植のために根回しをしないと危険な植物の目安


❉植え付け後、2年以上経過で根回ししないと危険な植物

常緑樹=ピラカンサ、コトネアスター
落葉樹=サンショウ、カラマツ

1年以上経過で、なるべく根回しした方が良い。


✼植え付け後、3年以上経過で根回ししないと危険な植物

常緑樹=ジンチョウゲ、シャリンバイ
チャイニーズホーリー、トベラ
クチナシ、ウバメガシ、オオカナメモチ

2年以上経過で根回しした方が良い


✼植え付け後、4年以上経過で根回ししないと危険な植物

常緑樹=タイサンボク、キャラボク
オガタマノキ、クスノキ、タブノキ

落葉樹=カキ

3年以上経過で根回しした方が良い

クスノキ、タブノキ等の枝をすべて切り落とし、寸胴で移植する場合は根回しは不要

✼植え付け後、8年以上経過で根回ししないと危険な植物

常緑樹=ツバキ、サザンカ、モチノキ
モッコク、マテバシイ、ヒイラギ
クロガネモチ、カナメモチ
ゲッケイジュ、シイノキ

常緑樹=ハナミズキ、ヤマボウシ
ナツツバキ

4年以上経過でなるべく根回しした方が良い

✼植え付け後、10年〜15年以上経過で根回ししないと危険な植物

針葉樹=ヒマラヤスギ、スギ
コウヤマキ、ヒノキ、クロマツ、アカマツ
カイズカイブキ

常緑樹=モクセイ

4年以上経過でなるべく根回しした方が良い

クロマツ、アカマツ、カイズカイブキ、サルスベリは、5年以上経過でなるべく根回しした方が良い


サツキ、ツツジ類、マサキ、ニシキギ
アベリア、マユミ、ドウダンツツジなどは細根が極めて多く、根の再生力も強いため常に根回しを必要としない。


関東ローム層に生えているクロマツも、適期に適切に移植を行えば、通常は根回しを必要としません。

イチョウ、プラタナス、メタセコイアなどは、根の再生力強い樹種なので適期に適切に移植を行えば、普通は根回しを行わなくても安全です。

また、針葉樹は、広葉樹に比べて一度根回しを行ったものは、根が荒れにくい性質があります。









2024/09/16

樹木の移植(2) No,715

 移植の時期

移植の時期は常緑樹であるか落葉樹か、あるいは地域などによって異なります。

落葉樹では、一般に12月から1月の厳寒期を除く休眠期間(落葉期間)が適期とされますが、その中でも初春の萌芽前が最適期です。

やむを得ず、入梅期(6月〜7月)などの生長期間中に移植する場合は、地上部の葉をすべて取り除いて、蒸散作用を抑制するようにします。


常緑広葉樹は、3月頃から秋までの期間のうちで、新芽が伸長しつつある時期と、一番暑い真夏の頃を除いた時期が、移植の適期です。

そのうち初春の萌芽前、または梅雨期が最適期です。

常緑針葉樹は樹種によって異なりますが、2月下旬から4月までの萌芽前が最適期で、10月から11月の秋期も適期とされています。


北海道などの寒冷地ではすべての樹種において、雪解けから1ヶ月くらいの短い初春の時期が最適期となり、また、9月から10月の間にも樹種によっては移植可能なものがあります。

熱帯地方が原産のものは、一般に真夏に移植する方が活着率が高い傾向にあります。


また、何回も移植して細根がよく発達しているものや、鉢植えにされているものを鉢から抜いて、そのまま露地に植え替えるような場合には、地域に関わらず必ずしも適期に移植しなくてもよく活着します。









2024/09/15

樹木の移植(1) No.714

 移植とは

樹木の根は、しっかりと地上部を支えるように直根=主根が発達し、表土など地中のなるべく広い範囲から養水分を吸収できるように、側根が伸びているのが理想です。


樹木を移植する場合は、側根が伸びていることよりも幹の周りのなるべく主幹に近い範囲に、細い根が多く生じているが好ましい。

このような根を持った状態の樹は、植え替えても枯れたり、樹勢が衰えたりすることがありません。

造園樹木では、細い根が多くある樹木が好まれます。

長年同じ場所に植えられていた樹木は、根が長く伸びていて、株の根元近くに細根が発達していません。


このような状態の樹木をいきなり移植すると、移植のために掘り取りする際、細根の大部分は切り取られてしまいます。

従って、植え付け後に水分の吸収ができないために、枯れてしまうことが少なくありません。

このような事が起こさないために、移植の数ヶ月から1年くらい前にあらかじめ根元近くで太い側根を切断、もしくは環状剥離をして再び埋め戻し、株元近くに多くの細根を新たに発生させる処置を行います。

この作業を「根回し」といいます。


✼移植後に樹木が枯れる

移植によって樹木が枯死する主な原因は、堀り取る際に樹木の細根が著しく減少して、水分や養分の吸収が困難になりますが、それにも関わらず葉面から水分が蒸散し続けるために、植物体内の水分のバランスが保たれないと言う理由からです。


移植した樹木を活着させるためには、バランスを崩さないように処置をすることです。

一方で、もともと移植が容易な樹種もあります。

サツキやツツジ類のように、根元近くに細根が多く発生する性質があるものは、根を切られてもすぐに再生するという性質を持っています。

また若い苗木は、側根がまだ遠くまで伸びていないので、移植に際して切断される根が少なくすみ、若木の活力も手伝って移植は一般に容易と言えます。

葉面からの水分の蒸散を抑えれば良いので、移植時に枝葉をせん定して葉数を減らしたり、蒸散抑制剤を散布することで活着率を高めると言う効果もあります。


場合によっては、移植時にほとんどの葉を取り除いても、活着すれば再生することができます。

移植によって相当弱った樹木でも、活着する見込みがある場合には、葉柄の根元に「離層」が形成されて、樹木が自ら古葉を落としてしまいます。

✫離層(りそう)とは、葉が落ちる前に葉柄に生じる特殊な細胞層のこと

この状態を「とやする」といいますが、移植後葉が枯れる場合でも、離層が形成されて自然落葉するときには、活着する前兆と判断する目安になります。

樹種によってはクスノキのように、ある程度(目通り30㌢)の太さに生長したものの方が、細い苗木の時よりも移植が容易なこともあります。

これは、樹幹内に水分を蓄える性質があって、幹が太いほど含有水分が多くなったり、生長するにつれて移植に対する抵抗力が増すためと考えられています。









2024/09/13

コガネムシ類によるマキノキの被害 No.714

 2024年異常繁殖のコガネムシ類

今年はコガネムシ類が異常繁殖している。

2日間で140匹ほど捕殺駆除しました。


    「食害されたマキの葉」


  「スミチオン液の中に入れ駆除」


コガネムシ類は小型から中型の甲虫で、夕暮れ後しばらくした頃から植物に飛来して、葉や花などを食害する厄介な害虫です。

葉脈を残して網の目状に食害するのが特徴、雑食性で各種の樹木の葉を食い荒らすことから、庭園の害虫としても極めて重要な害虫とされます。

成虫は7月頃から、土中浅くに十数個の卵を数日間にわって産みます。

孵化した幼虫は、土中の腐熟有機物や植物の根を食って育ちます。

成虫の多発期の5月頃から新葉を中心に食害を始めます。

昼間も葉の陰などで静止している個体が多いので、できるだけ捕殺します。

朝早くに樹を揺すったりして落ちてくる成虫を捕殺します。

近縁種にアオドウガネがありますが、同様の被害を示し、砂地に多く海岸に近い地帯での発生が多い。

ドウガネブイブイと、形態的によく似ているが、体色は緑色が強く一見して区別できる。

夜間活動性のコガネムシは、日没後しばらくしてから飛来し始め、夜間樹上で食害する。

一部を除いて早朝には飛来して姿を消す。


昼間活動性の種類は日中葉上にいて食害しています。









2024/09/12

造園樹木 No,712

 造園樹木

造園樹木とは、主として造園に使用される樹木のことを言いますが、広い意味では竹や笹類、ヤシ類、リュウゼツランなど樹木以外の植物も含まれています。

造園樹木として利用される植物は「樹姿=じゅけい」や花などに観賞的価値があり、育てやすくて丈夫なものが選ばれています。

✼樹姿とは、盆栽用語では(きすがた)といい、その意味は盆栽の姿形、たたずまいの事です。

このような造園樹木の多くは、その土地に自生しているものの中から選定されますが、外国産の植物を輸入して利用しているものも少なくありません。

選定の目安として

①見た目に美しいこと
②育てやすく移植しても活着しやすいこと
③樹勢が強いこと
④入手が容易なこと
⑤大きくしたい場合に、せん定等によって望ましい大きさに止めておけるものであること

このような条件として有してる造園樹木が望ましいと言えます。









2024/09/10

樹木の根とその働き No,711

 樹木の生理

樹木の地下部分全体を根系(こんけい)といいます。

主幹の真下から直下に伸びている根を直根=主根、横方向に伸びている根を側根といいます。

❉直根(ちょっこん)と言う表現は主に造園学で表しますが、樹医学的には主根(しゅこん)と表現することが多い。


横に伸びた側根(そくこん)の末端に生じる細い根を、細根(さいこん)といいます。

細根には毛のような根毛(こんもう)があります。

根毛は水分や養分を土中から取り入れ、導管に送る働きをしています。

導管は師管と交互に並んでいます。


      「根の構造」


根が地中深くに発達する性質のものを深根性(しんこんせい)といい、比較的浅い場所に発達する性質のものを浅根性(せんこんせい)といい区別します。

この性質は、樹種によって異なりますが、同じ樹種でも土質や地下水の状況などによって大きく変化します。


樹木の側根は、あまり地中深くには分布しないのが普通です。

側根の大部分は深さ1㍍以内の所に根が発達しています。

特に人によって踏圧されない林野地等では、根の50%以上が深さ30㌢までの地中に分布していることが多いと言われています。

しかし、種子から育ったまま1度も移植をしていない樹木では、主根の発達は著しい反面、側根は発達しない傾向にあります。


針葉樹は一般に側根に比べて、主根の発達が著しいとされ、広葉樹はこの逆の性質が強いと言えます。


しかし、一旦移植を行って太い根を切ると、その後針葉樹は広葉樹に比べて、再び太い根が伸びにくいと言う性質があります。

高さ50㍍の樹木は、主根の深さが2.5㍍位ですが、側根の拡がりは樹の高さと同じくらい広がっていると言われています。

概ね、枝先の真下まで側根は伸びていると言われています。

手入れと管理された造園樹木は、一般に何回も移植が繰り返されているため、その都度主根をはじめとした太い根が切り取られています。

造園樹木以外の大木は、株元周りの太い根を切って細根を出してから移植を行うことがあります。

それは、細根が株元に少ない株は、細根を出すための準備が必用だからです。

そのため、移植がすぐ行えるわけではありません。

細根が無い状態でそのまま移植しても、樹木の成長が妨げられる事にもなります。


✫双子葉植物と単子葉植物

主根と側根がある根は双子葉植物に見られます。

双子葉(そうしよう)植物は子葉が2枚または、それ以上ある植物をいいます。

根の付け根から、同じくらいの太さの細い根がたくさん生えていて、主根と側根の区別がつかないものをひげ根といいます。

これは単子葉(たんしよう)植物に見られる根の造りです。

単子葉植物は子葉が1枚の植物をいいます。









2024/09/09

日本の造園史(9) No,710

 戦後の造園

1945年〜

戦後の復興期から石油危機(オイルショック)にかけては、国民総生産が飛躍的に伸び、これまでになく庶民の生活は豊かになりました。

反面、公害や自然破壊などの社会問題がクローズアップされるようになりました。

❉オイルショックは、1970年代に2度発生し、石油を産出する国のサウジアラビアやイランなどが、石油価格の大幅な引き上げや石油生産の削減、石油の輸出制限などを行う事によって生じた、世界的な経済的混乱の事です。


一方庭園は、以前の時代よりも更に小規模な、個人庭園が多く造られるようになりました。




特に都心部では、住宅の敷地が狭くなって広い庭園を造る事はほとんど不可能な状態でした。

こうした新しい造園的空間の特徴の一つに、樹木の植栽等を通じて自然の持っている潤いや安らぎの場を、増やそうとする目的が挙げられます。




自然が少なくなった都心部のビルの谷間や、造成された新興住宅地、集合住宅の造園、広場や公園、運動施設などが造園の新しい対象として注目されるようになりました。








2024/09/08

日本の造園史(8) No,709

 明治、大正、昭和初期の庭園

大政奉還1867年〜終戦1945年

明治になると鎖国令が解かれ、外国の文明が一挙に入ってくると同時に、世の中の仕組みがすっかり変わってしまいました。

造園史の上では、西洋文明と共に西洋庭園の様式が渡来しました。

しかし、この時代には本格的な洋風庭園として造られたものは少なく、わずかに新宿御苑、三井クラブ、三菱松濤園、古河庭園などが、この時代に造られた洋風庭園(整形式庭園)の代表的なものとして挙げられます。

一方、伝統的和風庭園の技術は、当時外国貿易で莫大な財産を得た商人や、政府高官の庭に受け継いで伝えられていました。


そして貿易会社等の中には、外国の取引先の接待のために、彼らの喜ぶ和風庭園を造ることも少なくありませんでした。

このようにして造られた庭園には、横浜の三渓園、東京の深川親睦園(現清澄庭園)などがあります。

      「清澄庭園」

山縣有朋(やまがたありとも)は第3代内閣総理大臣で、個人として特に庭に精通し、庭を愛した著名人です。

軍人でもあり、政治家でもありましたが、庭園築造の構造にも巧みで、庭師の小川治兵衛(おがわじへい)を起用し、京都の無鄰菴(むりんあん)、東京の椿山荘(ちんざんそう)、小田原の古稀庵など、柔らかい感じの自然風の流れのある庭園を造りました。

小川治兵衛は、明治から昭和にかけて活躍した作庭家で、明治から大正期の名庭園を数多く手掛けた、近代を代表する名庭師です。

庭園に芝生を初めて用いた植木職人7代目、植治(うえじ)とも呼ばれ、明治の総理大臣であった山縣有朋によって、その才能を引き出されたと言われています。

西洋庭園は、整形式庭園と言う形では、この時代に必ずしも大きな影響を残したとは言えません。

しかし、実用の庭と言う新しい形式を住宅庭園に持ち込んだ意義は、大きいと言えるだろう。

これまでの日本の庭園は、観賞を目的としたものが多くありましたが、西洋庭園の様式が紹介されてからは、日本でも庭でくつろいだり、食事を楽しんだりするためのテラスや、芝生地が設けられるようになりました。

また、草花を観賞する花壇なども作られるようになり、それまでに比べ色彩が豊かで明るい庭園が多く出現し、庭園の様式に多様化が進みました。

更に、個人庭園が小規模化し、一般化の傾向を呈するようになったのもこの時代です。

この傾向は戦後になって一層著しくなります。

この時代以前では、一部の権力者か富豪の象徴とされた庭園ですが、段々中流階級と言われる人々の間でも、造られるようになってきたのは大きな特徴と言えます。

大正に入ると、日本の近代造園史上特筆すべき事業が二つ行われました。

一つは、明治神宮内外苑の建設で、その規模や修景計画、施工技術など、それに近代造園学の修得者が造園に関与したという点で、造園史上に大きな足跡を残しました。


もう一つは、震災復興計画事業です。

大正12年(1923年)の関東大震災は、東京、横浜に大きな被害をもたらしました。

そのため、公園の必要性と価値が強く認識され、錦糸公園、隅田公園、浜町公園と52の小公園が東京に造られました。

山下公園、野毛山公園、神奈川公園の3公園が横浜に新設されました。


❉公園史の上では、明治6年1月15日に太政官政府から府県に公布された、太政官布達(だいじょうかんふたつ)第16号によって、東京府は太政官政府に対して、浅草(金竜山浅草寺)、上野(東叡山寛永寺)、芝(三緑山増上寺)、深川(富岡八幡宮)、飛鳥山の5箇所を上申して、東京に五つの公園が生まれました。

これが日本における公園の始まりであったと言われています。

元々、江戸時代から庶民の遊興地であったのがこの5箇所です。

現在の公園と言える場所は、上野公園と飛鳥山公園の2箇所のみで後は神社仏閣の敷地です。


また、この公布は国の所管に関わる土地のうち、景勝地、名所、史跡等を公園として残すというものです。

その後、続々と多くの名所や城跡などの公園化される事になりました。

しかし、それは以前から公園としての役割を負っていた場所がほとんどで、新規に建設された公園は多くありませんでした。

また日本で、整形式の洋風公園が初めて造られたのが東京の日比谷公園です。









2024/09/07

日本の造園史(7) No,708

 江戸時代の庭園

江戸幕府の成立1603年〜大政奉還1867年

江戸時代は、徳川幕府によって約260年にもわたって「太平の世の中」が続きました。

書物によっては約300年と記載されているものもある。

「太平の世」とは、戦争がなく世の中が穏やかに治まっている状態の事で、これは、徳川家康をはじめとする歴代将軍が文化人として、文化創造に貢献したことが理由のひとつだとされています。

この時代には各地の大名が、その国元や江戸屋敷に多くの庭園を造りましたが、これらは「大名庭」と呼び、その多くは回遊式庭園の形式を採っています。

回遊式庭園とは、園内の観賞点や庵(いおり=小さな家)が園路に沿って配置されていて、大きな園池等を園路が巡っているような庭園のことを言います。


      「回遊式庭園」


この回遊式庭園は、それまでの造園技術、特に茶庭や枯山水などの技術が、一層大規模になった集大成です。

その最初にして最も美しい庭と高く評価されているのが、後水尾(ごみずのお)天皇又は、その皇子方の指導によって造られたと言われている、京都西郊に現存する「桂離宮」です。

桂離宮では、伝統的な池泉(ちせん)庭園の中にいくつかの茶室を配置し、それらを結ぶ園路等に茶庭の技法を含め、いろいろな造園技法が巧みに取り入れられています。

✫池泉庭園は池泉や水景物のある庭のこと

現在残っている地方の主な大名庭園は
水戸の偕楽園、金沢の兼六園
岡山の後楽園、彦根の楽々園
広島の縮景園、熊本の水前寺成趣園
鹿児島の磯庭園


江戸屋敷の庭園として造られたものは
将軍家の浜御殿(浜離宮)
小田原城主の大久保侯の楽寿園(芝離宮)
紀州侯の赤坂西園(赤坂離宮)
水戸侯の小石川後楽園
柳沢侯の六義園(りくぎえん)
尾張藩主徳川侯の戸山荘(廃絶)
平戸藩主松浦伯の蓬楽園(廃絶)

✫侯(こう)とは大名、領主のこと

江戸時代初期を代表する作庭家として、「小堀遠州」が挙げられます。

遠州は、当時の役人として多くの作庭や建築に携わっていますが、茶室に関してもひとつの新しい流れを作り出しました。

桃山時代末期の「侘=わび」に徹した茶室や茶庭に対して、より明るく侘の中に華やかさも併せ持った、独特の茶室や茶庭を遠州は作り出しました。

遠州の代表作品は、京都大徳寺孤篷庵(こほうあん)等に残されています。


       「孤篷庵」


小堀遠州は安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した大名茶人で作庭家、建築家として知られている。

江戸時代中期から後期にかけては、庶民の文化が花開いた時期です。

「築山庭造伝=つきやまていぞうでん」をはじめとし、多くの造園図書が出版され、これを基に庶民の庭が多数造られました。

この図書は、造園に関する知識を広く普及するという意味では重要な役割を果たしましたが、造園の設計を固定化し、形式化するという悪い結果をもたらした事は否定できません。









2024/09/06

日本の造園史(6) No,707

 安土桃山時代の庭園

室町幕府の崩壊1573年〜江戸幕府成立1603年

安土桃山時代は戦国の世から、織田信長や豊臣秀吉が台頭して天下を統一した時代です。

有力な大名たちは、その富と力を豪華な建築や庭園、ふすま絵、彫刻、調度品等で自慢していましたが、これらに代表される雄大さやはかなさが、安土桃山時代文化の特徴と言えるでしょう。

この時代を代表する城郭内や寺院の庭園は、設計の様式としては自然風ではあるが、かなり写意的で材料に巨石や色石等を多用し、派手な演出が加わり、豪華なものになりました。

今でも見られるものとしては、京都の醍醐寺三宝院や二条城二の丸庭園、西本願寺大書院庭園などが挙げられます。


    「西本願寺大書院庭園」

西本願寺大書院庭園は書院の東側にある枯山水の中庭で、「虎渓(こけい)の庭」の名で知られています。

✫大書院の読み方=おおじょいん又はおおしょいん










2024/09/05

日本の造園史(5) No,706

 室町時代の庭園

建武の新政1334年〜室町幕府の崩壊1573年

室町時代は武士の文化が繁栄し、貿易で栄えた堺の商人たち等との間で、庶民の文化が芽生える時代です。

そして戦乱に明け暮れた時代を通して、人々の心は精神的な安息をもたらす、美術や芸術に強く惹きつけられていきました。


このような時代の中、庭園では鎌倉時代に南宋画から影響を受けて生まれた、象徴手法を更に発展させました。

石、砂、苔等だけで山や海、川などの大自然を象徴した「枯山水」が禅寺の小庭園に造られるようになりました。

これらの庭園は、観賞の為のものであったが、同時に禅宗では自然界の全ては浄土の現れだと考えることから、そこに現れた御仏に礼拝するという修行の場でもありました。

このような庭園としては、京都の大徳寺大仙院、龍安寺方丈の庭などが挙げられます。

   「大徳寺大仙院の枯山水」

鎌倉時代以前の庭園として現存し残っているものは、そのほとんどが寺院や宮殿の庭です。

室町時代になると、地方武士の庭園遺構がそのまま残っているものがあります。

それは福岡県の英彦山庭園

三重県の北畠氏館跡庭園(きたばたけしやかたあとていえん)

滋賀県の朽木氏の旧秀隣寺庭園

福井県の朝倉氏庭園

雪舟(せっしゅう=水墨画家、禅僧)の作庭と伝えられている山口県の常栄寺、島根県の万福寺などの庭園が代表的なものとされています。

     「旧秀隣寺庭園」

また、この時代後半には茶道が起こり、茶庭(ちゃにわ)も造られるようになりました。

室町時代になるとそれまでの石立僧に代わって、山水河原者(せんずいかわらもの)と呼ばれる人たちが造園技術者として、新たに勢力を増してくる。

造園労働者として石立僧の下で働いていたの者の中から、優れた造園的知識や技術を身につけた技術者が出現したことで、造園の発達に大きな役割を果たすことになります。

河原者は平安期以降に河原に住むことを強制された肉体労働や染色、雑芸能などを生業にしていました。

もともとは税金を取られないため、河原に住み着いた人々で、その中には造園などの技術者も多く、後に「山水河原者」と呼ばれる庭造りに活躍する者たちとなっていったのです。

河原者は代表的な被差別民の一種で、そもそもよい言葉ではありません。

河原人とも呼ばれ、乞食(こじき)や非人など、歌舞伎役者を卑しんで呼んだ言葉でかわらこじきと呼ばれたりした。

非人(ひにん)とは、人間ではないもの、人間の数に入れられない者と言う意味です。










2024/09/04

日本の造園(4) No,705

 鎌倉時代の庭園

鎌倉幕府成立1192年〜建武の新政1339年

武士が主導権を握るこの時代になると、寝殿造りの建築は作らなくなった。

代わって飾り気がなく強く、しっかりした「書院造り」の建築が造られるようになります。

❉書院造りとは、書斎である書院を建物の中心としている住宅様式のことで、室町時代になると武士は書院造りの屋敷に住むようになりました。

宗教は武士階級に受け入れられた「禅宗」が普及しました。

この「禅宗」にもとづく自然観は、庭園にも大きな影響を与えるようになります。

❉日本において禅宗(ぜんしゅう)には、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3宗派がある。

各宗派の共通点として、坐禅を重んじる修行を行うという特徴があり、坐禅の修行によって自分の心に向き合い、仏性を再発見することを目指すとされています。

禅宗の寺院では三門、仏殿、法堂、寝堂を縦に一直線に並べた伽藍配置をとるために、浄土式の寺院のような仏殿の正面に庭園を配置することはなくなり、庭園は本堂の奥に後退し、寺院の私庭の性格が強くなっています。

庭園は一般に小規模で質素になり、寺院や武士の住居にも造られました。

この時代の庭はその構成において、釣り合いや調和、力強さ等を重視したため、構成要素としては好んで石や敷砂、刈り込み物などが変化の少ないものが選ばれました。

このような庭園としては、奈良の永久寺、京都の南禅寺、横浜の称名寺などが挙げられます。


     「奈良の永久寺」

この庭園は単純な構成の中に、力強さを表現したところに特徴があります。

またこの時代は、禅宗的な自然観に裏打ちされた石立僧たちの作庭技術が大きく進歩しましたが、その中の代表が臨済宗の禅僧の「夢窓国師=夢窓疎石」です。

疎石(そせき)は庭造りにおいて、単に技術的に優れていたばかりではなく、作庭と禅の教えを強く結びつけた思想を有していました。

また、「南宋画(なんそうが)=南画」から影響を受けて、石組みで自然の山や川を象徴する手法も取り入れ、その時代の作庭法に強い影響を与えました。


疎石が造った庭園としては、鎌倉の瑞泉寺、甲州の恵林寺、京都の西芳寺、天龍寺などが挙げられます。


     「甲州の恵林寺」









2024/09/03

日本の造園史(3) No,704

 平安時代の庭園

平安遷都794年〜鎌倉幕府成立1192年

この時代は特に、「公家」などの貴族が勢力を伸ばし、そして衰退して行くという時代です。

❉公家(くげ)とは、天皇に仕えて政務や儀式を行った貴族階級の官僚たちのことで、本業として何をしていたのかはあまり知られていない。

平安時代末期に、武士が大きな力をもつようになると、天皇の政治的な権力は低下していきました。

この時代の初期は、唐風の文化が最も栄えた時期でしたが、中期になるとそれらの文化も次第に日本風に再構成されていきました。

建築様式が変わったことで、それに合わせて造られた庭園が「寝殿造り」の庭園と呼ばれるもので、これは奈良時代の自然を模写した庭園が一層大規模になったものとも言えます。

寝殿造りの建築物や庭園は遺構としては残っていませんが、絵巻物や当時から残っている宇治の平等院などから、かなり明確にその形が推定されています。

寝殿造りの建築は原則として左右対称ですが、庭園は必ずしも左右対称ではなかったようです。

この頃に庭内に作られた自然風の細流は「遣水(やりみず)」、庭園に植えられた草木のことは「前栽(せんざい)」と呼ばれていましたが、今日では庭内の小さな流れを総称したものが遣水で、また草花や植木を合わせて或いは庭のことを前栽と呼ぶこともあります。


平安時代後期になると、浄土思想を背景にした仏教が盛んになり、寺院の庭園にも浄土を表現しようという発想が生まれました。

こうして造られたものが浄土庭園です。

この浄土庭園では通常、南面した阿弥陀堂の正面に池や中島が設けられ、阿弥陀堂に対して池の手前を現世、阿弥陀堂側を浄土と考えたようです。


技法的には、寝殿造りの庭園に見られたものを受け継いでいると考えられます。

有名な浄土庭園として、京都の宇治平等院、平泉の毛越寺(もうつうじ)、京都加茂町の浄瑠璃寺(じょうるりじ)などがあります。

    「浄瑠璃寺の庭園」


この時期に庭師として働いていたのは主に僧侶で、これらの人たちを石立僧(いしだてそう)といいました。

また、この時代には造園史上特上特筆すべきことがあります。

それは、「橘俊綱」が現在では最古と考えられている「造庭書」を1063年に著したことです。

これは江戸時代になって「作庭記」と名付けられましたが、自然風な作庭の考え方とその技法について詳細な記述が見られ、現在でも高く評価されています。

❉橘俊綱(たちばなのとしつな)
1028年〜1094年

平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人であり、藤原頼通(ふじわらのよりみち)の次男で讃岐守官人、橘俊遠(たちばなのとしとお)の養子









2024/09/02

日本の造園史(2) No,703

 奈良時代の庭園

平城遷都<710年>〜平安遷都<794年>

この時代には「律令制度」が完成し、朝廷を中心とした安定した国家が築かれました。

❉律令制度(りつりょうせいど)とは、中国の隋(ずい)、唐の法体系を手本に7世紀後半から8世紀頃に制定された、古代日本において皇室を中心とする貴族階級が、全国の人民と土地を支配するために構築した、中央集権的政治制度で官僚支配体制であった。

この時代には遣唐使によって、唐から新しい文化が導入されたとされる。

その遣唐使がもたらした主なものは、仏教の経典、技術や薬の知識、作物の育て方、芸術分野、高い技術の美術品や工芸品。

遣唐使がもたらした文化は、奈良時代から平安時代初期にかけて、日本国の発展に少なからず影響を与えたと考えられています。

奈良時代の庭園は、様式的に見ると飛鳥時代以前のものと大きな変化はないと考えられています。


これは、奈良市左京三条の平城京跡地で、自然風の護岸をもつ曲池のある庭園の遺構が発掘され、当時の庭園の大部分が自然風のものであったであろうことが、かなりはっきりと認識されていることでも明らかです。

    「復原された東院庭園」









2024/09/01

日本の造園史(1) No,702

 飛鳥時代以前の庭園

古墳時代から平安遷都

平安遷都(へいあんせんと)とは、長岡京から平安京へ都を移したことで、794年に実施された都遷り(みやこうつり)のこと

飛鳥時代以前の庭園は、その遺構が、残ってないので形態などは明らかではありません。

しかし、日本書紀には「蘇我馬子」が620年頃に、池や中島のある庭園を作った記録があり、この頃は庭園そのものを「島」とも呼んでいました。

蘇我馬子(そがのうまこ)は飛鳥時代の政治家及び貴族で、邸宅に島を浮かべた池があったことから、島大臣(しまのおとど)とも呼ばれた。


海の島から庭内の島へ、さらに庭そのものへと言う関連があったものと想像されます。

西洋や中国の庭園と異なり、日本の庭園はその初期から、自然景観の模写という要素が強かったと考えられます。

612年に「百済」の国から、我国に帰化した路子工(みちのこのたくみ)と言う庭の専門家が、「須弥山」を宮中の庭に作ったことも日本書紀に書かれています。


❉百済(くだら·ひゃくざい)とは、古代の朝鮮半島西部及び南西部にあった国家で、四世紀から660年頃まで続いた古代国家です。

✪須弥山(しゆみせん)とは、仏教で考えるところの宇宙の中心にある山の名です。


蘇我馬子は、父親の代から続く対立に決着をつけるため、聖徳太子や他の豪族らと挙兵し、「物部守屋」を攻め滅ぼした。

そして飛鳥の地に法興寺=飛鳥寺を建立し、仏教興隆を促進した。

物部守屋(もののべのもりや)は、古墳時代の有力豪族であった。

日本で最古とされる庭園




三重県伊賀市の国指定名勝の「城之越遺跡」(じょうのこしいせき)で、古墳時代の4〜5世紀(3〜400年代)に作庭されたと推定されています。